TOP
 >> 1089ブログ

1089ブログ

特集「日本の仮面 能狂言面の神と鬼」

桜が咲き始め、春らしい陽の光を感じる季節となりました。
思えばはるか昔から、日本人の生活や心のなかには季節があり、自然がありました。そしてその脅威や恵みに、神や鬼など、人ではない何かの力を感じてきたのです。そんなことを思いながら、今日ご紹介するのは、特集「日本の仮面 能狂言面の神と鬼」(本館14室、2018年4月22日(日)まで)です。

特集「日本の仮面 能狂言面の神と鬼」会場の様子
特集「日本の仮面 能狂言面の神と鬼」会場の様子

能の物語には、恵みをもたらす神や、自然の驚異を象徴する荒ぶる神、地獄の鬼、嫉妬や恨みに支配された怨霊や生霊、得体のしれない妖怪など、人間ではないものが登場します。これらを演じるのは、人間である能楽師。その役に変身するために重要なもののひとつが面です。
今回はいろいろな神や鬼の類の面を展示しました。
こんなにたくさんの役、微妙に違う様々な面を生み出してきた能の世界、それを大切にしてきた日本人の心はなんて豊かなんだろう。
しみじみと展示しました。

そんな展示作品の中から、今回イチオシの面をご紹介しましょう。展示室中央のケースに展示されている大癋見(おおべしみ)です。私がイチオシする理由はもちろん、上手だから。頬の盛り上がりや眉間の皺。その迫真の表情。これを作ったひとの力量を感じます。

能面 大癋見 「佐渡嶋/一透作/久知住」刻銘 室町時代・15世紀 文化庁蔵
能面 大癋見 「佐渡嶋/一透作/久知住」刻銘 室町時代・15世紀 文化庁蔵

この面は「ほかにない顔だち」をしています。これが注目のポイント。
実は南北朝時代から室町時代は新たな曲が次々と作られ、それに伴い面が創作された時代でした。中には宗家が本面と決め、別格の扱いをされた面もありました。
その後、江戸時代は本面をはじめとする、優れた古い面を写すようになります。つまり、現存する能面は、いずれかの古面に似た顔立ちをしていることが多いのです。大癋見もまた、能のシテ方の流派のうち、観世、金剛、宝生の宗家にも古い面が伝わり、特に観世家のものは写しが多く作られました。
にも関わらず、今回展示した大癋見はそれらとは一線を画す、独創的な顔だちをしています。比べてみると、その違いがよくわかるはずです。

観世型の写し(東博所蔵)、宝生型の写し(文化庁所蔵)。
(左から)今回の展示作品と、観世型の写し(東博所蔵)、宝生型の写し(文化庁所蔵)

なぜこんなに違うのか。その答えを求めて、X線CT撮影を行いました。
こちらは鼻のあたりの断面図。写真中央が鼻。その両脇の盛り上がりが頬、両端は耳です。木目まで見えるでしょうか。注目は2か所。

鼻のあたりの断面図(CT画像)
CT撮影による能面 大癋見」の断面図

ひとつ目は頬の部分。
木材の彫刻の上に、漆に木の粉などを混ぜた木屎を大胆に盛っていることがわかります。こんな風に厚く盛ることはほぼありません。だって、頬を高くしたいのであれば、そのように彫刻すればよいのですから。

ふたつ目は耳の部分。
木目がつながらないどころか、別の種類の木であることがわかります。木目から、耳の材はヒノキであると考えられます。同様に冠形と呼ばれる頭頂の黒い部分もヒノキだとわかりました。おそらく耳と冠形は後補といえるでしょう。

これはどういうことなのか、ますます謎が深まってしまいました。
どの系統にも属さない、独創的な表情から、おそらくこの面は室町時代頃に作られた、古い面なのでしょう。その造形方法は非常に変わっていて、頬を木屎で盛り上げ、耳と冠形は後補。どういうことなのか、まだまだ検証不十分ですが、たとえばこんな可能性が考えられます。

