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1089ブログ

パーティーで輝く、新羅の「透彫冠帽」

東洋館で開催中の「博物館でアジアの旅」。今年は「アジアのパーティー」をテーマとした作品を展示している中から、今回は、東洋館10室で展示中の重要文化財「透彫冠帽(すかしぼりかんぼう)」についてご紹介します。

東洋館10室の展示風景
東洋館10室の展示風景
 
この「透彫冠帽」は三国時代に新羅(しらぎ)の中心地である慶尚北道(キョンサンブクド)の慶州(キョンジュ)から南西に75㎞ほど離れた慶尚南道(キョンサンナムド)の昌寧(チャンニョン)で出土したと伝わり、昌寧地域の有力者の墓に副葬されました。
「冠帽」とあるように頭に着用するものです。
一見、この冠帽を頭に被るには小さすぎると思うかもしれません。
実際には内側に巾(きん)などを被った上から載せるように着用したと考えられます。
金色に縁取られた透かしの間から美しい布を覗かせ、全体に取り付けられた小さく丸い歩揺(ほよう)とよばれる装飾を揺らしながら歩く姿が想像できます。
 

重要文化財  透彫冠帽(すかしぼりかんぼう)
三国時代(新羅)・6世紀 伝韓国昌寧出土 小倉コレクション保存会寄贈 東京国立博物館蔵 東洋館10室にて通年展示

「透彫冠帽」の側面

台形を2つ組み合わせた形状の冠帽の側面には両翼のような金銅板が斜めに取り付けられ、冠帽の上部には尾状の飾り板が伸びています。

冠帽を構成する金銅板は全体に格子状の透かしが施されているかと思いきや、冠帽の下部には唐草文のような曲線状の透かしが隠れています。
金属製の冠帽の場合、異なる文様を透かし入れた金銅板を複数組み合わせたものが多いのですが、このように1枚の金銅板に複数の透かし文様を施す事例は珍しく、細部へのこだわりが感じられます。
 
「透彫冠帽」の下部
 
「透彫冠帽」は古墳から出土していることもあり、パーティーというテーマには似つかわしくないのでは、と思われるかもしれません。
しかし、古墳から出土する装身具の大部分は生前に被葬者が実際に身に着けていたもので、王族や貴族、地方有力者のみが身に着けることのできる権力の象徴でした。
華やかな装身具も人々の前で身に着けてこそ意味を持つ、まさに集いの場にふさわしいアイテムであったといえます。
 
新羅における身分に基づいた冠帽制度の開始時期は定かではないものの、新羅初期には金・銀・銅の順に素材による序列が存在しており、さらに金銀は慶州地域に限定されるなど中央と地方の間に差別化が図られていました。
法興王(ほうこうおう)7年(520)には律令を発布し、衣冠制が定められました。
冠制については『日本書紀』欽明天皇5年(544)に、奈麻という官位固有の冠を着用した人物について言及した記事が見られることから、官位ごとに着用する冠が規定されていたことがわかります。
新羅には骨品(こっぴん)とよばれる出自に基づいた身分制度が存在し、新羅の社会において身分を可視化することが重要視されていたものと理解されます。
 
ちなみに、冠帽を着用した人々の姿が分かる作品もつくられていますので、いくつかご紹介します。
 
「透彫冠帽」と同じく、東洋館10室にて展示中の「騎馬人物土偶」(きばじんぶつどぐう)。
儀式に向かう途中でしょうか、冠帽を被った人物が馬に乗って駆けていく一瞬をかたどっています。
こちらの人物が被っている冠帽は頂点が丸く、周囲を太く厚い帯状のものがまわっています。
具体的な冠帽の種類は定かではありませんが、丸みを帯びた形からは布を巻いた冠帽のようにも見えます。
 
