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古典と向き合い続けた小林斗盦(とあん)の多彩な作品

東洋館8室では、「生誕百年記念 小林斗盦(とあん) 篆刻(てんこく)の軌跡―印の世界と中国書画コレクション―」(前期:2016年11月1日(火)~11月27日(日)、後期:2016年11月29日(火)~12月23日(金・祝))を開催しております。先週は、トーハクのアイドル、ユリノキちゃんが、開会式や展示会場の様子をお伝えしてくれました

本展の主な出品作は、小林斗盦(1916~2007)が制作した作品(篆刻・書画)と、収集した作品(古印・印譜・中国書画)に分かれます。そこに、制作に関わる資料などを加えて、6部とプロローグ・エピローグからなる展示構成となっています。今回は、斗盦の制作に関する展示についてご紹介しましょう。

制作に関する展示:プロローグ「篆刻家 小林斗盦」、第1部「古典との対峙」、第2部「作風の軌跡」、第4部「制作の風景」、第6部「翰墨の縁」、エピローグ「刻印の行方」
収集に関する展示:第3部「篆刻コレクション」、第5部「中国書画コレクション」

第1部「古典との対峙」 第6部「翰墨の縁」
左:第1部「古典との対峙」、右:第6部「翰墨の縁」


プロローグ 篆刻家 小林斗盦
本展は、篆刻家・小林斗盦の生涯における記念碑的な作品で幕が開けます。斗盦は昭和58年(1983)、67歳の時に「柔遠能邇」白文円印を第15回日展に出品し、この作で第40回日本藝術院賞・恩賜賞を受賞しました。
言葉は、『尚書』の一節に拠った「遠くの民を安んじ近くの民をよくする」という意味の4字句です。秦時代の円形の印の様式に、絵画的要素の強い西周から春秋戦国時代頃の金文の造形を合わせて、朱白の対比がたいへん美しい、動的で表情豊かな作に仕上げています。
斗盦はその後、実作と研究における優れた業績から、77歳で日本藝術院会員、82歳で文化功労者顕彰、88歳の時には篆刻家として初めて文化勲章を受章します。「柔遠能邇」白文円印は、当代を代表する篆刻家としての位置を確かなものとした、とても重要な作なのです。

「柔遠能邇」白文円印側款拓
    
「柔遠能邇」白文円印 小林斗盦刻 昭和58年(1983) 原印:東京・日本藝術院、印影:個人蔵
左:印影、右:側款拓



第1部 古典との対峙・第2部 作風の軌跡
91年の生涯において、斗盦は実に幅広い作風の篆刻作品を残しました。「古典を尊重模倣し、近世の名人の作品を分析咀嚼して、完璧を期す」という頑なまでに守旧的な制作観は、斗盦を、生涯にわたり篆刻とその前提となる文字や書の資料に向かわせ続け、多様な作品群を生むことになりました。
では、斗盦はどのようなものを学び、自身の篆刻作品を生み出したのでしょうか。第1部では、殷時代の甲骨文や西周時代の金文、戦国時代から南北朝時代までの璽印に、封泥や陶文、そして清時代の名家の篆刻など、作品の背景にある古典を対照させて、斗盦の多彩な作風を概観します。続く第2部では、斗盦の代表的な篆刻作品を年代順にたどり、作風の軌跡を窺います。

「独往」朱文印側款拓
「独往」朱文印 小林斗盦刻 平成11年(1999)  原印:個人蔵、印影:個人蔵
左:印影、右:側款拓


「ただひとりで行く」という意味のこの二字句を、斗盦は作風を変えて、幾度となく制作を試みています。83歳の時に第31回日展に出品したこの作品は、西周から春秋戦国時代の金文を基調としたものです。古代中国の各時代の字形の長所を合わせて、ひとつの秩序を作りだしており、斗盦の金文表現の到達点を示す作と言えます。

婦ひん卣  蓋銘拓
婦ひん卣 中国 西周時代・前10世紀 東京・台東区立書道博物館蔵
左:全景、右:蓋銘拓



「愚者之定物以疑決疑」朱文印側款拓
「愚者之定物以疑決疑」朱文印 小林斗盦刻 昭和62年(1987) 原印:個人蔵、印影:個人蔵
左:印影、右:
側款拓

71歳の時に、『荀子』解蔽の言葉を小篆で刻した作品で、清時代の趙之謙(1829~1884)の作風に倣ったものです。斗盦はこのような趙之謙風の緻密な構成の朱文多字印を得意としました。本作でも、1辺3cm余りの小さな印面に、3行合計9字が手足を伸ばしたかのような躍動感のある字形で布置されています。


第4部 制作の風景
晩年まで衰えることなく数々の名品を生み出し続けた斗盦は、昭和52年(1977)、61歳の時に、川越から東京へと拠点を移し、永田町にある高層マンションの一室に居を構え、そこを制作の場としました。自ら懐玉印室(かいぎょくいんしつ)と名づけた斗盦の書斎は、篆刻という芸術を表すかのように、決して広いとは言えない空間でありながら、そこから無限の創造は紡ぎだされたのです。
第4部では、生前に斗盦が愛用した篆刻の道具や文房具、書斎を彩った文雅な扁額など、懐玉印室という制作の風景を眺めてみます。また、メモ魔でもあった斗盦が、書斎を初めて訪れる賓客に必ず署名を求めたという芳名帳からは、幅広い交遊が窺えます。

