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正面を向いた龍(特集陳列「天翔ける龍」5)

新しい年がスタートしたと思ったら、早くも一月下旬になってしまいました。
今月末までの干支にまつわる特集陳列「天翔ける龍」(~2012年1月29日(日))は、もうお楽しみいただきましたでしょうか?

すでに特集陳列「天翔ける龍」シリーズブログの前回の「いろいろな龍に会えます」において、さまざまな龍の紹介がありました。
日本陶磁を担当している私は、前回も紹介されていた
伊万里の染付大皿の龍をとりあげて、ちょっと詳しく見てみたいと思います。

 
(左)染付雲龍図菊形皿 伊万里 江戸時代・18~19世紀 平野耕輔氏寄贈 (右)拡大

横広がりの顔にぎょろっとした目、団子鼻、きゅっと結んだ口からはみ出ている牙、
そしてうろこがびっしりの体は、まるでくねくねとダンスのポーズをとっているようにもに見えます。
思わず笑ってしまうような、ユーモラスな龍は何ともインパクトがあります。

ではこの絵を描いた人は、ちょっとおふざけをしてこの龍を描いたいたのでしょうか?
いえいえ。この正面を向いた龍には、れっきとした「お手本」がありました。
それは、中国の龍です。

中国では明の時代の後期頃から、
皇帝の使用するものに限って、正面に顔を向けている五爪(ごそう)の龍を文様としてきました。
その一例については、平成館で開催中の特別展「北京故宮博物院200選」(~2012年2月19日(日))のなか、
まさに清の皇帝の衣装の中に、見つけることができます。
 
(左)大紅色彩雲金龍文錦朝袍 清時代・雍正年間(1723~35) 中国・故宮博物院蔵 (右)拡大
(~2012年2月19日(日)展示)


2つの龍を比べて見てみると、正面を向いた顔はおせじにも似ているとはいえませんが
龍の長い胴体がとるポーズ ―― 頭の上部で胴がくるりと一回転したのち、左右にねじれる様子、
四本の手足が両側に広げられているところなどは、構図がよく似ていることがわかります。
(正面龍がほどこされた衣装は、ほかにもいくつかありますので、ぜひ特別展会場で探してみてください)


江戸時代後期、伊万里では染付の大皿が流行普及し、新しい文様意匠が次々と創案されました。
文様のなかにはには、それまではなかったようなやや奇をてらったものや
中国的なものへの関心を反映したものが多く含まれ、
この染付大皿作品も、そうした風潮のなかでうまれてきたものと考えられます。
ちなみに、龍の周りに書かれる「西如」「東海」「寿北」「南山」は、
中国で長寿を寿ぐ吉祥のことば
「福如東海、寿比南山」(福は東海の長く流れる水のように続き、寿は南山の不老松のように老いない)
を誤った解釈と表記で書き加えてしまったものと考えられています。


この大皿を描いた伊万里の絵師もまた、中国の意匠をもとにしながら、
大皿という大きな画面をめいっぱい活かすべく、龍を選んだのではないでしょうか。
正確なコピーはできなかったけれど、かえってそれが味わいを生んでいます。
もしかしたら、「完璧にうつす」ことはさほど重要ではなかったのかもしれません。


さて、この作品をきっかけに、私は俄然「正面を向いた龍」が気になりだしました。
展示室を探してみると、やきものでは青木木米の「染付龍濤文提重」の蓋の部分にも、正面を向いた五本爪の龍を発見できます。
 
(左)重要文化財 染付龍濤文提重 青木木米作 江戸時代・19世紀 笠置達氏寄贈
(右)作品の蓋の部分。左画像の矢印で指し示す赤い円の部分に注目してください。
(ただし、展示室では、把手の影になってしまうので少し見えづらいかもしれません)



文人であった木米は、中国や朝鮮のやきものについても広く研究を行っていました。
この作品も、主題を明代後期の万暦染付に倣ったものとされています。
染付大皿の龍と比べると、シャープで研ぎ澄まされた龍です。