重要美術品 騎馬人物土偶(きばじんぶつどぐう)
朝鮮 三国時代(新羅)・5~6世紀 小倉コレクション保存会寄贈 東京国立博物館蔵 東洋館10室にて通年展示
 
こちらは韓国・ソウルの国立中央博物館に所蔵されている慶州金鈴塚(クムリョンチョン)で出土した「騎馬人物形土器」(きばじんぶつがたどき)です。
近年の研究により中に液体を入れる水差しであることが明らかになりました。先ほどの「騎馬人物土偶」よりも冠帽の形や装飾が細部まで表現されており、「透彫冠帽」と類似した形であることがわかります。
正面から見ると平たい形状ですが、側面から見ると三角形に近い形状です。
冠帽下部の縁には玉の装飾、あるいは鋲で止めたような表現が施され、冠帽を顎紐で固定しています。
佇まいや表情からキリっとした高貴な雰囲気が漂っています。
 
騎馬人物形土器の画像
騎馬人物形土器の一部分

騎馬人物形土器(きばじんぶつがたどき)
慶州金鈴塚 新羅 国立中央博物館所蔵

(注1)本著作物は国立中央博物館で作成され、公共ヌリ第1類型として公開された『騎馬人物形土器』を利用し、当該著作物は『国立中央博物館』(https://www.museum.go.kr)で無料ダウンロードできます。
(注2)当館では、本作品はご覧いただけません。
 
現在展示はしていませんが、こちらは当館に所蔵されている「男性土偶」です。
高さが9.4㎝と小さいのですが、新羅ではこの土偶のようにサイズが小さく、人物や様々な種類の動物をかたどった土偶が多くみられます。
顔や身体の意匠が簡潔で、狩猟・労働・性交・楽器演奏・歌唱などを行う新羅の人々の日常をありのままに表現したことが特徴です。
新羅の土偶はお墓の副葬品として確認される一方で、生命の誕生や復活を祈る信仰の対象としても位置付けられています。このような土偶でかたどられた人物の多くが冠帽を着用していました。
 
男性土偶(だんせいどぐう)
朝鮮 三国時代(新羅)・5~6世紀 小倉コレクション保存会寄贈 東京国立博物館蔵
(注)現在、展示していません。
 
この男性土偶は衣服を着ていないようですが、きちんと冠帽を被っていることがわかります。
この人物が着用している冠帽は正面から見ると三角形に近い形状で、側面から見ると平たい形状をしており、先ほどの騎馬人物形土器とは異なった種類の冠帽であるとわかります。
これまでの発掘調査で発見されている金属製冠帽や白樺製冠帽では確認されない形状であることから、布や革でつくられた冠帽と推定されます。
 
このようにシンプルな表現を用いた土偶にも冠帽を着用させる意匠から、新羅の人々とって冠帽がいかに重要なシンボル的存在であったのかを知ることができます。
 
パーティーに行くからには1番目立ちたい! と思うかもしれませんが、身分によって着用できる冠帽が規定された新羅ではそうはいきません。
しかし、冠帽を着用することで新羅の仲間であるという帰属意識を高め、冠帽の意匠に隠されたこだわりに自らの個性を発揮していたのではないでしょうか。
 
「透彫冠帽」の展示の様子
 
是非、東洋館に足を運び、実際に「透彫冠帽」をご覧になってください。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ博物館でアジアの旅

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posted by 玉城真紀子(東洋室) at 2023年10月14日 (土)

 

意識高めのパーティーへのご招待

当館の東洋館では毎年恒例、大好評の企画「博物館でアジアの旅」を開催しております。
記念すべき第10回目を迎える今年は「アジアのパーティー」をテーマに作品の饗宴をお楽しみいただきます。

食事やお酒、音楽やダンス、華やかな服装や調度など、さまざまな視点から「アジアのパーティー」に関わる作品がこの企画にエントリーしています。
ここでは、ちょっとかわった切り口からアジアのパーティーをのぞいてみましょう。

