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1089ブログ

踊る埴輪&見返り美人 修理プロジェクト 「見返り美人図」修理報告 1

当館を代表する名品「埴輪 踊る人々」と「見返り美人図」を、皆様からの寄附で未来につなぐ「踊る埴輪&見返り美人 修理プロジェクト」。
いただいたご寄附で修理が進む様子をシリーズでお知らせして参ります。

第4回目の今回は、いよいよ修理が始まった「見返り美人図」についてです。

1089ブログ「踊る埴輪&見返り美人 修理プロジェクト 「埴輪 踊る人々」修理報告 1」の記事冒頭でもご紹介しましたが、文化財の修理は、解体などを伴う大がかりな処置を行う「本格修理」と、作品の状態に合わせて最小限の処置を行う「対症修理(応急修理)」に大きく分かれます。
今回「見返り美人図」に必要なのは、前者の「本格修理」。「埴輪 踊る人々」と同様、専門の修理工房で修理が行われています。

2023年11月、修理工房において初回の「修理監督」が行われました。
監督というと、少し堅いお役所的なイメージもありますが、「修理監督」は修理にかかわる関係者が集まり、修理対象の文化財について協議する打ち合わせ。
文化財の修理にあたっては、現在の文化財の損傷状態等を詳細に調べ、また実際に修理作業を行う中で新たにわかる事実を修理の方針に反映していかなければなりません。適時その方針を確認・共有していく場が修理監督なのです。
修理監督に参加するのは、実際に修理にあたる修理工房の技術者、博物館からは作品を担当する研究員、保存修復担当の研究員。
大変恐縮ながら、そこに全くの素人の私がお邪魔して取材をさせていただきました。


修理監督の様子

初回の修理監督でまず行われたのは、作品の修理前状況の把握です。打ち合わせ前に行われたさまざまな調査によって、あらためて見返り美人図の損傷箇所や状況が共有されました。


「見返り美人図」の損傷地図

上の画像は、修理工房によって作成された見返り美人図の損傷地図。青色で示されているのは、きものの花丸模様部分の絵の具の剥落・剥離、水色の線で示されているのは本紙の折れが顕著な部分です。
その他にもピンク色で本紙の上下に広がったシミなど、写真の上に損傷箇所が状態によって色分けして表示されていて、見返り美人図にこれだけ傷んでいる場所があったことに驚かされます。

こうした損傷箇所は、正面とは違う方向から光を当てることによって見えやすくなります。
例えば、下の図は作品に斜めからの光を当てて撮った画像です。

作品に斜めの光を当てて撮影した「見返り美人図」

くるくると巻かれた状態で収納される掛け軸特有の傷みである、折れがより視認しやすくなっています。

また、こちらは作品の後ろから光を当てて撮影した画像。
作品の描かれた本紙にどのように裏打ちが当てられているかが分かり、過去の裏打ちによって作品に負担がかかっていないかを検討する材料になります。


作品の裏側から光を当てて撮影した「見返り美人図」

他にも、顕微鏡で損傷の状態を細かく調査したり、蛍光X線分析によって使用されている材料を推定し、その影響について調べたり、と、さまざまな角度から行われている調査は、人間ドックを思わせるものがあります。

解体を伴う文化財の修理は、リスクを伴う外科手術にもたとえられますが、各種専門医が協議を重ねて患者に対して最適な治療を探るように、文化財の専門家が様々な知見を持ち寄ることで、文化財の価値を損ねることなく修理が行われ、確実に次の世代に受け継がれていくのだな、と改めて感じました。

今後もこのブログでは「見返り美人図」の修理進捗などについて、「埴輪 踊る人々」の修理と並行してご紹介し、皆様とともに修理完了までを見守って参りたいと思います。
どうぞお楽しみに。

「埴輪 踊る人々」・「見返り美人図」について 修理の進捗について

 

カテゴリ:保存と修理

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posted by 田村淳朗(総務部) at 2024年03月28日 (木)

 

おひなさまと日本の人形

東京国立博物館では、毎年、この季節になりますと3月3日の桃の節句(上巳の節句)にちなんで、当館のコレクションの中から雛飾りを展示しています。


特集「おひなさまと日本の人形」(3月31日(日)まで)の展示風景

本館14室に入り向かって右側にある大きなケースには、毎年、恒例の三段飾りをしています。
この雛壇には、古来より宮廷貴族の間でもちいられてきた「天児(あまがつ、男の子)」、「這子(ほうこ、女の子)」といった原初的なスタイルの人形から、紙で胴体を形作った「立雛(たちびな)」、室町時代の宮廷風俗を模したとされる「室町雛(むろまちびな)」、上方で流行したまあるいお顔の「次郎左衛門雛(じろざえもんびな)」など、ひな人形の歴史をたどることができる展示をしています。