こちらは清時代の瓦です。

褐釉龍文軒丸瓦 中国遼寧省瀋陽市北陵 清時代・17世紀 

径約15センチの小さなスペースに体を丸めるように龍が収まって、こちらを向いています。
清の第2代皇帝、太宗(たいそう)と皇后のお墓に用いられていたものということですので、
正面龍であることも納得がいきます。
お墓を守る勇ましい龍なのでしょうが、正面を向くと鼻がぺちゃっとして、どこかかわいらしい印象になります。


そもそも龍は、十二支の中でも唯一架空の動物ですから、
誰も龍を正面から見たことがないわけです。
もっとも、実際龍が目の前に飛んできたら、びっくりして凝視できないかもしれませんが・・・。
加えて、正面を向いた表現においては、龍の特徴である鼻先までの長い顔、長い胴体といった奥行きあるものを
迫力をもって表そうとするのは、かなり至難のわざといえるでしょう。
…というわけで話しを先の伊万里の大皿に戻せば、
この大皿を描いた人は、当人は意図していなかったかもしれませんが、
実はとってもチャレンジングな画題にとりくんでいたのです。
こうやって、この龍の背景にあるものを探ってみると、少し見え方が変わってくるように思えませんか?


龍の展示も、いよいよ残り1週間をきりました。
ぜひいろいろな龍と、文字どおり「向き合って」、この1年について思いを馳せながら
展示室で充実した楽しいひとときをお過ごしください。

カテゴリ:研究員のイチオシ博物館に初もうで

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posted by 横山梓(特別展室) at 2012年01月24日 (火)

 

北京故宮博物院200選 研究員おすすめのみどころ(第Ⅱ部の名品)

特別展「北京故宮博物院200選」(~2012年2月19日(日))をより深くお楽しみいただくための「研究員のおすすめ」シリーズのブログをお届けします。

本特別展は、2012年1月20日(金)午後、10万人目のお客様をお迎えいたしました。
これまでご来場いただいたお客様に、心から感謝申し上げます。

この特別展は第Ⅱ部にもみどころがたくさんあります。今回はおもに漢族が築いてきた中国文明を受け継ぐために満州族の清王朝が文物に仕掛けた数々の秘密に迫りたいと思います。

会場の第Ⅱ部に入ると、清朝第6代皇帝・乾隆帝の巨大な肖像画(高さ約2.5m)がお出迎え。両側には打楽器を展示しています。・・・なぜなのでしょうか?


答えは、前回の「研究員のおすすめ」シリーズブログ「絵画の名品」でも取り上げた「乾隆帝紫光閣遊宴画巻」のなかにあります。玉座でくつろぐ乾隆帝の姿が、長い画巻の最後のほうに描かれています。その両側で、赤い服を着た人たちが演奏している楽器にご注目ください。

乾隆帝紫光閣遊宴画巻(部分) 姚文瀚筆 清時代・18世紀

 
(左右ともに)上の画像(乾隆帝紫光閣遊宴画巻(部分))の白枠で囲んだ部分の拡大

左側の「ヘ」の字形のものを枠からいくつも吊り下げている楽器は編磬(へんけい)といいます。たたくと澄んだ清らかな音がします。右側の楽器は編鐘。たくさんの鐘をやはり枠から吊り下げています。磬も鐘も音の高い順に並べます。

編磬と編鐘は「万国来朝図軸」にも描かれています。玉座に対して左が編磬、右が編鐘(編鐘は半分ほど切れています)。これは新年の祝賀にきた外国使節を宮殿に迎えようとしている場面です。壮麗な音楽が演奏されたことでしょう。

万国来朝図軸(部分) 清時代・18世紀

 
(左右ともに)上の画像(万国来朝図軸(部分))の白枠で囲んだ部分の拡大

会場の第Ⅱ部冒頭で乾隆帝像の向かって左に編磬、右に編鐘を据えた理由はおわかりいただけましたでしょうか。朝廷での儀礼を再現した配置だったのです。

 

