2019年11月19日(火)、入場者が30万人に達しました。
2019年11月8日(金)、入場者が20万人に達しました。
2019年10月31日(木)、入場者が10万人に達しました。
1089ブログ「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」 展覧会の見どころなどを紹介しています。
東京国立博物館 資料館 特別展「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」関連図書コーナー設置
展覧会のみどころ
※会期中、一部作品、および場面の展示替を行います。
前期展示:10月14日(月・祝)~11月4日(月・休)
後期展示:11月6日(水)~11月24日(日)
約9000件の宝物を1260年以上にわたり伝えた「正倉院」を知り、そのスケールを体感する
1260年以上にわたり約9000件の宝物を守り伝えてきた正倉院宝庫。貴重な文化財を更なる未来に伝えるため、今なお行われる保存・修理・模造の取り組みにも注目します。
また、会場内には一部原寸大で宝庫を再現し、雄大なスケール感を体感いただくスペースも登場します。
第1章 聖武天皇と光明皇后ゆかりの宝物
天平勝宝8歳(756)6月21日。聖武天皇(しょうむてんのう)が崩御されて四十九日にあたるこの日、光明皇后(こうみょうこうごう)は天皇が早く盧遮那仏の世界「花蔵(けぞう)の宝刹(ほうさつ)」に安住されることを願って、東大寺の大仏(盧遮那仏)に天皇ご遺愛の品々をはじめとする、六百数十点の宝物を献納されました。この章ではその際の目録である『国家珍宝帳』に記された宝物を中心として、聖武天皇と光明皇后ゆかりの品々をご紹介致します。「国家の珍らしき宝」と称された、8世紀の我が国を代表する至宝の数々をご覧ください。
東大寺献物帳(国家珍宝帳)(部分)
奈良時代・天平勝宝8歳(756) 正倉院宝物 [前期展示]
聖武天皇と光明皇后の思い出の数々
聖武天皇の御遺愛品をはじめとする宝物が東大寺大仏に献納された時の目録。白麻紙18枚を貼り継いだ紙に墨色も鮮やかに堂々とした書風で記され、全体に「天皇御璽(てんのうぎょじ)」の印が捺されています。巻末にある「宝物はみな聖武天皇の御遺愛品などです。昔のことを思い出し、目を触れるたび悲しみでくずれそうになります。謹んで盧遮那仏に奉納します」という趣旨の言葉からは、宝物を見るたびに亡き聖武天皇との日々を思い、身がくずれるほど嘆き悲しんだ、光明皇后の深い愛情が伝わります。
南海のきらめきをちりばめた鏡
平螺鈿背八角鏡
中国 唐時代・8世紀 正倉院宝物 [後期展示]
『国家珍宝帳』に記された20面の鏡の一つ。青銅(白銅)で作られた花のような膨らみを持つ八角の鏡で、背面に装飾を施した宝飾鏡(ほうしょくきょう)の代表作です。琥珀(こはく)と螺鈿(らでん、ヤコウガイの真珠層)により宝相華(ほうそうげ)と呼ばれる天上世界の空想の花を画面いっぱいに詰め込み、その間にはトルコ石の細片をはめ込んでいます。素材の持つ美しさを存分に活かした、ため息の出るような華麗さにご注目ください。
国宝 海磯鏡
中国 唐または奈良時代・8世紀
東京国立博物館蔵(法隆寺献納宝物) [通期展示]
聖徳太子の命日にあたる2月22日を期して、天平8年(736)に光明皇后が法隆寺の「丈六(じょうろく)」仏に捧げられた鏡。太子に等しい仏として信仰された金堂の釈迦三尊像に奉納されたと考えられます。鏡の背面には四方に山が表され、その周りは波の文様で埋め尽くされています。「海磯鏡」と称されるものの、仙人の姿とともにオシドリも見えるため、川や湖にまつわる神仙説話を表わしたものと考えられます。
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第2章 華麗なる染織美術
正倉院の染織品は、法隆寺献納宝物の作品とともに世界最古の伝世品として知られています。東大寺大仏の開眼会(かいげんえ)や聖武天皇の一周忌法要においては、大量の幡(ばん)や天蓋(てんがい)、褥(じょく)などが必要とされ、それらは儀式の後に東大寺へ納められ、現在は正倉院宝物として伝来しています。この章では、正倉院を代表する作品が一堂に会します。天平文化を彩った華麗なる染織美術の世界をご覧ください。
墨画仏像(部分)
