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10.復興本館 戦時下の博物館

完成した現在の本館

6年の歳月と700万円を越す工費をかけた東京帝室博物館復興本館(現在の本館)は昭和12年(1937)11月に竣工し、翌13年11月10日、天皇陛下の行幸を仰いで開館した。耐震耐火構造の地上2階地下1階、総面積21,500平方メートル、「日本趣味を基調とする東洋式」と称する建築様式の建物で、設計図案は公募されたものであった。御即位の大典が機縁で組織された帝室博物館復興翼賛会が中心となって進めてきた新博物館の建設とその皇室への献納という大事業はここにすべてを完了したのである。

最新の設備をそなえ、25の陳列室を擁した復興本館の会館陳列は日本をはじめ東洋の古美術の優品を集め、それらを新しい区分法によって分類した展観であった。この列品区分の大改正は開館前年に決定しており、歴史課が保有していた陳列品を従来の美術課・美術工芸課の陳列区分にあわせて分解させるというもので、これは事実上の歴史課の廃止でもあった。

昭和15年11月には紀元2600年を記念して「正倉院御物特別展」が開催され、連日満員の盛況で20日間に40余万人の入場者を記録している。正倉院宝物が初めて一般に公開された歴史的な展観であった。

復興本館の開館後は観覧者数が一時的に急増したものの、昭和17年以降は戦局の悪化とともに減少していった。博物館では、太平洋戦争突入を前に有事の際の美術品の被害を憂慮してその保護対策を検討しており、昭和16年8月から11月にかけて最初の疎開を実施し、334点の貴重美術品を奈良帝室博物館に移送した。これ以後も美術品の疎開は場所を変えて終戦の直前まで続行されていて、館員もそれぞれの移送先に赴任して美術品の警護にあたっていた。

戦時下においても展示活動は続けられていたが、空襲の激化に伴い昭和20年3月10日をもって博物館は閉鎖と決定、休館のまま8月15日の終戦を迎えたのである。復興本館開館より終戦までの間は、帝室博物館が美術博物館としての性格をいっそう明確にして、現在の博物館の運営の基礎を築いたという点で、博物館の歴史の上でも特に重要な時期であった。

 

 

第二次世界大戦中、博物館講内も農地として開放された

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