この面はもともと、耳や冠形がない、口を結んだ何らかの仮面だった。その仮面をもとに、大癋見に改変した。

そう考えるに至ったきっかけは、この大癋見の面裏に刻まれた「佐渡嶋」の文字。銘文「佐渡嶋/一透作/久知住」は新潟県佐渡島の久知に住む一透が作った、とも読めます。
佐渡島正法寺には「世阿弥が雨乞いをするのに使ったという鬼の面」が伝わっています。それはまさに「耳や冠形がなく、口を結んだ」仮面なのです。室町時代、これに類する面があって、そこに木屎を盛り、耳や冠形をつけて大癋見としたならば、今回展示した大癋見のようになるのではないか。もしそうだとしたら、そこにはどんな思いや意味があるのでしょう。これからも研究を進めていきたいと思います。

能楽師は大げさな身振りや表情を削ぎ落とした動きと謡の中に、演じる役の性格や身分、感情を表わそうとします。その表現に重要なのは能面だけではありません。装束も同様です。
ぜひ、「能と歌舞伎 神と鬼の風姿」(本館9室、2018年4月22日(日)まで)とあわせてご覧ください。
能の奥深い表現に一歩、一歩近づいてみてはいかがでしょうか。

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

| 記事URL |

posted by 川岸瀬里(教育普及室研究員) at 2018年03月23日 (金)

 

特集「東京国立博物館コレクションの保存と修理」

こんにちは!保存修復室の野中です。
毎年、保存修復課が中心となって準備しております特集「東京国立博物館コレクションの保存と修理」(2018年3月13日(月)~4月8日(日))が今年も始まりました!

展示の様子
展示の様子

本特集では、絵画、陶磁、刀剣、染織、考古の分野で「本格修理」を終えた12件、民族資料、染織から「対症修理」を行った作品5件、計17件をご覧いただけます。どの作品も、見どころ満載です!

パネルの解説も充実しています
パネルの解説も充実しています

修理工程のほか、対症修理はどんなことをやっているのか?CTをどんなふうに活用しているのかなども解説パネルでご紹介しています。
特に今回は、東大寺正倉院伝来の「紫地花鳥連珠七宝繋文錦天蓋垂飾残欠」(列品:I-337-174)と「淡縹地葡萄唐草文綾天蓋垂飾残欠」(列品:I-337-175)、「赤地花卉文﨟纈平絹」(列品:I-337-37)などを安全に展示、保管できるように工夫されているマウント装の構造を、模型や図面で詳しく展示しています。

マウント装の構造解説
マウント装の構造解説

これらは、鑑賞の妨げにならないように工夫をされている内部の構造のため、いつもは見えない部分ですので必見です!
見えないところにかけられている時間と工夫から、文化財への研究員と技術者の愛情を感じていただければと思います。

あれ?展示室に16件しか作品がないじゃないか!?
とお思いの方。
安心してください。
外に展示していますよ!
今年は、展示室には収まりきらないスケールの作品が1件。
8年ぶりに東博の庭園内に設置された3メートルをこえる「大燈籠」(列品:G-4218)がその作品です。

大燈籠
大燈籠

桜の開花も間もなく!
展示室で鑑賞した後は、ぜひ庭園でお花見をしながら大燈籠のある景観を眺めてはいかがでしょうか?
春の庭園開放:2018年3月13日(火)~5月20日(日))

カテゴリ:保存と修理特集・特別公開

| 記事URL |

posted by 野中昭美(保存修復室アソシエイトフェロー) at 2018年03月16日 (金)

 

トーハクくん、大包平で刀剣の魅力にふれる!

ほほーい!ぼくトーハクくん!
今日は刀剣界のビッグスターが展示されてるって噂を聞いて、本館の13室に来たんだほ。
ブームあっつ熱の刀剣を一目見ようと思ってるんだほ。


おー、トーハクくん。ようこそ刀剣の部屋へ。

酒井さん、おつかさまだほ! 今日はよろしくだほ。
それで、その刀剣のスターはどこにいるんだほ?

この太刀、大包平(おおかねひら)のことだね。

国宝 太刀 古備前包平(名物 大包平) 平安時代・12世紀
国宝 太刀 古備前包平(名物 大包平) 平安時代・12世紀

おおかねひら? ほー、国宝なんだほ!
ところで酒井さん、題箋には太刀のあとにも色々かかれてるんだけど、古備前包平とか、これどんな意味だほ?

