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【縄文】遺跡へゴー! ~遺跡で楽しむ縄文~その1

特別展「縄文―1万年の美の鼓動」(2018年7月3日(火)~9月2日(日))はもうご覧になられたでしょうか。会期も残すところ僅かとなってきました。どうかお見逃しなくご観覧ください。

本特別展では207件の作品を拝借・展示しています。
今回は、展示作品が出土した遺跡のうち、最近私が実際に訪れた遺跡を、いくつかご紹介したいと思います。


真脇(まわき)遺跡
真脇遺跡は石川県能登半島の内浦と呼ばれる富山湾に面した遺跡です。
縄文時代前期から晩期にかけて集落が営まれました。
真脇遺跡は通常では残りにくい有機物が豊富に残されており、多量のイルカ骨や彫刻木柱など、極めて特徴的な出土品が有名です。
本展覧会では「第5章 祈りの美、祈りの形」に作品が展示されています。

重要文化財 彫刻木柱
No.144 重要文化財 彫刻木柱 縄文時代(前期)・前4000~前3000年

重要文化財 彫刻木柱
No.145 重要文化財 彫刻木柱 縄文時代(晩期)・前1000~前400年

重要文化財 鳥形把手付鉢形土器
No.180 重要文化財 鳥形把手付鉢形土器 縄文時代(中期)・前3000~前2000年

いずれも真脇遺跡出土/石川・能登町教育委員会蔵

このうち、作品№145はクリの丸太を半円状に割って加工した木柱で、発掘調査によって同様の木柱が輪を描くように並んで発見されました。
発見された木柱は根元に近い部分のみでしたが、横方向や縦方向の溝が彫ってあり、縄文人が石器で加工を施した痕跡がよく観察できます。
本例は縄文時代晩期のものと考えられており、特徴的なサークル状の配置は、縄文人の何らかの記念碑的な役割が推定されています。

そして、なんと真脇遺跡ではそのサークルが復元されています。
現在、真脇遺跡は史跡整備が進められており、史跡公園に真脇遺跡縄文館があります。
おだやかな湾を望む微高地にある真脇遺跡には、現在大きな柱がそびえており、遠くからでもその姿を確認することができます。
もしかしたら当時も海から真脇ムラの木柱がよく見えたのかもしれませんし、真脇ムラのランドマークとしても機能していたのかもしれませんね。
復元されたウッドサークルの一部
復元されたウッドサークルの一部(2018年4月)


鳥浜(とりはま)貝塚
北陸にはユニークな遺跡がまだまだあります。
次にご紹介する鳥浜貝塚もそのひとつです。
鳥浜貝塚は福井県三方郡美浜町から三方上中郡若狭町に広がる三方五湖のうち、三方湖に注ぐ鰣(はす)川と高瀬川合流付近に形成された低湿地遺跡で、縄文時代草創期から前期を中心に貝塚が形成されました。
通常では残りにくい有機物や彩色が施された土器などが多数発見されており、「縄文人のタイムカプセル」とも呼ばれています。

重要文化財 赤彩鉢形土器
No.3 重要文化財 赤彩鉢形土器
鳥浜貝塚出土 縄文時代(前期)・前4000~前3000年
福井県立若狭歴史博物館蔵


No.3は小ぶりな鉢ですが、丁寧な縄文と磨消縄文(※)、さらに赤彩によって幾何学的な文様が際立っています。
※磨消(すりけし)縄文…縄文時代を代表する、指や工具などで平滑に調整する装飾技法

私にとって鳥浜貝塚は、学生の頃に先輩や後輩たちと発掘調査のため合宿生活していた思い出の地です。
今回、実に十数年ぶりに再訪しましたが、遺跡も遺跡を流れる鰣川も当時のままで、日本海へとつながる三方五湖は穏やかな風景のままでした。
縄文時代の水辺に暮らした人々の暮らしを考えるうえでとても興味深い遺跡や博物館です。
現在の鳥浜貝塚周辺
現在の鳥浜貝塚周辺(2018年7月)
鳥浜貝塚は河川改修の際に発掘調査されました


鳥浜貝塚出土品の多くを展示している若狭三方縄文館
鳥浜貝塚出土品の多くを展示している若狭三方縄文館(2018年7月筆者撮影)
※No.3の所蔵館とは異なります



尖石(とがりいし)遺跡
次は内陸の縄文集落へ行ってみましょう。長野県茅野市にある尖石遺跡です。
長野県茅野市は縄文時代の国宝6件のうち2件の土偶が発見された縄文時代を代表する拠点です。
八ヶ岳をのぞむ標高約800~1000メートルのなだらかな斜面にはたくさんの縄文時代の遺跡が今もなお数多く眠っています。

