台東区立書道博物館(以下「書道博」)の鍋島稲子です。
東京国立博物館(以下「東博」)と書道博の両館で開催中の連携企画「王羲之と蘭亭序」は、早くも残すところ約1ヶ月となりました。
東博の植松瑞希さんから流れてきた觴(さかずき)が、目の前を通り過ぎる前にブログを書かないと、罰として大きな觴に三杯の酒を飲まされるかもしれない、ハラハラ&ドキドキリレーの1089ブログ!
わたしからは、今回展示の作品中、国宝に指定されている「世説新書巻第六残巻」(せせつしんじょかんだいろくざんかん)についてお話しをしたいと思います。
『世説新語』とは、後漢時代の末から東晋時代(2~4世紀)にかけて活躍した、640人余りの名士の逸話集であり、いいことわるいこと、あることないことが書かれた、今でいうところのゴシップ誌ネタのようなものです。
南朝宋の劉羲慶(りゅうぎけい)が編纂し、梁の劉孝標(りゅうこうひょう)が注を付しました。
都合1120話が収録され、王羲之にまつわるエピソードは45話あります。
その中に蘭亭序の話も含まれ、『世説新語』は、蘭亭序の記述がある最古の文献としても知られています。
王羲之は、自分の書いた「蘭亭序」が、西晋の貴族であった石崇(せきすう)が詩会の雅宴で作った詩集の序文「金谷詩序」(きんこくしじょ)に匹敵するほどの文章だと、ある人がほめてくれたので、とてもうれしそうだった。
『世説新語』企羨(きせん)第16より
王羲之のほほえましいエピソードですね。
そうかと思えば、仲の良かった友人が亡くなると、手のひらを返したように故人の悪口を言ったり、気に食わない奴を無視したりバカにしたりと、王羲之のブラックな部分も描かれています。
清談好きな貴族たちの人間味あふれる姿が映し出された『世説新語』は、王羲之とその時代背景を知る格好の資料であり、読み物としても楽しい内容です。
国宝 世説新書巻第六残巻-規箴・捷悟(きしん・しょうご)-(部分)
唐時代・7世紀 京都国立博物館蔵
【書道博で3月26日(日)まで展示】
親友の王敬仁(おうけいじん)と許玄度(きょげんど)が亡くなると、王羲之は彼らを手厳しく論じたので、孔巌(こうがん)がこれをいさめ、王羲之は自分を恥じた、というお話。
さて、日本には唐時代に書写された最古の『世説新語』が現存します。
巻末に「世説新書巻第六」と書かれていることから、唐時代には『世説新書』と呼ばれていたことがわかります。
「世説新書巻第六」は、明治時代の初期に西村兼文(にしむらかねふみ)が東寺で発見し、所蔵していました。
京都に住む文人の山添快堂(やまぞえかいどう)、北村文石(きたむらぶんせき)、山田永年(やまだえいねん)、森川清蔭(もりかわきよかげ)、神田香巌(かんだこうがん)は古写本に精しく、ぜひみんなで見にいこうと兼文を訪ねます。
現物を目の当たりにした時、清蔭が色めき立ち、ゆずってくれと言い出しました。
他の4人も欲しがり、ついには口論となったため、兼文は困り果て、しかたなく5人にゆずることにしました。
5人はこれを携え、帰りしなに旗亭へ立ち寄り、酒の席で「世説新語巻第六」1巻を5つに裁断し、くじ引きで各々1つ獲りました。
飲み終わると、みんな大笑いしながら家に帰りました。
この時、5分割された「世説新書巻第六」ですが、後に2つの残巻が1つに接合され、現在は4つの残巻が伝わっています。
東博所蔵の残巻には、尾題の「世説新書巻第六」や、旧蔵者の署名「杲宝」(ごうほう)の右半分が残っています。
本文の後にある神田香巌の跋文によると、杲宝は東寺観智院の開祖で、『本朝高僧伝』に見えると記されています。
国宝 世説新書巻第六残巻-豪爽(ごうそう)-(巻頭部分)
唐時代・7世紀 東京国立博物館蔵
【書道博で3月28日(火)~4月23日(日)展示】
国宝 世説新書巻第六残巻-豪爽-(巻末部分)
唐時代・7世紀 東京国立博物館蔵
【書道博で3月28日(火)~4月23日(日)展示】
昨年、東博で開催の特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」でも展示されました!
