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1089ブログ

日本彫刻史の闇に光を射す

特別展「京都・南山城の仏像」展覧会タイトルを見た人の「なんざんじょう?…」という反応が目に浮かびます。

山城は京都の古い呼び方南はその南部。それでもピンとこないであろうから、「京都」をつけて、京都にかかわる仏像の展覧会であることがわかるようにしました。

南山城(みなみやましろ)は聞きなれませんが、そこにある浄瑠璃寺や岩船寺はよく知られたお寺です。海住山寺の十一面観音菩薩立像は美術全集に掲載されます。

とはいえ馴染みのないお寺や仏像もあります。私は、出品作品中に見たことがなかったという仏像はありませんが、薬師寺、寿宝寺、松尾神社、現光寺、極楽寺には訪れたことがありません。

本展覧会は、交通の便が悪いため拝観の機会がない仏像を見ることができる、またとない機会です。そして、展覧会を見たら、仏像が本来置かれているお寺をぜひ訪れてください。素晴らしい風景がひろがります。

展覧会場には私にとって懐かしい仏像があります。禅定寺には十一面観音菩薩立像を含め多くの仏像があり、学生時代に仏像の勉強をする仲間と詳しく調査をさせていただきました。

重要文化財 十一面観音菩薩立像 平安時代・10世紀 京都・禅定寺

薬師寺の薬師如来像は京都府立山城郷土資料館に預けられていて、そこで調査をさせていただきました。

重要文化財 薬師如来坐像 平安時代・9世紀 京都・薬師寺

さて、そのような仏像のなかから、私の気になる像をご紹介します。

重要文化財 薬師如来立像 平安時代・9世紀 京都・阿弥陀寺

阿弥陀寺の薬師如来像は9世紀前半に製作された像で、一木造り、翻波式衣文(ほんぽしきえもん、丸みのある大きな襞としのぎ立った小さな襞を交互に配する、おもに平安時代前期に用いられた衣の表現)、異相の表情とその時代の仏像の特徴がそなわります。

同じく京都・阿弥陀寺の薬師如来立像。右袖の翻波式衣文をご覧ください


同じく京都・阿弥陀寺の薬師如来立像(近赤外線写真)。ヒゲが描かれています

しかしさらに、製作した工房の作品の特徴が表れている可能性があります。

その工房の特徴を指摘したのは、学生時代に禅定寺や薬師寺の仏像調査を一緒にした奥健夫氏(現武蔵野美術大学教授)です。

学生時代に執筆された「東寺伝聖僧文殊像をめぐって」(『美術史』第134号、美術史学会、1993年)という論文のなかで、京都・東寺の聖僧文殊像(しょうそうもんじゅぞう)、空海が造立に関わった同寺講堂の五大明王像、奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像(国宝)には共通した特徴があり、それと同じ特徴をもつ像がほかに複数あって、それらは同一の工房で製作された可能性があるとしました。

奥氏は、その工房については多くの作品を検討しなければならないので稿を改めるとされましたが、新しい論文はまだないようです。

平安時代前期は仏師や造仏工房に関する資料が少ないことから、仏師の暗黒時代ともいわれています。そこで、ぜひ論じていただきたいという期待をこめて、阿弥陀寺の薬師如来像がその工房で製作された可能性があるということを述べたいと思います。

工房の作品の特徴とされる表現を、奈良国立博物館の薬師如来像(〈注〉本展には展示されません)と比較しながら見てみましょう。

(1)寸がつまった体形をしています。
 
(左)重要文化財 薬師如来立像 平安時代・9世紀 京都・阿弥陀寺 (右)国宝 薬師如来坐像 平安時代・9世紀 奈良国立博物館

(2)口元を引いています(奥氏は論文では工房の特徴にあげていません)
 