 

天児
江戸時代・19世紀
這子
江戸時代・18世紀

 

立雛(次郎左衛門頭)(たちびな じろざえもんがしら)
江戸時代・18~19世紀
古式次郎左衛門雛(こしきじろざえもんびな)
柴田是真旧蔵 江戸時代・17~18世紀

 

また、ミニチュアだからこそ日本の卓越した工芸の技を存分に発揮できる、雛道具の数々も見どころです。
この雛壇の展示作業を一日で行うのがとっても大変なのですが、この度、その様子を動画で紹介しています。ぜひ、ご覧ください。

 


特集「おひなさまと日本の人形」ができるまでのタイムラプス

特集「おひなさまと日本の人形」ができるまでのタイムラプス

 

雛飾りばかりではなく、特に江戸時代に飛躍的に発展、成熟を遂げた、日本の伝統的な人形も、毎年テーマを変えて展示しております。
今年のテーマの1つは「嵯峨人形(さがにんぎょう)」。江戸時代前期に嵯峨在住の仏師(仏像を彫刻する職人)が、余技で始めたのがその始まりだと言われています。
木彫りした人形に胡粉(ごふん)といわれる白い塗料を塗り、黒紅(くろべに)と呼ばれた赤黒い色で着物の地色を塗り、その上に仏像に施されるような細密な金彩色を着物の模様として施す点が特徴です。
猿廻し、人形使(にんぎょうつか)い、遊女など、江戸時代のさまざまな職業の風俗を表しました。


嵯峨人形 人形使い(さがにんぎょう にんぎょうつかい)
江戸時代・17世紀~18世紀 野村重治氏寄贈


また、今回の注目は頭を後ろからつつくと首が前後に動き、舌がぺろっと出てくる子どもの姿を表した「嵯峨人形 首振り(さがにんぎょう くびふり)」です。江戸時代には人気の仕掛け人形だったようで、いくつもの例が遺されており、子だくさんを願う子犬を小脇に抱えています。展示されている人形は動きませんが、動いている様子を本館14室のモニターで見ることができます。


嵯峨人形 首ふり
江戸時代・17世紀


嵯峨人形は、着せ替えのできる「裸嵯峨(はだかさが)」と呼ばれる子どもの人形へと変化し、それが御所人形へと発展していったと言われています。
今となっては伝世品の少ない「裸嵯峨」や、愛らしい赤子姿の「御所人形(ごしょにんぎょう)」も本館14室でご覧いただけます。


御所人形笛吹き童子(ごしょにんぎょう ふえふきどうじ)
江戸時代・19世紀 尾竹越堂氏寄贈


特集「おひなさまと日本の人形」は本館14室にて3月31日(日)まで開催しています。
現代の生活では大きな雛壇の雛飾りが難しくなってきたこの頃、ぜひ、当館で華やかな伝統の雛祭りの様子をご体感ください。

 

カテゴリ:特集・特別公開工芸

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posted by 小山 弓弦葉(工芸室室長) at 2024年03月13日 (水)

 

特別展「本阿弥光悦の大宇宙」10万人達成!

まもなく閉幕を迎える特別展「本阿弥光悦の大宇宙」(3月10日(日)まで)は、3月5日(火)午前に来場者10万人を突破しました。

これを記念し、東京都八王子市からお越しの田中さんと神奈川県相模原市からお越しの澤井さんに、当館館長の藤原誠より記念品を贈呈いたしました。


記念品贈呈の様子。田中さん(左)と澤井さん(中央)、藤原館長(右)

 田中さんと澤井さんは長年のご友人で、お二人とも美術やものづくりにご関心が深く、当館にもよくご来館くださっているそうです。

今回陶芸にも挑戦されている田中さんが、手芸がご趣味の澤井さんをお誘いになり、光悦の作品の数々をご鑑賞にお出かけくださったとのことでした。

 

 「大宇宙」のごとく深淵な本阿弥光悦の世界を「観測」する特別展「本阿弥光悦の大宇宙」も会期残すところあと5日ばかり。

3月8日(金)、9日(土)は19時まで開館(最終入場は18時30分まで)します。

綺羅星のごとく輝く、革新的で傑出した優品の数々をこの機会にどうかお見逃しなく。

カテゴリ:「本阿弥光悦の大宇宙」

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posted by 中束達矢(広報室) at 2024年03月05日 (火)

 

創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」報道発表会

2024717日(水)~98日(日)、当館平成館で創建1200年記念 特別展「神護寺空海と真言密教のはじまり」を開催します。

神護寺(じんごじ)といえば、「紅葉(もみじ)の名所」としてご存知の方もいらっしゃるでしょう。京都駅からバスと徒歩で1時間30分ほどの場所にある寺院です。


青紅葉も美しい神護寺の金堂

天長元年(824)、高雄山寺(たかおさんじ)と神願寺(じんがんじ)というふたつの寺院がひとつになり神護寺が誕生しました。今年は神護寺創建1200年、そして神護寺とゆかりの深い、空海生誕1250年の年にあたります。本展では、1200年を超える歴史の荒波を乗り越え伝わった、文化財の数々をご覧いただきます。

