創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」がいよいよ7月17日(水)より開幕しました。
平成館エントランスのバナー
本展は824年に正式に密教寺院となった神護寺(じんごじ)創建1200年と、空海生誕1250年を記念するものです。
神護寺の金堂
空海が密教を学ぶため唐へ留学して帰国したあと、当時の都である平安京で活動するために住んだお寺が、京都の高雄にある神護寺(当時は高雄山寺)でした。
神護寺は、空海が密教という新しい教えを披露したメジャーデビューの場所、つまり「はじまりの地」といえます。
では、さっそく会場の様子を見てみましょう!
会場入り口
入り口で皆さまをお迎えするのは、神護寺 谷内弘照(たにうちこうしょう)貫主が揮毫(きごう)した大きな看板。
制作の様子は神護寺展の公式Xでご覧ください。
入ってすぐの場所には、国宝「観楓図屛風」と秘仏である重要文化財「弘法大師像」が展示されています。
(右)国宝 観楓図屛風(かんぷうずびょうぶ)
狩野秀頼筆 室町~安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館蔵 前期展示(7月17日~8月12日)
重要文化財 弘法大師像(こうぼうだいしぞう)
鎌倉時代・14世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
会場は、草創記の神護寺からはじまり、だんだんと時代が下っていく構成になっています。
第1章の第1節では空海や初期の神護寺にまつわる品々をご紹介しています。
国宝 金銅密教法具(金剛盤・五鈷鈴・五鈷杵)(こんどうみっきょうほうぐ、こんごうばん・ごこれい・ごこしょ)
中国 唐時代・8~9世紀 京都・教王護国寺(東寺)蔵 通期展示
書の名手であり、この時代の三筆のひとりと称される空海直筆の作品も必見です。
国宝 灌頂暦名(かんじょうれきみょう)
空海筆 平安時代・弘仁3年(812) 京都・神護寺蔵 展示期間(7/17~8/25)
会場を進んで第1章の第2節「院政期の神護寺」では、有名な神護寺三像(右から国宝「伝源頼朝像」「伝平重盛像」「伝藤原光能像」)が登場。
(右から)国宝 伝源頼朝像(でんみもなもとのよりともぞう)、国宝 伝平重盛像(でんたいらのしげもりぞう)、国宝 伝藤原光能像(でんふじわらのみつよしぞう)
すべて鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 前期展示(7月17日~8月12日)
そして振り返ると…
4メートル四方の大きさの国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」が掛けられています!
会場奥に国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」が見えます
国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)(りょうかいまんだら、たかおまんだら)のうち胎蔵界(たいぞうかい)
平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 前期展示(7月17日~8月12日)※金剛界は後期展示(8月14日~9月8日)
神護寺展ならではの贅沢な空間です。
空海が制作に関わったとされる、現存最古の国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」。曼荼羅の世界に包まれてください。
第1会場の終わりには「映像で解説する高雄曼荼羅」のコーナーがあります。
金泥、銀泥で描かれた仏の姿を細部までご覧いただけますので、ぜひお立ち寄りください。
続いて第2章では、通称「神護寺経」と呼ばれる「大般若経(紺紙金字一切経)」と、お経を包む経帙(きょうちつ)をご覧いただきます。
重要文化財 大般若経 巻第一(紺紙金字一切経のうち)(だいはんにゃきょう まきだいいち、こんしきんじいっさいきょう)
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
(手前)紺紙金字一切経経帙(こんしきんじいっさいきょうきょうちつ)
平安時代・12世紀 京都・細見美術館蔵 通期展示
美しい色糸で組まれた竹のすき間から雲母がきらめいています。ぜひ間近でご覧ください
第3章では中世神護寺の隆盛がうかがえる絵図や、密教空間を彩る作品をご紹介します。
重要文化財 十二天屛風(じゅうにてんびょうぶ)
鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 ※場面替えがあります
第4章の「古典としての神護寺宝物」では、幕末に活躍した復古やまと絵の絵師、冷泉為恭(れいぜいためちか)によるもうひとつの「伝源頼朝像」が展示されています。
伝源頼朝像(でんみなもとのよりともぞう)
冷泉為恭筆 江戸時代・19世紀 東京国立博物館蔵 前期展示(7月17日~8月12日)
古画が大好きな為恭は絵画技術を学ぶため、神護寺宝物を模写しました。
ぜひ会場でふたりの頼朝を見比べてください。
そして最後の第5章では、1200年の歴史の各時代につくられた神護寺の彫刻が一堂に会しています!
