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1089ブログ

「南太平洋の生活文化」現地調査レポート(セピック川の日々)

もう何年か前、私が東京国立博物館(トーハク)に勤めはじめたころ、とある収蔵庫の片隅に石のお金が無造作に置いてあるのを見つけました。白い石でできた大きなドーナツみたいな貨幣です。ほかに、ワニの釣針やココナッツジュースの容器なんかも見かけました。これらは19世紀後半から20世紀初頭にトーハクにもたらされた南太平洋の工芸品ですが、当時はそのような南洋資料はほとんど展示されておらず、館員でもなかなか見ることがなかったので、とてもめずらしく思われました。

石貨
石貨 ミクロネシア、ヤップ島 19世紀後半   東京国立博物館蔵(田口卯吉氏寄贈)

その後、東洋館の改装(リニューアル)が行なわれ、南洋資料も少しずつ展示されるようになってきました。このたび「南太平洋の生活文化」(2016年11月15日(火)~12月23日(金・祝)、平成館企画展示室)と題して、南洋資料をいくらかまとめて展示するにあたり、それらが現地ではどのように扱われているのかを調査する機会にめぐまれました。南太平洋には無数の島があれば、それらの島々を見てまわるのは難しいので、トーハクの所蔵品の内容を検討し、まずはパプアニューギニアのジャングルを流れているセピック川の流域を調査地に選びました。ここの人々には自分たちの先祖をワニだとする信仰があり、現在でも男子が成人する時には、その体にカミソリでワニの鱗(うろこ)のような傷をつけてゆく儀式があります。私たちの調査に同行してくれた案内人のフィリップさん(現地には西洋風の名前をもつ人がいます)の体にも見事な鱗が刻まれていました。

セピック川
ニューギニア島のジャングルを流れるセピック川。ワニがいる。

ワニ像
ワニ像 メラネシア、ニューギニア島北東部  19世紀後半~20世紀初頭  東京国立博物館蔵(藤川政次郎氏寄贈)

フィリップさん
調査に同行してくれたフィリップさん。胸にワニの鱗が刻まれている。


現地での交通手段はカヌーが中心で、となりの村に行くにもカヌーです。カヌーを作るのは専門の職人ではなく、成人した男子であれば、自分の力で家族のためのカヌーを作ります。そして地図もなく、地形を目印にして、複雑に流れている大小の川をこぎまわります。フィリップさんは銛(もり)を使うのがとても上手く、疾走するカヌーから水面下のウナギを一発で仕留めました。そのウナギはブツ切りにして、そのまま石をならべた炉(ろ)で焼いて、私たちにふるまってくれました。裂き方といい、焼き方といい、野生味あふれたものです。

カヌー
細長いカヌーに並んで座る。この状態で何時間もかけて川を行き来する。

カヌー作り
家族のためにカヌーを作る。たくましい男の仕事。

ウナギ
ブツ切りウナギを炉におく。関東風とも関西風とも異なるワイルドな焼き方。

飲み物はもちろんココナッツ(椰子の実)のジュースです。濃厚な甘い味だと思われがちですが、実際はポカリスエットみたいなすっきり味です。現地の男の子が椰子の木を器用によじ登って、実をねじ切って、下の川にボチャンと投げ落としてくれます。それを女の子が拾いあげて、大きなナイフでバカッ、バカッと叩き割ってくれます。セピック川に沿っていくつもの村を訪れましたが、どこでも子供たちがやって来て、私たちについてまわりました。ここの人々は大きな目をしていて、特に黒目が丸くてきれいですが、その顔を見ていると、ニューギニア島の東方にあるニューアイルランド島の石像の印象的な瞳を思い出しました。

ヤシの実をとる男の子
枝のない椰子の木を上手に登って、実をねじり取る男の子。

現地の子どもたち
調査の見物にきた子供たち。みんな目がきれい。

女性像
女性像(クラプ) メラネシア、ニューアイルランド島 19世紀後半 東京国立博物館蔵吉島辰寧氏寄贈)

このように書いていると、現地では今なお伝統的で豊かな暮らしが行なわれているようですが、いろいろ見たり聞いたりすると、やはり生活の変化はいちじるしく、このような生活様式がいつまでも続くかは分かりません。彫刻と彩色で飾られる儀式用の精霊小屋(ハウスタンバラン)も建て直されなくなってきています。現地の人々にトーハクの南洋資料の写真を見てもらうと、すでに見かけなくなったものがあると教わりました。まだ人々の記憶があるうちに、多くのことを確かめておかなくてはならないと痛感する調査となりました。