えー、古備前とは、平安時代のおわりに備前国、現在の岡山県の東南部にいた刀工のことを指します。備前国は、鎌倉時代に一文字派、長船派などが生まれて、刀剣の一大産地となりましたが、このうち古備前とはそうした流派より古い刀工の総称をいいます。さらに、このうち包平は古備前を代表する刀鍛冶で、この作品は包平の傑作として知られています。江戸時代には岡山藩の池田家に伝来し、18世紀の前半に全国の名刀を集めた『享保名物帳』によると、寸法が長いことから「大包平」の名がついたそうです。

僕といっしょで、存在感ありまくりだほ!

おー、分かるかい。うれしいね。
まず、大きさがあって迫力があるよね。でも、反りのカーブとかは無駄がなく、刀剣独特の鋭さのある美は保っているよ。また、地鉄にあらわれる木材のような模様はきめ細やかで、刃文は小模様で複雑な形で、細かい変化にあふれているんだよね。

国宝 太刀 古備前包平(名物 大包平) 平安時代・12世紀(部分)
国宝 太刀 古備前包平(名物 大包平)の地鉄と刃文(小乱[こみだれ])

ふんふん。

同じ部屋に展示されている、鎌倉時代おわりの相模国(神奈川県)で活躍した刀工、相州国光の短刀と比較すると、大包平にみられる刃文の複雑な形がよりわかるよね。こうした大包平の刃文を「小乱(こみだれ)」、国光の直線的な刃文を「直刃(すぐは)」と呼んでいるのだけど、刃文は刀工の個性があらわれるところなんだ。

重要文化財 短刀 相州国光 鎌倉時代・13世紀 渡邊誠一郎氏寄贈(部分)
重要文化財 短刀 相州国光の地金と刃文(直刃[すぐは])

重要文化財 短刀 相州国光 鎌倉時代・13世紀 渡邊誠一郎氏寄贈
重要文化財 短刀 相州国光 鎌倉時代・13世紀 渡邊誠一郎氏寄贈

で、大包平はどうしてこんなに大きいんだほ?

うーん・・・

うーん・・・

分からない、謎だね(キッパリ)。



えー、あくまでも私見ですが、現存している大包平と同じ時代、12世紀後半の太刀の多くは、もともとの刃渡り(刃長)が2尺7~8寸(82~85cm)くらいあったと考えています。でも、そんな中で、数は少ないけど3尺(約90cm)前後のものもある。大包平の刃渡りは2尺9寸4分(89.2㎝)で、この数少ないほうに入ります。こうした長い太刀の使い方は正確に伝えられないけど、確実に言えることは、これだけ大きな太刀が現代に残っていて、ものすごい迫力を持っているということ。

だから“大”包平なんだほ!
こんだけ大きいんだから、すんごい重いんだほ?

確かにこの太刀の重量は、当館の先輩である佐藤貫一氏(号 寒山)が計測していて、1,350gあるらしい(※1)。江戸時代に多くあった2尺3寸(69.7㎝)の刀剣は大体800gだから、それに比べたら重いといえるね。でも実際に持つと、1kgを超える鉄の塊のような重々しさは感じないんだよ。これは、さっき言った反りのカーブや厚みの調節など、手に持ったときのバランスが相当考えられているからだと思うね。
そのほかにも目に見える部分で、ある工夫がしてあるんだけど、トーハクくん分かるかな?
(※1 佐藤寒山 『日本刀は語る』 青雲書院 1977年 204ページ)

(どれどれ・・・)
おっ、もしかして!
隣に展示している太刀、古青江貞次と比べると、刀身に溝があってへこんでるんだほ。きっと余分なお肉を削って身軽にしているんだほ?