国宝 五大虚空蔵菩薩坐像(ごだいこくうぞうぼさつざぞう)
平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
(中央)国宝 薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう)
平安時代・8~9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
(右)重要文化財 日光菩薩立像(にっこうぼさつりゅうぞう)(左)重要文化財 月光菩薩立像(がっこうぼさつりゅうぞう)
どちらも平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
会場ならではの横からの姿にもご注目ください!
十二神将立像(じゅうにしんしょうりゅうぞう)
吉野右京、大橋作衛門等作 [酉神、亥神]室町時代 15~16世紀 [子神~申神、戌神]江戸時代 17世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
前期展示は8月12日(月・休)まで、後期展示は8月14日(水)~9月8日(日)です。
金曜・土曜日(8月30日・31日を除く)は19時まで(入館は18時30分まで)の夜間開館も実施しています。
神護寺三像など、前期のみの作品もありますのでお見逃しなく!
夏休みはぜひ神護寺展へお越しください。
二天王立像(にてんのうりゅうぞう)
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵
撮影スポットもあります。ぜひ記念の一枚を撮影してください!
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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2024年07月19日 (金)
創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」(2024年7月17日~9月8日)の開幕まで、いよいよあと1か月。
正門前に設置された神護寺展の看板
前回のブログでは展覧会のみどころについてご覧いただきました。
今回は「神護寺」についてご紹介します。
京都市右京区の高雄にある神護寺は、紅葉の名所として古くから知られてきました。
京都市地図
国宝「観楓図屛風」には清滝(きよたき)川のほとりで紅葉狩りを楽しむ人々とともに、神護寺の伽藍(がらん)が描かれています。
国宝 観楓図屛風(かんぷうずびょうぶ)
狩野秀頼筆 室町~安土桃山時代・16世紀 東京国立博物館蔵 前期展示(7月17日~8月12日)
京都駅から西北へバスで約1時間、山道(やまみち)を進むと最寄りのバス停「高雄駅」へ到着します。
「高雄駅」バス停
今の時期は新緑がまぶしく、秋とはまた違った美しさがあります。
清滝川に架かる高雄橋を渡り...
参道の長い石段を登りきると...
ようやく神護寺の入り口、楼門(ろうもん)にたどり着きます。
楼門
広い境内を進むと、その先に金堂があります。
金堂
金堂には神護寺のご本尊である国宝「薬師如来立像」がいらっしゃいます。
国宝 薬師如来立像(やくしにょらいりゅうぞう)
平安時代・8~9世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
1200年以上の歴史を持つ神護寺は、和気清麻呂(わけのきよまろ)が建立した高雄山寺(たかおさんじ)を起源とします。
天長元年(824)には、高雄山寺と、同じく清麻呂が建立した神願寺(じんがんじ)というふたつの寺院がひとつになり、正式に密教寺院として神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ、略して神護寺)が誕生します。