東洋館に入って最初の展示室、1室にご案内いたしましょう。
ここには石仏を中心に中国の彫刻作品を展示しております。


東洋館1室の展示風景

その中から、今回ご紹介するのはこちら、重要文化財「如来三尊立像」です。


重要文化財 如来三尊立像(にょらいさんぞんりゅうぞう)
中国 東魏時代・6世紀 東京国立博物館蔵 東洋館1室にて展示

黒みを帯びた石灰岩製の石仏で、中央に如来立像、両脇に菩薩立像をあらわします。
光背を含んだ総高126.5cm、中尊如来像の像高78.0cm。
左右対称のバランスの良い姿です。三尊とも円筒形の頭部に顔のパーツを中央に寄せ、おちょぼ口で可愛らしく微笑む表情が特徴です。
中国の東魏時代・6世紀前半の制作と考えられ、現在の中国・河南省北部の新郷市に所在したと伝わります。

三尊の光背の上部では、三尊を天人が礼拝し、音楽を奏でて讃嘆します。


「如来三尊立像」光背の上部

その様子は、まさにパーティーと呼んで差し支えないものですが、今回注目したいのはここではありません。

まず、下のほうに目をやりますと、如来が立つ台座にあたる部分には、中央にマス目があらわされ、その両脇には柄香炉(えごうろ)を捧げる僧形像と人物像が線刻されます。
この僧形像には「都邑師法始(とゆうしほうし)」、「都邑師慧略(とゆうしえりゃく)」という名前が記されています。


「如来三尊立像」の台座部分


台座の右側に「都邑師法始」と刻まれています。


台座の左側に「都邑師慧略」と刻まれています。

次に、背面にまわってみましょう。


「如来三尊立像」の光背背面

光背の背面には人物像とその名前がぎっしりと刻まれています。

最上段は、維摩居士(ゆいまこじ)と文殊菩薩との問答の場面を描く「維摩変相図(ゆいまへんそうず)」です。
維摩変相の下は6段に区切られ、それぞれに多数の供養者像とその名前をあらわします。

その上段を見てみましょう。


「如来三尊立像」の光背背面の上部

右端には「菩薩主胡伯憐(ぼさつしゅこはくれん)」その内側に「開仏光明主司徒永孫(かいぶつこうみょうしゅしとえいそん)」、さらに「比丘法順(びくほうじゅん)」「比丘法遵(びくほうじゅん)」などの人物名がみられ、人物像が描かれます。
その下段には右端から「邑子(ゆうし)」「唯那(いな)」「都維那(ついな)」などの肩書が続きます。
この人々、実はこの石仏をつくるために集いお金を出し合った人々なのです。

中国の南北朝時代には邑義(ゆうぎ)と呼ばれる在家の仏教集団が各地につくられました。
先ほど正面の台座にあった「都邑師」とは、邑義を指導する僧侶のリーダー格のことです。
背面の上段に並んでいた「開仏光明主」はこの三尊像のうち中尊如来像の発願をした人、名は司徒永孫と言ったようです。
さらに「菩薩主」の胡伯憐は脇侍のために出資した方でしょう。
「比丘」は出家した男性のこと、その下段にみられた「邑子」は邑義の構成員。
いわば平社員、一般会員です。「唯那」は下級のリーダー格で、係長か課長、「都維那」は維那あるいは唯那のリーダーですので部長級と言ったところでしょうか。

このように、本像の造像にあたり発願・出資した人々がその役職名とともに記されているのです。
記された名前を数えると、重複して登場する人ものぞくと、なんと73名にのぼります。
実に多くの人々が関わった造像であることが知られます。

他の作例と比較すると明らかなのですが、本来であれば正面の台座中央に刻まれたマス目に、この造像の目的や年月日などが記されるはずでした。
なぜか本像にはこの銘記を欠き、明確な造像の目的や時期が明らかではありません。
しかし、この73人が志を同じくして、出資をして本像をつくり上げたことは間違いないでしょう。

ところで、食事をしたりお酒を飲んだり、歌ったり踊ったり、お祝いしたりするのもパーティーですが、登山隊や政治政党をパーティーと呼ぶように、もともとパーティーとは目的を同じくする人々の集まりを意味します。
そうした意味で、ここに紹介した中国石仏はれっきとしたパーティーによってつくられた作品と言えるのではないでしょうか。

