トーハクくんがゆく!「国宝 大神社展」 其の五(PG12の絵画篇)
ほほーい!ぼくトーハクくん!
今日は土屋研究員といっしょに「国宝 大神社展」を見に行くほ。
絵画について教えてくださいだほー!
こんにちはトーハクくん。今回は、絵画作品を紹介するね。
古神宝や神像の影にかくれがちだけど、絵画作品も奥が深くて見どころがたくさんあるんだよ。
土屋さん、今回のタイトルに「PG12の絵画」って書かれているのが気になるほ。
ぼくまだ5歳なんだけど大丈夫かなあ?
じゃあさっそく見に行こうか。
えっ、土屋さん、置いていかないでほ!
おすすめの作品はたくさんあるんだけど、今回は2作品を中心にお話します。
1つめはこちらです。
重要文化財 琴弾宮縁起絵(ことびきのみやえんぎえ)
鎌倉時代・14世紀 香川・観音寺蔵
香川県の琴弾八幡宮の草創縁起が描かれています。
そーそーえんぎ?
お宮がつくられた起源や由来、っていう意味だよ。
八幡大菩薩が、大分の宇佐八幡宮から京都に向かう途中でこの地に立ち寄られた、という伝承をもとに描かれたんだ。
八幡大菩薩さんが立ち寄ったの?どこに描かれているの?
左上のほうに、細く白い雲がたなびいているのが見えるかな?
この雲こそが、八幡大菩薩がこの地に降りたった様子を描いているんだよ。
「その雲は虹のようだった」と言われていて、この雲も虹みたいに見えるでしょ?
ほ~!お宮からけむりが出ているのかと思ったほ。
けむりじゃなくて、雲が空のほうから地におりてきているんだ。
神様の姿は直接は描かれないことが多いんだよ。
そっか!神様は目に見えないもんね!ちょっと面白いルールだほ。
少し下に目をうつすと、一艘の船が浜辺に寄せているのを、お坊さんたちがお迎えしている姿が見えます。
こういうひとつひとつに実は細かいエピソードがあるんだよ。(くわしくは図録270ページをご覧ください)
しかしすごいほ、ヘリコプターに乗って空から見ているみたいだほ。
これって元々、景色を楽しむためのものだったの?
おっ、いい質問だねトーハクくん。
楽しむというのとはちょっと違うんだ。
たとえば仏教美術には仏や菩薩の像が描かれているよね。神道美術では、「風景」が信仰の対象として描かれるんだよ。
社殿やそれを中心とした神域を描いた絵画を、家にかけて礼拝することで、実際にそこに行って礼拝したことと同じ効果があると考えられていたんだ。
なるほー!遠いところに住んでいたら、毎日は通えないもんねえ。こりゃ助かるほ。
では、もうひとつの作品を見てみましょう。
那智山宮曼荼羅(なちさんみやまんだら) 室町時代・16世紀 和歌山・熊野那智大社蔵
こちらは、那智大社を知らない人に向けて参詣にきてくださいって宣伝をするための絵。
熊野ってこんなところですよって紹介するガイドにもなっている、いわば「熊野攻略マップ」だね。
熊野比丘尼(くまのびくに)っていう尼僧たちが、この絵を折りたたんで諸国をめぐり歩き、さまざまな場所で絵解きをして、
熊野のPR活動や勧進(資金を集める)したそうだよ。
ほお!どうりで、みんな楽しそうにしていて、なんだか行ってみたい気持ちになるほ。
みんな楽しそう?よーく見て。みんなじゃないかもよ。
えっ、ごめんだほ、まだちゃんと見ていなかったほ。
何気ないところにも、熊野にまつわるエピソードが描かれているんだよ。
たとえば画面右下。
浜辺から船が3艘出ているね。これは「補陀落渡海(ふだらくとかい)」の様子なんだ。
当時は南の海の向こうに、観音様が住まう「補陀落浄土」というところがあると考えられていた。
それで、小型の木造船(右側の船)に行者が乗り込み、出られないように釘で屋根を打ちつけたうえで、そのまま沖に出てゆくというものだったんだ。
その後、伴走している船が沖まで曳いていって、綱を切って見送る。
場合によってはもともと船に穴を開けていて、その穴をふさいでいた栓を自分で抜いて沈めたりしたそうだよ。
ちょ、ちょ、ちょっと待ってだほ(汗)、それじゃ中に乗った人はどうなるほ?