対話
現地の人々との対話は夜遅くまで行われた。

精霊小屋
建て直されずに骨組みだけが残った精霊小屋。

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 猪熊兼樹(出版企画室主任研究員) at 2016年11月16日 (水)

 

古典と向き合い続けた小林斗盦(とあん)の多彩な作品

東洋館8室では、「生誕百年記念 小林斗盦(とあん) 篆刻(てんこく)の軌跡―印の世界と中国書画コレクション―」(前期:2016年11月1日(火)~11月27日(日)、後期:2016年11月29日(火)~12月23日(金・祝))を開催しております。先週は、トーハクのアイドル、ユリノキちゃんが、開会式や展示会場の様子をお伝えしてくれました

本展の主な出品作は、小林斗盦(1916~2007)が制作した作品(篆刻・書画)と、収集した作品(古印・印譜・中国書画)に分かれます。そこに、制作に関わる資料などを加えて、6部とプロローグ・エピローグからなる展示構成となっています。今回は、斗盦の制作に関する展示についてご紹介しましょう。

制作に関する展示:プロローグ「篆刻家 小林斗盦」、第1部「古典との対峙」、第2部「作風の軌跡」、第4部「制作の風景」、第6部「翰墨の縁」、エピローグ「刻印の行方」
収集に関する展示:第3部「篆刻コレクション」、第5部「中国書画コレクション」

第1部「古典との対峙」 第6部「翰墨の縁」
左:第1部「古典との対峙」、右:第6部「翰墨の縁」


プロローグ 篆刻家 小林斗盦
本展は、篆刻家・小林斗盦の生涯における記念碑的な作品で幕が開けます。斗盦は昭和58年(1983)、67歳の時に「柔遠能邇」白文円印を第15回日展に出品し、この作で第40回日本藝術院賞・恩賜賞を受賞しました。
言葉は、『尚書』の一節に拠った「遠くの民を安んじ近くの民をよくする」という意味の4字句です。秦時代の円形の印の様式に、絵画的要素の強い西周から春秋戦国時代頃の金文の造形を合わせて、朱白の対比がたいへん美しい、動的で表情豊かな作に仕上げています。
斗盦はその後、実作と研究における優れた業績から、77歳で日本藝術院会員、82歳で文化功労者顕彰、88歳の時には篆刻家として初めて文化勲章を受章します。「柔遠能邇」白文円印は、当代を代表する篆刻家としての位置を確かなものとした、とても重要な作なのです。

「柔遠能邇」白文円印側款拓
    
「柔遠能邇」白文円印 小林斗盦刻 昭和58年(1983) 原印:東京・日本藝術院、印影:個人蔵
左:印影、右:側款拓



第1部 古典との対峙・第2部 作風の軌跡
91年の生涯において、斗盦は実に幅広い作風の篆刻作品を残しました。「古典を尊重模倣し、近世の名人の作品を分析咀嚼して、完璧を期す」という頑なまでに守旧的な制作観は、斗盦を、生涯にわたり篆刻とその前提となる文字や書の資料に向かわせ続け、多様な作品群を生むことになりました。
では、斗盦はどのようなものを学び、自身の篆刻作品を生み出したのでしょうか。第1部では、殷時代の甲骨文や西周時代の金文、戦国時代から南北朝時代までの璽印に、封泥や陶文、そして清時代の名家の篆刻など、作品の背景にある古典を対照させて、斗盦の多彩な作風を概観します。続く第2部では、斗盦の代表的な篆刻作品を年代順にたどり、作風の軌跡を窺います。

「独往」朱文印側款拓
「独往」朱文印 小林斗盦刻 平成11年(1999)  原印:個人蔵、印影:個人蔵
左:印影、右:側款拓


「ただひとりで行く」という意味のこの二字句を、斗盦は作風を変えて、幾度となく制作を試みています。83歳の時に第31回日展に出品したこの作品は、西周から春秋戦国時代の金文を基調としたものです。古代中国の各時代の字形の長所を合わせて、ひとつの秩序を作りだしており、斗盦の金文表現の到達点を示す作と言えます。

