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1089ブログ

「文化財よ、永遠に」 まもり伝えられてきた仏像、その地域を訪ねて

特別企画「文化財よ、永遠に」は、住友財団が文化財の修理費用の助成をはじめて30年になるのを記念して開催するものです。
本展では、住友財団の助成を受けて修復された数々の作品の中から、仏像を中心に展示しています。




国宝や重要文化財に指定された作品を修理する場合には、国から費用の助成を受けることができますが、それ以外の作品は、自治体の指定を受けていても助成を受けられないことが多くあります。住友財団は、そのような作品の修理費用を助成しています。
東京国立博物館の普段の特別展では、国宝や重要文化財の作品が多く出品されますが、この特別企画の展示作品に国宝は無く、重要文化財も3件しかないというのはそのためです。

指定を受けているかどうかに関わらず、仏像が大切にまつられるのはいうまでもありませんが、本展で紹介する仏像もまた、地域で大切に守られてきました。
小高い山の中や地区の奥まったところにひっそりと寺が建ち、住職ではなく地域の人たちが守っていることもあります。像の出品のお願いや、お預かりのために寺を訪れると、いかにも地域の信仰の拠りどころという風情に出会いました。

 

向居薬師堂
山形県指定重要有形文化財 薬師如来坐像 平安時代・12世紀 山形・向居薬師堂

 

山口地区
茨城県指定有形文化財 虚空蔵菩薩坐像 平安時代・11世紀 茨城・真壁町山口地区

 

遍照寺
宝達志水町指定有形文化財 十一面観音菩薩立像 平安時代・12世紀 石川・遍照寺

そこにまつられる仏像からは、ふるくから守ってきた人たちの思いが伝わってくるようです。
そのような思いにつつまれた仏像をぜひご覧ください。

 

カテゴリ:彫刻特別企画

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posted by 丸山士郎(広報室長) at 2019年11月01日 (金)

 

住友財団修復助成30周年記念 特別企画「文化財よ、永遠に」

10月14日(月・祝)より、平成館では御即位記念特別展「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」が開幕しましたが、
本館でも10月1日(火)より、住友財団修復助成30周年記念 特別企画「文化財よ、永遠に」が開幕しています。


本館外観にはバナーを設置しています

「文化財よ、永遠に」という展覧会のタイトル、どういう意味なんだろう?と思われている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

皆様にご覧いただく文化財の多くは、時間の経過とともに劣化していきますが、修復をすることで長きにわたって伝えられてきました。
そして、修復には専門的な知識や技術、費用が必要です。

公益財団法人住友財団は、平成3年より、文化財の維持・修復の事業に対して国内外へ助成を行い、これまで累計1100件以上もの文化財修復に貢献してきました。
本展はこの助成事業が始まって間もなく30年を迎えるにあたり、これまで助成の対象となった文化財を紹介しています。

当館のほか、泉屋博古館(京都)(会期終了)、泉屋博古館分館(東京)(~10月27日(日))、九州国立博物館(~11月4日(月・休))でも開催されています。
同じタイトル、同時期に開催というとても珍しい展覧会です。


各館展覧会ポスター(左より泉屋博古館(京都)、泉屋博古館分館(東京)、九州国立博物館、東京国立博物館)同じタイトルでもそれぞれ雰囲気が違います

当館では京都と九州を除く地域の仏像などを特別5室(第1会場)と特別4室(第2会場)の2つの展示室でご覧いただきます。

第1会場はこちら。本館エントランス正面の大階段脇に入口があります。


入って右手に展示しているこちらの三尊像は、東日本大震災により須弥壇上から落下し、三体ともに全壊に近い状態となってしまいました。
そのため、破損、遊離した不安定な部材や鉄釘・鉄鎹はすべて取り外し、失われた部材を新たに補いながら接合し直しました。
また、修復の際に墨書が発見されました。


福島県指定重要文化財 釈迦如来坐像および迦葉立像・阿難立像 鎌倉時代・14世紀 福島・楞厳寺蔵

次に、展示室中央にあるこちらの千手観音像は、合掌する両手を除き、千手を四十本の脇手でみせる一般的な姿です。
お像は経年劣化により4か年かけて修理が行われました。
まず、像全体の表面に彩色が施されていましたが、これは後の時代に塗られたものであったため、
もともとの顔の表情がよく見えるよう彩色を取り除く作業を行いました。
また、脇手はすべて後の時代につくり直されたものであり、そのなかには、平安時代後期のものや江戸時代のものがあり順番を確認しながら一本ずつ取り外しました。


