本館 9室
2010年5月18日(火) ~ 2010年7月4日(日)
能の舞台において、シテ(主役)のあるべき姿を「風姿(ふうし)」と呼びます。能の大成者といわれる世阿弥 が、さまざまな風姿の理想を述べた『二曲三体人形図(にきょくさんたいにんぎょうず)』では、鬼の風姿を大きく二つに分けています。1つは「砕動風(さい どうふう)」で、「かたちは鬼であるが、心は人であるから、心身に力を入れずに細やかに動きを砕くものだ」と述べ、すべての風姿は「砕動風」を根本とする としています。もう1つは「力動風(りきどうふう)」で「心も鬼なのでその風姿は厳(いか)つく、見所は少ないが、歌舞(かぶ)の調子を面白くかさね、終 盤にかけて盛り上げていくことによって、人の心を動かす風姿を獲得できるであろう」としています。能における鬼の風姿は、このような世阿弥の芸術論によっ て発展してきました。そこには、異形の姿となって現れる恐ろしい鬼や精霊に幽玄性を求める、世阿弥の理想が表現されています。
また、世阿弥の遺した『申楽談儀(さるがくだんぎ)』の中には、鬼能に用いる能面の具体的な名称があげられ、室町時代にはすでに鬼面の数々が完成されて いたことをうかがわせます。能のもっとも古い形態を表すとされる鬼の造形からは、能の源流が感じられます。天狗や動物の精霊、あらぶる神々の姿を、能はど のように表現しているのでしょうか。鬼能に用いられる面と装束を通して、中世の人々がイメージしてきた幽玄なる鬼の風姿をご覧ください。