(左)京都・阿弥陀寺の薬師如来立像 (右)奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像

(3)耳上部の輪郭線が折れ曲がるように耳の中心に向かい、その部分が平(たいら)です。
 
(左)京都・阿弥陀寺の薬師如来立像 (右)奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像

(4)低平な帯状の大波としのぎ立った小波を等間隔に重ねます。
 
(左)京都・阿弥陀寺の薬師如来立像 (右)奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像

(5)先端
が茶杓形(ちゃしゃくがた)の衣の襞を、左右から対抗するように配置する衣文表現。
 
(左)京都・阿弥陀寺の薬師如来立像 (右)奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像

奥氏はほかにも特徴を指摘しますが、それらは、阿弥陀寺の薬師如来像にはそなわっていません。

その理由は、阿弥陀寺の薬師如来像が奈良国立博物館の像よりも十年以上後につくられたためでしょう。時代が経つにつれ表現が変化したのです。そのことは変化しながらも同じ表現を長期間維持する工房が存在したことを示し、平安時代前期の造仏工房のありようがうかがえるのです。

このように、南山城には日本彫刻史研究にとっても貴重な仏像が伝わります。
浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展「京都・南山城の仏像」にぜひお越しください。
 

(注)奈良国立博物館所蔵の薬師如来坐像の画像はすべて出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/

 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ仏像「京都・南山城の仏像」

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posted by 丸山士郎 at 2023年10月19日 (木)

 

パーティーで輝く、新羅の「透彫冠帽」

東洋館で開催中の「博物館でアジアの旅」。今年は「アジアのパーティー」をテーマとした作品を展示している中から、今回は、東洋館10室で展示中の重要文化財「透彫冠帽(すかしぼりかんぼう)」についてご紹介します。

東洋館10室の展示風景
東洋館10室の展示風景
 
この「透彫冠帽」は三国時代に新羅(しらぎ)の中心地である慶尚北道(キョンサンブクド)の慶州(キョンジュ)から南西に75㎞ほど離れた慶尚南道(キョンサンナムド)の昌寧(チャンニョン)で出土したと伝わり、昌寧地域の有力者の墓に副葬されました。
「冠帽」とあるように頭に着用するものです。
一見、この冠帽を頭に被るには小さすぎると思うかもしれません。
実際には内側に巾(きん)などを被った上から載せるように着用したと考えられます。
金色に縁取られた透かしの間から美しい布を覗かせ、全体に取り付けられた小さく丸い歩揺(ほよう)とよばれる装飾を揺らしながら歩く姿が想像できます。
 

重要文化財  透彫冠帽(すかしぼりかんぼう)
三国時代(新羅)・6世紀 伝韓国昌寧出土 小倉コレクション保存会寄贈 東京国立博物館蔵 東洋館10室にて通年展示

「透彫冠帽」の側面

台形を2つ組み合わせた形状の冠帽の側面には両翼のような金銅板が斜めに取り付けられ、冠帽の上部には尾状の飾り板が伸びています。

冠帽を構成する金銅板は全体に格子状の透かしが施されているかと思いきや、冠帽の下部には唐草文のような曲線状の透かしが隠れています。
金属製の冠帽の場合、異なる文様を透かし入れた金銅板を複数組み合わせたものが多いのですが、このように1枚の金銅板に複数の透かし文様を施す事例は珍しく、細部へのこだわりが感じられます。
 
「透彫冠帽」の下部
 
「透彫冠帽」は古墳から出土していることもあり、パーティーというテーマには似つかわしくないのでは、と思われるかもしれません。
しかし、古墳から出土する装身具の大部分は生前に被葬者が実際に身に着けていたもので、王族や貴族、地方有力者のみが身に着けることのできる権力の象徴でした。
華やかな装身具も人々の前で身に着けてこそ意味を持つ、まさに集いの場にふさわしいアイテムであったといえます。
 
新羅における身分に基づいた冠帽制度の開始時期は定かではないものの、新羅初期には金・銀・銅の順に素材による序列が存在しており、さらに金銀は慶州地域に限定されるなど中央と地方の間に差別化が図られていました。
法興王(ほうこうおう)7年(520)には律令を発布し、衣冠制が定められました。
冠制については『日本書紀』欽明天皇5年(544)に、奈麻という官位固有の冠を着用した人物について言及した記事が見られることから、官位ごとに着用する冠が規定されていたことがわかります。
新羅には骨品(こっぴん)とよばれる出自に基づいた身分制度が存在し、新羅の社会において身分を可視化することが重要視されていたものと理解されます。
 