重要文化財 千手観音菩薩立像 平安時代・9世紀 福井・髙成寺蔵

つづきまして、第2会場です。

 

本像は昭和18年にフランス極東学院と当館の文化財交換で当館から贈ったものです。


阿弥陀如来立像 鎌倉時代・13世紀 ベトナム国立歴史博物館蔵

長らくその行方は不明でしたが、九州国立博物館のベトナムとの交流事業で発見されました。
また、修理中に台座に本体を固定していた接着剤を剥がして分離したところ、足裏に当館の購入時のシールが確認され、
当館から贈った像であることが確定し、76年ぶりに日本に里帰りしているお像です。

こちらの日光・月光菩薩は薬師如来にしたがう薬師三尊像で本尊は秘仏の薬師如来立像です。
両脇侍像は表面の漆箔層の剥離や虫損が著しい状態だったため、燻蒸による殺虫処置と剥落とめなどを行いました。
この修理により、江戸時代に一回、明治以降に一回修理が行われていることがわかりました。


甲良町指定文化財 日光菩薩・月光菩薩立像 鎌倉時代・13世紀 滋賀・西明寺蔵

日本の文化財の多くは紙、木、絹、漆などきわめて脆弱な素材を材料にしています。
高温多湿な日本の気候環境のなかでは経年劣化のリスクが高いため、
本来であれば一定の周期で計画的な修復が必要ですが、
時に地震、風水害などの災害により被災する文化財も出てきます。

これら修復すべき文化財は多分にあります。
また、修理の過程で作品の制作年月日が判明することや制作者などの人々の名前が発見されることもあり、
修復技術が新たな発見につながり、文化財を未来につなげています。

会場では様々な仏像を展示しています。
如来や菩薩のような穏やかな表情もあれば、明王のように力強い姿もご覧いただけます。

日本各地で大切に守り伝えられてきた仏像をとおして、文化財保護の重要さ、修復の意味などを感じとっていただけたら幸いです。

*本展は総合文化展観覧料金でご覧いただけます。
また、開催中の御即位記念特別展「正倉院の世界―皇室がまもり伝えた美―」の当日の観覧券でもご覧いただけます。
ぜひ、正倉院の世界展と本展どちらもお楽しみください。
 

カテゴリ:彫刻特別企画

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posted by 江原 香(広報室) at 2019年10月24日 (木)

 

特別展「法隆寺金堂壁画と百済観音」報道発表!

2020年3月13日(金)~5月10日(日)、本館特別4室・特別5室にて、特別展「法隆寺金堂壁画と百済観音」を開催します。
9月24日(火)に本展の報道発表会を行いました。




まずは当館副館長の井上洋一と、法隆寺の古谷正覚(ふるやしょうかく)執事長よりご挨拶をいたしました。


 
左:当館副館長 井上洋一 右:法隆寺 古谷正覚執事長


飛鳥時代に描かれた法隆寺金堂壁画。東洋仏教絵画の白眉と言われた貴重なこの壁画は、1949年の火災により大半が焼損してしまいました。しかし、焼損前に描かれた模写などが残されているおかげで、今でもその威容をうかがい知ることができます。
本展では、法隆寺金堂壁画の模写や、焼損後に再現された現在の壁画、そして日本古代彫刻の最高傑作のひとつである国宝・百済観音など金堂ゆかりの諸仏を展示します。

本展の見どころについて、担当研究員の瀬谷愛より解説いたしました。




【みどころ1】
模写と再現壁画で、かつての荘厳な姿に迫る

かつて法隆寺の金堂内には、釈迦浄土図や阿弥陀浄土図などが描かれた大壁(高さ約3.1m、幅約2.6m)4面と、菩薩たちが描かれた小壁(高さ同、幅約1.5m)8面の、計12面から成る壁画群がありました。
金堂は、修学旅行などで行かれた方も多いかと思います。堂内をよく見てみると、現在は再現壁画があり、当時の空間をイメージできたり、空気感を感じ取ることができます。が、内部が少し暗めなことと、壁画まで少し距離があることで、細部までは見ることは難しいかもしれません。

