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特別展「出雲-聖地の至宝-」10万人達成!

特別展「出雲-聖地の至宝-」(2012年10月10日(水)~11月25日(日))は、
2012年11月17日(土)午前、10万人目のお客様をお迎えしました。
多くのお客様にご来場いただき、心より御礼申し上げます。

10万人目のお客様は、文京区よりお越しの田村 美保子さんです。
記念品として、島根県立古代出雲歴史博物館長 玉串和代より島根県の物産品と交換できるギフト券と出雲歴博の招待券、ミュージアムショップのグッズを、
東京国立博物館長 銭谷眞美より本展図録を贈呈いたしました。
そして、今日はしまねっこが来ていることから、しまねっこからも「しまねっこグッズ」のプレゼントがありました。


左から、銭谷眞美館長、田村美保子さん、しまねっこ、玉串和代館長
2012年11月17日(土) 東京国立博物館本館にて


田村さんは10月に「神話博しまね」(2012年7月21日(土)~11月11日(日))も行かれたとのこと。
そのとき、「宇豆柱」を見ることができなかったのでこれから見るのを楽しみにしているとお話くださいました。

特別展「出雲-聖地の至宝-」は、会期終了まで本日ふくめ残り8日となりました。
まだご覧いただいていない方、ご来館を心よりお待ちしております。

カテゴリ:2012年度の特別展

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posted by 江原 香(広報室) at 2012年11月17日 (土)

 

しまねっこがトーハクに!

会期終了まで2週間をきった特別展「出雲-聖地の至宝-」(2012年10月10日(水)~11月25日(日))。
これまでご来館いただきました皆様、誠にありがとうございます。

今週末、展覧会を応援するために、なんと「しまねっこ」がトーハクにやってきます!
しまねっことは島根県の観光キャラクターです。
ご覧になったことがある方もいるのではないでしょうか。

出雲大社の本殿の屋根を頭にかぶり、首にはしめ縄を結んでいます。
先日まで開催されていた「神話博しまね」(2012年7月21日(土)~11月11日(日))では、
大人気、大忙しの毎日だったそうです。

トーハクにしまねっこがくるのは、11月17日(土)、18日(日)です。
両日ともに、11:00~・13:00~・15:00~ 各回30分、
本館の前庭付近で「しまねっこダンス」をご披露。「記念写真撮影」もできます。

しまねっこダンスはとてもかわいいダンスとうたです。
このうたを聞くとしまねっこのことをいろいろ知ることもできてしまいます。

しまねっこの公式サイトしまねっこの部屋では、しまねっこのうたとダンスを動画で見ることができるので、
ご来館前にご覧いただき当日ぜひ一緒に踊ってみてはいかがでしょうか。

お子様から大人まで愛されるしまねっこにぜひ会いにきてください。
お待ちしております。

*しまねっこの部屋の登場スケジュールにも17日(土)18日(日)は「東京国立博物館に行ってくるにゃ!」と書いてあります。

カテゴリ:2012年度の特別展

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posted by 江原 香(広報室) at 2012年11月16日 (金)

 

特別展「中国 王朝の至宝」-俑(よう)-

現在開催中の特別展「中国 王朝の至宝」(2012年10月10日(水)~12月24日(月・休)、平成館)には中国のさまざまな地域、さまざまな時代の作品が出品されていますが、この中から今回は俑(よう)に注目してみましょう。
俑とは墳墓に副葬するために作られた人形のことです。木製のものや、布製の服を着せたものもありますが、多くはやきもので作られます。中国で俑が製作され副葬されるようになったのは春秋戦国時代のことです。殉葬の代わりに死者のために働くものとされ、兵士や官吏、舞人や楽人など、その内容は多彩です。

一級文物 跪射俑(きしゃよう)
一級文物 跪射俑(きしゃよう)
秦時代・前3世紀 陝西省西安市臨潼区始皇帝陵兵馬俑2号坑出土 秦始皇帝陵博物院蔵
ご存じ、秦の始皇帝(在位前247~前210)が作らせた兵士の俑です。等身大に作られ、一体一体顔つきが異なっています。当初は彩色が施されていました。

跪射俑(きしゃよう) 靴底
なんと、靴底まで精密に写されています。徹底した写実から生まれる迫力は、説明の必要がないほどです。


一級文物 人物・鼎付霊鳥(ていつきれいちょう)
一級文物 人物・鼎付霊鳥(ていつきれいちょう)
前漢時代・前2世紀 山東省済南市無影山11号墓出土 済南市博物館蔵

こちらは、前漢時代に作られたもので、山東地方独特の文化が色濃く反映されています。たくましい脚をもった大きな鳥の上に、人物や鼎が乗ったユニークな造形です。


一級文物 女性俑(じょせいよう)
一級文物 女性俑(じょせいよう)
前漢時代・前2世紀 陝西省咸陽市陽陵陪葬墓園130号墓出土 漢陽陵博物館蔵

同じく前漢時代の中原で作られた女性の俑。髪型や衣服が忠実に表現されている一方で、秦時代の俑に見られる徹底した写実は影をひそめ、軽快な印象になっています。

一級文物 弾琴俑(だんきんよう)
一級文物 弾琴俑(だんきんよう)
三国(呉)時代・3世紀 江蘇省南京市江寧区上坊鎮1号墓出土 南京市博物館蔵

三国時代の呉から西晋時代にかけて、南京一帯の墳墓には青磁の俑が納められるようになります。青磁は写実的な描写にはあまり向いていないと思われるのですが、死者に仕える俑には青磁がふさわしいと考えられていたのでしょうか。