神護寺の前身寺院にまつられていた「薬師如来立像」を本尊として迎えたのが、高雄山寺を拠点として活動をしていた空海です。
重要文化財 弘法大師像(こうぼうだいしぞう)
鎌倉時代・14世紀 京都・神護寺蔵 通期展示
大師堂に本尊としてまつられている秘仏です
大師堂(だいしどう)
空海が住んだ納涼房(どうりょうぼう)に由来する建物
厳しく威厳のあるお顔、そして重量感あふれるご本尊。
日本彫刻史上の最高傑作です。
国宝 薬師如来立像(部分)
特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」は、お寺以外でご本尊の荘厳さにふれていただく初の機会となります。
まさに1200年越しの奇跡といえるでしょう。
さて、金堂の先に進むと、神護寺名物の厄除け祈願「かわらけ投げ」を体験できます。
遠くへ投げ、その先で割れると厄除けになるといわれています
かわらけとは素焼きの盃(さかずき)のこと
眼下には清滝川が見えます
ご紹介したのはほんの一部ですが、神護寺の神聖な雰囲気を感じていただけたでしょうか。
神護寺展では国宝「薬師如来立像」を初め、空海が唐から請来(しょうらい)した曼荼羅をもとに制作された4m四方の国宝「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」など、空海が生きた時代を感じさせる名品をご紹介します。
国宝 両界曼荼羅(高雄曼荼羅)(りょうかいまんだら、たかおまんだら)
平安時代・9世紀 京都・神護寺蔵 左の【金剛界】は後期展示(8月14日~9月8日)、右の【胎蔵界】は前期展示(7月17日~8月12日)
調査により、紫根(しこん)という高価な染料が使われていたことが分かりました
また、「赤釈迦(あかしゃか)」の名で知られる国宝「釈迦如来像」、日本で最も有名な肖像画のひとつである国宝「伝源頼朝像」といった、神護寺に受け継がれる寺宝の数々を一堂に展示します。
国宝 釈迦如来像(しゃかにょらいぞう)
平安時代・12世紀 京都・神護寺蔵 後期展示(8月14日~9月8日)
鮮やかな衣には細かく切った金箔がキラキラと輝いています
国宝 伝源頼朝像(でんみなもとのよりともぞう)
鎌倉時代・13世紀 京都・神護寺蔵 前期展示(7月17日~8月12日)
前期には国宝「伝平重盛像」、国宝「伝藤原光能像」とともに三像揃って展示します
本展は半世紀ぶりに開催される神護寺展です。
現在前売り券を販売しています。シンガーソングライターのさだまさしさん、「ルパン三世」峰不二子役や、「HUNTER × HUNTER」クラピカ役などでおなじみの沢城みゆきさん(声優)が出演する音声ガイド付き前売り券も注目です!
この夏、1200年を超える歴史の荒波を乗り越え伝わった、貴重な文化財を上野でご覧ください。
そして、ぜひ神護寺にも足をお運びください!
五大堂と毘沙門堂
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posted by 宮尾美奈子(広報室) at 2024年06月17日 (月)
極楽にいる仏、あるいは極楽から迎えに来てくれる仏…。
阿弥陀如来は苦しい現実に生きる人々を救う存在として、日本でも各地で信仰されました。
ただし、仏そのものに会えるとしたら奇跡や臨終の時と考えられていたため、そのかわりとなる仏像や仏画が造られてきました。
一方で、「仏作って魂入れず」ということばがありますが、仏像が仏そのものではなく木や金属でできたモノであることはわかっているため、入れ物である仏像に仏の魂を込めることで、仏として信仰してきたのです。
しかし、魂が入っていることは、あいにく仏像の外観からはわかりません(魂が入っている証拠としてさまざまな奇跡が語られることはありますが)。
そこで、魂を入れることとは別に、昔から仏像が特別な存在になるように工夫が凝らされてきました。