ちなみに、冠帽を着用した人々の姿が分かる作品もつくられていますので、いくつかご紹介します。
 
「透彫冠帽」と同じく、東洋館10室にて展示中の「騎馬人物土偶」(きばじんぶつどぐう)。
儀式に向かう途中でしょうか、冠帽を被った人物が馬に乗って駆けていく一瞬をかたどっています。
こちらの人物が被っている冠帽は頂点が丸く、周囲を太く厚い帯状のものがまわっています。
具体的な冠帽の種類は定かではありませんが、丸みを帯びた形からは布を巻いた冠帽のようにも見えます。
 
重要美術品 騎馬人物土偶(きばじんぶつどぐう)
朝鮮 三国時代(新羅)・5~6世紀 小倉コレクション保存会寄贈 東京国立博物館蔵 東洋館10室にて通年展示
 
こちらは韓国・ソウルの国立中央博物館に所蔵されている慶州金鈴塚(クムリョンチョン)で出土した「騎馬人物形土器」(きばじんぶつがたどき)です。
近年の研究により中に液体を入れる水差しであることが明らかになりました。先ほどの「騎馬人物土偶」よりも冠帽の形や装飾が細部まで表現されており、「透彫冠帽」と類似した形であることがわかります。
正面から見ると平たい形状ですが、側面から見ると三角形に近い形状です。
冠帽下部の縁には玉の装飾、あるいは鋲で止めたような表現が施され、冠帽を顎紐で固定しています。
佇まいや表情からキリっとした高貴な雰囲気が漂っています。
 
騎馬人物形土器の画像
騎馬人物形土器の一部分

騎馬人物形土器(きばじんぶつがたどき)
慶州金鈴塚 新羅 国立中央博物館所蔵

(注1)本著作物は国立中央博物館で作成され、公共ヌリ第1類型として公開された『騎馬人物形土器』を利用し、当該著作物は『国立中央博物館』(https://www.museum.go.kr)で無料ダウンロードできます。
(注2)当館では、本作品はご覧いただけません。
 
現在展示はしていませんが、こちらは当館に所蔵されている「男性土偶」です。
高さが9.4㎝と小さいのですが、新羅ではこの土偶のようにサイズが小さく、人物や様々な種類の動物をかたどった土偶が多くみられます。
顔や身体の意匠が簡潔で、狩猟・労働・性交・楽器演奏・歌唱などを行う新羅の人々の日常をありのままに表現したことが特徴です。
新羅の土偶はお墓の副葬品として確認される一方で、生命の誕生や復活を祈る信仰の対象としても位置付けられています。このような土偶でかたどられた人物の多くが冠帽を着用していました。
 
男性土偶(だんせいどぐう)
朝鮮 三国時代(新羅)・5~6世紀 小倉コレクション保存会寄贈 東京国立博物館蔵
(注)現在、展示していません。
 
この男性土偶は衣服を着ていないようですが、きちんと冠帽を被っていることがわかります。
この人物が着用している冠帽は正面から見ると三角形に近い形状で、側面から見ると平たい形状をしており、先ほどの騎馬人物形土器とは異なった種類の冠帽であるとわかります。
これまでの発掘調査で発見されている金属製冠帽や白樺製冠帽では確認されない形状であることから、布や革でつくられた冠帽と推定されます。
 
このようにシンプルな表現を用いた土偶にも冠帽を着用させる意匠から、新羅の人々とって冠帽がいかに重要なシンボル的存在であったのかを知ることができます。
 
パーティーに行くからには1番目立ちたい! と思うかもしれませんが、身分によって着用できる冠帽が規定された新羅ではそうはいきません。
しかし、冠帽を着用することで新羅の仲間であるという帰属意識を高め、冠帽の意匠に隠されたこだわりに自らの個性を発揮していたのではないでしょうか。
 
「透彫冠帽」の展示の様子
 
是非、東洋館に足を運び、実際に「透彫冠帽」をご覧になってください。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ博物館でアジアの旅

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posted by 玉城真紀子(東洋室) at 2023年10月14日 (土)

 

九体阿弥陀に込められた人々の願い

現在、本館特別5室では、浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展「京都・南山城の仏像」が開催中です(1112日(日)まで)。
京都府の最南部の南山城(みなみやましろ)地域に点在する寺社から、この地を代表する仏像が一堂に会しています。