国宝 太刀 古備前包平(名物 大包平) 平安時代・12世紀(部分)
国宝 太刀 古備前包平(名物 大包平)の茎(なかご)から刀身に施された溝

重要文化財 太刀 古青江貞次 鎌倉時代・13世紀(部分)
重要文化財 太刀 古青江貞次(部分)

重要文化財 太刀 古青江貞次 鎌倉時代・13世紀
重要文化財 太刀 古青江貞次 鎌倉時代・13世紀

すごーい、正解だよ、トーハクくん!

でも削っちゃったら、ポッキリ折れそうだけど、大丈夫だほ?

大丈夫。確かにこの溝(樋[ひ])がない方が強度は優れているけど、刀身の重量を軽くさせ、なおかつ打撃を受けたときに衝撃を吸収する、そんな理にかなった形状になっているんだ(※2)。溝のある刀身の断面をみると“H”の形に見立てることができるよね(図)。工学でもこの形は、H形の側面から重量がかかったとき、少ない材料で高い強度を発揮できる構造として知られているんだよ。
(※2 臺丸谷 政志 『日本刀の科学』 SBクリエイティブ 2016年 108ページ)

 図 溝(樋)のある刀剣の断面イメージ

さすが国宝、大包平! ところで酒井さん、大包平は大きいから国宝なんだほ?

うーん、ちょっと違うね。とはいっても、これは僕なりの考えなんだけど・・・

ほー?

国宝になる刀剣の条件、それは、健全、刀工の個性、そして伝来。どれも大切な要素なのだけど。

へー。でも、太刀の健全ってなんだほ? なにが、すこやかなんだほ?

健全っていうのは研ぎ減りがしていない、生(うぶ)のまま(磨上[すりあ]げていない)、つまり生まれたままの姿ってことだね。
この3条件はいうなれば美術工芸品の分野にとっては大事な要素で、この3つを兼ね備えているものって単純にすごいなって、相当に大切にされてきたと思うんだよね。
んで、特に大包平はそれについて比類がないんだ!

分かった!!!
大包平の「大」は大きさじゃなくて、“グレート”の「大」なんだほ!

いいこと言うね、トーハクくん! さっき紹介した佐藤氏もそう言ってたなぁ(※3)。
(※3 佐藤寒山 『日本名刀物語』 白凰社 1962年 124ページ)

健全で個性があって、伝来もしっかりしてる。きっといままでの所有者にうーんと大事されてきたんだほ。

この大包平の手入れや展示をしていると、それはもう、すさまじいぐらいに大事にされてきたのが伝わってくるよ。

なんでだほ? グレートなオーラが出てて、大事にしなきゃって思っちゃうほ?

なんでだろうね?
実はこの大包平、古備前の刀剣のなかではいい意味で相当変わっているんだよ。きめ細やかな地鉄や、上から下までむらなく明るく反射する刃文は、あまり古備前の刀剣にはないんだ。「偉大なる例外」と言っていいくらい。それに伝来も池田家で大切にされていた以前はよくわからない。
うーん、おそらくこの太刀を最初に見出した人は尊敬されるべき人だと思います。例外を認めて名刀とみなすのは「高い見識」と「風格を見極める判断力」、そしてこれらを自らの見解として発信する「大きな勇気」が必要です。たぶんこうして見出された美と大事にしなくちゃいけない気持ちには大きな関係があると思います。
謎が多い太刀だけど、それはそれで展示を見にきたお客さんにも想像を膨らませて一緒に考えてほしい、僕はそんな風に思うよ。

しっぶー!。うん、僕も一緒に想像するほ。
酒井さん、またいいのがあったら話を聞かせてほしいほ。今度はユリノキちゃんも連れてくるほ。
今日は、ありがとうだほ!

あいよ。また遊びにくるといいほ。あ、言葉うつっちゃた。


 

国宝 太刀 古備前包平(名物 大包平)は本館13室で4月8日(日)まで展示中だほ。
みんな見にきてほしんだほーっ!
 

