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140周年ありがとうブログ

ゆかりのある作品の数々や、作品に関わることのできる環境にありがとう

私の感性を育んでくださった数々の作品・資料にありがとうございます。
それらを手から手へ、あるいは地中で守り伝えて下さった先輩方、ありがとうございます。
そして、それらの魅力を伝える仕事に携わる事ができる、そういう環境を作って下さっている皆様に深く感謝申し上げます。

写真の仏像も「ありがとう」を申し上げたいお像の一体で、私に仏教彫刻の歴史と信仰の深さを教えてくださいます。
また、6年前の修理に際しては、たくさん“健康診断”をさせて頂いたご縁もあります。



筆者と菩薩立像(飛鳥時代・7世紀)
(2012年8月26日(日)まで、本館 1室「仏教の興隆―飛鳥・奈良」にて展示中)


背中に「聖徳太子御時代/百済国ヨリ彫刻ノ/千像之其一体也」と書かれた紙が貼られており、このお像が「聖徳太子の時代(7世紀)に百済国から伝えられた」と伝承されていたことがわかります。
だいぶ後の時代に書かれたものですが、紙が「もろく」なっていたことから、剥がしてお像と別に保存する方法も検討されました。
しかし、剥落を防ぐ手当てをおこなって、貼ったまま残すこととしました。


菩薩立像の背中部分

今回の修理を受けて頂いたことで、この先まだまだ100年、1000年と健康なお姿を観せて頂けたら「ありがたい」です。

カテゴリ:2012年7月

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posted by 鷲塚麻季(主任研究員) at 2012年07月23日 (月)

 

金春座伝来能装束にありがとう

東京国立博物館に勤めて、まる10年が経つ。

私の仕事は、長い歴史の中で衣服や帳などに用いられてきた織物や染物、刺繍といったテキスタイルの模様や技法を調べ、
その歴史的な位置付けや価値を見出だし、展覧会や文章にしてより多くの方にそのすばらしさを伝えることである。

東京国立博物館は江戸時代までに製作された日本染織が約3000件、
20世紀初頭までに製作された中国・インド・インドネシアなどの染織が約500件所蔵される、
日本で唯一、染織文化財を大量に収蔵する博物館である。
染織史に携わる者にとって、ここほど、恵まれた環境はないであろう。

ここに来る前、私は奈良にあって、大和猿楽四座の一つ、金春座の能装束について知りたいと思い、調査をしていた。
その大部分は明治維新の際に諸大名の庇護を失い、古美術市場に売り出されていった。
しかし、不幸中の幸いというか、ごく一部が奈良・春日大社の祭礼「春日若宮おんまつり」に使用するために奈良に遺されていた。

第2次世界大戦中、奈良に遺された能装束のうち状態が良く文化財として価値のあるものは、
「疎開」ということで東京国立博物館へひきとられていった。
戦後、「疎開」した能装束はそのまま、東京国立博物館が購入することとなった。

この一群の能装束には、旧大名家に伝来する能装束には見られない特色があった。
現在のこっている伝統とはまったく異なる様式やデザインを持つ桃山時代の能装束が
数多く「かたち」を維持したまま遺されてきたことである。

通常ならば、古めかしいものとして、面袋や風呂敷にでもされてしまうような桃山時代の能装束がどうして完全な形で遺されているのか、
その謎に惹かれて調査を始めた1年後、運よく東京国立博物館に就職することができた。
きっと、トーハクにある金春座伝来能装束が私を呼んでくれたに違いない。

金春座は、豊臣秀吉の時代、金春安照という名大夫によって全盛期を迎え、秀吉の愛顧を一身に受けていた。
金春座に伝来した桃山時代の能装束には秀吉の家紋である菊桐紋がデザインされ、秀吉と金春座の深い関係を表している。
最新の技術と最高の素材を用いたこれらの能装束のほとんどは、豊臣秀吉が金春座に下賜したといってよいだろう。

その後、江戸時代になって金春座は次第に弱体化したが、秀吉に贔屓にされていた時代や芸風を重んじ、桃山時代の能装束を大切に使い続けてきた。
そこで、桃山時代の能装束が奇跡的に形を遺して伝えられたのだということを、調査研究を続けていく中で知ることができた。
稀少価値のみが取り上げられてきた桃山時代の能装束に歴史的な意味付けができたことで、
多少なりとも恩返しになっていればいいなあ、と独りよがりな思いに浸っている。