奈良時代・8世紀 正倉院宝物
正倉院宝物 [前期展示]
天平の大空を翔るみほとけ
沸き立つ雲に乗り、大きく天衣(てんね)を翻した菩薩。二枚の麻布を上下に継ぎ合わせた画面いっぱいに堂々とした姿で描かれています。たっぷりと墨を含ませた筆で自由闊達に描かれた菩薩の厚い唇やよく張った肩、大きな手の表現は肉感的ですらあります。中国盛唐時代の影響がうかがわれる奈良時代らしい大らかな表現が魅力的な作品です。
墨画仏像(部分)
奈良時代・8世紀 正倉院宝物
正倉院宝物 [前期展示]
天平の大空を翔るみほとけ
沸き立つ雲に乗り、大きく天衣(てんね)を翻した菩薩。二枚の麻布を上下に継ぎ合わせた画面いっぱいに堂々とした姿で描かれています。たっぷりと墨を含ませた筆で自由闊達に描かれた菩薩の厚い唇やよく張った肩、大きな手の表現は肉感的ですらあります。中国盛唐時代の影響がうかがわれる奈良時代らしい大らかな表現が魅力的な作品です。
紺夾纈絁几褥
奈良時代・8世紀 正倉院宝物 [後期展示]
色鮮やかなシンメトリーの楽園
仏に供物を捧げる時、机の上に敷かれた作品です。夾纈とは2枚の木の板に文様を対称に刻み、これに絹織物を挟んで強くしめ、板どうしが密着した部分だけ染料が入らないようにする技法のこと。大きく枝葉を広げた果樹の下には蓮花座(れんげざ)に乗った水鳥が鮮やかな色彩で左右対称に表されています。正倉院の夾纈を代表する作品の一つ。
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第3章 名香の世界
仏教の儀礼においては、貴重な香を焚いて仏に供養を行います。東大寺の大仏開眼会(かいげんえ)に代表される儀礼の場は、ふくよかな香りに満たされていたことでしょう。この章では正倉院を代表する香木である黄熟香を中心として、法隆寺献納宝物として伝来する沈水香(じんすいこう)などの香木、火舎(かしゃ)や薫炉(くんろ)といった香を焚くために用いる道具をご紹介いたします。
黄熟香
東南アジア 正倉院宝物 [通期展示]
天下人の心を焦がした香り
「蘭奢待(らんじゃたい)」の名で知られる天下の名香。この雅名の中には「東」「大」「寺」の三文字が組み込まれています。足利義政や織田信長らがこの香木を得たいと熱望し、一部を切り取った出来事は有名で、近代になっても明治天皇が行幸した折に切り取られています。ジンチョウゲ科のジンコウ属植物に樹脂が沈着することで出来た沈香(じんこう)であり、いまだに高い香りを放っています。
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第4章 正倉院の琵琶
正倉院は古代楽器の宝庫でもあります。すでに現地では失われてしまった古代中国や朝鮮半島の楽器を伝えている点は、世界の音楽史上にも特筆すべきものでしょう。なかでもとりわけ有名なのが華麗な装飾が施された琵琶です。本章では正倉院の古代楽器を代表する二つの琵琶を中心として、本年完了した模造事業の成果もご紹介いたします。天上世界の楽器ともいうべき、究極の造形美をご堪能ください。
シルクロードの音色を運ぶ至高の美
螺鈿紫檀五絃琵琶
中国 唐時代・8世紀 正倉院宝物 [前期展示]
古代インドに起源を持つ五絃琵琶。その唯一の作例として著名な本作は、紫檀(したん)を刳(く)り抜いた本体に別材の腹板(ふくばん)をあて、全体に玳瑁(たいまい、ウミガメの甲羅)と螺鈿(らでん)で装飾を施しています。特に背面に表わされた宝相華文(ほうそうげもん)は圧巻の造形美。撥(ばち)を受ける部分にはラクダに乗って琵琶を演奏する人物が表され、シルクロードを通じて遠い異国の音楽が伝えられたことを象徴するかのようです。『国家珍宝帳』記載の品であり、古代東洋の工芸史上、最高の傑作と言うべき至宝。
紫檀木画槽琵琶
中国 唐または奈良時代・8世紀 正倉院宝物 [後期展示]
四絃琵琶は古代ペルシアに起源を持つ楽器。五絃琵琶と異なり、頚部が後ろへと直角に曲がるのが特徴です。本体は紫檀(したん)を刳(く)り抜いた本体に別材の腹板を貼り、背面には象牙や黄楊(つげ)、錫(すず)などをはめ込む木画(もくが)の技法によって華麗な装飾が施されています。撥(ばち)が当たる部分には革を貼り、馬に乗って狩猟を行う人物や山中での酒宴の様子を極彩色で表わしています。
