このページの本文へ移動

1089ブログ

トーハク仏像選手権 途中経過

東京国立博物館140周年特集陳列「館蔵仏像名品選」(本館11室、12月2日(日)まで)にあわせて開催中の「トーハク仏像選手権」。
みなさまは投票いただけましたか?

投票期間も半ばを過ぎましたので、ここで現在の投票状況を確認してみましょう。
現在の投票状況

1~3位は大接戦!
これからも刻々と順位が変化しそうで、目が離せません。

そこで、上位の3作品にについて、みどころポイントをあらためて紹介いたします。


まずは、鎌倉時代に南都諸寺院の造像に携わった仏師善円の作風に近いといわれる菩薩立像です。
こちらは「唇」にご注目ください。まるでリップグロスを塗ったかのように、つやつやした輝きを放っています。
唇に薄い水晶を嵌めているのは大変めずらしい作例です。

 
重要文化財 菩薩立像 鎌倉時代・13世紀
唇にご注目ください。


次に、奈良の内山永久寺(廃寺)に伝来したことが知られる愛染明王坐像です。
像の彩色から厨子の絵画まで、鎌倉末期の造像当初のものを良好な状態で残しています。
特に瓔珞や台座、厨子の天蓋などの装飾の美しさはみごとです。


重要文化財 愛染明王坐像  鎌倉時代 13~14世紀

展示では厨子から出していますが、厨子に納められた状態の写真で天蓋や厨子内部の絵とのバランスをご覧ください。


最後に、京都府加茂町の浄瑠璃寺にあったと伝えられる十二神将像です。
躍動感あふれる姿や個性的な表情に目が行きがちですが、
展示では下から当てている照明により、繊細な衣の模様や彩色もよくご覧いただけます。


重要文化財 十二神将 京都・浄瑠璃寺伝来  鎌倉時代・13世紀
衣の模様や彩色をじっくりご覧ください。


ところで、トーハクの総合文化展で、個人利用にかぎって写真撮影(寄託品など一部撮影禁止マークのついている作品以外)ができることは、意外と知られいていないようです。
今回の特集陳列はすべて館蔵品のため、お寺などではなかなか撮影できない仏像をご自由に撮影いただける貴重な機会となっています。


お気に入りの仏像をみつけたら、とっておきの表情をカメラに収めてお持ち帰りください。
そして、トーハク仏像選手権への投票もお忘れなく!
 

カテゴリ:ウェブおすすめコンテンツ仏像

| 記事URL |

posted by 奥田 緑(広報室) at 2012年11月06日 (火)

 

特別展「出雲―聖地の至宝―」の“奇妙な”銅鐸

お蔭様で多くの方々にご覧いただいている特別展「出雲―聖地の至宝―」(2012年10月10日(水)~11月25日(日)、本館特別5室・4室)。
今回は、その2章「島根の至宝」の作品のなかから、実に奇妙な銅鐸をご紹介しましょう。
2章の入口を入ると正面に鈕(吊り手)が欠けた小さな銅鐸が展示してあります。
皆さん、展示ケースに近づいてこの銅鐸をよーくご覧ください。特に、身の上半にあけられた二つの丸い孔(あな)の間にご注目! 

何か見えませんか?

銅鐸 伝出雲出土 弥生時代中期 島根・八雲本陣記念財団蔵
島根県指定文化財 銅鐸 伝出雲出土 
弥生時代中期 現存高 22.3cm
島根・八雲本陣記念財団蔵


「よく見えないよ!」
 
「ちょっと待って! 眼のようなものが・・・。 あっ、顔だ!!」

部分拡大

その通り!

ライトに照らされて浮かび上がる妖しげな顔。
眉とともに目尻が極端に長く表現された特徴的な眼。そして大きな鼻。そこには口の表現はありません。静かに何ものかをにらみつけているかのようなその独特な眼は、悪霊や邪悪なものすべてをにらみ威嚇する「邪視(じゃし)」を表現したものとも言われています。
こうした邪視文をもつ銅鐸は、明治24年(1891)に、最初に広島県福田(木ノ宗山)で発見されたことから「福田型銅鐸」とも呼ばれています。その数はきわめて少なく、中国地方から4個の発見が知られるのみでした。しかし、昭和55年(1980)、佐賀県鳥栖市教育委員会の発掘調査で、これと同型式の銅鐸の鋳型が発見されました。これによって、これまで銅鐸分布圏外にあった九州でも銅鐸の生産が行われていたことが明らかとなってきました。そして平成10年(1998)、佐賀県吉野ヶ里遺跡から待望の銅鐸が発見。その型式は福田型であり、しかもこの伝出雲銅鐸と同じ鋳型で鋳造された同笵銅鐸であることがその後の調査で明らかとなりました。こうした一連の発見により、佐賀地域で福田型銅鐸が製作され、それが出雲まで運ばれたことが指摘されるようになってきたのです。
これらの銅鐸に表現された邪視文は、ここに見られるような写実的なものからはじまり、次にその眼のみが表現され、やがて本来きわめて重要であったはずのその眼も消え去り、その空間のみが存在するという変遷をたどります(下図参照)。

出雲銅鐸実測図
岡山市上足守出土銅鐸実測図
左:福田木ノ宗山出土銅鐸実測図、右:伯耆国出土銅鐸実測図
井上洋一 福田型銅鐸の再検討 福田型銅鐸 『古代青銅の流通と鋳造』鶴山堂1999より


神の顔とも表現されるこの邪視文は、その下に表現された水鳥とともに、銅鐸の謎を解く重要な鍵となっています。

ところで、この銅鐸は、長く木幡家に「花器」として伝えられてきました。
なんと、銅鐸が花器に使われていた!?