研究の成果は、7年前の本館リニューアルオープンで特集陳列という形で公開した。
また、昨年は金春座ともゆかりのある金沢で、やはり、「金春座伝来 能面・能装束」というテーマで特別展を開催し、
その価値を展覧会で見ていただく機会を得た。


重要文化財 縫箔 紅白段菊水鳥模様 安土桃山時代・16世紀 奈良金春座伝来


重要文化財 唐織 萌黄地雪持柳梅露芝藤菊桐模様 安土桃山時代・16世紀 奈良金春座伝来
刺繍のデザインにみられる雅味あふれる動植物の表現や、紅色や黄緑色の美しい発色は桃山時代独特のものであり、絹の輝きは、江戸とかけ離れてつややかである。
そのすばらしさは、展示で実際に見ていただくことで初めてわかっていただけることであろう。


これからも、東京国立博物館に収蔵される染織文化財に、埋もれてしまっている歴史的・文化的価値を見出し、
日本の貴重な文化遺産であるということを示し、伝えていくことが、この博物館に勤める研究員の務めだと思っている。


夏、浅草寺門前にて。

 

カテゴリ:2012年7月

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posted by 小山弓弦葉(工芸室) at 2012年07月20日 (金)

 

全ての縁にありがとう

こんにちは。特別展室の沖松と申します。トーハクが100周年の年に生まれました。
写真はその頃(より正確には105周年の頃)のものです。

5歳のころの私です。
5歳の頃の私です。
(たぶん、動物園の帰りに)トーハクをバックに記念写真。

特別展室は、特別展運営に関わる諸業務の連絡とりまとめ窓口として、館内外関係各所の間の事務連絡調整等を主な業務としている部署です。

博物館での仕事は基本的にモノが中心にあって、そのモノ自体を見て頂くと同時に、そのモノが具えている文化や歴史等の様々な特性に対して、どの局面からアプローチするかで色々な仕事が生じて動いるといえます。
しかし、どの面(仕事)をとっても単独で存在していることはなく、常にどこかの面と接していたり、あるいは交差していたりと、複数の関係性の中で成り立っています。
実際の仕事でいえば複数の人や部署が関わるということです。
お互いの連絡確認や意思疎通がうまくいっていないと支障が生じてしまいます。8割方はそうした連絡調整が占めているといっても過言ではないと思います。
私は今の部署になるまで、収蔵品の貸出や特別観覧に関わる部署、平常展(現在の総合文化展)の調整に関わる部署、出版に関わる部署を経験させていただきましたが、やはりどの部署でも仕事の中心はそうでした。

とりわけ、当館の特別展は規模が大きい分、館の内外ともに関わる人や部署、組織が多くなります。
館内の主なものでも、展覧会の内容的な部分を担う当該専門分野の研究員で構成されたワーキングメンバーをはじめ、収蔵庫内の遣り繰りや保管中の管理、展示環境やモノの状態確認、応急修理、広報、英文監修や海外とのやり取り、教育普及、警備、経理契約、設備の維持管理などに関わる部署が挙げられますし、場合によっては総合文化展等との関連や館内での撮影やイベント等との調整も取る必要があります。
館外では共に主催するマスコミ各社、作品の所蔵先をはじめ、作品の梱包輸送・展示、英文翻訳、図録やポスター・チラシ等のデザインや印刷、会場施工、音声ガイド、グッズ、清掃の関係などなど・・・。
そして最終的にはお客様にどれだけご出品頂いたモノの良さを伝えられるか、ご意見等をどれだけ汲んでいけるかといった、お客様との意思疎通も重要になります。

元来、思い込みが強く独断に陥りがちで段取りが悪い私が、今、こうして博物館の仕事を多くの方たちと共にしていられるのは、生まれてから今までに直接・間接に縁を頂いた多くの方々のおかげであり、特に博物館に勤めてからは仕事の中で関わる方々とのやり取りを通して多くのことを教えていただき、成長させていただいているからだとつくづく思います。
(モノとの縁も、結局はモノを通してその制作や伝来、保管等に関る人と縁を頂いているといえます。)