 
(左上)碧玉編磬 清時代・乾隆29年(1764)
(右上)金銅編鐘 清時代・康熙53年(1714)
(左右下)左右それぞれの上の画像の作品の拡大部分


よく見ると、展示している磬はひとつひとつ暗緑色の美しい石を磨き上げ、さらに龍の文様を金で描きこんでいます。鐘にも龍の線刻があります。宮廷の楽器にふさわしい豪華絢爛なつくりです。

ところで会場には、もうひとつ編鐘があります。

「克」という人物が登場する銘文をもつ青銅製の鐘です。同形の鐘は少なくとも5個知られており、もともと1組の編鐘だったのでしょう。その年代は前9~前8世紀。宮廷儀礼に欠くことのできない楽器・編鐘は、清時代より2500年以上も昔から使われていたのです。

克鐘 西周時代・前9~前8世紀

編鐘の歴史をたどることで、清朝が中国文明の伝統的な要素を宮廷儀礼のなかに巧みに取り込んでいたことがわかります。

中国文明の伝統に対する清朝の考え方が、よりはっきりと表わされている画があります。第Ⅱ部第2章「清朝の文化事業」の導入部に展示している「乾隆帝是一是二図軸(けんりゅうていこれいちこれにずじく)」です。

乾隆帝是一是二図軸 清時代・18 世紀

画面中央の寝台に腰をかけているのは乾隆帝。漢族の伝統的な文人の姿に扮して、商(殷)時代・前13~前11世紀の青銅器から明時代・15世紀前半の青花まで、清朝が集めた歴代王朝の粋を鑑賞しています。
110万件を超える膨大な清朝宮廷コレクションは、いまも大半が故宮博物院に伝わっています。会場では北京・故宮博物院の所蔵品によって、画中の円卓と古器物の一部を再現展示しています。
 

満州族の王朝・清にとって、中国文明の遺宝を収集して伝統を継承することは、中国を統治するうえで漢族の王朝以上に切実な課題だったといえます。
しかし、乾隆帝の取り組みは単にそれだけでは留まりませんでした。乾隆帝はしばしば器物を鑑賞して得た感慨を漢詩に詠み、その詩を直接文物に記すという離れ業をやってのけたのです。
 
(左)左:玉璧専用の木枠 清時代・乾隆36年(1771) 右:一級文物 玉璧 戦国時代・前3世紀
(右)玉璧の側面


これは半透明の淡い緑色の石を磨いて作った古代の玉器・璧。「是一是二図」の世界を再現したコーナーに展示してある作品のひとつです。
乾隆帝はこの玉璧をよほど気に入ったようで、紫檀で専用の枠を作らせたうえに自作の漢詩を金泥で記しています。
さらに、同じ詩を一字一句違わず玉璧の側面(わずか幅6㎜!)にも彫りこませているのです。

「研究員のおすすめ」シリーズブログ「書の名品」で「中国絵画史上の傑作」と紹介された「水村図巻」にも、乾隆帝が2度にわたって題跋を書き加えています。しかも画中に…。

一級文物 水村図巻(部分) 超孟頫筆 元時代・大徳6年(1302)

 
(左右ともに)水村図巻に見られる乾隆帝の題跋。左画像は上画像の青で囲んだ部分の拡大図。右画像は上画像の赤で囲んだ部分の拡大図。

もし「清明上河図」が嘉慶帝の代ではなく、その前の乾隆帝の時代に宮廷コレクションに入っていたとしたら、どこに何を書き加えていたことやら…。

文人の才能にも恵まれていた乾隆帝は、生涯5万篇以上の漢詩を残したともいわれています。
中国歴代の遺宝を鑑賞すれば、感慨を詩文に託して好んで作品に直接書き加えました。
文物は詩と一体化させられたことによって、乾隆帝の美意識と教養を伝える媒体としての役割も永久に担うことになったのです。
そこには中国文明を受け継ぐだけでなく、むしろ自分の色に染めていこうとする乾隆帝の圧倒的な野心と強烈な自尊心を見て取ることができます。