銅鐸の周囲には魚の鰭のように飛び出した部分があります。その左右の鰭の下方に注目すると、そこには孔が開けられた痕跡がみられます。この孔(今は埋められています)に紐や針金などを通し、銅鐸を逆さに壁や柱などに吊るし、花器として用いていたようです。このように銅鐸を花器に変身させた例は他にもありますが、その多くは、江戸時代ころに改変されたのではないか。奈良文化財研究所の難波洋三さんの見解です。
それにしても銅鐸を花器にしてしまうとは・・・。時の趣味人には脱帽ですね。

特別4室入ってすぐ正面に展示しているこちらの銅鐸をぜひご覧ください。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ考古2012年度の特別展

| 記事URL |

posted by 井上洋一(学芸企画課長) at 2012年11月02日 (金)

 

酒井抱一筆「夏秋草図屏風」がコロタイプ印刷により再現!

にわか雨に見舞われた夏草と、強風になびく秋草を描いた酒井抱一の最高傑作「夏秋草図屏風」。酒井抱一は、姫路城主酒井家の次男として江戸に生まれ、酒井家に縁のあった尾形光琳を慕って江戸琳派とよばれる画風を打ち立てました。文政4年(1821)に描かれ、トーハク館蔵品のなかでも特に人気の高いこの作品が、コロタイプ印刷と最新の印刷技術により、複製としてよみがえりました。

高精細6,000万画素のデジタルカメラにて撮影された画像データが、コロタイプの版にそのまま再現されています。
コロタイプとは、撮影された写真の情報をそのまま版に反映させる技法で、国宝や重要文化財などの文化財の複製に活用されています。
本複製は受注生産であり、多色刷コロタイプ技法を有する唯一の工房である便利堂が、職人の技と感性に支えられた昔と変わらぬ手作業で、一枚一枚丹精込めて仕上げていきます。

原寸大の複製ほか、原寸の50%の複製も制作しました。現代のライフスタイルにもなじむサイズで、夏秋草図屏風の美しさを存分にご堪能いただける大きさです。

ぜひ、夏秋草図屏風(複製)をお手元に置かれ、江戸琳派の雰囲気を間近にご鑑賞ください。

 

商品仕様
二曲一双屏風
技法: コロタイプ10色刷(背景の銀地はグリッター技法)
寸法: 原寸大複製 各 縦1,650㎜ 横1,820㎜
            50%複製 各    縦825㎜  横910㎜
本紙: 和紙(鳥の子紙)
仕立: 二曲一双屏風(縁はカシュー塗り)
販売価格: 原寸大複製 1,470,000円(税込)(2013年3月末迄の140周年限定価格)
               50%複製    525,000円(税込)
製作: 株式会社便利堂
販売: 東京国立博物館協力会
監修: 東京国立博物館

2012年10月23日(火)より、東京国立博物館ミュージアムショップにて受注受付中

 

カテゴリ:news

| 記事URL |

posted by 長澤由美子(総務課) at 2012年11月01日 (木)

 

特別展「中国 王朝の至宝」―仙人と仏(ほとけ)―

現在開催中の特別展「中国 王朝の至宝」(2012年10月10日(水)~12月24日(月・休)、平成館)は、中国各地の14の地域の30余りの機関から文物を借用するという、スケールの大きな内容となっています。ここには、日本の多くの方々がこれまであまり目にしたことがないような文物が多数展示されています。ご紹介したいものはたくさんありますが、ここはまず、ちょっと不思議な壺を取り上げてみましょう。


一級文物 仙人仏像文盤口壺(せんにんぶつぞうもんばんこうこ)
三国(呉)時代・3世紀 江蘇省南京市雨花台区長崗村M5墓出土 南京市博物館蔵


これは、三国時代の3世紀に作られたものと考えられます。全体の形は、とくに変哲のないものですが、ここで注目していただきたいのは、表面に描かれた文様の方です。写真の中央上寄りに、少し浮き上がった部分がありますが、これは蓮華の上に座った仏像を表したものです。


仏像部分拡大

頭の周りに仏像の印である円形の光背が付いているのがおわかりいただけると思います。台座の両脇に見える獣は、どうも獅子を表しているようです。蓮華と獅子との両方が仏座に付くのは珍しいことですが、全体で仏像を表したものであることは間違いありません。