胡服女性俑
胡服女性俑(こふくじょせいよう)
唐時代・8世紀 陝西省西安市長安区出土     西安博物院蔵

異民族衣装をまとった女性の俑です。頭にはフェルト製の大きな帽子を被っています。唐時代の華麗で国際色豊かな文化がよくあらわれています。ふくよかな顔立ちは唐時代の美人の典型です。

俑は彫刻とは異なり、製作技法や用途が限定され、また量産されたものですが、それぞれの時代や地域における生と死、そして人間に対するまなざしが投影されています。それぞれを比較しながらご覧いただくと、また楽しさが増すのではないかと思います。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ2012年度の特別展

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posted by 今井敦(博物館教育課長) at 2012年11月15日 (木)

 

ここで会ったが100年目…には一年早く

今年、トーハクは140周年を迎えました。総合文化展ではこれを記念した特集陳列が沢山開催されています。そこでは140年という長い歴史の間に寄贈していただいた作品を、感謝の気持ちとともにご紹介しようというのが大事なコンセプトのひとつとなっています。秋の特別公開でご寄贈いただいた名品をご紹介したのはまさしくそうしたものですし、現在開催中の特集陳列「大正元年 帝室技芸員からの寄贈品」(本館18室・19室、2012年12月9日(日)まで )もそのひとつ、ご寄贈に対する感謝の心を込めた特集陳列です。


どのくらい前から考えていたのか
展覧会というのはどのくらい前から計画するのですか、ということよく聞かれます。これは一概に言えません。考え始めて一気に実現することもありますし、随分前から考えていて、あたためていたものが実現するということもあるのです。この特集陳列は、後者です。
最初に考え始めたのは、十年以上前のことでした。憶えていらっしゃるでしょうか、平成16年(2005)に『世紀の祭典 万国博覧会の美術』という展覧会があったこと。この展覧会の準備のために、トーハクの歴史や収蔵品を調べておりました。そこで出会ったのが、『列品録』の中に「帝室技芸員高村光雲外二十一名ヨリ各自作製ヲ東京帝室博物館ヘ献納願之件」という明治44年7月12日付の文書でありました。それ以前から、担当している日本陶磁や七宝の中に、大正元年に帝室技芸員から寄贈されたものがあることは気がついていたのですが、陶磁・七宝だけではなく、当時の帝室技芸員がこぞって寄贈して下さっていたということは大きな驚きでありました。そして、これを集めて展示したいと思い始めたのでありました。

どうして開催までにこんなに時間がかかったのか
すべてを見てみたい。これは研究員なら誰しもが思うこと。同じ年に寄贈されたということは、制作年代が明らかであるところから、それぞれの作家の基準作となるものです。ところが、これをすべて見るということがなかなか大変なことでした。
トーハクは140年という長い歴史を持っています。その間に、館の役割が変り、展示の体系が変り、作品の収蔵体系も変化してきました。大正元年に寄贈された24名31件の作品には、絵画、彫刻、陶磁、漆工など現在の「列品区分」にそのまま当てはまるものも多くあります。その一方で、例えば伊藤平左衛門設計という「京都大谷派本願寺大師堂諸圖」なるものは、現在の列品区分のどこにあるものか見当もつかないのでありました。

大谷派本願寺大師堂内部 金障子側二十分一之図
(1)
大谷派本願寺 大師堂側図五十分一之図 大谷派本願寺 大師堂正図五十分一之図
(2)                             (3)


どうしてできたのか
それができたのは、大きく二つの理由がありました。ひとつはトーハクの沢山のスタッフの力です。トーハクではもう何年も館史研究会という勉強会が続いています。こうした研究会が多くの人の興味を呼び起こしてくれます。一人で出来ないことが、それによって可能となってくる。そしてもうひとつ、トーハクが数年かけて実施している列品の存在確認調査です。トーハクには作品を収蔵する蔵が沢山あります。そこにある作品を、ひとつひとつどういうものか確認し、台帳と照らし合わせていくという地道でとても大事な調査です。
多くの人の目と知識、そして全収蔵作品を調査するという列品の存在確認調査によって、例えば先ほどの伊藤平左衛門設計の「京都大谷派本願寺大師堂諸圖」は、近代絵画の収蔵庫と歴史資料の収蔵庫に分かれて収蔵されていることが明らかになりました。小川一真の寄贈作品には図書に分類されていたものも。

