平成館 企画展示室
2020年2月4日(火) ~ 2020年3月15日(日)
本特集では、朝鮮王朝の宮廷に関わる調度や服飾などとともに、宮廷人を輩出した特権階級の両班(ヤンバン)が用いた生活用具を展示し、朝鮮王朝の宮廷文化を紹介します。
朝鮮王朝を建国した太祖(たいそ)・李成桂(りせいけい)は、太祖3年(1394)に首都を開京(かいきょう、現在の開城(かいじょう))から漢陽(かんよう、現在のソウル)に遷し、漢陽を漢城(かんじょう)と改称しました。漢城は、白岳山(はくがくさん)を背後に漢江(かんこう)の流れを臨む「背山臨水(はいざんりんすい)」という風水(ふうすい)思想に適った地であり、白岳山の麓の平地に、景福宮(けいふくきゅう)が造営されました。景福宮は古代中国の礼制に基づき、宮廷の南側に国家の公的行事を行う外廷(がいてい)、北側に君主の私的生活を行う内廷(ないてい)に分かれていました。外廷の正殿は、国王が儀式や行事の際に臨席する宮殿で、床に塼(せん)を敷き詰めて椅子型の王座が設営され、王座の後方には屏(へい、衝立)や日月五峰図屏風(じつがつごほうずびょうぶ)が立てられました。一方、内廷は私的空間で、朝鮮半島の伝統的な習俗である座礼作法での生活にあわせて、宮殿に高床の板の間である「抹楼(マル)」や、石と土で作られて紙を張ったあたたかい部屋「温突(オンドル)」が作られ、調度が配置されました。
その後、景福宮の東方に離宮として昌徳宮(しょうとくきゅう)が造営されると、景福宮で国家行事を行い、昌徳宮で日常政務を行う両闕(りょうけつ)体制となりました。昌徳宮は北漢山(ほくかんざん)の麓に地形に応じて宮殿が配置された自然と調和した宮廷でした。その他、漢城(かんじょう)には昌慶宮(しょうけいきゅう)、慶運宮(けいうんきゅう、のちの徳寿宮(とくじゅきゅう))、慶徳宮(けいとくきゅう、のちの慶熙宮(けいひきゅう))などの宮廷が造営されました。
朝鮮王朝の宮廷において、中国の宮廷文化を受容しながら、朝鮮半島の生活様式に適した宮殿・調度・服飾などが形成され、開花した独特の宮廷文化をご覧下さい。