さらにびっくりするのは、この仏像のまわりには、長い棒のようなものを持って横向きに立つ人物が何体もシルエットのように描かれていることです。


描かれている仙人

これらの人物の周囲に波のように描かれているのは、雲気(うんき)と霊芝(れいし、仙界の草)です。そして、シルエット状の人物の背中やお尻にも注目ください。なんと毛のようなものが伸びていますね。じつはこれ、羽を表したものです。羽の生えた者、つまり中国古来の仙人がここに描かれているのです。ふつう仙人というと、長い髯(ひげ)を生やした老人の姿を思い浮かべますが、もともとの仙人は、「羽化登仙(うかとうせん)」すなわち羽が生えて仙界(天上界)へ登ることができるようになった者のことをいいます。仙界へ行くことを昇仙するといい、中国では不老不死の世界へ行くこととほぼ同義のことでした。ここでは仙界を象徴する仙人や雲気・霊芝などによって、天上世界の様を表現しようとしたことがわかります。

こうして見てくると、この壺には、中国古来の仙人とインドから来た仏(ほとけ)に対する信仰が共存していることになります。外来の神であった仏(ほとけ)も、その法力が認識されるようになると、ここに見るように、伝統的な仙界の図像の中に取り入れられ、仙人とともに、広大な神威の発現が望まれるようになったのでしょう。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ2012年度の特別展

| 記事URL |

posted by 松本伸之(学芸企画部長) at 2012年10月30日 (火)

 

特別展「出雲-聖地の至宝-」展に荒神谷遺跡出土の銅剣がずらり!

島根県出雲市斐川町神庭の荒神谷遺跡から出土した銅剣は全部で358本。一遺跡からの出土数は全国最多です。
1984(昭和59)年、農道の建設に先立って行われた発掘調査によって発見されました。翌年の1985(昭和60)年には、7m離れたところから、銅鐸6個、銅矛16本が一緒に出土しています。

史跡 荒神谷遺跡 (銅剣発掘調査時の状況)
史跡 荒神谷遺跡 (銅剣発掘調査時の状況)

銅剣は、埋納坑(銅剣を埋めるために掘られた穴)に四列に整然と並べられていました。各列の本数は、写真手前からA列34本、B列111本、C列120本、D列93本です。出土状況をみるかぎり、木箱などに入れられた形跡はありません。

銅剣はすべて中細形銅剣c類と呼ばれている型式で、その圧倒的な数から「出雲型銅剣」と呼ばれることもあります。
出雲で製作された可能性が高く、製作年代は紀元前2世紀末から紀元前1世紀、埋納された時期は紀元前後から紀元後の1世紀と推定されます。

全長の平均は51.65㎝。最長はC109号の53.9㎝、逆に最小はC93号の48.1㎝(どちらも推定長)です。重量はおおむね500グラム程度です。

今回の展覧会では、358本の銅剣の中から、所有者の文化庁が平成22年度から行っている再保存修理の完了した42本を展示しています。下の写真の右側2本(右からA32号、A33号)も展示しています。

国宝 銅剣
国宝 銅剣 (右からA32,A33,B62)
弥生時代・前2~前1世紀
島根県・荒神谷遺跡出土 文化庁蔵


358本の銅剣のうち一本だけ研磨を施していない銅剣もありました。写真左端のB62号です。これと研磨を加えたその他の銅剣と比較すると、形状がほとんど変わらないことがわかります。

国宝 銅剣 荒神谷C67号
国宝 銅剣 荒神谷C67号
(今回は展示していません)


銅剣を詳細に観察すると、写真のように、茎にタガネ状の工具によって打ち込まれた「×」印の刻印が発見されました。荒神谷銅剣にはすべての銅剣に「×」印の刻印をしようとした意志が読みとれます。観覧の際は、是非銅剣の茎部分を目をこらしてみてください。


荒神谷遺跡の銅剣は、基となるモデルをそのまま写し取るのではなく、銅剣のもつ特徴を理念的に描きながら、比較的短期間のうちに製作されたと思われます。


島根県立古代出雲歴史博物館の銅剣展示

島根県出雲市大社町にある、島根県立古代出雲歴史博物館では、この荒神谷遺跡の銅剣の残りを展示しています。荒神谷遺跡出土の青銅器が、いつ、誰によって、なぜ埋納されたのか、実は今もその明確な答えは出ていません。まずは、特別4室で出雲の青銅器の特色に触れていただき、さらには、ぜひ出雲で荒神谷遺跡の現地や博物館の銅剣をみながら、その謎解きに挑戦してみてはいかがでしょうか。


特別展「出雲―聖地の至宝―」(2012年10月10日(水)~11月25日(日)) 本館特別5室・4室で開催中!

カテゴリ:研究員のイチオシ2012年度の特別展

| 記事URL |

posted by 足立克己(島根県立古代出雲歴史博物館学芸部長) at 2012年10月26日 (金)