邑義と言う名のパーティーは、中国南北朝時代から各地でみられる在家仏教団体ですが、本像にもみられた通り、僧侶の指導を受けたものでした。
あいにく本像の場合には銘文が空白であるために、目的や時期、かかわった人々の全貌を知ることができませんが、それでも中国南北朝時代に流行した造像のあり方、パーティーによる造像を伝える点で貴重な石仏なのです。


「如来三尊立像」の展示風景

ここに紹介したパーティーのあり方は、ちょっと意識の高いパーティーと言えるかもしれません。
今回の「アジアのパーティー」にはこうした変化球ばかりではなく、酒食・歌舞といったもっと身近なパーティーの姿を見せてくれる作品たちにもたくさん出会うことができます。

東洋館インフォメーションでは「博物館でアジアの旅  アジたびマップ2023」を数量限定で無料配布しております。
是非「アジたびマップ」を片手に東洋館をめぐり、さまざまな姿を見せる「アジアのパーティー」と触れ合ってください。

各展示室で「アジアのパーティー」にかかわる作品が皆様をお待ちしております。
 

もっと詳しく知りたい方は小冊子『博物館でアジアの旅 アジアのパーティー』をミュージアムショップでお求めください。きっとパーティーの良い引き出物になること、請け合いです。


博物館でアジアの旅 アジアのパーティー

出品作品の画像掲載。「アジアのパーティー」にまつわる作品とそのエピソードについて、さまざまな角度から詳しく解説したガイドブックです。

編集・発行:東京国立博物館
定価:550円(税込)
全16ページ(オールカラー)

ミュージアムショップのウェブサイトに移動する
博物館でアジアの旅 アジアのパーティー 表紙画像

 

カテゴリ:研究員のイチオシ博物館でアジアの旅

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posted by 児島大輔(東洋室) at 2023年09月29日 (金)

 

東洋館で楽しむ、「アジアのパーティー」

暑さも少し和らぎ、秋の訪れを感じられるようになってきました。
当館では9月26日(火)より、秋の恒例企画「博物館でアジアの旅」がはじまりました。

「博物館でアジアの旅 アジアのパーティー」キービジュアル
 
会場はアジア各地の美術品や考古遺物などを展示している東洋館です。
 
正門を入って右手にあるのが東洋館です。

東洋館入口もアジアの旅バージョンでお迎えします。

「博物館でアジアの旅」は毎年テーマを決めて、それにちなんだ作品を館内のいたるところに展示します。
今年のテーマは「アジアのパーティー」です。
 展示室を巡りながら、アジア各地のパーティーにまつわるさまざまな作品をご覧いただけます。
 
東洋館内の様子
 
 「アジアのパーティー」関連作品には目印にこの札をつけています。
作品一覧のリストは、当館ウェブサイトよりご覧いただけます。
博物館でアジアの旅 アジアのパーティー 作品リストへ移動する
 
展示の様子を一部ご紹介します。
 
パーティーに欠かせないものといえば、お酒ではないでしょうか。
3室に展示しているのは、リュトンとよばれるお酒を入れる器です。野生動物をかたどった酒器は西アジアでは青銅器時代から定番でした。
山羊頭形リュトンは鼻先に、動物形リュトンは両前足の先端に、それぞれ小さな孔(あな)があり、ワインなどの液体を注ぎ出す機能が備わっています。
 
山羊頭形リュトン(やぎがしらがたりゅとん)
イラン、ギーラーン地方 アケメネス朝時代・前6~前5世紀 東京国立博物館蔵 東洋館3室にて展示
 
動物形リュトン(どうぶつがたりゅとん)
イラン パルティア時代・前3~後3世紀 山内信和氏寄贈 東京国立博物館蔵 東洋館3室にて展示
 
パーティーでは音楽も楽しみたいものです。
5室で展示している、加彩楽人は竪琴や琵琶、太鼓を持って演奏する女性たちを表したやきものの人形です。
唐時代、死後の世界を豊かに過ごすため、人や動物、生活道具などをかたどったやきものが墓に納められました。
墓の主は死後の世界でも、楽団を傍らに宴を楽しんでいることでしょう。
 