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第5章 工芸美の共演
わが国の7世紀美術を代表する法隆寺献納宝物と8世紀美術を代表する正倉院宝物。それぞれ聖徳太子と聖武天皇に由来する宝物には時間的な隔たりがあるものの、同じ用途のために制作された作品も含まれています。本章では主に二つの宝物を同時に展示することで、飛鳥時代から奈良時代にかけて、作品の形がどのように変わっていったのか、また美意識の特色について見ていきたいと思います。
酒宴で舞い踊る異国の王
伎楽面 酔胡王
奈良時代・8世紀 正倉院宝物 [前期展示]
伎楽は、中国南部(呉)に由来するセリフを伴わない音楽劇で、飛鳥時代に朝鮮半島の百済から伝えられ、仏教法会(ぶっきょうほうえ)などで催されました。これは酔っぱらった胡(こ)の国(ペルシアをはじめとした西アジア)の王様が従者を従えて舞い踊る演目に用いられた酔胡王(すいこおう)の伎楽面。正倉院に伝えられた数多い伎楽面の中でも白眉といえましょう。特に冠帽(かんぼう)にある唐花(からはら)の文様は、奈良時代らしい豊満ともいうべき華やかさを示しています。
重要文化財 伎楽面 酔胡王
飛鳥~奈良時代・7~8世紀
東京国立博物館蔵(法隆寺献納宝物) [前期展示]
聖徳太子ゆかりの法隆寺に伝来した伎楽面。西アジアの鼻が高い人物の相貌を誇張して表し、酔っぱらった赤ら顔をしています。大きく目を見開き、唇の厚い表情は威厳に満ち、本来は顎ヒゲとして、動物の毛が植え付けられていました。両側に耳隠し、正面に虎皮の飾りをともなった冠帽(かんぼう)は丈が高く大ぶりで、西域の古代服飾を今に伝えています。
聖武天皇御愛用。異国趣味な水差し
漆胡瓶
中国 唐または奈良時代・8世紀 正倉院宝物 [後期展示]
『国家珍宝帳』に記載される聖武天皇御遺愛の水瓶(すいびょう)。下膨れの胴に把手(とって)の付いた形は胡瓶(こへい)と呼ばれ、ササン朝ペルシアに由来します。蓋の形は鳥の頭のようで、銀の鎖により把手とつながっています。黒い漆の表面には銀の薄板をはめ込む装飾が施され、草花の生い茂る野に鹿が駆け、鳥が舞う様子が華やかに表わされています。
国宝 竜首水瓶
飛鳥時代・7世紀
東京国立博物館蔵(法隆寺献納宝物) [後期展示]
銅に金銀の鍍金(ときん)を施した華麗な水瓶。西アジア由来の器形のみならず、胴体に刻まれたギリシア・ローマ神話由来の有翼馬や、注ぎ口の龍など、シルクロードを経由してわが国に伝えられた諸地域の造形表現が一作品に結集しています。法隆寺献納宝物を代表する古代金工美術の傑作であり、壮大な古代の国際交流を今に伝えています。
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第6章 宝物をまもる
1260年以上の長きに渡り宝物を伝えてきた正倉院。漆芸品や染織品など、脆弱(ぜいじゃく)な素材で作られた作品が現代に伝えられているのは、決して偶然のなせる技ではありません。時の皇室による保護のもと、人から人へ守り伝えてきたことこそが、世界の文化史上にかけがえのない意義を持っています。本章では明治以降本格化した正倉院宝物の調査と修復作業に焦点をあて、あわせて帝室博物館時代以来の東京国立博物館と正倉院のつながりもご紹介いたします。
正倉院御物修理図(部分)
稲垣蘭圃(いながきらんほ)筆 明治22年(1889) 東京国立博物館蔵 [通期展示]
宮内省図書寮(くないしょうずしょりょう)が当時の赤坂離宮の地で行っていた正倉院宝物修理の様子を描いた作品。筆者の稲垣蘭圃は図書寮に勤めていた人物で、正倉院宝物の模造製作を行っていた稲生真履(いのうまふみ)の求めに応じて描かれました。大らかな当時の修理の様子を伝えるものとして貴重です。
参考
参考
正倉院裂と聖語蔵経巻の修理風景写真
大正4年(1915)頃 宮内庁正倉院事務所蔵
江戸時代後期から行われた正倉院宝物の修理は、明治時代に入って本格化します。なかでも正倉院裂(しょうそういんぎれ)とよばれる染織品の数は膨大で、その修理は現在も継続して行われています。これは唐櫃から取り出した染織品を水で伸ばし、和紙で裏打ちをしている大正時代の修理の様子です。第6章ではこの時に修理された「古裂帖(こぎれちょう)」も公開されます。
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