行書「懐玉印室」扁額
行書「懐玉印室」扁額 沙孟海筆  中国  中華人民共和国・1988年 個人蔵
前期展示:~11月27日(日)


57歳の時に、師の太田夢庵遺愛の玉印8顆を譲り受けた斗盦は、その喜びから、ほどなくして懐玉印室という室号をつけました。西泠印社長を務めた沙孟海(1990~1992)によるこの扁額は、斗盦にとって、敬愛していた沙孟海との厚誼を記念する特別な意味をもった作品でもありました。本作品は、斗盦篆刻が生まれる懐玉印室という空間、また現代における日中書壇の親密な交流状況をも象徴するものと言えます。

晩年に斗盦が愛用した文具
晩年に斗盦が愛用した文具


第6部 翰墨の縁
篆刻家の作品には、ただ芸術表現に終始したものだけではなく、往々にして実用を意識して制作されたものがあります。斗盦の篆刻作品にも依頼や応酬によるものが多く含まれ、相手や用途に応じた作風が見られるとともに、政界・学界・文壇・芸苑など各界の著名人との交流の様子や斗盦作品の評価の高さが垣間見られます。
例えば、文壇では、永井荷風(1879~1959)や武者小路実篤(1885~1976)、司馬遼太郎(1923~1996)ら誰もが知る作家の印も見られます。第6部では、それらの作から斗盦が生涯に結んだ翰墨の縁を窺います。

「荷風散山」朱文印
 永井荷風からの礼状
「荷風散人」朱文印 小林斗盦刻 昭和24年(1949) 印影:個人蔵
前期展示:~11月27日(日)
上:印影、下:永井荷風からの礼状


「武者小路実篤璽」白文印
「武者小路実篤璽」白文印 小林斗盦刻 昭和48年(1973) 印影:個人蔵
前期展示:~11月27日(日)


「司馬遼太郎印」白文印
「司馬遼太郎印」白文印 小林斗盦刻 平成5年(1993) 原印、印影:大阪・司馬遼太郎記念館蔵
前期展示:~11月27日(日)



エピローグ 刻印の行方
篆刻家は、その人物や、姓名・雅号などに込められた重層的な意味に想いを馳せて、語句にふさわしい作風を考慮して印を刻します。そして人手に渡った刻印は、篆刻家の意図から離れ、所蔵者がつくる新たな場を舞台に、印影として様々な表情を見せます。
例えば書作品に押された印影はどうなのでしょうか。作品の画龍点睛となる印は、あくまでも小さく控えめな存在ながら、時として作品よりも多くの事情を雄弁に語りかけてくれます。本展の結びに、文化勲章を受章した青山杉雨(1912~1993)による書作品から、篆刻家・小林斗盦が残した刻印の行方を眺めてみましょう。

篆書「胸中丘壑」額
篆書「胸中丘壑」額 青山杉雨筆 昭和62年(1987) 東京国立博物館蔵(水谷洋氏寄贈)

青山杉雨は30歳の頃に西川寧に師事して、昭和から平成初めにかけて書道界の発展に大きく寄与した人物です。杉雨はこの作品に西川門の同輩である小林斗盦の刻印3顆、「東夷之書」朱文印(引首)、「文長寿」白文印(落款)、「囂斎」朱文印(押脚)を使用しています。書作品に押された印影は、筆者のサインであるに留まらず、書を効果的に引き立て、作品を影ながら支える存在と言え、そこには筆者の好尚が反映されます。


東夷之書」朱文印「文長寿」白文印 「囂斎」朱文印
左:「東夷之書」朱文印 小林斗盦刻 昭和61年(1986) 原印:個人蔵、印影:個人蔵
中:
「文長寿」白文印 小林斗盦刻 昭和59年(1984) 原印:個人蔵、印影:個人蔵
右:「囂斎」朱文印 小林斗盦刻 昭和48年(1973) 印影:個人蔵


生涯、古典と向き合い続け、その美しさを背景にもつ斗盦の多彩な作品を通して、篆刻という方寸の世界に繰り広げられる壮大な芸術をお楽しみいただければ幸いです。


本展図録をミュージアムショップにて販売中!

図録
「生誕百年記念 小林斗盦 篆刻の軌跡 ―印の世界と中国書画コレクション―」
編集・発行:東京国立博物館、謙慎書道会
定価:2,500円(税込)
全298ページ(A4判変形)
 


関連事業

月例講演会「小林斗盦の篆刻の世界」 
2016年11月19日(土) 13:30~15:00  平成館大講堂
定員380名(先着順)
聴講無料(ただし当日の入館料が必要)

 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開中国の絵画・書跡

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posted by 六人部克典(登録室アソシエイトフェロー) at 2016年11月10日 (木)