また紙背には、平安後期に書写された「金剛頂蓮花部心念誦儀軌」(こんごうちょうれんげぶしんねんじゅぎき)があり、平安時代にはすでに日本に伝わっていたこともわかります。
[参考]
国宝 世説新書巻第六残巻-豪爽-(紙背部分) 金剛頂蓮花部心念誦儀軌
(注)今回の連携企画では、東博・書道博とも紙背の展示はありません。
そしてなによりも、この作品のすばらしさは、唐時代に完成した楷書の字姿を肉筆で見ることができる点にあります。
美しく力強い筆勢で書かれ、理知的で典雅な響きを持つ「世説新書巻第六」は、日本にのみ現存する、まさに国宝の威厳と風格を備えた、唐時代7世紀の写本の傑作です。
会期中、残巻を書道博で順番に展示していますので、お見逃しなく!
「王羲之と蘭亭序」余話、ここだけのヒ・ミ・ツ
●平成館で開催中の特別展「東福寺」(~5月7日(日))では、国宝「太平御覧」(たいへいぎょらん/京都・東福寺蔵)の第75冊において、王羲之の書論と伝わる部分を4月9日(日)まで展示中!
●東洋館9室「中国の漆工」では、「蘭亭曲水宴堆朱長方形箱」(らんていきょくすいのえんついしゅちょうほうけいばこ)を4月2日(日)まで展示中!
東博館内で、王羲之や蘭亭序にまつわる作品をぜひ探してみてください!
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posted by 鍋島稲子(台東区立書道博物館主任研究員) at 2023年03月24日 (金)
東京国立博物館(以下「東博」)の植松瑞希です。
東洋館8室で開催している東京国立博物館と台東区立書道博物館(以下「書道博」)の連携企画「王羲之と蘭亭序」は後期に入りました(~4月23日(日))。
「王羲之と蘭亭序」の世界をより深く楽しんでいただくため、本展に関わった東博と書道博の研究員で、リレー形式により1089ブログを更新しています。
さて、トップバッターの中村信宏さんに続き、わたしからは、王羲之主催の蘭亭での集まりが、後世、どのように描かれていったのか、というお話をしたいと思います。
東洋館8室展示風景
永和9年(353)の3月3日、王羲之は、いまの浙江省紹興県あたりにあった蘭亭(一説に、蘭花の多い川辺にあったあずまや)という場所で禊(みそぎ、邪気払い)の行事を行い、41人の名士を集めて、「流觴曲水」(りゅうしょうきょくすい)の宴を開きました。
流觴曲水は、川の水を引いて曲がりくねった流れを作り、そこに、觴(酒の入った盃)を流し、これが自分のところに着くまでに詩を作る、作れなかったら盃を飲む、という遊びです。
この遊びで作られた一連の詩に対し、王羲之が書いた序文が「蘭亭序」です。
「蘭亭序」は名文として知られるだけでなく、最高の書家とあがめられる王羲之の代表作品として称えられてきました。
そして、このようなすばらしい名文・名品を生み出した、蘭亭での集まり自体も、憧れの的となったのです。
そのため、これを描いた絵画作品も数多く残っています。
といっても、当時の記録がことこまかに残っているわけではありません。
画家たちは、その様子を想像して描いたわけで、どこに力点を置いて表現するか、全体構成や細部描写をどう工夫していくかというのは、それぞれの腕の見せ所となります。
さて、歴代の蘭亭雅集図の中で最も名高いのは、北宋時代、11世紀頃の文人画家、李公麟(りこうりん)が描いた巻子形式のものです。
真筆は失われてしまいましたが、図像の大枠自体は、拓本の形で伝えられています。
ここでは、清時代の乾隆帝の命令で作られた拓本「蘭亭図巻(乾隆本)」を見ていきましょう。
蘭亭図巻(乾隆本)(らんていずかん けんりゅうぼん)(部分)
原跡=王羲之他筆、清時代・乾隆45年(1780) 林宗毅氏寄贈 東京国立博物館蔵
