本館 14室
2018年10月2日(火) ~ 2018年12月25日(火)
本特集では、京都御所の飛香舎(ひぎょうしゃ)において用いられていた調度を紹介します。
平安京の宮廷の内裏は、天徳(てんとく)4年(960)の焼亡(しょうぼう)以来、江戸時代末期まで幾度も造営されました。特に寛政2年(1790)と安政2年(1855)に造営された内裏は紫宸殿(ししんでん)や清涼殿(せいりょうでん)などの主要な宮殿を平安時代後期の建築様式に基づいて再興した復古調内裏でした。これは寛政度内裏を造営するにあたって、すでに途絶えてしまった儀式行事を再興することを想定していたため、それに相応しい施設が要求されたのでした。すなわち母屋(もや)・廂(ひさし)から構成される寝殿造(しんでんづくり)の宮殿が造営され、室内に舗設(ほせつ)する調度についても古式をふまえて製作されました。寛政度内裏が焼亡したのち、安政年間に再興された新造内裏も寛政度を踏襲した復古調内裏でした。この安政度内裏が現在の京都御所です。
飛香舎は平安時代の内裏の後宮十二殿舎のひとつで、別名を藤壺(ふじつぼ)ともいい、『源氏物語』などの古典にも名高い宮殿です。飛香舎は中世以後は造営されなくなってしまいましたが、寛政6年(1794)に新清和院(しんせいわいん)(光格(こうかく)天皇の中宮(ちゅうぐう))が入内(じゅだい)する際に、儀式を行なう部分を中心に復古調で再興され、安政度にも造営されました。ここに紹介する飛香舎の調度は、この安政度内裏で用いられていた調度です。その形式は、平安時代の『類聚雑要抄(るいじゅうざつようしょう)』などの文献資料に典拠があるもので、寝殿造の調度を窺いうる希少な実例です。