国宝 伝教大師度縁案並僧綱牒(部分) 平安時代・9世紀 京都・来迎院蔵
本館 2室
2018年8月7日(火) ~ 2018年9月2日(日)
比叡山の開祖、日本天台宗の祖である伝教大師最澄(766-822)の得度(とくど)や受戒(じゅかい)に関する文書3通を1巻に仕立てたものです。3通のうち1通目、宝亀11年(780)11月10日の日付のある近江国司牒案(おうみこくしちょうあん)は、同10月10日の治部省府(じぶしょうふ)に基づいて、15歳の最澄の得度(出家)を認めたことを記した文書の控えで、同国の僧尼を監督する国師所(こくしじょ)に宛てられました。近江国分寺僧最寂(さいじゃく)の替りに得度した最澄の俗名が「三津首廣野(みつのおびとひろの)」で、その出自が滋賀郡古市郷戸主正八位下三津首浄足の戸口であること、原本には国印24顆(か)があったことが記されています。2通目は延暦2年正月20日付の最澄度縁牒案(さいちょうどえんちょうあん)。得度の3年後の延暦2年(783)、最澄18歳のときに近江国師から与えられた度縁の控えです。度縁とは、律令制で、僧尼になることを正式に許可した政府の証明証で、文末に得度の年月を記入し、僧綱(そうごう、諸大寺の僧尼を管理する職官)や治部省の職員の官位と名を連ね、太政官印あるいは治部省印を捺すものです。文中には、最澄の黒子(ほくろ)等の身体的特徴や、原本に国印23顆があったことが記されています。3通目は延暦4年4月6日付の僧綱牒(そうごうちょう)は、僧綱が近江国師に宛てて、最澄を今年の受戒僧として認可した文書。大僧都「賢璟(けんきょう)」等の自署があり、全文の字面に「僧綱之印」の朱文印20顆が捺された正文つまり正式な文書です。
指定 | 名称 | 員数 | 作者・出土・伝来 | 時代・年代世紀 | 所蔵者・寄贈者・列品番号 | 備考 | |
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