婦ひん卣  蓋銘拓
婦ひん卣 中国 西周時代・前10世紀 東京・台東区立書道博物館蔵
左:全景、右:蓋銘拓



「愚者之定物以疑決疑」朱文印側款拓
「愚者之定物以疑決疑」朱文印 小林斗盦刻 昭和62年(1987) 原印:個人蔵、印影:個人蔵
左:印影、右:
側款拓

71歳の時に、『荀子』解蔽の言葉を小篆で刻した作品で、清時代の趙之謙(1829~1884)の作風に倣ったものです。斗盦はこのような趙之謙風の緻密な構成の朱文多字印を得意としました。本作でも、1辺3cm余りの小さな印面に、3行合計9字が手足を伸ばしたかのような躍動感のある字形で布置されています。


第4部 制作の風景
晩年まで衰えることなく数々の名品を生み出し続けた斗盦は、昭和52年(1977)、61歳の時に、川越から東京へと拠点を移し、永田町にある高層マンションの一室に居を構え、そこを制作の場としました。自ら懐玉印室(かいぎょくいんしつ)と名づけた斗盦の書斎は、篆刻という芸術を表すかのように、決して広いとは言えない空間でありながら、そこから無限の創造は紡ぎだされたのです。
第4部では、生前に斗盦が愛用した篆刻の道具や文房具、書斎を彩った文雅な扁額など、懐玉印室という制作の風景を眺めてみます。また、メモ魔でもあった斗盦が、書斎を初めて訪れる賓客に必ず署名を求めたという芳名帳からは、幅広い交遊が窺えます。

行書「懐玉印室」扁額
行書「懐玉印室」扁額 沙孟海筆  中国  中華人民共和国・1988年 個人蔵
前期展示:~11月27日(日)


57歳の時に、師の太田夢庵遺愛の玉印8顆を譲り受けた斗盦は、その喜びから、ほどなくして懐玉印室という室号をつけました。西泠印社長を務めた沙孟海(1990~1992)によるこの扁額は、斗盦にとって、敬愛していた沙孟海との厚誼を記念する特別な意味をもった作品でもありました。本作品は、斗盦篆刻が生まれる懐玉印室という空間、また現代における日中書壇の親密な交流状況をも象徴するものと言えます。

晩年に斗盦が愛用した文具
晩年に斗盦が愛用した文具


第6部 翰墨の縁
篆刻家の作品には、ただ芸術表現に終始したものだけではなく、往々にして実用を意識して制作されたものがあります。斗盦の篆刻作品にも依頼や応酬によるものが多く含まれ、相手や用途に応じた作風が見られるとともに、政界・学界・文壇・芸苑など各界の著名人との交流の様子や斗盦作品の評価の高さが垣間見られます。
例えば、文壇では、永井荷風(1879~1959)や武者小路実篤(1885~1976)、司馬遼太郎(1923~1996)ら誰もが知る作家の印も見られます。第6部では、それらの作から斗盦が生涯に結んだ翰墨の縁を窺います。

「荷風散山」朱文印
 永井荷風からの礼状
「荷風散人」朱文印 小林斗盦刻 昭和24年(1949) 印影:個人蔵
前期展示:~11月27日(日)
上:印影、下:永井荷風からの礼状


「武者小路実篤璽」白文印
「武者小路実篤璽」白文印 小林斗盦刻 昭和48年(1973) 印影:個人蔵
前期展示:~11月27日(日)


「司馬遼太郎印」白文印
「司馬遼太郎印」白文印 小林斗盦刻 平成5年(1993) 原印、印影:大阪・司馬遼太郎記念館蔵
前期展示:~11月27日(日)



エピローグ 刻印の行方
篆刻家は、その人物や、姓名・雅号などに込められた重層的な意味に想いを馳せて、語句にふさわしい作風を考慮して印を刻します。そして人手に渡った刻印は、篆刻家の意図から離れ、所蔵者がつくる新たな場を舞台に、印影として様々な表情を見せます。
例えば書作品に押された印影はどうなのでしょうか。作品の画龍点睛となる印は、あくまでも小さく控えめな存在ながら、時として作品よりも多くの事情を雄弁に語りかけてくれます。本展の結びに、文化勲章を受章した青山杉雨(1912~1993)による書作品から、篆刻家・小林斗盦が残した刻印の行方を眺めてみましょう。

篆書「胸中丘壑」額
篆書「胸中丘壑」額 青山杉雨筆 昭和62年(1987) 東京国立博物館蔵(水谷洋氏寄贈)

