彫刻担当の西木です。
早速ですが、みなさん、
特別展「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」のブログで、
ご本尊の輸送方法をご紹介した記事を覚えていらっしゃいますか?
大きな仏像を運ぶのがどれほど大変か、ということが印象に残っている方も多いかと思いますが、ご本尊の点検作業中に台座の中から木箱が発見されたということにも触れておりました。
箱の中身は、X線CT撮影という調査によって、籾(もみ/脱穀する前のお米)だと判明したと報告しておりましたが、小さい方の木箱にはさらに巻物が入っていることもわかっていました。
台座に納入されていた木箱(大・小)
木箱のX線CT画像(上:タテから見たところ/下:ヨコから見たところ)
籾のうえに筒状のものが見えます
さて、木箱の中に巻物があるとわかっても、X線CT調査では書かれている文字まではわかりません。
また、巻物の状態によっては保存のための処置が必要ですが、実際に見てみないことにはわかりません。
箱自体は明治時代のもののようで、蓋も開けることのできる作りだと確認できたため、櫟野寺(らくやじ)のご住職立ち会いのもと、当館の保存修復課の担当者と一緒に蓋を開けることになりました。
開封作業は環境の整った部屋で行います。
まずは、少しずつ蓋を浮かせて釘を抜き取ります。
木片をクサビにして、少しずつ隙間をあけていき…
ついに、ご住職の手によって蓋が開きました!
すると、中には予想した以上に状態のよい籾と巻物が!
巻物は紙紐でしばられていました。
巻物を広げてみると・・・
「本尊十一面観世音菩薩蓮台座新造願文」という、台座を新しく造ったときの祈願文が書いてありました。
これに、十一面観音の経典がつづきます。あとはずっと関連する経文かと思いきや、「当寺信徒現在人名表」と名づけて、大勢の人名が出てきました!
戸主のあとに家族がつづくという書式で、末尾には総計して戸主が113人、戸主以外の家族が574人と記されており、祈願文が納められた当時、あわせて113世帯、687人もの信徒がいたことがわかりました。
櫟野寺のある櫟野(いちの)の方がご覧になれば、きっとひいおじいさんやひいおばあさんの名前が見つかるのではないでしょうか。
また、「明治四拾五年 五月」の記述があることから、祈願文が明治45年(1912)に納められたことも確認できました。
今から約100年前の櫟野の様子がわかる、大変貴重な資料といえます。
ご住職も、先々代にあたる三浦義聞住職の字だろうかと感慨深くされていました。
仏像には、仏さまの魂となるものや、祈願をこめて、その像内に物品を奉納することがあります。
ご本尊は明治期に修理を行ったことが記録によって知られていますが、
その報告書には、修理の折に仏像内から籾が発見されたことが書かれているため、
籾はそれよりも前、恐らくは江戸時代以前に納められたものと思われます。
もともと仏像などに納められていた品々は、修理などで取り出された後も再び納入することが多く、この時は新しく木箱をつくって納め直したようです。
その際、櫟野寺の信徒全員の願いを込めるために、それぞれの名前を記したのでしょう。
そして100年後にも、その願いはこうして櫟野の子孫に受け継がれているのです。
カテゴリ:news、仏像、2016年度の特別展
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posted by 西木政統(絵画・彫刻室) at 2017年01月04日 (水)