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仏像の道-インドから日本へ

  • 『如来坐像 パキスタン・ガンダーラ クシャーン朝時代・2~3世紀』の画像

    如来坐像 パキスタン・ガンダーラ クシャーン朝時代・2~3世紀

    本館 特別5室
    2010年3月24日(水) ~ 2011年3月21日(月・祝)

      仏教は紀元前5世紀頃のインドでブッダが説いた教えで、ブッダの死後もその教えを受け継ぐ人々によって伝え られてきました。仏教徒は、ブッダの遺骨(舎利:しゃり)を納めた仏塔(ストゥーパ)を礼拝の対象としました。この仏塔にブッダにまつわる説話を表わした り、さまざまな装飾をほどこすようになり、仏教美術が始まります。しかし、はじめはブッダを人間の姿で表わすことは禁じられており、ブッダは足跡や傘、車 輪といった象徴によって、その存在を暗示するという約束ごとがありました。

       紀元後1世紀になって、ブッダを人間の姿で表わすことが行なわれるようになり、仏教徒は仏像を礼拝するようになります。仏教の教えの広がりとともに、インドのみならず各地でさまざまな形の仏像が造られ、人々の信仰を集めました。

       仏像の誕生とほぼ時を同じくして、仏教は中央アジアを経由して中国に伝えられました。中国では、南北朝時代になると、国家の保護の下で仏教が繁栄し、5 世紀に入ると大規模な石窟(せっくつ)寺院なども造営されるようになり、おびただしい数の仏像が作られました。仏像の様式がインド風から中国風へと変化す るのはちょうどこの頃で、外来の仏教を自分たちのものにしていく様子がわかります。

       4世紀の終わりに、仏教は中国から朝鮮半島へ伝わりました。やはり王室が仏教を保護し、仏像は中国南北朝時代(420~589)のスタイルを継承しながら、朝鮮半島に独自の流行もうみ出しました。

       6世紀には、朝鮮半島の百済からわが国へ仏教が伝来しました。日本では7世紀に入ると造寺造仏活動が本格化します。伽藍(がらん)配置や仏像の様式に は、朝鮮半島や中国との関連がうかがわれます。中国では618年に唐王朝が成立し、都の長安では仏教が大いに栄え、わが国の仏教文化にも大きな影響を及ぼ しました。

       この展示では、仏像の誕生したガンダーラから中国、朝鮮半島、日本の仏像20点余を選び、それぞれの時代、地域で、どのような仏像が作られ、人々の信仰を集めていたのかをたどってみたいと思います。

主な出品作品

*所蔵の表記の無いものは、当館蔵品です。
如来坐像 パキスタン・ガンダーラ クシャーン朝時代・2~3世紀
重要文化財 如来三尊立像 中国 東魏時代・6世紀
重要文化財 如来坐像 奈良県法隆寺 飛鳥時代・7世紀