展示風景

本展では、11の寺社から出品いただきましたが、すべてを実際に巡ろうとすると車で23日ほどかかります(通常は公開していない寺社もあります)。もちろん旅行がお好きな方にはぜひ現地を訪れていただきたいですが、遠出が難しい方には、南山城のエッセンスがぎゅっと詰まった本展をご覧いただいて、南山城の奥深さを感じていただきたいと思います。

展示室でひときわ強い存在感を放つ、金色の阿弥陀如来坐像。木津川市の浄瑠璃寺の本尊である九体阿弥陀(くたいあみだ)という9体の阿弥陀如来像のうちの1体です。

今回のブログではこの阿弥陀如来坐像および九体阿弥陀について紹介します。


国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち) 平安時代・12世紀 京都・浄瑠璃寺

平安時代半ばごろ、仏の教えが正しく伝わらない時代に至るという末法思想を背景に、この世での幸せよりも、死後、極楽浄土へ行って幸せを求める信仰が広まりました。極楽浄土の主である阿弥陀如来への信仰が高まって彫像や堂宇(どうう)の造立が盛んになり、その事例の一つとして、9体の阿弥陀如来像を作ることが行なわれました。


国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀) 京都・浄瑠璃寺 画像提供:飛鳥園

阿弥陀如来に関する『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』という経典によると、生前の行ないや信心深さに応じて、極楽往生の仕方には9段階あると説かれています。
一番上の段階では、多くの菩薩や飛天を引き連れて極楽浄土からやってきた阿弥陀如来にすぐに会うことができます。一番下の段階では、亡くなった人の魂を載せる蓮華の台だけがやって来て、その後、時間をかけて往生します。ただし、重要なのはどの段階であっても最終的には極楽往生できるという点です。

この9段階の極楽往生になぞらえて作られた9体の阿弥陀如来像を九体阿弥陀といい、9体を横一列に安置する横長の建物、つまり九体阿弥陀堂や九体堂と呼ばれる専用の堂宇も建てられました。


浄瑠璃寺九体阿弥陀堂

阿弥陀如来像の大きさは、仏像の大きさの基準のひとつである一丈六尺(約480センチ。坐った像では半分の約240センチ)が主流で、9体もの大きな阿弥陀如来像の制作や、それらを安置するための大きな堂宇の建立には、それに応じた財力や権力が必要でした。そのため九体阿弥陀の発願者は主に貴族でした。

九体阿弥陀と九体阿弥陀堂のセットは、記録上、約30例ほど確認できますが、平安時代当時の仏像と堂宇が現存するのは浄瑠璃寺だけです。

では、次に像を見てみましょう。

本展に出品されている浄瑠璃寺の阿弥陀如来坐像は、平安時代後期に流行した穏やかな作風を基調としています。丸い顔立ちに優しげな目線、抑揚をおさえた体つきなど、極楽往生を切に願う人々を安心させるような大らかさが感じられます。

  
国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀のうち) 平安時代・12世紀 京都・浄瑠璃寺(顔正面と左斜側面)

側面から見てみますと、正面の印象に比べて思いのほか上半身の厚みが薄いことに気づきます。
これは正面から見たときの美しさを重視した当時の傾向といえます。

 
同じく阿弥陀如来坐像(右側面と左側面)

また、本展は2018年度から5か年をかけて修理された九体阿弥陀の修理完成を記念して開催されるものです。仏像は作られてから幾度も修理されることで、後の時代へと伝えられます。この像もこれまで何度か修理されてきました。

その一端が光背の裏面に記されています。


阿弥陀如来坐像(光背裏面と光背裏面の赤外線撮影)

「勧進御光結縁人数之事」という書き出しで、何人かの人の名前が列記されています。これは、「御光」すなわち光背を修理した時に関わった人の名前です。そして末尾には、「文正元年丙戌六月三日」の日付が記されており、文正元年(1466)の修理記録であることが分かります。

今回の修理は明治時代以来、およそ110年ぶりです。
修理を契機に開催されている本展ですが、次に九体阿弥陀をお寺の外でご覧いただける機会は、さらに100年後かもしれません。

またとないこの機会に展示室でご覧いただき、そして、展覧会終了後は、ぜひ現地で9体そろった圧巻の情景をご覧いただけましたら幸いです。

堂内では通常は壇で隠れて全体が見えない台座も、会場では間近でご覧いただくことができます

 