214日(水)には本展の報道発表会を行いました。

まずは、主催者の高野山真言宗遺跡本山高雄山神護寺 貫主 谷内弘照(たにうちこうしょう)氏と、当館副館長の浅見龍介がご挨拶しました。


高野山真言宗遺跡本山高雄山神護寺 貫主 谷内弘照氏


当館副館長 浅見龍介

続いて、本展の見どころについて、当館の古川攝一研究員が解説しました。


研究員 古川攝一

特別展「神護寺空海と真言密教のはじまり」は5章に分かれています。
ここでは、それぞれの章の概要と作品の一部をご紹介します。
 

【第1章 神護寺と高雄曼荼羅】
唐から帰国した空海が活動の拠点とした場所が高雄山寺です。「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」は、空海が中国から請来(しょうらい)した曼荼羅が破損したため、それを手本に制作されたものです。本章では約230年ぶりに修復された「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」や、院政期の神護寺に関連する作品をご覧いただきます。


現存最古の両界曼荼羅
国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)

平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 左の【金剛界】は後期展示
814日~98日)、右の【胎蔵界】は前期展示717日~812日)


等身大の迫力 日本肖像画の傑作
国宝 伝源頼朝像
鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 前期展示(717日~812日)

 
【第2章 神護寺経と釈迦如来像―平安貴族の祈りと美意識】

「神護寺経」は神護寺に伝わった「紺紙金字一切経(こんしきんじいっさいきょう)」の通称です。一方、「赤釈迦(あかしゃか)」の名で知られる「釈迦如来像」は、細く切った金箔による截金(きりかね)文様が美しい平安仏画を代表する作例です。平安貴族の美の世界をお楽しみいただきます。


鳥羽天皇発願 金泥で書かれた一切経
重要文化財 大般若経 巻第一(紺紙金字一切経のうち)(部分)
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵 通期展示


繊細優美な平安仏画の傑作
国宝 釈迦如来像
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵 後期展示(814日~98日)

 
【第3章 神護寺の隆盛】

僧である文覚(もんがく)による復興後、弟子によって伽藍(がらん)整備が進められ、神護寺はさらに発展していきます。本章では中世の神護寺の隆盛が伺える「神護寺絵図」や、密教空間を彩る美術工芸品の数々を展示します。


密教儀礼の場にしつらえられた屛風
国宝
 山水屛風
鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 後期展示(814日~98日)


【第4章 古典としての神護寺宝物】

幕末に活躍した絵師、冷泉為恭(れいぜいためちか)は数々の古画を模写しました。神護寺宝物では「山水屛風」や「伝源頼朝像」を写しています。また、「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」は、空海ゆかりの作例として、平安時代後半から曼荼羅の規範となり、仏の姿が写されました。神護寺の寺宝が古典として、江戸時代後半から明治時代に再び注目された様子をご紹介します。


国宝「山水屛風」を丁寧に写した摸本
山水屛風
冷泉為恭筆 江戸時代・19世紀 京都・神護寺蔵 後期展示(814日~98日)

【第5章 神護寺の彫刻】
「薬師如来立像」は、神護寺が誕生する以前につくられており密教像ではありませんが、空海は本尊として迎えました。深い奥行きや盛り上がった大腿部、左袖の重厚な衣文(えもん)表現は重量感にあふれており、日本彫刻史上の最高傑作といえます。本章では、5体が勢揃いした「五大虚空蔵菩薩坐像(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)」や変化にとんだ姿の「十二神将立像」などをご覧いただきます。

寺外初公開 厳しい眼差しのご本尊
国宝 薬師如来立像
平安時代・89世紀 京都・神護寺蔵 通期展示

本展は、約半世紀ぶりに開催される神護寺展となります。
空海も見つめたであろう彫刻・絵画・工芸の傑作をはじめ、密教美術の名品を展示する貴重な機会です。

今後も展覧会公式サイト当館サイトなどで最新情報をお伝えしていきます。ぜひご注目ください!