本館特別1室で開催中の特集「阿弥陀如来のすがた」(2024年7月7日まで)で各時代の阿弥陀如来像を展示していることにちなみ、今回は阿弥陀如来像に凝らされた工夫をご紹介したいと思います。
展示の冒頭で紹介するのは、阿弥陀如来と判明する、日本でもっとも古い仏像です。
重要文化財 阿弥陀如来倚像および両脇侍立像(あみだにょらいいぞうおよびりょうきょうじりゅうぞう)
飛鳥時代・7世紀
じつは、中央の仏だけでは阿弥陀如来かどうかはよくわかりませんが、両脇に立つ菩薩の冠をよく見ると、小さな仏と瓶があらわされています。
小さな仏をつけたのは観音菩薩、瓶をつけたのは勢至菩薩という、阿弥陀如来に従う両菩薩であるため、中央の仏も阿弥陀如来であることが知られるのです。
いつもは法隆寺宝物館に展示されていますが、特集「阿弥陀如来のすがた」にお出ましいただきました。
他にも法隆寺宝物館の第2室では多くの金銅仏と呼ばれる金属製の小さな仏像がご覧いただけますが、大陸から仏教が伝えられた際に、日本に持ち込まれたのはこうした金銅仏だったと考えられています。当時の人々にとって仏像の理想だったのでしょう。
悟りを開いた仏の体からは光が発せられると経典にあるため、本来は純金で仏像を造ることが理想とされましたが、それではあまりに高価なため、そのかわりに銅に鍍金(金メッキ)した仏像が多く求められました。
以下の写真をご覧ください。
阿弥陀如来倚像の像底
仏像の裏側が赤く塗られています。他の金銅仏にも数多く見られ、何らかの意味があったのでしょう。諸説ありますが、魔除けとして塗られた可能性があります。
もちろん外からはわかりませんが、造った人、造らせた人にとっては大事なことだったに違いありません。
時代は下り、平安時代になると仏像を木で造ることが多くなります。
とはいえ、木工のように木らしさを強調するのではなく(そういう仏像もあります)、多くは彩色されたり、金箔が貼られたりしました。
金箔が貼ってあると、木でできているかどうかもわからなかったと思います。
重要文化財 阿弥陀如来坐像(阿弥陀如来坐像及び両脇侍立像のうち)(あみだにょらいざぞう あみだにょらいざぞうおよびりょうきょうじりゅうぞうのうち)
平安時代・安元2年(1176) 埼玉・西光院蔵
金箔を貼るのは、金銅仏と同じく、仏が本来は光を発することをあらわすためです。
表情は穏やかで、体や衣の彫りは浅く、暗い堂内で拝すると、光り輝く仏が浮かび上がるような印象があったのではないでしょうか。
平安時代の末から鎌倉時代に入ると、その後の仏像を大きくかえる技術が生まれます。
両眼にあたる部分を刳り抜いて、レンズのように薄く削った水晶の板を嵌める「玉眼(ぎょくがん)」です。
阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)
鎌倉時代・12~13世紀 静岡・願生寺蔵
玉眼になると、急に生々しさを感じますね。仏像を見ているはずが、逆に見られているような気がします。
見る角度によっては玉眼がキラリと光るので、ぜひ会場でご覧ください。
ちなみに、修理によって、表面の仕上げを取り除いてしまっていますが、もともとは金箔仕上げでした。
鎌倉時代以降、広く定着するのは三尺(1メートル程度)の大きさの阿弥陀の立像です。
もともと仏像の大きさにはさまざまな決まりがあり、理想とされたのは一丈六尺(4.8メートル程度)ですが、これはさすがに大きすぎてなかなか造ることができません。
この半分、何分の一、という大きさもあり、三尺の由来は諸説ありますが、一丈六尺の約五分の一のサイズです。
また、これまで阿弥陀如来像といえば、「極楽の主」という性格からか、坐像が多かったところ、この頃から「極楽から迎えに来る」という期待が大きくなり、立像が増えていきます。
阿弥陀の立像で注目したいのは、両足の裏に模様を描くものがある点です。
実際にはご覧いただけないため、会場ではパネルで展示しています。