カテゴリ:研究員のイチオシ仏像「京都・南山城の仏像」

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posted by 増田政史 at 2023年10月06日 (金)

 

意識高めのパーティーへのご招待

当館の東洋館では毎年恒例、大好評の企画「博物館でアジアの旅」を開催しております。
記念すべき第10回目を迎える今年は「アジアのパーティー」をテーマに作品の饗宴をお楽しみいただきます。

食事やお酒、音楽やダンス、華やかな服装や調度など、さまざまな視点から「アジアのパーティー」に関わる作品がこの企画にエントリーしています。
ここでは、ちょっとかわった切り口からアジアのパーティーをのぞいてみましょう。

東洋館に入って最初の展示室、1室にご案内いたしましょう。
ここには石仏を中心に中国の彫刻作品を展示しております。


東洋館1室の展示風景

その中から、今回ご紹介するのはこちら、重要文化財「如来三尊立像」です。


重要文化財 如来三尊立像(にょらいさんぞんりゅうぞう)
中国 東魏時代・6世紀 東京国立博物館蔵 東洋館1室にて展示

黒みを帯びた石灰岩製の石仏で、中央に如来立像、両脇に菩薩立像をあらわします。
光背を含んだ総高126.5cm、中尊如来像の像高78.0cm。
左右対称のバランスの良い姿です。三尊とも円筒形の頭部に顔のパーツを中央に寄せ、おちょぼ口で可愛らしく微笑む表情が特徴です。
中国の東魏時代・6世紀前半の制作と考えられ、現在の中国・河南省北部の新郷市に所在したと伝わります。

三尊の光背の上部では、三尊を天人が礼拝し、音楽を奏でて讃嘆します。


「如来三尊立像」光背の上部

その様子は、まさにパーティーと呼んで差し支えないものですが、今回注目したいのはここではありません。

まず、下のほうに目をやりますと、如来が立つ台座にあたる部分には、中央にマス目があらわされ、その両脇には柄香炉(えごうろ)を捧げる僧形像と人物像が線刻されます。
この僧形像には「都邑師法始(とゆうしほうし)」、「都邑師慧略(とゆうしえりゃく)」という名前が記されています。


「如来三尊立像」の台座部分


台座の右側に「都邑師法始」と刻まれています。


台座の左側に「都邑師慧略」と刻まれています。

次に、背面にまわってみましょう。


「如来三尊立像」の光背背面

光背の背面には人物像とその名前がぎっしりと刻まれています。

最上段は、維摩居士(ゆいまこじ)と文殊菩薩との問答の場面を描く「維摩変相図(ゆいまへんそうず)」です。
維摩変相の下は6段に区切られ、それぞれに多数の供養者像とその名前をあらわします。

その上段を見てみましょう。


「如来三尊立像」の光背背面の上部

右端には「菩薩主胡伯憐(ぼさつしゅこはくれん)」その内側に「開仏光明主司徒永孫(かいぶつこうみょうしゅしとえいそん)」、さらに「比丘法順(びくほうじゅん)」「比丘法遵(びくほうじゅん)」などの人物名がみられ、人物像が描かれます。
その下段には右端から「邑子(ゆうし)」「唯那(いな)」「都維那(ついな)」などの肩書が続きます。
この人々、実はこの石仏をつくるために集いお金を出し合った人々なのです。

中国の南北朝時代には邑義(ゆうぎ)と呼ばれる在家の仏教集団が各地につくられました。
先ほど正面の台座にあった「都邑師」とは、邑義を指導する僧侶のリーダー格のことです。
背面の上段に並んでいた「開仏光明主」はこの三尊像のうち中尊如来像の発願をした人、名は司徒永孫と言ったようです。
さらに「菩薩主」の胡伯憐は脇侍のために出資した方でしょう。
「比丘」は出家した男性のこと、その下段にみられた「邑子」は邑義の構成員。
いわば平社員、一般会員です。「唯那」は下級のリーダー格で、係長か課長、「都維那」は維那あるいは唯那のリーダーですので部長級と言ったところでしょうか。

このように、本像の造像にあたり発願・出資した人々がその役職名とともに記されているのです。
記された名前を数えると、重複して登場する人ものぞくと、なんと73名にのぼります。
実に多くの人々が関わった造像であることが知られます。