明治17年(1884年)頃に桜井香雲(さくらいこううん)が、大正11年(1922年)に鈴木空如(すずきくうにょ)が原寸大で描いた模写など、全12面のうち、本展では9面を展示し(※会期中展示替えがあり、9面が入れ替わりで展示されます)、じっくりと対峙していただけるような空間をつくります。
(※焼損した本物の壁画は出品されません。)


 
法隆寺金堂壁画(摸本)
【左】第10号壁 薬師浄土図 
鈴木空如摸 大正11年(1922) 秋田県大仙市蔵 前期展示(3月13日(金)~4月12日(日))
【右】第6号壁 阿弥陀浄土図 
桜井香雲摸 明治17年(1884)頃 東京国立博物館蔵 後期展示(4月14日(火)~5月10日(日))



【みどころ2】
国宝・百済観音、23年ぶりに東京へ!

仏像好きの皆様、お待たせいたしました。百済観音がついに東京へやってきます!

飛鳥彫刻を代表する国宝 観音菩薩立像(百済観音)は、昭和のはじめまでは金堂内に安置されていました。現在は法隆寺の大宝蔵院内に安置されています。
このお像は、江戸時代には「虚空蔵菩薩」とされていましたが、明治になって透かし彫りの宝冠が見つかり、その正面に観音菩薩の象徴である阿弥陀如来の姿が表わされていたため、「百済観音」と呼ばれるようになりました。

初心者の筆者は、やわらかな微笑みを湛えたこのお像に会えるのが楽しみで仕方ないのですが、「23年前にも見たし、法隆寺でも見ているわ」というマニアの皆様にもご納得いただけるような、美しい展示にする予定です。


国宝 観音菩薩立像(百済観音)
飛鳥時代・7世紀 法隆寺蔵
(撮影:佐々木香輔 、提供:奈良国立博物館)


法隆寺の古谷執事長は、ご挨拶のなかで、
「天変地異など大変なことが起こっている昨今、少しでも皆様のお力に繋がるようにという思いで、百済観音にお出ましいただくことになりました」とお話しくださいました。

当館蔵でも今までほとんど展示する機会がなかった壁画模写と、百済観音をご覧いただける貴重な機会です。
特別展「法隆寺金堂壁画と百済観音」、どうぞお楽しみに!


そして、法隆寺公認「百済観音フィギュア」の製作が決定しました!製作はもちろん、海洋堂さんです。
価格などの詳細は、決まり次第本展公式サイトにてお知らせします。

カテゴリ:彫刻2020年度の特別展

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posted by 小島佳(広報室) at 2019年10月13日 (日)

 

トーハクにいる3羽の共命鳥

現在、東洋館で開催している「博物館でアジアの旅 LOVE♡アジア(ラブラブアジア)」(10月14日(月・祝)まで)。愛をテーマにしたさまざまな作品を展示している本企画から、今回は共命鳥についてご紹介します。



共命鳥(ぐみょうちょう)は人の頭をふたつもった想像上の鳥です。

『阿弥陀経(あみだきょう)』には、共命鳥がクジャクやオウムなどとともに極楽浄土に棲み、妙なる声でさえずると記されています。

また『雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)』では、ふたつある頭のうちの一方がおいしい果実を食べて満腹になったことに、もう一方が嫉妬し、その腹いせに毒の入った果実を食べてしまいます。ついにはともに死んでしまうのです。
この物語は、身体がひとつなのに、頭がふたつあるゆえに生じる感覚や思いの食い違いがさまざまな葛藤や愛憎を惹(ひ)き起こし、やがてわが身を滅ぼすという悲しい結末へと至ります。
そして物語の最後では、おいしい果実を食べた頭が仏陀、毒の入った果実を食べた頭が仏陀と敵対する弟となったと結び、仏教における因果(いんが)がめぐったことを説いています。

このように共命鳥は不思議な姿をし、そして愛憎劇ともいえる不思議なエピソードをもつ鳥として、人々に理解されてきました。
実は、『西遊記』の三蔵法師として知られる玄奘(げんじょう)も『大唐西域記』の中でネパールのヒマラヤ山脈に共命鳥がいたと記しています。玄奘はインドへ仏教経典を取りに行く途中、共命鳥を目撃したのでしょうか。