一般的に、立像は足裏にあたる木を削らずに枘(ほぞ)という角材状で残し、これを台座に開けた穴に挿して固定します(枘の形はさまざまです)。
これらの像は、これとは逆に踵の後ろに穴を開けて、台座から枘をつけてこれに挿します(逆枘と言います)。
これは、ひとえに足裏に文様を描くためです。
経典によると、仏の手足にはおめでたい文様があらわれているといい、インド以来、仏像の手足に仏法を象徴する車輪(法輪)等の文様をあらわすことがありました。
法隆寺金堂壁画に描かれた阿弥陀如来にも、手足に文様があるのを確認できます。
また、足裏に文様のある阿弥陀如来立像のうち、こちらの像は頭髪にも特徴があります。
肉眼では見えにくいのですが、特集「阿弥陀如来のすがた」の事前調査で実施したX線CT撮影では、螺髪を呼ばれる髪の毛を銅線であらわし、一本ずつパンチパーマのように巻いて、木製の軸と一緒に植え付けていることがわかります。
足裏に文様を描くことと、髪の毛を銅線であらわすことはセットで行われることがあったようです。
また、このCT撮影では、後頭部に銅製の筒が2本埋め込まれていることも判明しました。
おそらく頭周辺の光背である頭光をつける際、支柱を使わずに固定する工夫だったのでしょう。
現在は木製の詰め物をして、表面からは気づかれないようになっていますが、他にも筒をそのまま残している仏像が複数確認されているため、かつては少なくなかったようです。
確かに、仏が発する光に「支柱」がついていたら、現実に引き戻されてしまうかもしれません。
また、中央の展示ケースに仮面を並べていますが、これは実際に人がつけて仏に仮装するための道具です。
阿弥陀如来が迎えに来る「来迎」をより実感したいという人々の願いから、菩薩の仮面をつけた人々が来迎の様子を再現する練供養(ねりくよう、迎講とも)が行われるようになりました。 毎年行われる奈良の當麻寺が有名ですが、都内では九品仏浄真寺でも四年ごとに行われています。
あるいは、仏像を山車に乗せてパレードを行う、行像(ぎょうぞう)というイベントは古くからアジア各地で行われていましたが、仏像が動く、あるいは人が仏像に仮装するというのは、仏をリアルに体感したいという願いのあらわれといえます。
特集「阿弥陀如来のすがた」(本館特別1室、2024年7月7日(日)まで)の展示室風景
いつか目の前に阿弥陀如来が現われる日を待ち望み、人々が向き合ってきた仏像。
ぜひ展示室で追体験していただければ幸いです。
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posted by 西木政統(登録室) at 2024年06月05日 (水)
開催中の特別展「法然と極楽浄土」(6月9日(日)まで)で彫刻作品の担当をしています研究員の浅見です。
私からは本展覧会で唯一写真撮影可能な作品であり、様々なグッズ化もされて大変話題の香川・法然寺所蔵の仏涅槃群像(82軀のうち26軀を展示中)について紹介します。
第4章「江戸時代の浄土宗」 仏涅槃群像 26軀(82軀のうち) 江戸時代・17世紀 香川・法然寺蔵 会場展示風景
この群像は高松藩初代藩主・松平頼重(1622-1695)の構想によるものです。
頼重は水戸徳川家の光圀の実兄です。城下の上水道整備などの工事も行いましたが、寺院の造営、造仏にも熱心でした。
法然寺だけでも十王堂に十王坐像、来迎堂に阿弥陀如来と二十五菩薩立像、三仏堂に三世仏(阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒菩薩)坐像と仏涅槃群像82軀など100体を超える像があります。いずれも京都の仏師に注文したものです。
明治9年(1876)に香川県から求められて提出した法然寺の記録に、
<涅槃之尊像・聖衆・羅漢・長者居士・天龍八部之像并五十二類之形相> とあります。
末尾の「五十二類」というのは『涅槃経』で釈迦入滅の時に集まった生き物が羅漢等を含め52種類とあることによります。