ちなみに、「是一是二図」の名称は画面右上に記された詩の第一句「是一是二(画中の朕はひとり、はたまたふたり?)」に由来しています。
画中の寝台のうしろの衝立には、やはり乾隆帝の肖像画が掛けられており、寝台に座っているもうひとりの自分を見つめています。
「是一是二図」は満州族の君主でありながら、中国文明の絶対的指導者としても君臨した乾隆帝の多様な姿を象徴しているのでしょう。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ2011年度の特別展

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posted by 川村佳男(保存修復室) at 2012年01月21日 (土)

 

書を楽しむ 第7回「拡大写真のススメ」

書を見るのは楽しいです。

より多くのみなさんに書を見る楽しさを知ってもらいたい、という願いを込めて、この「書を楽しむ」シリーズ、第7回です。

今回は、デジタルカメラを持って展示室を回ります。

トーハクの総合文化展では、多くの作品のカメラ撮影ができます。
!!注意!!
フラッシュを使用した撮影はできません!また三脚も使用不可です。
社寺や個人の方からお預かりしている作品のうち、撮影不可のものには、
キャプションに撮影禁止のマークが入っていますので、
確認してから、撮影してみましょう!


まず、本館2階の3室「仏教の美術」の作品を、撮影しました。


大般若経巻第一百卅八 鎌倉時代・宝治元年 (1247)
(~2012年2月5日(日)展示)


ピントが合っていません…。
展示室が暗い上にフラッシュ撮影、三脚使用は禁止! なので、むずかしいです。
でも、虫食いの穴が迫力満点で写っていると思いませんか?

次は、同じく3室「禅と水墨画」で、撮影。


偈頌 一休宗純筆 室町時代・15世紀
(~2012年2月5日(日)展示)


小さい字、大きい字、墨の濃淡があります。
一部を切り取って撮影しても、おもしろい画面になります。

5室「武士の装い」では、小さい作品ですが、かなりズームにしてみました。


切符 豊臣秀吉筆 安土桃山時代・天正6年(1578) 松永安左エ門氏寄贈 B-2431
(~2012年2月12日(日)展示)


これも少しピントが合いませんでしたが、墨のかすれているところが魅力的です。

さらに進んで、8室「書画の展開」では、たくさん撮影しました。

 
詩巻 松花堂昭乗筆 江戸時代・17世紀 (右)(左)画像の拡大
(~2012年2月12日(日)展示)


この詩巻は、松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう)が隷書、楷書、草書と、いろいろな書体で書いていますが、
左画像の中央「寂」の字は、「大師流」の書風で書かれています。
「大師流」とは、弘法大師・空海の書風から生まれたもので、
さいごのハネの部分がうねるように書いてあることが多いです。
その「寂」をさらに拡大すると(右画像)、文様のように見えてきませんか。


書状巻 近衛信尹筆 安土桃山時代・17世紀
(~2012年2月12日(日)展示)


近衞信尹の「馬」の字が見えます。
墨がかすれていますが、勢いのある字です。
画像では、料紙の質感まで感じられます。

 
東行記 烏丸光広筆 江戸時代・17世紀 (右)(左)画像の拡大
(~2012年2月12日(日)展示)


烏丸光広の富士山です!
薄い色の墨で、富士山がさらりと書いてあります。
そのすそ野を拡大撮影すると(右画像)、字がにじんでいます。
下絵の富士山が乾かないうちに書いたのでしょう。
風景に書が溶け込んでいます。

 
(右)詩書屏風 三井親和筆 江戸時代・安永9年(1780) 小荒井智恵・小荒井蓉子氏寄贈
(左)龍虎二大字 後陽成天皇筆 江戸時代・17世紀 太田松子氏寄贈
(~2012年2月12日(日)展示)