加彩楽人(かさいがくじん)
中国 唐時代・7~8世紀 横河民輔氏寄贈 東京国立博物館蔵 東洋館5室にて展示
 
パーティーには、いわゆる「人生の節目」も含まれます。
13室では、結婚などのお祝い事や、悲しみにあふれる葬儀のときに大切な人を想ってつくられた、壮麗で華やかな染織作品をご覧いただけます。
 
(左から1番目)プルカリ(覆い布) 茶木綿地波形幾何文様刺繡(ぷるかり おおいぬの ちゃもめんじなみがたきかもんようししゅう)
インド・パンジャーブ 19~20世紀 岩佐静子氏寄贈
(左から3番目)死者の覆い布 赤カシミヤ地ペイズリー花文様(ししゃのおおいぬの あかかしみやじぺいずりーはなもんよう)
インド・カシミール 20世紀
両作品ともに東京国立博物館蔵、東洋館13室にて展示
 
東洋館インフォメーションでは、「博物館でアジアの旅 アジたびマップ2023」を数量限定で無料配布しています。
主な作品について展示場所を示したマップと解説を掲載しています。アジアの旅のお供にどうぞ。
 
「博物館でアジアの旅 アジたびマップ2023」は当館ウェブサイトよりダウンロードできます。
博物館でアジアの旅  アジたびマップ2023へ移動する
 
さらに作品について詳しく知りたい方は、小冊子を販売しておりますので、
こちらもぜひご覧ください。
 
小冊子は本館、東洋館、正門プラザの各ミュージアムショップで販売しています。
 
その他、「博物館でアジアの旅」をより楽しむ関連イベントとして、アジ旅スペシャルトークや、ボランティアによるガイドツアーも開催します。

博物館でアジアの旅 アジアのパーティーのバナー
 
どうぞ足をお運びください。

 

カテゴリ:博物館でアジアの旅

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posted by 長谷川悠(広報室) at 2023年09月27日 (水)

 

特集「再発見!大谷探検隊とたどる古代裂の旅」その2「敦煌発見の裂」

前回の1089ブログ「トルファン出土裂」に続き、創立150年記念特集「再発見!大谷探検隊とたどる古代裂の旅」(~12月4日(日))で展示中の、敦煌莫高窟(とんこうばっこうくつ)発見の裂をご紹介します。

 

敦煌莫高窟は現在の中国の北西部、甘粛省(かんしゅくしょう)に位置する都市です。古くより、シルクロード交易における要所として発展しました。敦煌では仏教文化が花開き、4世紀から14世紀にかけて造営された石窟寺院の莫高窟からは、多くの仏教にかかわる壁画や彫刻、古文書、そして堂内を装飾していた多くの染織品の断片(裂(きれ))が見つかっています。



第3次大谷探検隊の旅程概略(作成:廣谷)

 

まずは、こちらの「垂飾 平絹綾夾纈羅裂縫い合わせ(すいしょく へいけんあやきょうけちらきれぬいあわせ)」をご覧ください。なんと、幅270cmを超える大きな垂飾です!



垂飾 平絹綾夾纈羅裂縫い合わせ
中国、敦煌莫高窟 曹氏帰義軍期敦煌・9~10世紀 大谷探検隊将来品



(同作品 右上拡大図)


よくみると、右上に小さな輪が縫い付けられていることがわかります。このような特徴から、本来は輪を使って吊り下げ、仏殿内を華やかに飾る荘厳具(しょうごんぐ)のひとつであったと考えられます。
9世紀から10世紀の仏教荘厳の様子を伝えてくれている貴重な作品です。

どのように縫い合わせて、大きな垂飾をつくっているのでしょうか。作品の裏面に注目してみましょう。

 

 
(同作品 裏面) 

 
透かして見ると、小さな裂を三角形の袋状に仕立て、重ねていることが分かります。
この垂飾には、紋織(もんおり/文様を織り出した織物)や、染めが施された裂、22種類が使用されています。
全体のかたちだけでなく、各裂の特徴など細部まで注目していただきたい作品です。ぜひ、展示室では裏面もご覧ください!