明治33年(1900)の記録では、像の名称を挙げた後、動物については一括して「鳥獣類 五十二類」とあり、動物の彫刻が52点あったようにも読めますが、現在は45点です。
そのうち、うさぎの像底には銘文があります。
仏涅槃群像 のうち うさぎ(像底部分)☆
(注)仏涅槃群像の写真のうち☆印があるものは京都国立博物館・岡田愛氏が撮影したものです。
このうさぎについては明治16年(1833)に調えた、つまり造ったということですから、現存する動物がすべて同じ時に造られたのではなく、後世加えられたものもあったのです。
また、明治33年の記録では尊像(仏)の名前を列挙していますが、現存どの尊像が誰であるか同定するのが難しいものが少なくありません。
確実なのは阿難(あなん)と阿那律(あなりつ)です。記録には「阿難臥像(あなんがぞう)」とあるので、まずこの横になっているのが阿難です。
仏涅槃群像 のうち 阿難像☆
ちなみに様々に描かれた「仏涅槃図」ではうつ伏せ、仰向けの2種類の姿が見られます。
ご紹介した法然寺の像のように右肩を露出する画像もあります。
左:上:仏涅槃図(部分)鎌倉時代・14世紀 東京国立博物館蔵(本展覧会の会場では展示されていません)
右:下:仏涅槃図(部分)鎌倉時代・14世紀 東京国立博物館蔵(本展覧会の会場では展示されていません)
そして阿那律は「立像 雲上ニアリ」と記されるので、摩耶夫人の前にいるのがその人です。
仏涅槃群像 のうち 摩耶夫人・侍者・阿那律立像(本展覧会の会場では展示されていません)
釈迦を産んで七日後に亡くなった生母・摩耶夫人は天界の忉利天(とうりてん)にいたので、釈迦の危急を知らせに行き、先導して駆け付けるところです。
天井から吊るしてそれを再現するなど非常に劇的な表現です。
そのほか記録の名称と同定できる像は以下のとおりです。
左:上:仏涅槃群像 のうち 阿修羅坐像☆ 右:下:仏涅槃群像 のうち 足疾鬼坐像☆
左:上:仏涅槃群像 のうち 韋駄天坐像☆ 右:下:仏涅槃群像 のうち 難陀龍王坐像☆
ところで、この法然寺の釈迦像はかすかに目を開けています。
仏涅槃群像 のうち 仏涅槃像(上:部分☆ 下:左目部分画像を右に90度回転したもの)
会場ではなかなかわからないと思いますが、玉眼(目を刳り抜いて、裏から水晶の板を当てる技法)をはめています。
こちらも涅槃図に表される姿では目を開くものと、瞑るものの両方が見られます。
仏涅槃図(部分) 鎌倉時代・14世紀 東京国立博物館蔵(本展覧会の会場では展示されていません)
こちらの作品では眼を開けています
仏涅槃図(部分) 鎌倉時代・14世紀 東京国立博物館蔵(本展覧会の会場では展示されていません)
一方、こちらの作品では眼を閉じています
このほかにも比較をすると、図像の中には法然寺の涅槃群像と似たものを見つけることができ、造像に際して参照した画像があることが想像できます。
カタツムリが登場する鎌倉時代の仏涅槃図もあります。
会場にお出ましの26軀を本展覧会でご覧になった後は、釈迦と合わせて82軀という全体像をぜひ現地でもご覧ください。
法然寺は高松琴平電気鉄道 高松築港駅(JR高松駅徒歩すぐ)から琴平線(通称:ことでん)に乗って17分、仏生山(ぶっしょうざん)駅で下車、のんびり歩いて15分ほどです。
境内には美味しい讃岐うどん屋さんが、また近くには温泉もあります。
(注)涅槃群像は本展覧会の巡回で今年秋に京都国立博物館(会期:2024年10月8日(火)~12月1日(日))、来年秋の九州国立博物館(会期:2025年10月7日(火)~11月30日(日))にもお出ましいただき、お寺に戻るのは2025年12月中旬頃の予定です。
↓ 以下、広報室編集担当より
左奥:仏涅槃群像 のうち 象 をモチーフにした「象ぬいぐるみ(税込3,300円)」他、展覧会限定グッズも会場内特設ショップで好評販売中。
是非皆様の枕元にもお迎えください。...おや、猫に...見られている..?