そんな共命鳥が、トーハクには3羽もいます。


重要文化財 如来三尊仏龕(にょらいさんぞんぶつがん) 中国陝西省西安宝慶寺 唐時代・8世紀

まず1羽は如来三尊仏龕の上部に彫り出された浮彫で、東洋館1階1室の「宝慶寺石仏群」のコーナーにいます。


如来三尊仏龕の上部中央に表わされた共命鳥

これは現在、片方の頭が欠損しているものの、一般的な共命鳥の姿です。ふたつの顔には男女の区別がありません。共命鳥が天空を飛ぶ姿を浮彫に表現したと考えられます。共命鳥を仏龕の上部に表わした例はこの作品のほかになく、たいへん貴重です。

そして残りの2羽は大谷探検隊が将来したテラコッタ製の共命鳥像で、いずれも東洋館2階3室の「西域の美術」のコーナーにいます。

そのうちの1羽は男の顔をもつ鳥と女の顔をもつ鳥が互いに肩を組み、合掌(がっしょう)していたと考えられます。本来の共命鳥像のように身体がひとつでもありません。ただ頭に光背(こうはい)を表わしているので、仏教の尊像であったと考えられます。


共命鳥像 中国、ヨートカン 5世紀 大谷探検隊将来品

もう1羽は人面をもつ鳥ひと組がくっついた姿をしているようです。


共命鳥像 中国、ヨートカン 1~4世紀 大谷探検隊将来品


東洋館3室にある、「テラコッタ小像及破片」を展示したこちらのケース右下にご注目ください。

これらは如来三尊仏龕に表現された共命鳥と、まったく異なるものです。
どうやら西域には男の顔を持つ鳥、女の顔を持つ鳥がそれぞれ仲睦まじい姿に表現されることがあったようです。ただこの種の共命鳥は当館が所蔵する2点しか現存していません。その点できわめて貴重な作品であるといえます。

東洋館では「博物館でアジアの旅」を開催している間、3羽の共命鳥がそろっています。これを機会にぜひ3羽の共命鳥を探してみてください。

カテゴリ:研究員のイチオシ彫刻博物館でアジアの旅

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posted by 勝木言一郎(東洋室長) at 2019年09月24日 (火)

 

特別企画「奈良大和四寺のみほとけ」彫刻研究員座談会

奈良の古刹よりきわめて魅力に富んだ仏像や文書を展示している特別企画「奈良大和四寺のみほとけ」(~9月23日(月・祝))。 今回は、本展に関わった彫刻研究員による展覧会開催までの経緯、仏像について語る、いつもと違ったスペシャルな1089ブログをお届けします。


左:学芸企画部 企画課長 浅見 龍介 中央:学芸研究部 調査研究課 絵画・彫刻室 増田 政史 右:学芸研究部 列品管理課 平常展調整室長 皿井 舞
左:学芸企画部 企画課長 浅見 龍介 中央:学芸研究部 調査研究課 絵画・彫刻室 増田 政史 右:学芸研究部 列品管理課 平常展調整室長 皿井 舞

 

奈良の古刹よりきわめて魅力に富んだ仏像や文書を展示している特別企画「奈良大和四寺のみほとけ」(~9月23日(月・祝))。 今回は、本展に関わった彫刻研究員による展覧会開催までの経緯、仏像について語る、いつもと違ったスペシャルな1089ブログをお届けします。

 
なぜ総合文化展でこの展覧会をすることになったのでしょうか。

当館は彫刻の収蔵品が少なくて、浅⾒さんはいつも「展⽰案を作っていても張り合いがないんだよ」っておっしゃっていますね。 また、総合⽂化展にたくさんの⼈が来てくださるように何かしたいとお考えでしたよね。

その⼀つが寄託品を増やすことでした。寄託品は3年間というスパンでお預かりしているのですが、3年だと少し⻑いというお寺さんがいらっしゃるもしれないから、もう少し短いスパンでお借りできるような、柔軟な仕組みがあればいいなともおっしゃっていましたね。それが、総合⽂化展の活性化にもつながるわけです。