 

次に、「紺地菩薩立像描絵平絹(こんじぼさつりゅうぞうかきえへいけん)」をみてみましょう。細長い紺色の裂に、黄色の絵具で絵が描かれています。これに似た裂が、当館には数点認められます。


紺地菩薩立像描絵平絹
中国・敦煌 曹氏帰義軍期敦煌・9~10世紀 莫高窟 大谷探検隊将来品



紺地菩薩立像・唐草文描絵平絹
中国・敦煌 曹氏帰義軍期敦煌・9~10世紀 莫高窟 大谷探検隊将来品


よく見ると、裂の中央にはリボンや右足先が描かれています。
フランス・ギメ東洋美術館には近しい作品が残っており、それらから全体像を推定することができます。
ここに示したのは「紺地菩薩立像描絵平絹」につながるであろう、菩薩像の顔の復元想定図です。これらの裂は、本来は立ち姿の菩薩像が何体も縦に連なる長大な幡(ばん/寺院でかかげる旗)であったと考えられます。

 

菩薩立像頭部 想定復元図(作成:沼沢)

 

最後に、「刺繡如来立像・唐草文断片(ししゅうにょらいりゅうぞう・からくさもんだんぺん )」をご紹介します。
こちらは、すべて鎖繡(くさりぬい/チェーン・ステッチ)で表された裂です。8世紀製作の作品とは思えないほど、鮮やかな色を残しています。
左手部分を拡大してみると、輪郭や衣など部分によって細かに色糸を使い分けており、縫い目ひとつ分の大きさもそろっていることがわかります。まさに、精緻を極めた刺繡技術です。
この作品は、1915年から1916年にかけて発刊された、選りすぐりの大谷探検隊将来作品を集めた図録、『西域考古図譜』にも掲載されています。優品に位置づけられるのも納得の作品です。



刺繡如来立像・唐草文断片
中国 唐時代・8世紀 伝敦煌莫高窟あるいはムルトゥク 大谷探検隊将来品 梅原龍三郎氏寄贈


同作品 組織拡大写真(50倍)

 

2週にわたって、特集「再発見!大谷探検隊とたどる古代裂の旅」の見どころをお伝えしました。
裂ひとつひとつは、実は多くの情報を秘めています。この展覧会を準備するにあたり、たくさんの裂を調査し、私たちも多くのことを再発見しました。
皆様独自の見方で裂をじっくり堪能していただき、昔のトルファン、敦煌の様子や、大谷探検隊の旅の風景を想像していただければ幸いです。悠久の時を刻んだ裂が、皆様をお待ちしております!

カテゴリ:特集・特別公開博物館でアジアの旅東京国立博物館創立150年

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posted by 沼沢ゆかり(保存修復室) at 2022年10月12日 (水)

 

特集「再発見!大谷探検隊とたどる古代裂の旅」その1「トルファン出土裂」

こんにちは、登録室の廣谷です。現在東洋館5室では、創立150年記念特集「再発見!大谷探検隊とたどる古代裂の旅」(~12月4日(日))を開催中です。「博物館でアジアの旅 アジア大発見!」にちなみ、「発見!」に関わる作品もご紹介しています。

 
20世紀前半、京都・西本願寺の大谷光瑞(おおたにこうずい)は、仏教が日本に伝わった道を明らかにすべく、中央アジアに調査団を派遣しました。この調査団を、「大谷探検隊」といいます。
本展でご紹介する裂の多くは、第3次大谷探検隊の橘瑞超(たちばなずいちょう)と吉川小一郎(よしかわしょういちろう)が、中国西北部や新疆で収集しました。
 