左画像は屏風です。
もともと字が大きいので、拡大するとかなり大きく撮影できます。
右画像も、大きい字の「龍虎」の「虎」。
うねるようにハネあげているのが、「大師流」です。
墨のかすれ具合が、拡大写真でよく見えます。

拡大写真を撮ると、デザイン画のようにも見えてくるのが、楽しいです。
ハガキに印刷して、絵ハガキを作ってみました。

 
作成した絵ハガキ

私はこんな風に写真を活用しています。

!!注意!!
画像の利用は、個人利用に限ります。
商用利用や公開に際しては別途手続きが必要です。

詳しくは、「画像の利用について」のページをご覧ください。

拡大写真には、眼では見えないものが写ります。
書の楽しみ方のひとつとして、拡大写真、いかがでしょうか?
ただ逆に、眼で見えても写真に写らないものもあります。
やっぱり本物を見て欲しいです。

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

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posted by 恵美千鶴子(書跡・歴史室) at 2012年01月19日 (木)

 

「古墳時代の神マツリ」のミカタ(見方・味方…) 2

前回のブログでは、古墳時代の神マツリの特色として、中心となる奉献品がおおよそ「前期:実物 → 中期:石製模造品 → 後期:土製模造品」と、次第に移り変ってゆくことをご紹介しました。
今回の展示では、古墳時代前期~後期に分けて展示した祭祀遺物を比較して、順を追ってご覧頂けるように配置してあります。

しかし、今年度相互貸借による借用品(長野県立歴史館・館山市立博物館所蔵品)を中心とした今回の展示内容だけでは、やはり資料が不足気味です。
そこで、今回の特集陳列に関わる常設の考古展示室の構成にすでに取り入れられている「テーマ展示」は、それぞれまとまりがあるために実は“温存”してあります。
今回の特集陳列と併せて、是非ご覧頂きたい部分という所以です。

 
(左)第1図 実際の展示の配置図
(右)「特集陳列(右)とテーマ展示A・B(左)」展示室の様子

これらは今回の特集陳列に合わせて、特集陳列のケースと向かい合わせに配置を変更していますので、ご確認ください(第1図)。なお、詳細は当館HPのA「古墳時代の祭祀」・B「古墳時代の葬送儀礼」で作品リストもご覧頂けます。


さて、2つのテーマ展示と今回の特集陳列の関係をお話したいと思います。
中期の祭祀遺物については、今回の借用品にはあまり含まれていないことや展示スペースの問題から、当館収蔵品の優品を中心にコンパクトに展示を構成しています。


「古墳時代中期の石製模造品」 

東京都野毛大塚古墳と京都府鏡山古墳出土品は、共に履物形石製模造品を含む代表的なものです。
大阪府カトンボ山古墳出土品は、最古の子持勾玉と各種石製模造品を大量に出土した古墳で、いずれも中期に発達する石製模造品を中心に副葬する古墳として有名です。

しかし中期には、後期に盛行する各種の土製模造品も現れはじめています。
その典型が、A「古墳時代の祭祀」で展示している奈良県桜井市の山ノ神遺跡出土品です。


「テーマA(古墳時代中期の土製模造品):右から、櫛・箕・竪杵・竪臼・案・坩(ツボ)・柄杓・高坏形」

大正7(1918)年、奈良県三輪山山麓の開墾中に、巨石と河原石の敷石周囲から多量の遺物が発見されました。須恵器・土師器をはじめ、多量の石製・土製模造品、小型素文鏡・鉄片、子持勾玉などが出土したことで有名になりました。
とくに土製模造品には、箕(ミ)・竪臼・竪杵・柄杓(ヒシャク)・坩・高坏や櫛や案(ツクエ)を象ったものがあります。
杵・臼で脱穀した米を箕でふるい、柄杓で汲んだ清水を加えて坩(ツボ)で醸す。そんな酒造りの道具を表しているという説が有力で、平安時代『延喜式』の祭祀用具の記載との類似が注目されています。