【東博後期展示】
最初は、川辺のあずまや、蘭亭から始まります。筆を執り、ガチョウを眺める高士は、ガチョウ好きで知られる王羲之です。
あずまやの王羲之とガチョウの後には、曲水に流れ込む急流があり、酒の入った盃を準備し、次々と水に浮かべる召使の子供たちが描かれます。
そして、流れの左右に並んで座る、42人の名士が紹介されていきます(王羲之も再登場します)。
彼らは敷布の上に座り、硯と筆、紙をかたわらに詩作に励んでいます。
頭上には、官職・名前と、作った詩の内容が書かれています(作れなかった人は空欄です)。
途中は省略しますが、最後には、橋が描かれ、その先で、流れた盃をきちんと回収する子供たちの姿が見えます。
蘭亭図巻(乾隆本)(部分)
この蘭亭雅集図は、絵画表現だけで完結するというよりは、王羲之を始めとした有名な文人たちの性格や人生、その詩文の内容に思いをはせ、それが一堂に会した奇跡的な集まりの盛大さを改めて感じさせる、そういったものになっています。
このような、李公麟由来の図像をふまえて作られたのが、明時代末期、王建章(おうけんしょう)という画家が作った扇面です。
この作品では、両手で開くことのできる小さな画面に、一望できるように蘭亭雅集の風景が描かれています。
蘭亭春禊図扇面頁(らんていしゅんけいずせんめんけつ)
王建章筆 明時代・崇禎6年(1633) 比屋根郁子氏寄贈 東京国立博物館蔵
【東博後期展示】
王建章は、蘭亭雅集になくてはならない曲水を、画面上から、逆Cの字を描いて、左下に送るよう配置します。
この流れに沿って見ていくと、盃を準備して流す子供たちがいて、
蘭亭春禊図扇面頁(部分)
水辺で詩を書いたり、あきらめて盃を飲んだりしている参加者たちがあらわれて、
蘭亭春禊図扇面頁(部分)
あずまやでガチョウが泳ぐのを眺める王羲之が見つかり、
蘭亭春禊図扇面頁(部分)
橋の先で盃を回収する子供たちに行き着きます。
蘭亭春禊図扇面頁(部分)
一方、清時代末期の上海で活躍した人物画家、銭慧安(せんけいあん)は、約束事にとらわれない、新たな蘭亭雅集図を描いています。
蘭亭修禊図扇面(らんていしゅうけいずせんめん)
銭慧安筆 清時代・光緒13年(1887) 青山慶示氏寄贈 東京国立博物館蔵
【東博後期展示】
銭慧安の扇面では、表された空間の範囲はぐっと小さくなり、そこに大勢の人々が詰め込まれます。
王羲之らしき人物の座るあずまや、盃を流す曲水は描かれますが、参加者たちの多くは、流れから離れて、思い思いに時を過ごしています。
盃の流れを見ているのは召使の子供たちだけで、しかも彼らも流觴曲水の宴のために仕事をしているというよりは、おもしろい遊びを興味津々に眺めているという風情です。
蘭亭修禊図扇面(部分)
参加者たちは、輪になって談笑していたり、欄干越しに話し込んだり、琴を聞きながら何かを論評したり、それぞれ、友人たちとの交流に集中しています。
蘭亭修禊図扇面(部分)
考えてみれば、最初に見た、李公麟由来の巻子形式の蘭亭雅集図には、名士どうしの交流はほとんど描かれませんでした。
ひるがえって、銭慧安の作品は、宴のにぎやかな様子を表現することに力点を置いた点に新しさが認められます。
蘭亭雅集に対する画家たちそれぞれのアプローチを比較し、楽しんでいただければ幸いです。
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posted by 植松瑞希(絵画・彫刻室) at 2023年03月14日 (火)
「王羲之と蘭亭序」その1 道は違えど蘭亭愛-趙孟頫と趙孟堅-
台東区立書道博物館の中村です。
毎年恒例となっている東京国立博物館(以下「東博」/会場=東洋館8室)と台東区立書道博物館(以下「書道博」)の連携企画は、今年で20回目を数えます。