縁に恵まれるということほど有難いものはないと思います。
今まで縁を頂いた方々に心から感謝を申し上げます。
そして、その縁から得た事を少しでもよりよい次の仕事に繋げていけるよう努めてまいります。

5歳のころの私です。
今のトーハクをバックに撮影。
35年前に比べ、本館前庭のユリの木が屋根を越えて成長しています。

カテゴリ:2012年7月

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posted by 沖松健次郎(特別展室) at 2012年07月17日 (火)

 

梅雨の晴れ間にありがとう

総務課長の樋口と申します。

この時期、雨続きで気が滅入りますが、7月2日は天気予報に反して晴れ間がのぞきました。
この日の太陽は、わたくしどもトーハク職員にとってかけがえのない晴れ間となりました。
この日は、賛助会員の皆様への感謝会だったからです。

東京国立博物館賛助会顕彰版
東京国立博物館賛助会顕彰版

トーハクでは、国からの交付金以外に、たくさんの支援者から多くの寄附金を頂戴しています。
特に賛助会の皆様からのご浄財は2年連続で、予算不足だった文化財購入に充てさせていただきました。
毎年広がっているこの支援の輪は、今や博物館の活動にとって欠かすことのできない大きな財源となっているだけでなく、
我々にとって欠かすことのできない大きなエネルギーになっていると感じます。

感謝会当日は、総合文化展「日本美術の流れ」(本館2階)をトーハク研究員が解説するツアーや
庭園では応挙館開放が、 ほかにも事業報告会が行われ、そして感謝の集いが開催されました。
解説ツアーでは、今回賛助会の皆様のご浄財で購入させていただきました水墨画2点のほか、
縄文・弥生時代、茶の湯、屏風、江戸絵画などを解説し、感謝会のお客様も熱心に耳を傾けていらっしゃいました。
感謝の集いでは、「総合文化展がこんなにおもしろいとはじめて知った」という方も。

茶の美の解説を熱心に聞くお客様
茶の美の解説を熱心に聞くお客様。

皆様、夜遅くまで本当にありがとうございました。
そして我々も、この支援の輪をもっともっと広げていくために、
がんばっていきたいと思います。

この日つかのまの晴れ間になり、天も味方してくれた気がします。
梅雨の晴れ間にありがとう!

東京国立博物館140周年「秋の特別公開」の広報で使用する予定のビジュアル
東京国立博物館140周年「秋の特別公開」の広報で使用する予定のビジュアル。
感謝会の当日は、ちょうどこんな青空でした。

カテゴリ:2012年7月

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posted by 樋口理央(総務課長) at 2012年07月14日 (土)

 

古代エジプトのミイラにありがとう


パシェリエンプタハのミイラ エジプト、テーベ出土 第22王朝・前945~前730年頃 エジプト考古庁寄贈
(2013年1月2日(水)~3月3日(日)東洋館にて展示予定)

25年前に勤め始めた頃、このミイラは東洋館の隅っこで、ひっそりと展示されていました。
棺の「蓋」はありませんでした。
その後、人形(ひとがた)の「蓋」が「発見」されたので、展示ケースも新調し、平成7年から本体と並べて展示しました。

それに先立ち、当館と文化財研究所のスタッフが科学的調査をしました。
この時撮られた赤外線写真を用いて、エジプト学者・鈴木まどか教授は棺前面の銘文を解読し、
このミイラは明治37年の寄贈時の調書通り、「アンクムウトの息子、パシェリエンプタハ」のものと確認、
年代は第22王朝時代(前946/5~前735年)と結論づけました。

平成21年から東洋館は閉館中ですが、中高生などから観覧希望が多いので、
平成22年の夏だけ平成館で公開しました。

来春、東洋館が再開館する際は、久々にお出ましです。
私の学芸員生活とともにあった作品の中で、このミイラは手もかかるが、なぜか人気抜群で、印象深いものでした。
今までありがとう、そしてこれからも人気者であり続けて下さい。


発見された蓋です。こうやって何度も向かい合いました。

カテゴリ:2012年7月

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posted by 後藤健(特任研究員) at 2012年07月11日 (水)