このページの本文へ移動

神品「清明上河図」とは

中国美術史上屈指の名画といわれる「清明上河図」(北宋時代)が特別展「北京故宮博物院200選」(2012年1月2日(月・休)~2012年2月19日(日))に出品されることが決定しました。
※ 「清明上河図」の展示期間は2012年1月2日(月・休)~24日(火)
「清明上河図」の作品展示は、1月24日(火)で終了しました。1月25日(水)以降は、同作品の複製品(印刷)を 展示しています。

中国が世界に誇る至宝、清明上河図ついに国外へ

 

「清明上河図」はなぜスゴイ!?

  「清明上河図」は、北宋の都・開封(かいほう)(現在の河南省開封市)の光景を描いたものと言われています。作者である張択端(ちょうたくたん)は、北宋の宮廷画家であったということ以外、詳しいことがほとんど分かっていない謎の画家です。全長約5メートル、縦24センチの画面のなかに登場する人物は773人!(異説あり) 。まさに神技です。
汴河(べんが)の流れに沿って、市民の生活が衣食住にいたるまで細かに描かれ、宋代の風俗を知るためにも一級の資料です。北宋文化の絶頂期・徽宗(きそう)皇帝のために描かれたとされ、庶民の幸せな日常生活が画面に満ち溢れています。後世にもたくさんの模本が作られました。
ここまで精密に描かれた都市風景は、もちろん同時代の西洋にもほとんどありません。北京故宮でも公開される機会はごくまれで、上海博物館で公開された時は夜中まで行列が続いたほどの熱狂的大ブームを巻き起こしました。まさに中国が誇る至宝であるとともに、世界でも屈指の幻の名画なのです。
 

 

幸せの旅のはじまり

 

清明上河図は郊外の景からはじまります。柳が新緑をつける季節、ロバの背に荷物をつんで歩む童子が描かれ、どこまでも平和な風景が広がります。小川は大河になり、大都市へと流れていきます。幸せの旅のはじまりです。

 

この河は開封(かいほう)に流れていた汴河(べんが)だと言われています。汴河は郊外の豊かな食糧や物資を都市に運ぶ大動脈でした。清明上河図に描かれる船は食糧を運んでいると言われます。今年も多くの実りが都市にやってきました。船から人々が袋を担いで岸に運び込んでいます。仕事の後はお腹が減るのでしょう。となりに食堂も描かれています。

 

お母さんが船のなかで洗濯中です。屋根には家族の衣服が干してあります。きっと幸せな家族の日常があるのでしょうね。

 

 

まるで映画のワンシーンのような臨場感

金剛界曼荼羅のしくみ
[一級文物] 清明上河図巻(せいめいじょうかずかん)(部分)
張択端(ちょうたくたん)筆 北宋時代・12世紀 中国・故宮博物院蔵
[展示期間:2012年1月2日(月・休)~24日(火)]
清明上河図のクライマックス、虹橋の場面です。虹橋(にじばし)とは橋脚を使わず、木組みだけで支えられたアーチ型の橋。虹の形に見えることから虹橋と呼ばれ、橋の下を船が通り抜けられるように開発されたものです。かつて開封に実在し、高い建築技術がうかがえる名橋でした。右からくる船がマストをおろし、虹橋にさしかかります。船首で大声を出して叫んでいる水夫、橋桁から身を乗り出すヤジ馬たち…。宋代の都市の喧騒が聞こえてくるような名場面です。
  画面左に見られるひときわ高い建物が見えます。この建物はお店で、酒楼です。河べりのお座敷で一杯、といったところ。今も昔も、同じく楽しい時間ですね。旗には「新酒」の文字が描かれています。木組みの克明な描写も必見です。清明上河図には都市に生きるさまざまな職業の人たちが描かれています。
 

 

都市に生きる人々の生活を克明に描写

清明上河図には都市に生きる様々な人々の姿が描かれています。
仕事に熱中する者、ぼんやりと休息する者、そして、食事や飲酒の風景、それぞれがそれぞれの人生を精いっぱい生きています。

曲げ物屋

曲げ物屋

 

庶民の食堂

庶民の食堂

 

銭を数える人たち

銭を数える人たち

旅の僧侶

旅の僧侶

 

占い師

占い師

 

やや高級な酒楼

やや高級な酒楼

 

 

お濠(ほり)にかかる橋を渡れば、ここから城内です。大きな城門があり、街はより活気を見せます。ラクダの隊商がくぐっているのも面白いですね。たくさんの商店がたちならび、まるで宋代の街に迷い込んだような臨場感。人々の何気ない日常の幸せに立ち会うことができます。

 

 

清明上河図 中国で最も愛された絵画
康熙帝南巡図巻 [一級文物]  康熙帝南巡図巻(こうきていなんじゅんずかん) 第11巻 (部分)
玉翬(おうき)等筆
清時代・康熙30年(1691)
 北宋時代の都のにぎわいを描いた清明上河図は、その後の中国美術に大きな影響を与えました。明時代には盛んに模本が作られ、そのうちいくつかは日本にも伝来しています。
清朝になると、康熙帝(こうきてい)は江南へ巡行した時の様子を「南巡図巻」として描かせました。南巡図巻には鮮やかな彩色描写で皇帝の徳治する人々の生活が細やかに描かれ、ここにも清明上河図の影響を見ることができます。
見る者を夢中にし、幸せな思いに至らせる清明上河図は、長い歴史の中で最も中国人に愛された作品であり、中国世界の本質を表すともいえる名品なのです。
康熙帝南巡図巻
左右ともに[一級文物] 康熙帝南巡図巻(こうきていなんじゅんずかん) 第12巻(部分)
玉翬(おうき)等 清時代・康熙30年(1691)

康熙帝が江南へ巡幸したときの様子を描いており、皇帝の徳治のもと生活する人々の姿が鮮やかな色彩で表現されています。これは紫禁城の前門に人々が集い、人文字で「天子万年」(皇帝の幸せな世が長く続きますように)ができた様子です。