現在開催中の「王羲之と蘭亭序」(前期=~3月12日(日)、後期=3月14日(火)~4月23日(日))では、20周年の節目を記念して、連携企画初回でも取り上げた王羲之(おうぎし)と蘭亭序(らんていじょ)に焦点をあてるとともに、後世における受容と展開をご紹介しています。
書の名品として名高い王羲之の「蘭亭序」ですが、残念ながら真跡は現存しません。
しかし、その字姿は多くの模本や拓本によって、現代にまで受け継がれてきました。
今回のブログでは、数ある拓本のなかでも「定武蘭亭序」と、それにまつわる書画の大家たちのエピソードをご案内します。
「蘭亭序」を手に入れた唐の太宗皇帝は、臣下たちに臨書や模写を命じました。
そのなかで、欧陽詢(おうようじゅん)の臨書が最も優れているということで、それを石に刻み、とった拓本を下賜したといいます。
この時の版石は、五代十国時代の石晋(せきしん)の乱によって所在不明となり、北宋時代の慶暦年間に定州(ていしゅう/河北省)で発見されました。
この地は唐時代に義武軍(ぎぶぐん/軍団の名)が置かれたため、「定武(ていぶ)」と名付けられたといいます。
同地の太守であった薛珦(せつきょう)が模刻し、子の薛紹彭(せつしょうほう)も模刻を行いましたが、この時にもとの版石の五字(五行目の「湍」「帯」「右」「流」、八行目の「天」)を破損させました。
破損させる前にとられた拓本を「五字未損(みそん)本」あるいは「五字不損(ふそん)本」、破損したあとにとられた拓本は「五字已損(きそん)本」といいます。
版石は北宋王朝滅亡の原因となる靖康(せいこう)の変で失われたと伝えられています。
五字未損本には、書道博が所蔵する中村不折コレクションの「韓珠船本(かんじゅせんぼん)」があります。
定武蘭亭序(韓珠船本)
原跡=王羲之筆 原跡=東晋時代・永和9年(353) 台東区立書道博物館蔵
【書道博前期展示】
「定武蘭亭序(韓珠船本)」展示風景(於=台東区立書道博物館)
【書道博前期展示】
五字已損本には、「呉静心本(ごせいしんぼん)」、そして元時代の大家、趙孟頫(ちょうもうふ)が愛蔵した「独孤本(どっこぼん)」が有名です。
元時代・至大3年(1310)9月、僧の独孤からこの「蘭亭序」を譲り受けた趙孟頫は、都に向かう船のなかで鑑賞・臨書し、「蘭亭序」を尊崇する心情を十三の跋文(ばつぶん)に記しました。
定武蘭亭序(独孤本)
原跡=王羲之筆、跋=趙孟頫他筆 原跡=東晋時代・永和9年(353)、趙孟頫跋=元時代・至大3年(1310) 高島菊次郎氏寄贈 東京国立博物館蔵
【東博後期展示】
[参考]
「定武蘭亭序(独孤本)」より趙孟頫跋文
(注)今回の連携企画では、東博・書道博とも趙孟頫跋文のページ(画像)の展示はありません。
趙孟頫には年の離れた従兄の趙孟堅(ちょうもうけん)がいます。
趙孟堅はある日、五字未損本の「蘭亭序」を手に入れ、限りない喜びを感じていました。
ところが夜に舟で帰るところ、湖中弁山(こちゅうべんざん)という所のふもとで舟がくつがえってしまいます。
荷物の類はみな水浸しとなりましたが、幸いに浅く、趙孟堅はこの巻を持って洲の上に立ち、従者に向かって「蘭亭は私が持っている。その他の物は棄てても何か苦しかろうか」と言いました。
趙孟堅は家に帰ると、巻のはじめに「性命可軽。至宝是保。」の八字を題し、さらに重宝したといいます。
こうして趙孟堅が命懸けで守った五字未損本は「落水本(らくすいぼん)」と呼ばれるようになりました。
(注)今回の連携企画では、東博・書道博とも「落水本」の展示はありません。
中国文化護持のためにあえて元王朝に仕えた趙孟頫とは相容れない仲となってしまいましたが、「蘭亭序」を愛好し、尊重する気持ちはどちらも負けてはいません。