青山杉雨は30歳の頃に西川寧に師事して、昭和から平成初めにかけて書道界の発展に大きく寄与した人物です。杉雨はこの作品に西川門の同輩である小林斗盦の刻印3顆、「東夷之書」朱文印(引首)、「文長寿」白文印(落款)、「囂斎」朱文印(押脚)を使用しています。書作品に押された印影は、筆者のサインであるに留まらず、書を効果的に引き立て、作品を影ながら支える存在と言え、そこには筆者の好尚が反映されます。


東夷之書」朱文印「文長寿」白文印 「囂斎」朱文印
左:「東夷之書」朱文印 小林斗盦刻 昭和61年(1986) 原印:個人蔵、印影:個人蔵
中:
「文長寿」白文印 小林斗盦刻 昭和59年(1984) 原印:個人蔵、印影:個人蔵
右:「囂斎」朱文印 小林斗盦刻 昭和48年(1973) 印影:個人蔵


生涯、古典と向き合い続け、その美しさを背景にもつ斗盦の多彩な作品を通して、篆刻という方寸の世界に繰り広げられる壮大な芸術をお楽しみいただければ幸いです。


本展図録をミュージアムショップにて販売中!

図録
「生誕百年記念 小林斗盦 篆刻の軌跡 ―印の世界と中国書画コレクション―」
編集・発行:東京国立博物館、謙慎書道会
定価:2,500円(税込)
全298ページ(A4判変形)
 


関連事業

月例講演会「小林斗盦の篆刻の世界」 
2016年11月19日(土) 13:30~15:00  平成館大講堂
定員380名(先着順)
聴講無料(ただし当日の入館料が必要)

 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 六人部克典(登録室アソシエイトフェロー) at 2016年11月10日 (木)

 

小林斗盦(とあん)展開幕!

 こんにちは。ユリノキちゃんです。

11月になって上野はちょっと寒くなってきましたが、昨日(1日)から東洋館では私が楽しみにしていた特集が始まったの。

「生誕百年記念 小林斗盦(とあん) 篆刻(てんこく)の軌跡 ―印の世界と中国書画コレクション― 」
 



とあん先生は、おじい様の代から印をつくるお家に生まれて、10歳の時から印(はんこ)を彫る篆刻(てんこく)を習い始めたんですって。

今回の展示はとあん先生が生まれてから100年たった記念の展示で、生涯につくった篆刻の作品や、作品をつくるために勉強した中国の書や絵画など、期間中に250件くらいが出品されます。

私は書が大好きだけど、篆刻をじっくりみたことはなかったわ。



10月31日(月)に行われた開会式にはたくさんのお客さまが来てくれました。


開会式テープカット

東洋館のエントランスにあるモニターでは、展覧会にあわせてつくったとあん先生の映像が流れているの。(~12月23日)


 

皆さん熱心にみているわね。



作品は、だいたい3センチくらいの正方形のものが多いけど、もっと大きいのや、石の色がきれいなもの、つまみがかわいいのもあります。


  

 

こんな小さな中にむずかしい漢字がうまく入っているのですね。すごいなあ。

 

こちらはとあん先生が使っていた印を彫る道具など。


あら、これは!


元野球選手の桑田真澄さんの印!とあん先生はいろんな人の印を作っているのねー。
桑田さんってお習字することもあったのかしら。 *この印は11月27日(日)まで展示。


とあん先生は篆刻のために、中国の書や絵を一生懸命勉強したんですって。

斗盦が収集した書画展示 *この展示は11月27日(日)までで展示替えとなります。

 

これは篆刻の掛け軸、なんだか現代アートみたい

書や絵画におされている印ですが、捺し方や篆刻の雰囲気に書いた人のセンスが表れるみたい。
私もいつか上手に書けたらステキな印をおしてみたいな。

 

この特集は、12月23日(金・祝)まで。

*前期(~11月27日)と後期(11月29日~12月23日)で大幅な展示替えがあります。

カテゴリ:特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by ユリノキちゃん at 2016年11月02日 (水)

 

後期の古墳文化-海北塚古墳展-

平成館考古展示室の奥、古墳時代の展示スペースの一角に、特集「後期の古墳文化-海北塚古墳展-」(展示期間:2016年7月20日(水) ~ 2016年10月30日(日))がございます。6世紀の後期古墳文化を代表する環頭柄頭、馬具、須恵器を中心に展示しています。