『延喜式』(巻40)酒造司 酒造雑器
        「中取案八脚、木臼一腰、杵二枚、箕廿枚、槽六隻。甕木蓋二百枚、橧(コシキ)三口、水樽十口、水麻笥廿口、
         小麻笥廿口、筌百口、匏十口〈已上供奉酒料〉、篩料絹五尺、(中略)
                右造酒料支度、及年料節料雑器、並申省請受。」

また、8世紀に成立した『日本書紀』には、河内国の大田田根子(オオタタネコ)という人物に祀らせた祟り神である三輪山の神(大物主神)が酒神として知られていた様子が窺え、『万葉集』にも謡われています。

『日本書紀』崇神天皇八年 十二月丙申朔乙卯条
        「天皇(スメラミコト)、大田田根子を以て、大神(オホミワノカミ)を祭(イハヒマツ)らしむ。(中略)
                この神酒(ミキ)は我が神酒ならず、倭為す大物主の醸(カモ)し神酒、幾久(イクヒサ)、幾久」

『万葉集』巻4、712番、丹波大女娘子
        「味酒(ウマサケ)を 三輪の祝(ハフリ)が 忌(イハフ)杉 手触れし罪か 君に遇難(逢ヒカタ)き」

これらは、8世紀に、三輪山神が酒神として有名であったことを伝えているもので、その起源が古墳時代に遡る可能性を示唆しています。
そういえば、現在でも三輪山はお酒の神様として知られており、大神(オオミワ)神社から造(ツクリ)酒屋に授けられる杉玉(酒林(サカバヤシ))は有名です。 思いのほか、古代とは身近なところでつながっている部分がありそうです。


それから、もう一つ重要なのが、古墳の副葬品にみられる石製模造品です。


「テーマB(古墳時代後期の滑石製石枕・石製模造品ほか)」

実は前期から中期の祭祀遺物は、古墳の副葬品と共通している部分が多いのです。
B「古墳時代の葬送儀礼」は、中~後期の東関東地方に集中する滑石製石枕と石製模造品のセットなどを展示していますが、後期には中小古墳にも石製模造品が副葬されることを示しています。

ひょっとして、古墳の葬送儀礼と祭祀遺跡の神マツリは同じ内容だったのでしょうか?。
古墳被葬者とカミの同一視。重要な仮説の一つで、学会でも長年論争が続けられてきましたが、決着はついていません。

2つのテーマ展示部分は、実は神マツリとは何かという、祭祀遺跡を考える上で(おそらくもっとも)重要な祭祀対象(祭神?・・・)の性格という問題を孕んでいます。
三輪山の酒の神と、地域の首長(リーダー)である古墳被葬者の性格・・・。
一生飲んで暮らしてゆけるのなら…♪、マサに“特権階級”ですので古代国家成立前夜に相応しい?? (楽しそうですが…)。

う~む。やはり、これらをまったく同一視することは、そう簡単にはゆかないような気もしますね。
今一度、最初に立ち戻って、古墳時代の神マツリの変遷から考えてみる必要がありそうです。
 

カテゴリ:研究員のイチオシ考古

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posted by 古谷毅(列品管理課主任研究員) at 2012年01月16日 (月)

 

北京故宮博物院200選 研究員おすすめのみどころ(絵画の名品)

特別展「北京故宮博物院200選」(~2012年2月19日(日))をより深くお楽しみいただくための「研究員のおすすめ」シリーズのブログをお届けします。 今日は「絵画の名品」についてです。

トーハクの特別展「北京故宮博物院200選」には3つの“世界初”があります。
一つめは「清明上河図」の初の国外公開(2012年1月24日(火)まで展示)。これはもう何回も述べました。ところがこれ以外にもすごいところがあるんです!