 

カテゴリ:研究員のイチオシなるほートーハク

| 記事URL |

posted by トーハクくん at 2018年03月13日 (火)

 

私のお気に入りの1点(「アラビアの道ーサウジアラビア王国の至宝」より)


香炉、タイマー、ナバテア王国時代・前1~後1世紀頃、タイマー博物館蔵(本展No. 149)

「アラビアの道」展のほとんどの展示室に登場するもの──それは香炉です。この展示には古代から現代の約20点の香炉や香を焚いた祭壇が展示されています。
アラビア半島のオアシス都市タイマーで出土したナバテア王国時代のこの香炉は、砂岩を彫ってつくられたもので、わずかに丸みを帯びた形状が砂岩の質感と相まって温かみのある趣を醸し出しています。
アラビア半島では既に青銅器時代には香が焚かれていました。鉄器時代以降(前1200年頃~)の隊商都市からは、さまざまな香炉や香を焚いた祭壇が出土しています。古代の代表的な香は、アラビア半島の南西部に生育する低木からとれる樹脂香料、乳香と没薬(「アラビアの道」展第3章にて展示中)でした。これらは古代オリエント世界各地の神殿で神々に捧げられる神聖な香でもありました。新約聖書には、キリストの生誕に際して、東方三博士が黄金とともに乳香と没薬を贈り物として持参したことが記されています。
 

香炉、カルヤト・アルファーウ出土、1世紀頃、キング・サウード大学博物館蔵(本展No. 186)
前面にはクスト(インドなどが原産のオオホザキアヤメ科コストゥス属の植物の根茎か)という香料の名が刻まれている

No. 149のように四隅に角のある香炉や祭壇は青銅器時代よりレヴァント(シリア・パレスティナ)によくみられますが、アラビア半島の香炉にこのような角が作られるようになるのは、前6世紀頃の北西アラビアで、ちょうど新バビロニアの王ナボニドスが北西アラビアのオアシス都市タイマーに滞在した頃にあたります。この時、ナボニドスとともにやって来た人々の中には、ユダヤ人などレヴァント出身の人々も含まれていたようです。
 

タイマー出土の香炉(前6世紀頃、タイマー博物館蔵) ※本展には出品されていません。

その後、No. 149の香炉を作ったナバテア人が前4世紀頃に北西アラビアに台頭し、前2世紀には独自の王国を築いて香料貿易で栄えました。ナバテア王国は106年にローマ帝国の属州に組み込まれますが、そのローマ帝国の神殿でも、オリエント世界の影響を受けた角のある香の祭壇が使われていました。
イスラーム時代以降の香炉については、さまざまな形状・材質のものが残されています。モスクでも香が焚かれますが、古代のように神に香を捧げるという意味合いはありません。
 

香炉、ラバザ出土、7~10世紀、キング・サウード大学博物館蔵(本展No. 319)

 
香炉、ラバザ出土、8~10世紀、キング・サウード大学博物館蔵(本展No 318)

現在サウジアラビアで一般的に使われている香炉も、No. 149の香炉と同様、四隅が角状の形をしています。角は、香炉の見栄えを良くするだけでなく、誤って服などが火皿に入ってしまうのを防ぐ大切な役割を担っています。
 

香炉、リヤド、19世紀、サウジアラビア国立博物館蔵(本展No. 406)
現在も同様の香炉が使われ続けている


香炉の使い方は古代も現在も変わりません。まず、火皿の中に着火済みの炭を用意し、その上に少量の樹脂香料や香木をそのまま置くだけで、すぐに香り高い白い煙が立ち上ります。乳香と没薬、とりわけ前者は現在でもよく使われますが、最も好まれているのは、インド洋世界から輸入される伽羅と沈香です。その他、複数の香が調合されてつくられたものを含め、現在の家庭では多種多様の香が楽しまれています。


香を焚く準備─香炉の火皿に着火した炭を用意する(現代のサウジアラビアの香炉) ※本展には出品されていません。

 
現代のサウジアラビアで最も好まれている沈香(その高級品が伽羅と呼ばれるが、アラビア語では両者ともに「ウード」と呼ばれる) ※本展には出品されていません。

 
現代のサウジアラビアの香の店(リヤド)─香木などとともに、香油や香水も扱う

曜日・時間限定で開かれている表慶館前のアラブ イスラーム学院による遊牧民テントでは、香炉を含むアラビアの民具を手に取ってご覧いただくことができます(テントが開かれている時間はこちら)。こちらも是非どうぞ。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ「アラビアの道-サウジアラビア王国の至宝」

| 記事URL |

posted by 徳永里砂(アラブ イスラーム学院研究員・金沢大学国際文化資源学研究センター客員准教授) at 2018年03月05日 (月)