他の作例と比較すると明らかなのですが、本来であれば正面の台座中央に刻まれたマス目に、この造像の目的や年月日などが記されるはずでした。
なぜか本像にはこの銘記を欠き、明確な造像の目的や時期が明らかではありません。
しかし、この73人が志を同じくして、出資をして本像をつくり上げたことは間違いないでしょう。

ところで、食事をしたりお酒を飲んだり、歌ったり踊ったり、お祝いしたりするのもパーティーですが、登山隊や政治政党をパーティーと呼ぶように、もともとパーティーとは目的を同じくする人々の集まりを意味します。
そうした意味で、ここに紹介した中国石仏はれっきとしたパーティーによってつくられた作品と言えるのではないでしょうか。

邑義と言う名のパーティーは、中国南北朝時代から各地でみられる在家仏教団体ですが、本像にもみられた通り、僧侶の指導を受けたものでした。
あいにく本像の場合には銘文が空白であるために、目的や時期、かかわった人々の全貌を知ることができませんが、それでも中国南北朝時代に流行した造像のあり方、パーティーによる造像を伝える点で貴重な石仏なのです。


「如来三尊立像」の展示風景

ここに紹介したパーティーのあり方は、ちょっと意識の高いパーティーと言えるかもしれません。
今回の「アジアのパーティー」にはこうした変化球ばかりではなく、酒食・歌舞といったもっと身近なパーティーの姿を見せてくれる作品たちにもたくさん出会うことができます。

東洋館インフォメーションでは「博物館でアジアの旅  アジたびマップ2023」を数量限定で無料配布しております。
是非「アジたびマップ」を片手に東洋館をめぐり、さまざまな姿を見せる「アジアのパーティー」と触れ合ってください。

各展示室で「アジアのパーティー」にかかわる作品が皆様をお待ちしております。
 

もっと詳しく知りたい方は小冊子『博物館でアジアの旅 アジアのパーティー』をミュージアムショップでお求めください。きっとパーティーの良い引き出物になること、請け合いです。


博物館でアジアの旅 アジアのパーティー

出品作品の画像掲載。「アジアのパーティー」にまつわる作品とそのエピソードについて、さまざまな角度から詳しく解説したガイドブックです。

編集・発行:東京国立博物館
定価:550円(税込)
全16ページ(オールカラー)

ミュージアムショップのウェブサイトに移動する
博物館でアジアの旅 アジアのパーティー 表紙画像

 

カテゴリ:研究員のイチオシ博物館でアジアの旅

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posted by 児島大輔(東洋室) at 2023年09月29日 (金)

 

中国元時代の隠れた名品「拾得図」

東洋館8室で開催中の特集「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」(2023年10月22日まで)。今回は、現在展示中の重要文化財「拾得図」について解説したいと思います。


展示風景写真中央
重要文化財 拾得図(じっとくず)
虎巌浄伏賛 元時代・13~14世紀 東京・公益財団法人常盤山文庫蔵
[展示中、10月22日まで]


この「拾得図」は、南宋時代末から元時代初頭に活躍した禅僧・虎巌浄伏(こがんじょうふく/1303年没)の賛を伴う作品です。同じく虎巌の賛を伴う静嘉堂文庫美術館所蔵の「寒山図」と対幅をなしていたことが知られます。
寒山と拾得は、中国唐時代に天台山(てんだいさん)に住んだといわれる伝説的人物で、自由で何ものにも捉われない風狂な姿が禅林(ぜんりん)で好まれ、盛んに絵画化されました。寒山は「寒山詩(かんざんし)」と呼ばれる漢詩を作ったことから経巻を持つ姿で、拾得は寺の掃除を行っていたことから箒(ほうき)を持つ姿で表されるのが通例です。



拾得図 全図

本作では、無背景の画面に、経巻を両手で広げ、やや腰を曲げて裸足で立つ拾得の姿が軽妙な筆致で表されています。
あれ? 経巻を持っているのは寒山じゃなかったっけ?
そう思った方もいるかもしれません。実は、本作と対になる静嘉堂本では「筆」を持つ姿で表されることから、まさに詩を書こうとしている寒山に同定され、となると経巻を持つこちらの人物がやはり拾得だと判断されるのです。いずれにせよ、半円形の目で奇怪な笑みを浮かべるその表情は、拾得の超俗性をよく体現しているといえるでしょう。