仏教東漸の道を遡るように、日本から海を渡り、砂漠を渡り…。かつてオアシスに栄えた都市の遺跡で、彼らが旅の途中に「発見」した裂はどのようなものだったのでしょうか。
本展では、探検隊の「発見」と当館の調査による「再発見」、探検隊の「旅」と古代裂の「旅」がリンクするように、大谷探検隊の旅路を辿りながらそれぞれの裂の魅力をご紹介しています。
 
 
第3次大谷探検隊の旅程概略(作成:廣谷)
 
 
今回は、タリム盆地北東部に位置するトルファン(現在の中国・新疆ウイグル自治区吐魯番。上記地図参照)で出土した裂に注目します。いずれも年代は6~7世紀ごろと考えられ、この頃トルファンにあった麴氏高昌国(きくしこうしょうこく)は、仏教を貴び、中国と西アジアの交易を中継して栄えていました。本展では、住民が埋葬される際に着用していた衣服や副葬品を展示しています。
まずは、こちらをご覧ください。
 
 
 
上:赤茶地幾何花文錦(部分) 中国・トルファン 麴氏高昌国時代・6世紀~7世紀前半 アスターナ・カラホージャ古墓群出土 大谷探検隊将来品
下:上記作品の顕微鏡撮影写真
 
 
この裂は高昌国の女性が着用していました。本来は鮮やかな紅と白であったのでしょう、大胆な花文がおしゃれです。経糸と緯糸を1本ずつ互い違いにし、数色の緯糸で文様を織り出す、「平組織緯錦(ひらそしきぬきにしき)」という技法を用いていますが、同時代の中国中央の錦にはほとんど例がなく、タリム盆地周辺でつくられた現地産の錦と考えられます。
 
 
 
 
上:赤地渦輪違文入鳥獣人物文綾(部分拡大) 中国・トルファン 麴氏高昌国時代・6世紀~7世紀前半 アスターナ・カラホージャ古墓群出土 大谷探検隊将来品
下:上記作品の、文様全体の描き起こし図(作成:沼沢)
 
 
一方こちらの裂は、中国で織られ、トルファン(高昌国)に伝わった綾です。渦の輪のなかに、中国の龍(黄色)や、西アジアの皇帝像(青色)などを織り出しており、中国南北朝時代の東西交流の影響を思わせます。この裂の調査中、表面にあじろ編みの痕がついていることが判りました。遺体を安置するござの上に敷かれていた可能性が考えられるでしょう。
 
 

赤地格子連珠花文錦 中国・トルファン 麴氏高昌国~唐西州時代・7世紀 アスターナ・カラホージャ古墓群出土 大谷探検隊将来品

重要文化財 蜀江錦帯(法隆寺献納宝物)(部分)  飛鳥時代・7世紀
※展示予定はありません

 
 
東西交流の観点でもうひとつ。この裂は副葬品の一部と考えられ、格子の中に蓮華文を小さな珠を連ねて飾っています。じつは日本の奈良・法隆寺にも、よく似た文様をもつ錦が数点伝来しています。
軽く華麗な中国の錦は当時、交易や外交を通じてユーラシア大陸に広がりました。それぞれの旅の終点として、これらの古代裂をいま日本でみることができることには数奇な巡りあわせを感じます。
 
 
展示風景(トルファン出土品)
 
 
執筆者は展示準備をしながら、これらの裂を身に着けた人物が、何に喜び、トルファンでどのような一生を過ごしたのかについて考えていました。残念ながらこれらの裂だけではわかりえませんが、錦や綾などの貴重な染織品を纏う姿からは、周囲の人々に丁重に葬られたことがうかがえます。
みなさまもぜひ、会場でじっくりとこれらの裂をご覧になり、ご想像いただければ幸いです。
 
来週は、沼沢研究員にバトンタッチし、敦煌莫高窟で収集された裂について深掘りします!

 

カテゴリ:特集・特別公開博物館でアジアの旅東京国立博物館創立150年

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posted by 廣谷妃夏(登録室) at 2022年10月05日 (水)

 

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