浄土へ行くんだろうな…。
ふがぁ!そ、そんなことを実際にしていたほ?!
さあ今度は画面右上の滝の部分を見てみよう。
土屋くんっ、質問に答えていないほ!
これは滝に打たれて修行していた文覚上人(もんがくしょうにん)というお坊さんが気を失ってしまった場面。
不動明王に仕える矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)に助けられています。
この人は、出家する前のプライベートがちょっとワケアリなんだ。
彼は、とある人妻に恋をしてしまう。それで彼女の夫を殺そうと計画する。
お風呂から出てきた長髪の夫の首を掻き切ろうとするんだけど、実は殺したのは、身代わりになった愛する人だったんだ。
その罪をあがなうために出家し、那智の滝で荒行をしたとされています。
土屋くん。
なに?
その話、5歳のボクにはちょっとオトナすぎるほ。いけないほ!
いやいや、私が言いたいのは、この1枚の絵の中にはそれくらい濃いエピソードがたくさん詰まっているということだよ。
こうやって絵解きすることで、昔の人たちも熊野に興味をもって、いつかは参詣したいと思っていたと思うんだ。
トーハクくんも熊野や他の神社に行ってみたくなったでしょ?こういった絵画は、そんな役割も果たしていたんだよ。
なるほ!たしかに、神社に行って実物を見てみたくなったほ!この絵を見てから行ったほうがもっと楽しめそうだほ!
そして今も昔も、神社が日本人の暮らしと人生に深く関わっているようすがよく分かったほ。
土屋さん、シゲキ的なお話を有難うございました!
土屋研究員とトーハクくん。
土屋さんもそうですが、研究員という人種はきわどいエピソードを淡々と話す人が多いなと目まいがしたトーハクくんなのでした。
カテゴリ:研究員のイチオシ、news、2013年度の特別展
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posted by トーハクくん at 2013年05月24日 (金)
5月19日(日)、上野動物園、国立科学博物館、東京国立博物館を1つのテーマでめぐるイベントを開催しました。
今年のテーマは「サル」。
小学校4年生から大人まで、大勢の参加者の方が朝の上野動物園に集まりました。
まずは動物園からスタート。
動物解説委員の小泉祐里さんと一緒に「生きたサルの観察」です。
ケージの中を活発に動き回る姿や、毛並み、手や足の動きについて、みんなで観察していきます。ひとことで「サル」といってもとてもたくさんの種類。特徴もさまざまです。
エサを食べたり、ケージの中を飛び回って遊んだり…
すっかりサルの動きに見入ってしまいつつ、続いての国立科学博物館へ向かいます。
科学博物館では動物研究部の川田伸一郎さんに「サルの骨格」をテーマにお話を伺いました。
動物園で見たサルそれぞれのちがいについて、実物の骨格を前に説明していただきました。
実際に骨格に触ってみます。
思ったよりすべすべして、ずっしり。もちろん骨格も種類によって大きさや特徴がちがいます。
お昼ごはんのあとは、最後のトーハクへ。
教育講座室の小島有紀子さんが、平成館企画展示室(特集陳列「猿」 2013年6月16日(日)まで)などで「美術の中のサル」についてお話しました。
