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見返り美人のファッション・チェック

江戸女を描くのに秀でていた、菱川師宣(生年不詳~1694)。
面長の顔立ちに細くきりっとした目、すらりとした姿勢は、まさに江戸女を象徴する美形です。

しかし、浮世美人を描く才能を左右するのは、当時、町中で流行していたファッションにいかに敏感であったかにつきるでしょう。
「え?流行って、江戸時代にもあったの?!」と、思われる方、もちろん、江戸時代にもファッション・トレンドがありました。
寛文年間(1661~1673)には、雛形本と呼ばれるキモノのファッション雑誌も刊行されます。浮世絵の美人画はいわば今でいうアイドルポスター。
現代の若い女の子がアイドルのファッションをこぞって真似るように、昔の女性も浮世絵に描かれた遊女や歌舞伎役者のファッションを追っかけていたわけです。

見返り美人図 菱川師宣筆 江戸時代・17世紀
見返り美人図 菱川師宣筆 江戸時代・17世紀
2012年9月4日(火)~9月30日(日) 
本館10室にて展示

菱川師宣の美人画の中でも特に有名なのは、師宣が晩年に描いた「見返り美人図」。
描かれた彼女のファッション・チェックをすれば、師宣の力量がうかがえます。
まず、ヘアースタイルは貞享年間(1684~88)に流行した「玉結び」。前髪は別に取り、立てて膨らませて元結で結ぶ「吹前髪」としています(今でいう「ポンパドール」に近い前髪アレンジですね)。
元結で結んだ先には小さな挿し櫛。当時の裕福な町人ならば上等であれば金2両出しても手に入れたという玳瑁(たいまい=鼈甲(べっこう))でできた櫛のようです。
平元結で垂らした髪を輪に結んでいます。髪の結び目には、やはり玳瑁でできた笄(こうがい)を挿していますが、その先端に家紋を透かし彫りにした飾りが施されています。
このような飾りのついた笄は、江戸時代中期(18世紀半ば)に結髪が普及するにしたがって簪に変化していきます。

見返り美人 髪型
ヘアースタイルや髪飾りにも注目!

「玉結び」は菱川師宣が描いた版本『和国百女』(元禄8年〈1695〉)や『和国諸職絵尽』(貞享2年〈1685〉)にも描かれていて、当時流行した髪形の一つであったことがうかがえます。
江戸中期になると、このように長い髪を下ろしたスタイルはほとんど町中では行われなくなり、結髪が普及します。


さて、次にキモノをチェックしてみましょう。
高級な紅を惜しげもなく使って濃い紅色に染めた綸子。サテンのような光沢のある生地に、地紋が織り出されている高級絹織物です。綸子の地紋は小花模様で、菱川師宣の美人画にしばしば登場するからには、当時流行の模様だったのでしょう。

同じ模様の綸子は当館所蔵「打掛 白綸子地枝垂桜花車模様」にも見られます。

打掛 白綸子地枝垂桜花車模様
打掛 白綸子地枝垂桜花車模様 江戸時代・18世紀
2013年2月26日(火)~
4月21日(日) 本館8室にて展示予定

キモノの模様は、貞享年間に流行した友禅模様と同じ「花の丸」模様。

見返り美人のキモノの模様
見返り美人のキモノの模様にも当時の流行がうかがえます。

描かれた模様は、鹿の子絞りや、白と縹色の絹糸による刺繍、黄色い花模様は金箔か金糸による刺繍でしょう。
同時期の花の丸模様のキモノが当館にも所蔵されています。

小袖 綸子地染分花丸模様
小袖 鬱金綸子地染分花丸模様 江戸時代・17世紀
2013年2月26日(火) ~ 4月21日(日) 本館10室にて展示予定


もともと師宣は縫箔師の家に生まれ、キモノの雛形本『新板当風御ひいなかた』(天和4年〈1684〉)も描いています。キモノの模様は手馴れたものです。
振袖ですから、描かれた女性はまだ結婚前だということがわかります。当時の振袖の長さは60㎝あまり。
現在、成人式で着るような長さ1メートルほどもある振袖は江戸時代後期に流行したファッションです。
手先は出さず、懐に左手を差し入れ右手で褄をからげて裾を引きずりながら歩く姿は、経済的に豊かな環境にある労働に無縁な若い女性の典型的ないでたちです。

キモノの後ろ腰に結んだ帯は、緑色の地に破れ輪繋ぎ文を刺繍しています。帯幅五六寸(15~18㎝)の帯は、寛永年間(1624~1644)頃から遊女の間で用いられるようになったといわれていますが、
一般女性の帯幅も同様に広くなるのは、延宝年間(1673~1681)といわれています。さらに帯の長さがだんだん長くなるのがこの時期の傾向ですが、女帯の長さが長くなり、後ろ結びが中心になった流行のきっかけとなるのが、この女性も結ぶ「吉弥(きちや)結び」です。

見返り美人 帯の結び方
人気役者の着こなしにちなんだ「吉弥結び」

「吉弥結び」は延宝年間に京都で活躍した女形役者・上村吉弥(かみむら きちや)にちなみます。
吉弥が祇園で道行く女性を眺めていると、東洞院の浮世紺屋の娘、すがたのお春が、帯の結び手を唐犬の耳を垂れたようにだらりとさげて通りかかった、それからインスピレーションを得た吉弥が一丈二尺の大幅帯の両端のくけ目に鉛のおもりを縫い込んで、結びの両端がだらりと下がるように考案して舞台で使用したのです。
人気役者の新奇な姿は町方の注目となり大流行。前に結んでは帯結びが大きく邪魔なので、後ろ結びが中心となり、結んだ両端が長く垂れ下がる様、帯も長く仕立てられるようになりました。
それにしても、鉛のおもりが入った帯は重かったでしょうに・・・舞台衣裳ならともかく、若い女性のお洒落にのぞむ忍耐力には脱帽ですね。

こうして、ファッション・チェックをしてみますと、菱川師宣が当時町中で流行した最新かつ最高に贅沢なファッションを描いていることがうかがえます。
「私が江戸で一番お洒落なのよ」といわんばかりにトレンドに身を包んだ涼しげな表情の美女。
結婚前の裕福な商家の娘か、あるいは茶屋に上がる前の遊女(新造)か・・・。
描かれた立ち姿の頭上にある空白には、恋の和歌が綴られるはずだったかもしれません。
見返る先にいるはずの人の存在も気になる不思議な魅力は、描かれたファッションの細部から醸し出されるようにも思えます。


さて、トーハクの秋の特別公開(2012年9月15日(土)~30日(日))では、期間中、
きものでご来館のお客様は総合文化展観覧料金が100円割引となります。(ただし各種割引との併用不可)
江戸女、江戸男を気どって、見返り美人に会いにきませんか?
 

カテゴリ:研究員のイチオシ秋の特別公開

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posted by 小山弓弦葉(工芸室主任研究員) at 2012年09月03日 (月)