そんな中、室⽣寺さんの話はとてもありがたいお話でしたね。

ええ。室⽣寺さんが収蔵庫(宝物殿)を造ることになり、完成後の枯らしの期間(コンクリート、建材などから出る有機ガスの濃度が薄くなるまで作品を入れずに換気する)、国宝 ⼗⼀⾯観⾳菩薩⽴像と釈迦如来坐像、重要⽂化財 地蔵菩薩⽴像、⼗⼆神将立像12体のうち2体を預かってもらいたいということで当館にお話がありました。

「ぜひ総合⽂化展の中で展示したい︕」と喜んでいたら、室⽣寺の執事⻑さんから、今、岡寺、⻑⾕寺、安倍文殊院、室⽣寺で協⼒して奈良⼤和四寺巡礼と称して、参拝客を誘致している。 それに併せて四寺の展示にしてはどうかというお話をいただいたので、それが実現すれば、部屋全体で特別な展示ができる、とわくわくして、それぞれのお寺に相談して、「奈良大和四寺のみほとけ」という展覧会になりました。

 
規模が大きくなっても、特別展ではなくあえて総合文化展にこだわったのはなぜ?

実は11室ではなく、特別5室(本館中央階段奥の天井の高い部屋)でやったらどうかという話がでたこともありました。特別5室は仏像を置く台もケースもないので多額の設営費がかかります。 そうなると特別展料⾦でやることになりますね。そもそも仏像は輸送費がかかるので、その予算を確保するというのもなかなか⼤変なのです。また広報費も大変です。

それより、さっき⽫井さんが⾔った総合⽂化展を活性化して多くのお客様に総合⽂化展を見ていただく⽅がいいな、という気持ちの⽅が強くて11室での開催、そして総合⽂化展料⾦でご覧いただくことにしました。

平成館4000平⽶の特別展を⾒て、さらに本館となると、お客様も疲れてしまいますよね。 この特別企画を⽬当てにいらした方がせっかくだからと本館の他の展⽰もご覧になって「こんなにいろいろな作品が展⽰されていたんだ」っておっしゃっておられました。当館の総合⽂化展全体を⾒てもらうのに、本特別企画がいいきっかけになっているなという印象は受けています。

 
⻑⾕寺、岡寺、安倍文殊院の出品作品はどうやって決まったのでしょうか︖

⻑⾕寺さんは⼀度、私が伺って、こちらから希望を出したとおりにご快諾いただきました。 岡寺さんは、希望通りいずれも展示してかまわないと仰っていただきました。当館寄託の釈迦涅槃像に加え、京都国立博物館に寄託されている菩薩半跏像と天人文甎は京博の了解を得てすぐに決まりましたが、奈良国⽴博物館寄託の国宝、義淵僧正坐像は輸送が難しいと思い、最初は考えていませんでした。 でも、やっぱりこの展⽰をより充実したいと欲が出て奈良博の彫刻担当者に相談しました。

義淵僧正坐像は⽊⼼乾漆造で、脆弱です。乾漆というのは漆に⽊の粉などを混ぜてペースト状にしたものです。表⾯を⾒ていただいたら、かなりひびが⼊っているのがわかります。輸送が心配なので、あきらめた方がよいかと奈良博にたずねたところ、乾漆が剥がれる心配はないと回答を得てお借りすることができました。

当館は、法隆寺宝物館は別とすれば、奈良時代のお像は少ないんですね。 所蔵品では⽇光菩薩踏下像と、⻄⼤寺さんからの寄託品である釈迦如来坐像ぐらいです。ですから、義淵僧正像を当館で展示できるのはとてもうれしかった。

本当は、 ⻑⾕寺さんの国宝 銅板法華説相図もお借りしたかったのですが、展⽰ケースにうまく納まらないため、断念しました。

そうですね。既存の台や展示ケースを利用するので、制約はあるわけです。

安倍文殊院さんにもお願いに⾏ってきました。快慶作の大変立派なお像があるのでお借りできればと思ったのですが、安倍文殊院さんは檀家のいないご祈祷寺なんですね。だからお像を出すことはできないが、その代わり、文殊菩薩の像内納入品の経巻を出しますとおっしゃってくださったんです。

展覧会は100パーセントこちらの望みがかなうなんていうことはないので、できる範囲でご協力をいただいて、それで最善のものにする。観覧される方々、ご所蔵者、主催者など関わった人がみんな「よかった」と笑顔になるようにしたいと思っています 笑。

 
本展で展示している仏像はバラエティーにとんでいますよね。技法や特徴について解説していただけますでしょうか?