こうした出来事も「蘭亭序」の神格化に一役買ったようです。
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posted by 中村信宏(台東区立書道博物館主任研究員) at 2023年03月01日 (水)
みなさん、こんにちは。
現在本館14室で開催中の創立150年記念特集「近世能狂言面名品選 ー「天下一」号を授かった面打ー」を担当した川岸です。
今回はこの展示についてご紹介します。
すでにご覧いただいた方もいるかもしれませんが、展示室の様子です。
過去の展示室の様子と比べて、何か気づくことはありませんか?
正解は、展示室中央の展示ケースが新しくなりました。
以前より幅、奥行き、高さが大きくなりました。ガラスも透明度が高く、ケースの前に立った自分の姿が映りません。とてもきれいです。
昨年度末の閉館期間中に設置された新品なので、この特集でお披露目というケースです。
立派なケースが設計され、大きくなったので、前々からやってみたかった展示方法にチャレンジしました。
それは「面裏が見えるように立てて展示し、さらに2つの能面を見比べられるようにする」こと。
さっそく当館デザイン室の矢野室長に相談しました。
私が希望したのは、2つの面を表の顔立ちも、裏の彫りもじっくり見比べたい、面裏の彫りのノミ跡など細かいところもきちんと見えるようにしたい、の2点です。
そのための道具をどんな設計にするか相談します。
能面の表の表情も、裏のノミ跡も見せるためには、能面を立てるしかありません。
問題は安全性です。
しかも、すでにガラスケース越しなので、ケースの中に透明アクリルの小さな壁を作ってかけると、ガラスケース、透明アクリルの壁の2枚を通してみることになるので、面裏の彫りは見づらくなってしまう。
矢野さんは、能面を立てるための道具に使う素材の特性、海外を含む他館の事例、見え方や見せ方なども説明してくれました。
ササっとスケッチを描いてくれるので、具体的なイメージがわいてきます。
いくつかの案を検討し、最終的に、金属でつくることにしたのです。
展示予定の能面を3Dプリンターで出力したもので、金物の角度や穴の位置などを業者さんに合わせてもらいます。
安全を第一に考えて、作品を傷つけないよう、作品に触れる部分はフェルトなどで覆ってあります。
不安定にならないよう、紐でしっかり留め、顎の下に受けを設けました。
受けの色味をなるべく面の肌の色に合わせて目立たないようにするなど修正と調整を繰り返しやっと年末に完成しました。
能面の裏側は、作者や制作年代などを探るために重要な情報が詰まっています。
私たちは面裏の彫りや修理跡などを丹念に調査し、その能面がどんなものなのか、能面にまつわる文化について考えています。
解説にも面裏のことをよく書くのですが、斜めの台に掛けるという従来の展示方法では、その重要な面裏をお見せできません。
普段見ることができない面裏を見ていただくことで、能面鑑賞の幅が広がるのではないかと思っています。
今回は面裏を展示するだけでなく2面を比べるということもできました。
なぜこの2面を比べたかったかは、展示室のパネルや、無料配布しているリーフレットをご参照ください。
リーフレットは、次のリンクからPDFでもご覧いただけます。
創立150年記念特集「近世能狂言面名品選 ー「天下一」号を授かった面打ー」特集ページへ移動
このようにそれぞれの展示には、展示に関わる人々のアイディア、技が詰まっています。
今回は、そのひとつの展示の裏側のお話でした。
カテゴリ:特集・特別公開
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posted by 川岸瀬里 at 2023年02月03日 (金)