平成館考古展示室の特集コーナー
平成館考古展示室の特集コーナー

なかでも展示の核となる大阪府茨木市に所在する海北塚古墳出土品は、明治42(1909)年・昭和10(1935)年に発見されました。
この度、発掘されて100年ほど経ちますが、これまで個別に展示をすることがあっても、まとめて展示をするのは初めてです。

海北塚古墳出土品は、古墳時代の年代を決める上で欠かせない資料として注目されてきました。例えば、環頭柄頭は、朝鮮半島から伝来した日本列島最古のものであり、龍の形がリアルに表現されています。馬具は大変状態が良く、それまでの伝統的な形から「新羅系馬具」への転換を示す、6世紀後半における馬具の基準資料です。そして、須恵器は昭和30年代に「海北塚式須恵器」として全国的に知られるようになりました。これらの資料の特性から、今回の展示コンセプトは「モノの変化」といたしました。


金銅装パルメット文鏡板・杏葉
金銅装パルメット文鏡板・杏葉 
大阪府茨木市 海北塚古墳出土
古墳時代・6世紀


ここでは刀の柄にあたる部分の装飾に使われた環頭柄頭について、まず、変化の方向についてみたいと思います。環のなかには横を向いた龍や鳳凰がいます。原型となった朝鮮半島の武寧王陵から出土した環頭柄頭の龍は、リアルに表現されています。日本列島に伝来したばかりの海北塚古墳例もまた、比較的、龍の形がはっきりとわかります。しかしながら、龍や鳳凰は日本列島ではあまりなじみがなかったのか、模倣を重ねるにつれて写実的で立体的なものから、簡素なものへと徐々に形が変わります。例えば、龍は歯や頸毛の表現がなくなり、鳳凰は玉を噛まなくなります。まるで伝言ゲームで言葉が変化するみたいです。

単龍環頭柄頭
単龍環頭柄頭
大阪府茨木市 海北塚古墳出土
古墳時代・6世紀


次に馬具は、日本列島では大陸の影響を受けながら様々な形の馬具が、時期をずらしながら出現したのが特徴です。鏡板は馬を操作するための轡に付属する金具で、杏葉は馬の背中から尻を装飾するための金具です。この鏡板と杏葉の変化をみると、5世紀末頃にはf字形鏡板や剣菱形杏葉が出現し、6世紀にも形を徐々に変えながら普及します。そして6世紀に入ると鐘形・花形・心葉形といった多様な形状をもつ鏡板や杏葉も時期をずらしながら現れます。

さまざまな杏葉
左上:変形剣菱形杏葉
群馬県伊勢崎市 恵下古墳出土 古墳時代・6世紀
右上:鐘形杏葉
岡山県倉敷市 王墓山古墳出土 古墳時代・6世紀(矢尾寅吉氏寄贈)
下:心葉形杏葉
静岡県島田市 御小屋原古墳出土 古墳時代・6世紀

下:花形杏葉
群馬県前橋市 大日塚古墳出土 古墳時代・6世紀(町田栄之介氏・田村銀平氏外3名寄贈)



最後に須恵器は、個々の種類(器種)ごとに変化します。「世界考古学大系」(昭和34年発行)では、須恵器を9つの段階(様式)に分類しています。その内、古いほうから2番目にあたる「穀塚式」の京都府穀塚古墳出土品、3番目にあたる「陽徳寺式」の福井県獅子塚古墳出土品、6番目にあたる大阪府海北塚古墳出土品を今回展示しました。見比べながら須恵器の変化をご覧いただければ幸いです。

海北塚古墳から出土した須恵器
海北塚古墳から出土した須恵器

今回の特集は、10月30日(日曜日)に終わります。ぜひ平成館の考古展示室へお越しいただき、古墳時代のモノづくりに思いを馳せていただければ幸いです。
 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ考古特集・特別公開

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posted by 河野正訓(考古室研究員) at 2016年10月14日 (金)

 

上海博物館との競演―中国染織 その技と美―

この秋、トーハクに上海博物館(上博:シャンポー)所蔵の中国の刺繡や緙絲(こくし、綴織(つづれおり))が17件展示されています。上海博物館を訪れたとしても、上海博物館で見ることができる染織は中国少数民族の衣装が中心で、清時代までの宮廷や高官の邸宅を飾っていた染織美術が展示されることはほとんどありません。あなたの目で確かめなければ信じがたい、その技の美を、10月23日(日)までトーハクで見ることができます。