銅造もあれば、甎もあるし、⽊⼼乾漆造もあります。また⽊彫像は、⼀⽊造もあれば寄⽊造もあり、ほぼ⽇本の造像技法を網羅しています。

例えば、⻑⾕寺の木造⼗⼀⾯観⾳菩薩⽴像。ブログにも書きましたけど、通常 平安時代11世紀後半から12世紀のお像は、内刳り(内部を空洞にすること)を⼊念に施すので、⽊の部分が薄くなるんですよ。だから軽いです。でも、このお像は内刳りしていないから重い。

 

 


十一面観音菩薩立像 平安時代・12世紀 奈良・長谷寺蔵

木目を見るとクスノキですね。クスノキは平安時代半ば以降、主に使われたヒノキより重いです。針葉樹のカヤは奈良時代後期から平安時代前期によく使われた⽊材ですけど、ヒノキに⽐べて重いです。

同じヒノキでも⽬が詰んでいるか、⽬が粗いかで全然違います。⽬が詰んでいれば重い。このお像は、軽いはずの顔をしていて重いので驚いたんです。

平安時代後期でクスノキが使われるっていうのは、すごく珍しいですよ。 ⻑⾕寺のご本尊の⼗⼀⾯観⾳立像はもともと霊⽊のクスノキで造られたという伝承がありますから、このお像もご本尊を意識して造っただろうという推測が成り⽴つんですよね。

このお像は⻑⾕寺の住職の住坊にあるので、あんまり今まで出ることはなかったんですね。
正確にはCTを撮って公表しますが、左⼿はどうも⼿⾸まで、右⼿は肘まで胴体と同じ⽊から造っているようなんですよ。両腕の内側は、鑿で胴との間を削って削って貫通させて、体との隙間をつくっているんですね。下半身にU字にかかる天衣も両足の間は体から浮くように隙間を作っています。

⼀⽊から透かし彫りになるような空間をつくるやり⽅って⼤変じゃないですか。
⼀般的に別の⽊で造って矧ぎ付けたほうが効率的ですが、わざわざ⼿の部分、肘まで、ぎりぎり1本の⽊材から取ろうとしてい るのは、使っている⽊からすべて彫り出したいという意識があったようで、 何か特別な⽊を使っているんじゃないかと思いたくなります。

確かにそうですね。

岡寺の菩薩半跏像は銅造ですね。これは溶けた銅を流して、それが隅々まで行き渡るようにしなくてはいけないですね。

 


重要文化財 菩薩半跏像(ぼさつはんかぞう) 奈良時代・8世紀 岡寺蔵

奈良時代の銅は純度が高く、少し流れにくいですね。

流しやすくするために、スズ、ヒ素や鉛を⼊れたりするんですよね。

⻘銅は銅とスズの合⾦で、中世のものは鉛の含有量が多いですね。

朝鮮半島製の⾦銅仏と⽇本製の⾦銅仏だと成分⽐が違ったりします。最近は蛍光X線分析という科学的な調査なんかも盛んに行なわれていますね。

⻑⾕寺の重要⽂化財 難陀⿓王⽴像は⽊造ですが、こちらは像内の銘⽂から12日間という短期間で完成されたことがわかりますよね。

 


重要文化財 難陀龍王立像 舜慶作 鎌倉時代・正和5年 奈良・長谷寺蔵

⻑⾕寺の本尊の⼗⼀⾯観⾳菩薩⽴像は⽕災により焼失と復興を繰り返しているのですが、復興するとき仏像を造るために競合した仏師に⼊札させて、担当仏師を決めているんですよ。恐らく、難陀龍王像の担当仏師は、短期間で出来るとアピールしたんじゃないでしょうか。

いつから難陀⿓王が出てくるのかが謎ではあるんですけど、少なくとも中世的な信仰ですね。

春⽇神と同体と⾔っているけど、春⽇神と難陀⿓王がどうして結びつくのかよく分からないですね。ただ難陀⿓王も⾚精童⼦も⾬乞いの本尊になるのですが、雨を降らせるだけじゃなくて、大雨を止めることもできる。初瀬川の下流の⼤和川ってよく氾濫していたらしいのですよね。だから止める方の祈祷もあったと思います。