動物園や博物館で見たサルの特徴がとても分かりやすい作品もあれば、イメージで作られたものも。古くから続く日本人とサルとの特別な関わりがよく分かります。
(左) 猿印籠牙彫根付 線刻銘「正民」 江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵
(右) 猿蟹 礒田湖龍斎筆 江戸時代・18世紀 東京国立博物館蔵
作品の説明だけでなく、小泉さんと川田さんも交えて作品の中のサルについても観察し、作品の見方がまた広がりました。
上野ならではのこのイベント。来年はどんな動物をテーマにするか、鋭意計画中です。
どうぞお楽しみに。
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posted by 長谷川暢子(教育講座室) at 2013年05月23日 (木)
江戸時代が見た中国絵画(1) “国家”を超える名画・馬遠「寒江独釣図」
個人的なことで恐縮ですが、2年半前、関西の美術館から東博に移ってきて、驚いたことがあります。大正時代に集められた関西の中国書画コレクションは、「新渡り」と呼ばれる20世紀以降に伝来したものが多く、それはコレクションの主導者・内藤湖南が考えた“正統”な中国絵画を中心に集められたものでした。東博では戦後に寄贈いただいた高島、林、青山コレクションが、この“正統”な中国絵画の系譜に属しています。私自身、数年前までは「新渡り」こそが中国絵画の“正統”だと信じて疑わなかった、いわば「新渡り」信者だったのですが、東博には、それ以外の重要な中国絵画のグループがあることに気づき、自分の視野の狭さを改めて反省するとともに、これらの作品の価値について考えるようになりました。
展示では作品の前に箱や付属品を一緒に展示し、「中国的解説」と「日本的解説」の2つをつけ、中国と日本での伝来の歴史がわかるようにしました。
それは立派な金襴表具をたてまわし、二重箱、三重箱に納められ、ある時期まで日本の中国絵画の“正統”だった作品です。しかし19世紀末以降、日本人が本土にある“ほんもの”の中国絵画に触れることが出来るようになると、いわば“亜流”として理解されるようになってしまいました。実際これら日本伝来の“中国”絵画は、現在本場の“中国絵画史”からはこぼれ落ちてしまいがちです。しかし正統性の主張が時として多数者の恣意的な押しつけにすぎないように、“正統”と“非正統”の境界も再考する余地がありそうです。
重要文化財 寒江独釣図 伝馬遠筆 南宋時代・13世紀 東京国立博物館蔵、右は画絹の拡大。
中国画絹が上下で二枚に切れているのがわかります。
例えば馬遠「寒江独釣図」という作品があります。昨年、本格修理が行われ、絹が上下で切れていることが確認されました。日本では、床の間や茶室での鑑賞に合うように、大きな中国絵画を小さく切ることはよく行われており、「寒江独釣図」もそのような伝来の過程で切り取られた可能性が高いと言えます。
しかし、この「切り取られた」ことで、かえって画面には、静かな水面で釣糸に精神を集中させる人物の、厳しい精神性や内面の孤高までもが表現されていることがわかります。
作られたのは“中国”でも、作品によって最も重要な構図は日本によって作り出されたものであったとしたならば、「寒江独釣図」は、“中国”絵画なのでしょうか、“日本”絵画なのでしょうか?