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posted by 浅見龍介(彫刻担当) at 2024年05月22日 (水)
幻の芸能と呼ばれる伎楽に用いられた仮面のなかで、現存最古の遺品である法隆寺献納宝物の伎楽面(ぎがくめん)。
このほど実施したX線CT調査の報告書『法隆寺献納宝物特別調査概報 43 伎楽面X線断層(CT)調査』(以下、報告書)について、前回の1089ブログ「伎楽面のX線CT調査報告を楽しもう!(前編)」でお伝えしました。
X線CTを利用した文化財調査が少し身近に感じていただけたのではないかと思います。
出版・刊行物 PDFファイルダウンロードページで報告書、関連動画を見る
さて、報告書に掲載されるのはCT画像データだけではありません。伎楽面の新撮画像を、正面、側面、裏面など、さまざまなカットでお楽しみいただけます。
この機会にモノクロ画像しかなかった裏面も新撮し、これが初公開となります。
裏面は、つぶらな瞳(ではなく、演者が外を見るための孔ですが)がかわいいですね。
N-208 伎楽面 師子児(ししこ)(報告書10~11頁)
カラーで各カットがすべて掲載される刊行物はこれが初めてなので、CT画像に関心がない方も、カラーページだけでもぜひパラパラ見てください。
すると、「かわいい!」「この写真をぜひSNSに使いたい!」とか、(きっと)ご希望が出てくる思います(出てきてほしい)。
「でも報告書の画像は小さいし」
「勝手に載せたらダメだろうし」
「掲載にはお金がかかるんでしょ?」
そんなことはありません。
そのために、国立文化財機構にある文化財活用センターでは、みなさまに無料でお気軽にお使いいただける画像のデータベース「ColBase: 国立文化財機構所蔵品統合検索システム」を運営しております。
「出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)」など、本サイトからの引用である旨の出典を示していただいたうえ、利用規約のルールを守っていただければ、商用利用も含め自由にご活用いただけます。
「ColBase: 国立文化財機構所蔵品統合検索システム」の利用規約ページに移動
ここで、検索に「伎楽面」と入れていただいても構いませんし、すぐに目当ての画像を探すなら詳細検索で「機関管理番号」に「N-208」と入れていただければ、この報告書に使われる新撮画像はすべてご覧いただけます。
ColBase「詳細検索」画面
ColBase「N-208」の「作品画像一覧ページ」
報告書では伎楽面をきれいに切り抜いて掲載しているので、ここでは撮影方法がバレてしまいますが、ご自身で報告書同様切り抜いたりトリミングすることも可能なので、ぜひご活用ください。
ちなみに、伎楽面は能面等の仮面とは異なり、後頭部も覆うフルフェイスヘルメットのような形状なので、撮影するのも一苦労です。
側面の画像では、面裏から透明な支柱が斜めに出ているように見えますが、じつは垂直な支柱に乗せており、仮面自体はかなり上向きで撮影しています。
後で画像を自然な角度に調整しました。
裏面は、彩色の剥落に細心の注意を払って仮面を裏返し真上から撮影しました。
綿を薄葉紙と呼ばれる文化財用の和紙で包んだ綿布団というクッションが見えますね。
伎楽面は顔の彫りが深く、鼻の高い仮面もあるので俯瞰撮影も大変でした。
そのような撮影の苦労も感じながら、ご覧いただければ幸いです。
(貴重な伎楽面の新撮画像を載せれば、あなたのSNSもバズることまちがいなし!)
利用方法については、文化財活用センターのブログでわかりやすく解説しておりますので、こちらもぜひご参照ください。
「ColBaseを活用しよう!ColBaseの画像利用について」
今後、街なかで伎楽面グッズを見かける機会があるかもしれません。
個人的には伎楽面Tシャツをぜひ作りたいですね。
「ColBaseを活用しよう!グッズ販売編」
こちらのブログ以外にもシリーズでColBaseの活用方法が紹介されているので、ぜひご参照のうえご利用ください。
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posted by 西木政統(登録室) at 2024年05月09日 (木)