 

特集 おひなさまと日本の人形―日比谷家の雛人形を中心に―

金のびょうぶに うつる灯(ひ)を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒 めされたか
あかいお顔の 右大臣

今年もおひなさまの季節がやってきましたね~。毎年この季節になると、博物館の研究員として、雛人形の展示に大忙しです。
あまり世の中では知られていないと思いますが、トーハクのお雛様展示は毎年内容が違うんです(写真1)。
一般的に博物館での雛人形展示は同じ作品を例年並べることが多い傾向にありますが、トーハクでは毎年テーマを決めて展示を行っています。
そのため、滅多に展示しない作品も多く、是非とも毎年注目して頂きたいと思います。


写真1 特集「おひなさまと日本の人形」会場の様子

今年の特集「おひなさまと日本の人形」(本館14室 2018年3月18日(日)まで)では江戸の地を中心とする関東地域で作られた雛人形と、関西を中心に作られた木彫の人形に焦点をあてました。
気づかれにくいのですが、「おひなさまと日本の人形」といういつものタイトルには、「おひなさまと、それ以外の人形の展示」という意味が込められているんです。
さてさて、雛人形の制作というと、「京都が本場!」というイメージがありませんか。それは正しいイメージです。衣裳を着せ付けた雛人形の発祥は京都ですし、日本の人形文化自体、京都が中心となって牽引してきたからです。

しかし、関東だって負けていません。むしろ、幕末から明治にかけて、江戸の町は個性的な人形を作る作家を多く輩出し、人形文化の爛熟を向かえました。

今日、多くの方々がイメージする華やかな衣裳を着た雛人形を「古今雛」と称しますが、これはそもそも大坂出身で江戸日本橋十軒店(じっけんだな:現在の中央区日本橋室町の三越前駅近く)に店を構えた初代原舟月が安永年間(1772~1781)頃に創作し、二代舟月によって寛政年間(1789~1801)に完成された形式に仕上げられたものなのです。
その他にも江戸では末吉石舟(すえよし せきしゅう)や仲秀英(なか しゅうえい)、川端玉山(かわばた ぎょくざん)など伝説的な名工が活躍していました。

では何故、いまでも京都の人形ばかりが目立っているのでしょうか。
それは圧倒的に江戸で作られた人形の現存例が少ないからなのです。

「火事と喧嘩は江戸の華」というように、江戸の町は度重なる大火に襲われました。また関東大震災や東京大空襲によって壊滅的な打撃を被り、こうした中で江戸製のお雛さまは、その多くが失われてしまいました。
雛人形を紹介する本を通覧しても、江戸で作られた人形は少しだけしか掲載されておらず、今となってはその存在自体が貴重なものとなっています。

そうした江戸製雛人形(古今雛)のなかで今回特に注目したいのが、日比谷家ご寄託のお雛様です(写真2)。
日比谷家は江戸を代表する豪農で、「日比谷区」という名の起源ともなった名家です。


写真2 古今雛 日比谷家伝来 江戸時代・安政7年(1860) 個人蔵

明治10年に発行された日本で最初の和独辞書『和獨對訳字林』は、日比谷家6代の健次郎(または健治郎、天保7年(1836)~明治19(1886))がスポンサーとなって出来上がったものですが、このお雛様は安政7年に健治郎が長女の「しん」の初節句に際して求めたものであることが、箱書き(写真3)と家系図によってわかります。


写真3 お雛様の箱

さて、このお雛様のすごいところは、江戸製であること、一人の作者による大型の人形一式が伝えられていること(現在のようなデパートのセット販売が始まる以前、江戸時代には内裏雛は誰々の作、三人官女は誰々の作というように、自由に人形の組み合わせを考えて購入するのが当たり前でした)、箱書きに「安政七年 春三月」(まさに「桜田門外の変」が起きた時です!)とあり、制作年代がわかること、誰のために誂えられたものかわかること、などです。
つまり美術的評価とともに、歴史学や文化史の上からも貴重な史料と評価することができるでしょう。