 

カテゴリ:news仏像絵画工芸「神護寺」

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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2024年02月29日 (木)

 

「呉昌碩の世界」その3 中華文人の友だちづくり

東京国立博物館(以下「東博」)の植松です。

現在、東洋館8室では、特集「生誕180年記念 呉昌碩の世界―金石の交わり―」(~3月17日(日))が開催中です。
こちらは毎年恒例の東博と台東区立書道博物館の連携企画ですが、今年は、呉昌碩生誕180年記念事業ということで、もう2館、台東区立朝倉彫塑館兵庫県立美術館の呉昌碩展示とも時期を合わせて、より総合的に「呉昌碩の世界」をご案内しています。
 
この展示をよりお楽しみいただくため、リレー形式による1089ブログをお送りします(過去のブログはこちらから。「呉昌碩の世界」その1その2)。
3回目の今回は東博展示から、呉昌碩とその師友との交流がよくわかる作品を紹介します。

古柏図軸(こはくずじく) 呉大澂(ごたいちょう)筆 清時代・光緒14年(1888) 高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵
【東博にて3月17日(日)まで展示】


こちらの、「古柏図軸」、なんか、画のまわりにいっぱい字がある! と驚かれるかもしれません。
どうしてこういうことになるのでしょうか。それはこの作品が、本来は、展覧会に掛けて公(おおやけ)に楽しまれるものではなく、文人たちの友情を深めるためのプライベートな贈りものであったからなのです。
「柏」と題がついていますが、中国でいう柏は、日本のカシワ(落葉樹)ではなくヒノキ(常緑樹)の類を指し、いつでも葉が青々としていることから、長寿や高潔な人柄の象徴として愛されてきました。
贈りものにするのにぴったりの画題ですね。

誰がどんなことを書いているのか、まずは、絵画の部分を見ていきましょう。
落款(らっかん)と印章が2セットあります。


古柏図軸の絵画部分
 

古柏図軸の湯貽汾(とういふん)落款部分

左下の方には「湯雨生(とううせい)」と書かれています。
雨生は、清代後期の著名な画家、湯貽汾(とういふん、1778~1853)の字(あざな)であって、これはその落款ということになります。
 
でもちょっと待ってください。
その下に「清卿臨本(せいけいりんぽん)」と印がありますね。
「臨本」すなわち模写ですから、これは清卿という人が、落款も含めて湯貽汾の古柏図を模写したものという意味になります。
清卿は、清代末期の高官で学者、書画篆刻家としても著名であった呉大澂(ごたいちょう、1835~1902)の字です。

その呉大澂の落款が右上、画の中ほどにあります。


古柏図軸の呉大澂(ごたいちょう)落款部分

これにより、呉大澂は光緒14年(1888)の秋7月、この模写を作って「見山(けんざん)」という人に贈ったことがわかります。
見山は、やはり学者で書家としても有名な楊峴(ようけん、1819~96)の字になります。

模写作品を贈りものにするというのはちょっと変な感じがします。
ただ、清の武官として活躍し、太平天国(たいへいてんごく)の乱で南京が陥落した際に殉死した湯貽汾は、呉大澂にとって尊敬すべき先輩であり、模写も特に謹厳な態度でのぞんでいます。
そのような模写作品であれば、楊峴への贈りものとして問題なかったのではないでしょうか。

楊峴は、光緒16年(1890)の夏6月、画の右外に題記を書いています。
ここには、光緒14年秋、呉大澂からもらったこの作品を、2年後のこの年、「麈遺先生(しゅいせんせい)」なる人の「松柏之寿(しょうはくのじゅ、長寿)」の祝いとして贈ったとあります。


古柏図軸の楊峴(ようけん)題記部分

残念ながら、麈遺先生が誰かはわからなかったのですが、この麈遺先生に頼まれて、光緒16年8月、画の上に堂々たる題字を書いたのが、まだ47歳と比較的若い呉昌碩です。


古柏図の呉昌碩題字部分

呉昌碩にしてみれば、9歳上の呉大澂はこの頃知り合ったばかり、官位も、学者、書画篆刻家としての名声・実績も遠く及びません。
また、25歳上の楊峴は、30代から大変お世話になっている書と詩の師匠です。
その二人ゆかりの作品に題字を書くというのは大変なプレッシャーだったと想像されますが、見事それに応えています。
こういった、作品上での文人同士の交流が、書画家としての呉昌碩を育てていったことがわかるでしょう。

古柏図軸

その後も、10年にわたり都合5名の文人たちが、呉大澂、楊峴、呉昌碩に続いて、画の両側を埋め尽くすように題記を書いた結果、本作は現在の姿になりました。
現代の私たちには見慣れない、書と画の競演ですが、呉昌碩と師友たちとの交流の軌跡として楽しんでいただければ幸いです。

(追記)
ブログを読んでくださった方から、「麈遺」は、楊峴と同郷の書画家、凌霞(りょうか)の号であるとご指摘いただきました。
ありがとうございました!
 

カテゴリ:研究員のイチオシ中国の絵画・書跡「生誕180年記念 呉昌碩の世界—金石の交わり—」

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posted by 植松瑞希(絵画・彫刻室) at 2024年02月26日 (月)

 

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