画面の上部には画賛(がさん。絵に寄せる言葉)が書かれています。


拾得図 画賛

少し難しい語句も含まれますが、ちょっと読んでみましょう。

【翻刻】
手持一巻出塵経
両眼相看幾度春
要与世人為牓様
莫教虚度此生身
【読み下し】
手に持すは一巻の出塵の経
両眼で相看る幾度かの春
世人のために牓様と為さんと要せば
虚しく此の生身を度せしむること莫れ


これに主語を補って現代語訳すると、次のような意味になるでしょうか。

【句意】
(拾得が)手に持っているのは、汚れた塵を払う一巻の経典(寒山詩か)。(彼が)両眼で見つめるのは(この経典のように清らかな)繰り返す春の情景である。(この賛を読むあなたが)世の人のために模範となろうとするのであれば、(ここに描かれた拾得の)この(幻影の反語としての)生身に対して、無駄に済度(さいど。悟りに導くこと)させるようなことはしないことだ(すでに拾得は脱俗の境地に到達しているのであるから)。


賛者の虎巌浄伏は、杭州の径山(きんざん)に住した高僧で、門下に月江正印(げっこうしょういん)や明極楚俊(みんきそしゅん)といった俊英を輩出したことでも知られています。虎巌の筆跡は他に残されていないことからしても、本作はその貴重な遺墨といえるでしょう。

ちなみに賛の末尾には「浄伏」の署名がありますが、子細に見れば、署名部分の周囲に2.2センチ四方の印章跡が確認できます。斜光撮影した画像をよ~く見てみると、うっすらと四角い跡が見えてくるはずです。摩滅のため印文は不明ですが、おそらくは静嘉堂本と同じ朱文重郭方印であったと思われます。


拾得図 印章跡(斜光撮影)


さて、改めて本作の図様表現を確認すると、衣文を表す描線は起伏に富んだ筆線が用いられ、とりわけ裾や腰帯は右から左へと風になびいてリズミカルに翻っています。対して面部や肉身部は鋭い細線で表されており、略筆でありながらもその像容把握は的確です。


拾得図 全身


また、毛髪は筆をこすりつけるような擦筆が用いられ、拾得の怪異な容貌が強調されています。こうした表現は、伝因陀羅筆「寒山拾得図」(東京国立博物館蔵)などにも見られるものであり、南宋時代末から元時代初期の禅宗人物画の特質をよく示しているといえます。


重要美術品 寒山拾得図(かんざんじっとくず)
伝因陀羅筆、慈覚賛 元時代・14世紀 東京国立博物館蔵
[特集「東京国立博物館の寒山拾得図―伝説の風狂僧への憧れ―」(本館特別1室 10月11日から11月5日まで)にて展示]


さらに注目されるのは、拾得を描く軽やかな描線と、虎巌の賛の流麗な草書体とが見事に照応していることでしょう。とりわけ、小気味良く反転する衣文描写と賛の書体は、明らかに呼応関係にあるといえます。このことは、書画の一致が目指された同時代の作例とも軌を一にしています。
加えて本作では、毛髪を除く図様全体はやや水気を含んだ墨線で描き表すのに対し、瞳部分のみ、黒々とした濃墨を点じていることが見て取れます。こうした表現は、賛にある「両眼相看」の詩句とも対応するだけに興味深いといえるでしょう。


拾得図 面部


本作を描いた画家は不明ですが、このような詩書画の一体性を考慮するならば、賛者虎巌とも親しく接することのできた、禅余画僧(余技として絵を描く禅僧)の手による可能性が考えられるかもしれません。本作は、禅林における道釈人物画の展開をうかがう上でも貴重な作例といえるでしょう。

今回ご紹介した作品と関連して、当館では、表慶館で「横尾忠則 寒山百得」展(12月3日まで)、本館特別1室で特集「東京国立博物館の寒山拾得図―伝説の風狂僧への憧れ―」(11月5日まで)も開催中です。ぜひ、本特集とあわせてご覧ください。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ中国の絵画・書跡「創立80周年記念 常盤山文庫の名宝」

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posted by 高橋真作(特別展室) at 2023年09月28日 (木)