まずは、東洋館5室の中国美術の部屋にお越しください。大きな平たいケースの中に広げられるのは、元時代末から明時代初期に、寺院の壁を飾るために制作されたと考えられる壁掛です。上海博物館でも展示したことのない、初公開作品です。写真で見ると小さく感じられますが、縦194cm、横335cmもあり、文様は全て刺繡によるものです。
中央には五爪の金龍。肉太の金糸で刺繡されています。

刺繡龍八宝唐草文様壁掛
刺繡龍八宝唐草文様壁掛 中国 元~明時代・14世紀 上海博物館蔵

刺繡龍八宝唐草文様壁掛 部分図
同上 部分拡大


金龍の周囲には、仏教の教えの中に現れる「八宝」が美しい色で染められた絹糸で丁寧に刺繍されています。約800年も前の刺繡がこんなに色鮮やかに残っていることに驚きです。会場ではパネルで「八宝」の解説もしていますので、そのご利益を確かめてみてください。あなたにも、幸運が訪れるかもしれません。


5室を出ましたら、今度は中国絵画が展示されている8室まで上がってください。
中国には、絵画を刺繡や織物で表現するというちょっと想像しがたい手仕事が宋時代から行われてきました。私はそれを「染織絵画」と呼んでいます。8室では、素晴らしい中国絵画を、絵画的図様を卓越した緙絲の技で写した染織絵画とともにご覧いただきます。
この2つの作品、こうしてみると、絵画のようでしょう?

緙絲仙人図壁掛と緙絲花鳥図壁掛 緙絲仙人図壁掛と緙絲花鳥図壁掛
左:緙絲仙人図壁掛 中国 明時代・16~17世紀 上海博物館蔵
右:緙絲花鳥図壁掛 中国 清時代・18世紀 上海博物館蔵


でも近寄ってみると、いずれも織物です。日本でいう「綴織」です。
部分図 部分図
左:緙絲仙人図壁掛 部分拡大、右:緙絲花鳥図壁掛 部分拡大

清時代の皇帝・乾隆帝も今展示されている「緙絲仙人図壁掛」を鑑賞していたのですよ。さすが、見る目あるな、と感心してしまう、明時代の名品です!
三希堂精鑑璽
乾隆帝が特に優れた書画に捺した「三希堂精鑑璽」印が「緙絲仙人図壁掛」にも捺されています。


8室からエレベーターで降り地下1階の13室に行くと、このような「染織絵画」がずらりと並んでいます。「顧繡(こしゅう)」と呼ばれる明時代以降の伝統的な技法で刺繡された作品や、美しい色彩で織り出された緙絲の花鳥画などが見られますので、ぜひ、会場でガラスケースに額をくっつけて「えっ?本当に描いてないの?」と確かめてみていただければと思います。

東洋館13室 展示風景
東洋館13室 展示風景

このような「染織絵画」は、宋時代から行われてきたと考えられます。実際、台北故宮博物院には宋時代の山水画を写した途方もなく細密な緙絲が残されています。このような「染織絵画」は宋元時代に確立したものでしょう。明時代から清時代にかけても、以前として制作されてはきましたが、宋元時代の吉祥に関わる画題が中心となっています。明時代以降、画家たちはある意味「俗」である吉祥絵画を染織の工人の手に譲り、自分たちは高邁を気取って山水画や文人画に専念したのかしら、という印象も受けます。「裕福」「子孫繁栄」「立身出世」「長寿」と、素直な人間の願いを「吉祥」に託した染織絵画。その思いを身近に感じるとともに、会場で見なければわからない中国染織の技の美に触れていただきたいです。


展示情報
特集「 上海博物館との競演―中国染織 その技と美―」(2016年7月26日(火)~10月23日(日)、東洋館5室、13室)
特集「上海博物館との競演 ―中国書画精華・調度― (書画精華)」(2016年8月30日(火)~10月23日(日)、東洋館8室)

関連事業
スペシャルツアー 中国美術をめぐる旅―添乗員はトーハク研究員―「アジアをリードした中国の染織技術
2016年9月28日(水)11:00~12:00 東洋館
 
 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開博物館でアジアの旅

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posted by 小山弓弦葉(工芸室長) at 2016年09月20日 (火)