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特別展「中国山水画の20世紀 中国美術館名品選」 3章 社会・生活への挑戦

新中国成立以後、画家たちの創作には多くの変化が生じます。伝統的な文人画から離れて、人民と社会のために絵画を描くことが求められるようになり、画家たちは社会の変化にあわせた新しい山水画を模索していきます。北京、西安、南京、広東の四つの地域の代表的な画家を中心に個性的な発展を遂げていった新中国成立以後の山水画の流れを紹介します。
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黄河清(こうがせい) 傅抱石(ふほうせき) 筆
1960年 中国美術館蔵
 

傅抱石は帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)に留学し、帰国後は江蘇(こうそ)省国画院、南京(なんきん)師範大学教授などをつとめた。「抱石皴(ほうせきしゅん)」と呼ばれる独特の画法を用い、金陵画派の代表として活躍した。

1960年に行われた江蘇省国画院の二万三千里の写生旅行で訪れた三門峡(さんもんきょう)の建設現場を題材とし、新しい国づくりに燃える息吹が伝わってくるようである。
 

 

 

銭松喦は「金陵画派(きんりょうがは)」を代表する一人。紅岩とは中国重慶(じゅうけい)の地名で共産党による革命の要塞であった。

銭松喦は「二万三千里写生」の際紅岩村を訪れ、その後改良を重ねながら本作を完成させた代表作である。

 
銭松喦
紅岩(こうがん)
銭松喦(せんしょうがん) 筆 1961年
中国美術館蔵

 

 

新中国成立後画家たちは新しい画題を探求した。この作品では豊かに実る江南の水郷が描かれ、人々の暮らしが、画家の目を通じて構築された山水の美しさとして描かれている。

詩書画ともにすぐれた銭松喦の代表作の一つである。

 
常熟田(じょうじゅくでん)
銭松喦(せんしょうがん) 筆 1963年
中国美術館蔵
 

 

 

石魯は共産党の本拠地である延安(えんあん)に学んだ画家。ここでは釘を並べたような独特の皴法(しゅんぽう)で、華山の峻厳(しゅんげん)な山容が描き出されている。

このような地に足のついた身近な風土を描くことが「長安画派(ちょうあんがは)」の特徴である。

 
石魯
華岳松風(かがくしょうふう)
石魯(せきろ) 筆 1974年
中国美術館蔵
 

 


緑色長城(りょくしょくちょうじょう)
関山月(かんさんげつ) 筆 1974年 中国美術館蔵
 

関山月は高剣父(こうけんぷ)に師事した嶺南画派(れいなんがは)第二世代の画家。「緑化祖国(りょくかそこく)」というスローガンによって植樹された海岸を描く。

日本画的抒情を基礎にしながら、画面には西洋画の構図と中国画との融合という嶺南派の伝統が息づいている。

 関山月

 

 

 

 

張大千(ちょうだいせん)の弟子でもあった何海霞は、のち西安(せいあん)(陝西(せんせい)省)に移り住み、長安画派(ちょうあんがは)を代表する画家となった。

本作は唐時代に遡る「潑墨(はつぼく)」という、墨を画面にぶちまける技法で描かれている。中国的伝統の復興と現代性への模索が融合した、何海霞の代表作である。

 
何海霞
九寨溝(きゅうさいこう)
何海霞(かかいか) 筆 1996年
中国美術館蔵
 

 

  逍遥遊(しょうようゆう)
呉冠中(ごかんちゅう) 筆
1998年
中国美術館蔵
 呉冠中  

アメリカの抽象表現主義に“影響”を受けたかのようにみえる本作は、むしろ中国的伝統の帰結と考えたほうが分かりやすい。

中国絵画を筆墨(ひつぼく)から解放しようとした呉冠中は筆墨以前の技法に遡ることで、中国画の新しい方向を指し示そうとしたのである。

 

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