二つめは、それまで持ち出しが厳しく制限されていた宋元の書画41件の大量公開です。これまで故宮が行ってきた海外展では最多の宋元書画が展示されています。もちろんすべて一級文物。
そのなかでもお勧めなのは、前回の「研究員のおすすめ」シリーズのブログ「書の名品」でもご紹介した「水村図」と、「楊竹西小像巻(ようちくせいしょうずかん)」です。


一級文物 楊竹西小像巻 王繹・倪瓚筆 元時代・至正23年(1363)

楊竹西こと楊謙は元時代の江南の富豪です。大金持ちにしては質素な格好をしていますね。これは文人の姿です。決して派手派手しい物質的に豊かな暮らしではなく、書を読み芸術を愛する文人として過ごすのが、中国人の最高の理想でした。冬でも枯れない松の木や静謐な筆づかいが、楊謙の人格の高さまでを象徴しています。


楊竹西小像巻(部分)
よく見るととても繊細な線を重ねて立体感を出しています。


三つめは、「康煕帝南巡図」(北京故宮)の二巻同時全巻展示。「南巡図」は清朝の第四代皇帝康熙帝(こうきてい)が江南地方を視察した様子を描いた作品です。もとは12巻ありましたが、今回展示しているのはクライマックスの最後の二巻。



ど~ん。横26メートルと33メートル(!)の北京故宮の「南巡図」が二巻同時に全巻ひろげて展示されるのは世界初!巨大な特別ケースに故宮博物院の研究員もびっくりしていました。

 
(左右ともに)一級文物 康熙帝南巡図巻 第11巻(部分) 王翬等筆 清時代・康熙30年(1691)

華麗な色彩、繊細な描写。
12巻描くのに6年(!)もかかったという、清朝の“国家プロジェクト”。


トーハクの展示チームが「南巡図」の展示にこだわったのは理由があります。「南巡図」に描かれているのは、皇帝の徳治のもとに暮らす、人々の幸せな姿です。「南巡図」を見ていると、その体験が「清明上河図」と似ているのを感じるでしょう。

 
(左右ともに)康熙帝南巡図巻 第11巻(部分)
大通りで、すってんころりん!
「お母さん、皇帝さまが通るんだってさ!」。家族や老人が描かれるのも特徴です。


(左右ともに)康熙帝南巡図巻 第11巻(部分)
力を合わせて長江を渡ります。
かわいいおじいさんたち、実は「天」の一部です。なぜって? 答えは会場で!

「南巡図」は「清明上河図」の清朝版とも言える作品で、この作品を二つ並べることで初めて、「清明上河図」が中国文化に担ってきた、重要な意味を体感することができるのです。

ほかにも、「清明上河図」の意味を改めて確認できる作品がありました。

 
(左)乾隆帝紫光閣遊宴画巻 姚文瀚筆 清時代・18世紀
スケートは満州族の武芸向上のための競技でもありました。
(右)万国来朝図(部分) 清時代・18世紀
西洋人にまじって琉球使節の顔が見えます。

 
乾隆帝生春詩意北京図軸 徐揚筆 清時代・乾隆32年(1767) (右は左の部分)
舞台は開封から北京に。
時代を超えてここでも、皇帝のもとで幸せに暮らす人々の姿が描かれています。

一見綺麗で豪華に見える様々な宮廷の装飾品は、ただ鑑賞するためのものではなく、そこに様々な意味が隠されています。
その意味に迫ったのが、第Ⅱ部の展示です。徽宗皇帝から乾隆皇帝へ、コレクションの歴史、文人たちの活躍…。展示にはたくさんの伏線が張り巡らされています。「名品を持ってきました!」というだけではない、北京故宮とトーハクのコラボならではの、展示のストーリーも見どころの一つです。
中国美術の真髄を、ぜひお楽しみください。

カテゴリ:研究員のイチオシ2011年度の特別展

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posted by 塚本麿充(東洋室) at 2012年01月15日 (日)