現在、平成館1階の企画展示室で、博物館の広報活動をテーマにした特集「つたえる、つなぐ-博物館広報のあゆみ-」(~11月6日(日))を行っています。
この展示では、現在、東京国立博物館の広報室で行っている広報活動がこれまでどのように行われてきたかについて、ポスターやパンフレットなどの制作物を通して流れを体感していただこうとする企画です。
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部屋に入ってすぐのケースには「博物館広報のはじまり」として、1872年湯島聖堂博覧会の際に制作された「博覧会広告」「観覧切手」(今でいう「チラシ」「観覧券」の原型)と「博覧会図式」を展示しています。広報活動の基本アイテムの原点です。
博覧会図式 宝来堂 明治5年(1872)
お隣のケースでは、「国立博物館ニュース」の創刊号をご覧いただけます。「国立博物館ニュース」は1947年、当館が「東京国立博物館」となり、「国民のための博物館」として再出発した年に創刊され、形態を変えながら今も「東京国立博物館ニュース」として発行している当館の広報誌です。
「国立博物館ニュース」創刊号 昭和22年(1947)
当初はタブロイド判の4-6ページで、当館の展覧会や、講演会あるいは列品解説の案内、また美術史や博物館界の動向なども紹介していました。さらに京都、奈良の国立博物館の展示についても一部紹介していました
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展示室奥の壁面では、戦後から現代までの展覧会ポスターの一部をご紹介しています。時代ごとのポスターデザインの変遷を辿れます。
見る人各々に思い出のポスターがあるようで、展示作業中に立ち寄った当館の職員がそれぞれ思い出のポスターをみつけてはその展覧会について様々なエピソードを語ってくれました。
間近でご覧いただけるよう、壁付ケースの前に仮設壁を取り付け、ポスターを展示しました
創立120年記念 特別展「日本と東洋の美」 平成4年(1992)
かなり斬新なデザインのポスターの一例です。ありきたりなものではない「ポスター」を作ろうと工夫した結果です。サイドの部分に英文タイトルも入っています
展示室奥には年代ごとにポスターを表示する「TNMポスター・コレクション」を設置しています。TNMポスター・コレクションは、当館ウェブサイトでもご覧いただけます。
TNMポスター・コレクション
当館の公式キャラクター「トーハクくん」「ユリノキちゃん」の紹介
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展示の後半では、昔と今のパンフレットの展示のほか、WEBサイトの歴史、羽田空港・成田空港での広告・装飾風景など、現代の取り組みもご紹介しています。
最初期のWEBサイトホームページから現在のデザインまでを紹介
また、最も新しい収蔵品「金剛力士立像」の見どころを解説した動画や150周年記念動画も公開しています。
広報制作物を通して東京国立博物館の歴史の一端を垣間見ていただける展示です。
11月6日(日)まで開催していますので、お立ち寄りいただければ幸いです。
(総合文化展料金でご覧いただけます。)
ARフレームをご用意しました。ぜひお帰りには記念撮影して、みなさまのSNSアカウントでシェアしてください!
秋らしいARフレームもあります
カテゴリ:特集・特別公開、東京国立博物館創立150年
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posted by 鬼頭智美(広報室長) at 2022年10月15日 (土)