尖石遺跡は、縄文時代の集落跡研究のレジェンド的な遺跡。
今日の縄文時代集落跡研究を振り返るには欠かせない、学史上大変著名な遺跡です。
尖石遺跡と与助尾根(よすけおね)遺跡が横並びに隣りあっており、二つの大きな環状集落が並んでいたと考えられています。
尖石遺跡と与助尾根遺跡に隣接して茅野市尖石縄文考古館があります。
国宝「土偶 縄文のビーナス」と国宝「土偶 仮面の女神」が保管・展示されている博物館です。

国宝 土偶 縄文のビーナス
No.80 国宝 土偶 縄文のビーナス
長野県茅野市 棚畑遺跡出土 縄文時代(中期)・前3000~前2000年


国宝 土偶 仮面の女神
No.82 国宝 土偶 仮面の女神
長野県茅野市 中ッ原遺跡出土 縄文時代(後期)・前2000~前1000年


いずれも長野・茅野市蔵(茅野市尖石縄文考古館保管)

本展覧会では、2点の国宝土偶に加えて、尖石遺跡から出土した縄文時代中期の蛇体把手付深鉢形土器が出品されています。
蛇体把手付深鉢形土器
蛇体把手付深鉢形土器
長野県茅野市 尖石遺跡出土 縄文時代(中期)・前3000~前2000年
長野・茅野市尖石縄文考古館蔵


この作品は昭和8年(1933)の発掘調査で出土しました。
土器の口縁部に存在感ある把手がひとつ。
わずかに口を開けた横向きの蛇が跳ね上がらんとしている姿が印象的ではないでしょうか。
縄文時代中期の中部高地周辺では、本例のように蛇を思わせる立体的な装飾が付けられた作品があります。
なぜ蛇をあしらったかはまだよく分かっていませんが、手足がない、成長過程で脱皮をする、毒で時に人に襲い掛かることもある、冬眠をするなど、人とは異なる蛇の特徴的な生態に縄文人が何らかの畏怖や興味の想いを抱いてこうした作品をつくったのかもしれません。

現在尖石遺跡と与助尾根遺跡は遺跡の史跡化が進んでおり、発掘調査時の住居跡や、竪穴住居の復元家屋などが整備されています。
また遺跡内に縄文時代に利用されていた樹木や植物などを植栽し縄文時代の森を育てています。
かつて尖石縄文考古館がリニューアルオープンした2000年に訪れた際は、復元されて間もない新築の復元家屋でしたし、植えられたクリの木も小さな幼木でした。
それから18年がたち、今回訪れてみると、時を刻んでとても味わい深い復元住居に変貌しており、まるで中から縄文人が出てきそうな気配すら感じさせました。
自然の中で暮らしていた山の縄文人の生活風景がここにはあります。
与助尾根遺跡内の竪穴住居の復元家屋
与助尾根遺跡内の竪穴住居の復元家屋(2018年7月)

尖石遺跡の脇には、遺跡の名前の由来となった奇岩「尖石」がひっそりと佇んでいます。
こちらも遺跡を訪れた際はぜひ立ち寄ってみたいですね。
尖石
尖石(2018年7月)


中ッ原(なかっぱら)遺跡
つづいて、同じく茅野市内の中ッ原遺跡をご案内します。
国宝「土偶 仮面の女神」の出土遺跡です。
この土偶は、全体の姿形ももちろん素晴らしいのですが、私は後ろの仮面と頭部を固定するのに縛りつけている十字のひも状の表現など、細かなところにまで装飾が行き届いているのがかっこいいなぁと思います。
 「土偶 仮面の女神」の後頭部にもご注目ください
「土偶 仮面の女神」の後頭部にもご注目ください

本例以外に、この展覧会では山梨県韮崎市後田遺跡(No.106)や長野県辰野町泉水遺跡(No.107)の出土の仮面土偶が展示されています。
似ているようでどこか違う、その姿形や文様を、ぜひこの機会に3作品を見比べてみてはいかがでしょうか。

さて、中ッ原遺跡は縄文時代中期から後期の大きな集落跡です。
弧状に並ぶ住居跡に沿うようにお墓と考えられる穴がたくさん発見されています。
中ッ原遺跡
中ッ原遺跡(2017年6月)

「仮面の女神」は墓のひとつにあけられた小さな穴から横倒しの状態で発見されました。
この遺跡では現地で「仮面の女神」が発見された時の状況が復元されています。
土偶が発見された実際の穴は、保存のため、現在埋め戻されていますが、それとほぼ同じ位置に合成樹脂などで復元されています。
地中からまさに「仮面の女神」が発見された状況がよくわかります。
「仮面の女神」の出土状態の復元
「仮面の女神」の出土状態の復元(2017年6月)

遠くの山々を見渡すことができる見晴らしの良いこの場に立つと、土偶が発見された縄文時代のお墓のあつまり(墓域)がなぜこの場所に作られたのか、なんとなくわかるような気がします。

遺跡へゴー! ~遺跡で楽しむ縄文~その2」へ続く

カテゴリ:研究員のイチオシ考古2018年度の特別展

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posted by 井出浩正(特別展室主任研究員) at 2018年08月22日 (水)