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「聖林寺十一面観音」、搬出の舞台裏

6月22日(火)より開幕した、特別展「国宝 聖林寺十一面観音―三輪山信仰のみほとけ」
本ブログでは、タイトルにある国宝 十一面観音菩薩立像を聖林寺のお堂から搬出した時のことをご紹介します。

 
国宝 十一面観音菩薩立像 奈良時代・8世紀 奈良・聖林寺蔵

奈良県桜井市の小高い場所に位置する聖林寺の国宝 十一面観音菩薩立像は、明治元年(1868)に同市の大神神社(おおみわじんじゃ)の境内にあった寺から移されました。
高さ209.1センチ、台座の高さと合わせると約3メートルにもなります。
搬出のポイントは、この像の「材質」と「構造」です。詳しくみていきましょう。


お堂のなかの様子

まずは、像のまわりに鉄骨の足場を組み上げます。
お堂の中にはガラス戸がありますが取り外せないため、限られた空間のなかで作業をしました。
像にとても近い場所での作業は、より一層の緊張感がありました。


梱包された像
頭や手、全身を薄い和紙や柔らかい布で丁寧に梱包し、ベルトや木の板を使って像を木枠に固定します。

ここが1つ目のポイント、「材質」です。
この像は、木でおおよその形をつくり、表面にペースト状の練り物を盛り上げて成形する、木心乾漆造(もくしんかんしつづく)りという技法でつくられています。
一般的な木造の像であれば、像に直接触れて数人で持ち上げることもできますが、木心乾漆造りの場合は表面が練り物なので、人の手では不均等に圧がかかって表面の脱落につながるリスクがあります。
そこで、表面を綿布団(わたぶとん)で保護した上、面積の広いベルトで木枠に固定することで、圧力を分散させてリスクを取り除きます。

そしていよいよ持ち上げ作業開始。周囲の足場に設置したクレーンで木枠ごと持ち上げ、像を台座から離していきます。
真上に少しずつ、少しずつ持ち上げていきます。
すると、、、、


像と台座が離れた瞬間
2本の木の棒が出てきました!
これは像の足裏から突き出た足枘(あしほぞ)というもので、立った形式の像を台座に固定させるための支柱の役割を果たします。


国宝 十一面観音菩薩立像の台座

ここが2つ目のポイント、「構造」です。
この像の足枘の長さはおよそ60センチもあり、他の像と比べて非常に長く、しかもそれに対して像の頭から天井までの高さがあまりありません。
そのため台座の各部位のうち、蓮肉(れんにく)と葺軸(ふきじく)という部位を像と一緒に持ち上げました。
それにより、本来は約60センチ持ち上げなければならないところを25センチほどで済みました。
加えて、足枘を敷茄子(しきなす)という部位から抜き切ったところで止め、敷茄子から下の台座を手前に引き出すことで、像を持ち上げる高さを最小限にしました。



像の足元側の木枠にロープをくくり付けて持ち上げていきます。
同時に、像を持ち上げた頭側のクレーンのロープを下げていき、立っている像をだんだんと寝かせていきます。
足元側を上げる作業と頭側を下げる作業。この2つを同時に、息を合わせて慎重に行ないます。


横になった像
そしてやっと像が寝ている状態になりました。次はいよいよお堂から像を運び出します。



お堂から寺のなかを通って山門(寺の入り口)までは急な階段を通らねばなりません。
そこで今回は木の生えていたところを整備してお堂から直接外へと搬出するようにしました。
小高い場所に立つ聖林寺のお堂から下の平地までは、ずっと坂道が続きます。
まず、車が入れる場所までは人の手で運びます。周りや足元に注意しながら慎重に運んでいきます。




この像を東京まで運ぶ車は大型で寺までは上がって来れないため、途中で一旦、屋根のないより小さい車へ移し替えました。
ゆっくりゆっくりと下っていきます。




そして無事に平地に到着。東京へと運ぶ美術品専用車へ移し替えました。


本堂からの景色

ところで、もし雨が降っていたらこの日に像の搬出を行なうことができませんでした。
数日前の天気予報ではこの日は雨予報だったので、私たちも気が気でありませんでしたが、しかし当日は驚くほど気持ちのいい青空が広がりました。

冒頭に記しましたように、この像は明治元年(1868)に大神神社の境内にあった寺から移されました。しかし当時は車もなく、道もアスファルトで整備されていません。当時の人々がこの像をどれほど大切に運んだか、その情景にあらためて思いを馳せました。

搬出の舞台裏、いかがでしたでしょうか。
奈良の地を初めて離れた「聖林寺十一面観音」。東京で公開されるまたとないこの機会をぜひお見逃しなく!

カテゴリ:2021年度の特別展

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posted by 増田政史(絵画・彫刻室) at 2021年07月09日 (金)