しかし、寄託された当時、このお人形はかなり傷んだ状態でした。
髪は抜け落ち、道具はバラバラで、台座の漆もバリバリと剥がれ、セロハンテープで固定されていました(写真4)。


写真4 台座の漆剥離

このため、トーハクでは昨年から約1年を掛けて修理を行いました。
修理は保存修復課の職員である野中昭美(のなか てるみ)氏を中心として進められ、その立派な成果を展示会場でご覧いただけます。

通常、ひな人形の修理というと、欠けたお顔や台座の剥がれは塗り直し、傷んだ衣裳は新調するのが当たり前に行われていますが、文化財的価値をもったお人形にそういった手法をとることはできません。
そのため、今回はあくまで「文化財としての修理」の原則であるオリジナル部分を生かした作業を進めることになりました。

女雛のお顔をご覧ください(写真5)。修理前は額が欠け落ち、髪が抜けてしまっていました。しかし、欠けた額は保存されており、接合することが可能でした。
また頭髪の再生については専門家の技術が必要であるため、古い人形の修理にも精通されている博多人形作家の中村信喬(なかむら しんきょう)氏にお願いしました。
江戸時代の雛人形は、鬢(びん:髪の左右の張り出し)が強く張った現代の人形と異なり、もっと膨らみの少ない「おっとり」とした髪型をしています。
中村氏によって、当時の雰囲気をしのばせる再現性の高い修理を行って頂きました。


写真5 女雛・修理前(左)、修理後(右)

またもう一つ再現したのは、五人囃子のかぶっている侍烏帽子(さむらいえぼし)です(写真6)。
これはもう水にぬれてクチャクチャになったような状態で、再使用は叶いませんでした。
侍烏帽子は逆さまにすると、ちょうど舟のような恰好になるので、だれか日比谷家のご先祖に水に浮かべて遊んだ方がいらしたのではないかな~と想像しています。


写真6 侍烏帽子の新調(オリジナル(左)、新補(右))

この侍烏帽子については静岡の人形師である望月勇治(もちづき ゆうじ)氏に新調をお願いしました。
残されている作品を忠実に再現したもので、これを被ったお人形には艶と張りが甦ったように見えます(写真7)。


写真7 五人囃子・修理前(左)、修理後(右)

その他、衣裳については朽ちた織物を染織修理の方法で固定し直し(写真8)、めくれてしまった漆の層は固定。
また欠損部には丁寧な充填が行われました。いずれも一般的な人形の修理では考え難い、極めて丁寧な仕事です。


写真8 山崎真紀子(やまざき まきこ)氏による染織品部分の修理

こうした「文化財」としての雛人形の大掛かりな修理はトーハクとしてほとんど初めてのことであり、おそらく国内を見渡しても初めての試みではなかったかと思います。
雛人形については文化財として扱う意識が一般に薄く、また文化財修理の優先度からいっても低いことは否めません。

そうした中にあって、今回トーハクが行った修理は「文化財として雛人形をどう修理すべきか」という模索の中で行われたものであり、その試行錯誤の中で生み出された手法は、今後の人形を文化財として修理していく中で重要な指針になるものであると考えています。

オリジナルを大切にしつつ、お雛祭りにふさわしく、美しく艶やかに甦った日比谷家のお雛様(写真9、写真10)。是非ともみなさまには会場にお越しいただき、日本が誇る人形文化の素晴らしさと、保存修復の重要性を感じて頂ければと思います。


写真9 男雛・修理前(左)、修理後(右)


写真10 女雛・修理前(左)、修理後(右)

特集 おひなさまと日本の人形
本館 14室 2018年2月27日(火)~ 2018年3月18日(日)
 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

| 記事URL |

posted by 三田覚之(教育普及室) at 2018年03月02日 (金)

 

 

はじめに

展示のイチオシやバックヤードの出来事など、トーハクスタッフによる最新情報をお届けします。

 

 

カテゴリ一覧

 

     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

 

他のブログを見る

更新情報