ということで100年目…には一年早く
寄贈された作品に関する文書を調べていくと、大正2年に寄贈作品を中心とした帝室技芸員作品を集めた特別展が開催されていたことが分かりました。大正2年4月3日から4月30日。表慶館を会場として、特別展覧会「帝室技芸員献品並に故帝室技芸員製作品」が155件の作品を集めた展覧会です。
今回の特集陳列は、それ以来、初めて大正元年に帝室技芸員が寄贈した作品が並ぶということになるのです。100年目には一年早く本館の18室、19室に並びました。「この空間に立つと、明治から大正の空気が感じられますね」というのが館の人からの感想でした。同じ時代に作られたものが作り出す空気、それがしっかりと伝わってきます。そんな空気を一緒に感じていただけませんかというお誘いです。


最後に画像でご紹介しているのは…
伊藤平左衛門設計「京都大谷派本願寺大師堂諸圖」は、
「大谷派本願寺大師堂内部 内陣飾間二十分一之図」
「大谷派本願寺大師堂内部 金障子側二十分一之図」(1)
「大谷派本願寺 大師堂側図五十分一之図」(2)
「大谷派本願寺 大師堂正図五十分一之図」(3)
という4面からなるものです。今回の特集陳列では、前期9/19~10/28に「大師堂内部 内陣飾間」のみの展示でした。
4面の内の展示できなかった3面(1)~(3)のご紹介でした。

 

関連事業のお知らせ
東京国立博物館140周年月例講演会「東京国立博物館と帝室技芸員」
2012年11月17日(土) 13:30 ~ 15:00 (13:00開場予定)
会場:平成館大講堂
講師:伊藤嘉章(学芸研究部長)
定員:380名(先着順)
聴講料:無料(ただし当日の入館料は必要)

 

カテゴリ:研究員のイチオシトーハク140周年

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posted by 伊藤嘉章(学芸研究部長) at 2012年11月13日 (火)

 

宇豆柱のいざない

今回、特別展「出雲-聖地の至宝-」(2012年10月10日(水)~11月25日(日))で展示している作品の中で多分二度と島根県から外へ出ることはないだろうと思われるものは、特別5室の中央にある鎌倉時代の出雲大社の本殿の宇豆柱です。


重要文化財 宇豆柱 鎌倉時代・宝治2年(1248)  出雲大社境内遺跡出土 島根県・出雲大社蔵
重要文化財 宇豆柱 鎌倉時代・宝治2年(1248)
出雲大社境内遺跡出土 島根県・出雲大社蔵


この柱は、平成12年(2000)の発掘調査で出土したものです。三本が近接して出土し、しかもその下に石がぎっしりと詰まっている状態でそれは発見されました。材質は杉です。この柱が出土した時はホントビックリしました。だって、出雲大社の宮司千家国造家に伝わるいにしえの出雲大社の本殿の設計図と一致したわけですから。


金輪御造営差図(かなわごぞうえいさしず) 鎌倉~室町時代・13~16世紀 島根県・千家家蔵
金輪御造営差図(かなわごぞうえいさしず) 
鎌倉~室町時代・13~16世紀 島根県・千家家蔵

(注)こちらの作品は11月4日(日)で展示が終了しています


そこには、まさに3本の柱が1本に束ねられて、それが9セットで出雲大社の本殿が立つように描かれていたのです。
古代の出雲大社の本殿が、今よりもずっと高くて日本一高い建物だったという伝承は事実だったのか。
いろいろと想像したくなりますが、まずは実物をごらんいただき、その迫力を体感してください。
1本の柱の直径は、1.3メートルもありますよ。それが3本束ねて1本の柱となり、それが9セットで出雲大社の本殿となる。その様子を想像してみてください。
めっちゃ高い建物のように思えてきませんか。さて想像にひたるだけではなく、冷静にケース内の柱を観察しましょう。

おや、穴があいている。これは発掘調査であいた穴?



いえいえ違います。この柱を運んできて柱穴に落として立てる時に、縄を引っかけるためにあけた穴だったのです。
それから表面を削った後がある。猫がひっかいたのかって?違いますよ。手斧(ちょうな)と呼ばれる工具で加工した痕なのです。柱、それ自体を観察するといにしえの大社本殿の巨大性だけではなく、本殿そのものがどのように建てられたのか、その一端を知ることもできるのです。実物のもつ重要性、おわかりいただけましたでしょうか。

でも、この宇豆柱、保存処理がなされているとは言え、とてもデリケートなものなのです。本来、遠くまで旅するものではないんです。それは、あたかもルーブル美術館からモナリザを東博へ運ぶようなものです。

では、なぜ島根県は宇豆柱を県外で展示したのか。それは、全国の人々が集うこの東博で宇豆柱をたくさんの人々に見てもらって、「神々の国」に足を運んでもらいたいからです。
そのために私達は、出雲大社のご理解のもと、宇豆柱を東京まで持ってきました。
どうか、この島根県の心意気を受けとめ、多くの方々の来県をお待ちしています。

そうそう、大事なことを言うのを忘れていました。肉眼では確認できませんが、この宇豆柱、ベンガラが付着していたんですよ。
ということは、鎌倉時代の出雲大社の本殿は朱色だったのです。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ2012年度の特別展

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posted by 森田喜久男(島根県立古代出雲歴史博物館専門学芸員) at 2012年11月08日 (木)