19世紀以来、東アジアにも近代的な“国家”ができ、人間はどこかの国の「国民」になっていきますが、ある作品も“文化財”になり、所属と国籍が定められていきます。「寒江独釣図」はそのような、国家概念が出来る前の作品が持っていた、“国境”や“正統性”を軽々と越えていくような、文化の豊かさを教えてくれるかもしれません。
重要文化財 寒江独釣図 朱端筆 中国 明時代・16世紀 東京国立博物館蔵(5月19日(日)まで、東洋館8室で展示)
仮想ですが、一部分を切り取ると、内面の孤高を表現する「寒江独釣図」のような構図になりますね。
馬遠「寒江独釣図」には、東博に4件の模写が所蔵されています。三重の箱と美しい更紗につつまれ、室町時代以来の日本人が大切に守ってきたことも分かります。作られたのは“中国”(南宋)でも、それよりももっと長い600年近くを“日本”で過ごし 、作品は徐々に日本歴史の一部になっていったと言ってもよいでしょう。
「寒江独釣図」をつつむ三重箱。(伝)元信、(伝)探幽、養信の模本と、栄信の箱書が付属し、狩野家歴代の歴史が一幅の作品の内外に凝縮しているようです。
今回、館内の日本絵画史や書跡、保存修復の専門家の多くの教導のおかげで、作品を鑑賞する際、クローズアップされがちな「作った人」だけではなく、それに加えて「伝えた人」の意味を考えてみる展示が出来たことを、心より嬉しく思います。
蘆鵜図 林良筆 中国 明時代・16世紀 東京国立博物館蔵
箱書きは水戸藩主徳川斉脩。立派な竹箱で、夫人である峰姫遺愛の品だったこともわかります。
重要文化財 離合山水図 (伝)高然睴筆、杜貫道賛 中国 明時代・14世紀 東京国立博物館蔵
二つで一つの画面になる「離合山水」の名品として知られるこの作品は、添状によれば、三井家が分家するときにそれぞれの家に分け与えもの。
ちなみに、「高然睴」という画家は中国の歴史書には存在せず、日本人が作り出した架空の画家であろうと言われています。
室町時代に伝来した作品を「古渡り」、江戸時代に伝来した作品を「中渡り」と言うこともありますが、今回展示しているのはこの「古渡り」「中渡り」の作品たちです。普段はめったに公開されない付属品や作品伝来の歴史を通じて、名品の魅力と共に、それを伝えた人や社会の重要性を感じていただけましたら幸いです。
特集陳列「江戸時代が見た中国絵画」は、6月16日(日) まで、本館 特別1室・特別2室にて開催中です。
カテゴリ:研究員のイチオシ
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posted by 塚本麿充(東洋室研究員) at 2013年05月19日 (日)
ほほーい!ぼくトーハクくん!
今日は丸山研究員といっしょに「国宝 大神社展」を見に行くほ。
シンゾーについて教えてもらうんだほー!
重要文化財 随身立像(厳成作 平安時代・応保2年(1162) 岡山・高野神社蔵)の前にて。
そうだよ。この展覧会の一番の見どころは神像なんだからね。
おわっ、丸山さん言い切ったほ!
神像の担当者がそう言って何が悪いのよ。
おおー!男気を感じるほ!
ではさっそく神像を見に行くほ!
うわぁ~、いろんな神様がずらりだほ!
しかし「神像」って初めて見たほ。「仏像」なら最近は若い女子にも人気があるみたいだし、ぼくも見たこともあるんだけど…
そうだよね。神像は元々見せるものではないから、通常は非公開のことが多いんだよ。
だからこれだけの多くの神像が一気に並ぶことは、本当に貴重なことだね。
そうか!よーく見ておかなきゃだほ!!
うーむ、神像ってなんだかふしぎ。いろんな形や表情をしているほ。
じつは、仏像の場合は「すべてを超越した存在」だから感情が表されることはないんだ。
でも神像は、ほほえんでいたり怒っていたり、感情が豊かに表されているよね。
にっこり。
童女立像 平安時代・12世紀 広島・南宮神社蔵
ぎろり。
重要文化財 男神坐像 平安時代・9世紀 京都・松尾大社蔵
おなやみ?
重要文化財 男神坐像 平安時代・12世紀 京都・大将軍八神社蔵
本当だ!みなさんとっても個性的だほ!
神像には規則や儀範、専門的にいうと「儀軌(ぎき)」がないんだよ。
仏像の場合は、「この像はこのポーズ、持ちものはこれ」というように、ビジュアルについてきちんと決まりごとがあるんだ。
神像はそういうものが無い分、作り手が自由に想像力をはたらかせてつくることが出来たんだろうね。
なるほ!だからみんなオリジナリティが溢れているんだね。
女神坐像 平安時代・10~11世紀 兵庫・伊弉諾神宮蔵
ぐはっ!大変だよ丸山さん、お背中に穴が開いちゃってるほ!!
まあ落ち着いてよトーハクくん。これはおそらく神木あるいは霊木でつくられているんだ。
レイボク?