 

この難陀⿓王ですが、両肩、⿓は別に造って接合したものです。制作した仏師は8⼈ですよね。

多分、分業していますよね。分担して何日で出来るかって、⼊札の前にひな形造っていますよ、きっと。ただ彩⾊は短期間では絶対、終わらないですね。

この難陀龍王像、実は背中に小さな焦げ跡がありますよね。

⽕災のときにできたんでしょうね。

火事だああ!って急いで助け出して運んだんですよね。これ重いし、今のように高いところに安置していたなら、⼤変だったと思います。

 
安倍文殊院の「国宝 文殊菩薩像像内納入品 仏頂尊勝陀羅尼・文殊真言等(もんじゅぼさつぞうぞうないのうにゅうひん ぶっちょうそんしょうだらに・もんじゅしんごんとう)」とはどういうものなのでしょうか。
 


国宝 文殊菩薩像像内納入品 仏頂尊勝陀羅尼・文殊真言等 鎌倉時代・承久2年(1220)奈良・安倍文殊院蔵

「仏頂尊勝陀羅尼(ぶっちょうそんしょうだらに)」は、「仏頂尊勝陀羅尼経」というお経のなかにある呪文です。鎌倉時代の仏像の納入品によく書かれています。

お経というのは別名「法舎利(ほっしゃり)」ともいいます。舎利というのはお釈迦様の遺骨です。そして、法というのはお釈迦様が説いた教えです。お経というのは、それを書き記したもので、「お経=お釈迦様」つまりお釈迦様そのものという考え方があるんですね。

それを仏像のなかに入れることによって、魂を入れる、というような考え方もあるそうです。

⽂殊菩薩がこの世の中国の五台⼭に⽣きて存在しているという信仰があって、それを聞いたインドのお坊さんが中国までわざわざ会いに⾏くんですね。

そして、会いに⾏く途中で⽼⼈に出会うんです。
その⽼⼈は「仏頂尊勝陀羅尼経というお経をもってきたか︖」とインドのお坊さんに問いかけます。お坊さんは持ってきていなくて、⽼⼈が「持ってきたら、⽂殊菩薩に会えるぞ」と⾔ったので、お坊さんは⼀旦「仏頂尊勝陀羅尼経」を取りにインドに戻るんです。

⼀往復して、「仏頂尊勝陀羅尼経」を持ってインドから中国にまた来るんですね。 そして「仏頂尊勝陀羅尼経」を持っていったら、五台⼭の文殊菩薩に会うことができたという物語があります。

元々その老人が文殊菩薩の化身なんだよね。

そうですね。姿を変えてお坊さんを試していた、ということです。

途中で⼼が折れたら会えないんですね 笑。また、この納入品にはたくさん同じ⽂字が書かれています。 文殊菩薩を表わす梵字で「マン」と読むのですが、⼀個書くことが仏をつくることの象徴で功徳を積んでることになるんですよ。

 

 
会期終了(9月23日(火・祝))まで残すところわずかとなりましたが、何か一言お願いします。

まだ御覧になっていない方はぜひご来館ください。お寺で拝観するより間近で、照明も当たり、側面、背面まで観ることができる貴重な機会です。
御覧になったみなさま、今度はぜひお寺にお参りください。境内の景色、古いお堂の中で、拝観すれば博物館とは違った発見と感動があると思います。

なお室生寺さんの新宝物館の枯らしの期間を延長されるため、室生寺のご尊像のみ、来年2月24日(日)まで展示を延長いたします。また違った展示台でご覧いただけますので、引き続きお楽しみいただければと思います。

 


本展を担当した 左から 広報室 江原 香、増田 政史、浅見 龍介、皿井 舞、ポスター・チラシ・会場をデザインした、デザイン室 荻堂 正博

特別企画「奈良大和四寺のみほとけ」も閉幕まで残りわずか、9月23日(月・祝)までの開催です。ぜひ会場に足をお運びいただきお楽しみください。

特別企画「奈良大和四寺のみほとけ」

本館 11室
2019年6月18日(火)~ 2019年9月23日(月)

 

カテゴリ:研究員のイチオシ彫刻特別企画

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posted by 広報室 at 2019年09月20日 (金)