たとえば雷が落ちた木には、不思議なパワーが備わっているように思えるよね。
人々はそういう木のなかに神を見出した。だから神像をつくって、大切に扱ってきたんだね。
ふむふむ。
そういう木は必ずしも彫刻をつくるのに適しているとは限らない。ウロもあれば節目もある。
でもその木をつかうことにこそ、意味があったんじゃないかな。
ほー!その話、どきどきするほ!
グレートな自然を尊敬する、昔の人の気持ちが伝わってくるようだほ!ぐっときたほ!
そうだね。
当時の人々もきっと、神に関する物語を聞いたりして、神のイメージを具体的に思い描いていたと思うんだ。
そのイメージを、ビジュアル化(目に見える形に)したくなる。それが人間ってもんなんだろうね。
深いっ、深いほ!そうやって神像を見てみると、心の距離が縮まったような気がするほ!
丸山さん、面白いお話を有難うございました!
丸山研究員とトーハクくん。女神坐像(平安時代・12世紀 広島・南宮神社蔵)の前にて。
神像も個性的だけど、丸山さんも個性的なひとだなあと思う、トーハクくんなのでした。
カテゴリ:news、2013年度の特別展
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posted by トーハクくん at 2013年05月17日 (金)
3月から展示中の特集陳列「花生」(~6月2日(日)、本館14室)、もうご覧いただけましたでしょうか。
展示期間中に季節はめぐり、新緑が気持ちのいい季節になってきました。
さて今回の特集陳列は、陶磁担当の二人で企画しましたが、
すでに展示をご覧いただいた方はお分かりのとおり、花生の材質はやきものに限られません。
展示室中央のケースには、古銅(胡銅:銅、錫、鉛の合金)の花生を展示しています。
古銅の花生は、中国古代の青銅器にかたちをならい、日本では室町時代から格式の高いものとして珍重されてきました。
古銅象耳花生 銘 秋月 中国 明時代・16世紀 東京国立博物館蔵(松永安左エ門氏寄贈)
そして奥のケースには、竹、瓢といった自然素材の花生を並べています。
竹の花生は、千利休の花生を代表するものとして知られています。
東博に所蔵される一重切花生「園城寺」は、天正18年(1590)、利休が秀吉の小田原攻に帯同した際、伊豆の韮山で伐り出した竹から作った三つの竹花生のうちのひとつとされ、利休は陣中の茶会でこれらの竹花生を用いたといわれています。
明日をも知れない臨戦状況下の緊張感のなかにあって、竹という身近な素材で花生を作り上げたことは、利休の茶の湯のテーマのひとつである「創造性」をあらわす物語として象徴的に伝えられてきました。
竹の花生は、「置く」だけでなく「掛ける」という用い方もされます。
昨年、茶席の床の間を特集した雑誌の企画で、先の「園城寺」を床の間に掛けて撮影するという機会がありました。
壁にかかった園城寺花生は、床に置いたときとはまた異なり、厳しさのなかに軽やかさが加わったように感じられました。
一重の花窓を下から見上げるという体験も初めてでしたので、大変新鮮でした。
(左) 竹一重切花入 銘 園城寺 千利休作 安土桃山時代・天正18年(1590) 東京国立博物館蔵(松平直亮氏寄贈)(2013年5月19日(日)まで本館4室にて展示)
(右) 茶室の床の間に掛けた様子
やきものの花生でも、掛けることを意図して背面に釻(かん)がつけられたものがいくつか見られます。
また、かつて掛花生として穴を開けて使用し、後に鑑賞用(または展示用)として後から埋めた跡のあるものも見られます。
なかには、え・・・これも掛けて使ったの? というような重厚なやきものも含まれます。
茶席に合わせて置いたり掛けたりと、用い方が変えられるのが花生の特徴の一つです。
古染付人物笹蟹文砂金袋花生 景徳鎮窯 中国 明時代・17世紀 東京国立博物館蔵(横河民輔氏寄贈)
さまざまな素材と合わせて、用いられかたにも着目しながらぜひお楽しみください。
カテゴリ:研究員のイチオシ
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posted by 横山 梓(特別展室研究員) at 2013年05月15日 (水)