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1089ブログ

源頼光の大江山酒呑童子退治

このあいだお正月と思ったら、1月も早や終わり。「1月は行く 2月は逃げる 3月は去る」と申しますが、特にせわしない年度末は、時間の経過がいっそう早く感じられます。さて2月3日は節分。紙のお面を付けて鬼の役をする人は、とんでくる豆にお気を付けください。(余談ですが、あのシンプルに炒っただけの大豆、くせになりますよね~)今回は節分にちなんで、鬼退治をテーマとする美術工芸品のお話をしたいと思います。

ご紹介するのは、「頼光大江山入図大花瓶(らいこうおおえやまいりずだいかびん)」。2点1セットで、高さが127センチ近い大作です。富山・高岡の鋳金工であった横山孝茂(たかしげ)・孝純(こうじゅん)親子が共同制作し、明治6年(1873)のウィーン万国博覧会に出品されました。全体を銅の鋳造で作り、金や銀、赤銅(しゃくどう・金と銅の合金)や四分一(しぶいち・銀と銅の合金)などを交え、多様なモチーフを、鋳金と彫金の技法を駆使して平面に立体に表しています。龍・蛟(みずち)・邪鬼や虎・三猿(見ざる聞かざる言わざる)・亀などの動物、松葉・紅葉・銀杏などの植物、列弁文や幾何学文など、日本の伝統的なモチーフや文様ですが、その種類は数え上げたらきりがないほど。しかも技術の精巧さと表現の豊かさ!一体どうやって作ったのか、完成に幾日を要したことか・・日本のハイレベルな金工品が、世界に驚嘆をもって迎えられたことは、想像に難くありません。

頼光大江山入図大花瓶
頼光大江山入図大花瓶
横山孝茂・横山孝純作 明治5年(1872)  ウィーン万国博覧会事務局
(本館18室にて通年展示)

頼光大江山入図大花瓶

頼光大江山入図大花瓶

まだまだ語り尽くせぬ作品の魅力。ですが今回は、胴の部分に表わされた物語に注目します。2点の花瓶の胴部表裏4箇所に描かれた物語は、作品の名称にもなっているとおり、武勇で知られた源頼光(みなもとのよりみつ・らいこう 948~1021)らが大江山で酒呑童子(しゅてんどうじ 酒天童子とも)を征伐したという、お伽(とぎ)話の中の場面なのです。このお話を描いた絵巻や絵本は、江戸時代には広く人々の目にするところとなり、近代も戦前までは、誰もが小さいころ、一度は目にし耳にした、お伽話の代表ともいわれています。お話の内容には、いくつかの系統があるようですが、ここでは一般的な筋書きにしたがって、場面を見ていきます。比較の対象として、当館の所蔵する「酒呑童子絵巻」(伝狩野孝信筆 江戸時代・江戸時代17世紀 ※現在は展示されておりません)をあげます。(なおこの絵巻では、舞台が大江山ではなく伊吹山となっています)

【第1場面】(A瓶-表)山伏姿の3名が、滝の落ちる山中に丸木を掛け渡っています。左上には老人と童子の姿がみえます。
悪鬼の酒呑童子は大江山にひそみ、子分の鬼たちに命じて、都から女性をさらっていました。帝は勇猛な武人として聞こえた源頼光(みなもとのよりみつ・らいこう)をはじめ、渡辺綱(わたなべのつな)、坂田金時(さかたのきんとき)、卜部季武(うらべのすえたけ)、碓井貞光(うすいさだみつ)、藤原保昌(ふじわらのやすまさ)6名に、酒呑童子討伐の命をくだし、おのおのは山伏姿に身を変えて、住吉・八幡・熊野の3神に導かれながら、難所を越え山中に踏み込みます。大花瓶では、山伏は3名、神々は2柱ですが、あとの3名1神を次の場面に分けて配したものと思われ、これは山伏の衣装の文様が6パターンあることからも明らかです。縦長な画面という制約の中で、人物など主題をできるだけ大きく見せようと配慮したのでしょう。これは裏面でも同様です。
第一場面
左:頼光大江山入図大花瓶 第1場面(A瓶-表) 以下同
右:酒呑童子絵巻 伝狩野孝信筆 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵(現在展示されていません) 以下同



【第2場面】(B瓶-表)一行の前に川辺で衣服を洗っている十二単姿の女性がいます。右上には神の姿。左上は酒呑童子の棲家で、門前には見張役の子分の鬼たちがいます。
頼光らは途上の川辺で、泣きながら衣服を洗っている女性に出会います。わけを尋ねると、「酒呑童子たちは、都から女性をさらってきては殺し、体を食べ血を飲んでいます。私はこうして血の付いた服を洗っているのです」。女性から鬼たちの棲家を聞き出した一行は歩みを進めるのでした。
第2場面
左:第2場面(A瓶-表)
右:酒呑童子絵巻


【第3場面】(A瓶-裏)十二単をまとった女性にかしづかれ、大きな酒盃を前にした総髪の大男。その前では、扇を手ににぎやかに舞い踊る山伏たち。
一行の前に現れた酒呑童子は、鬼ではなく人間の姿をしていました。一行を山伏とみて信用した酒呑童子は、彼らを酒宴に誘います。頼光たちは持参した酒を酒呑童子たちにふるまいますが、実はこの酒、神々より授かった神通力のあるもの。鬼が呑めば毒となり、しびれてしまうのでした。盃を重ねた酒呑童子はすっかり参ってしまい、奥へ引き取ります。
第4場面
左:第3場面(A瓶-裏)
右:酒呑童子絵巻


【第4場面】(B瓶-裏)山伏たちは、子分の鬼たちに酒を勧めます。すでに酒呑童子の姿は見えず、酩酊して寝込む鬼の姿も見えます。
奥に下がった酒呑童子をよそに、山伏たちと鬼たちは酒盛りを続けます。不思議な酒の力で子分の鬼たちは次々と倒れ伏していきます。A・B瓶の表側では、向かって右から左へと話が展開していますが、絵巻の場面の順番に従うなら、裏側では向かって左(A瓶)から右(B瓶)へと進行していることになります。つまり表側をA→B瓶へと見て後ろに回りこみ、普通ならば裏面を右から左つまりB→A瓶と見ていくのでしょうが、そうすると絵巻とは場面の順番が異なることになります。あるいは別系統の絵手本にならったのか、そのあたりはさほど頓着しなかったのか。
第3場面
左:第4場面(B瓶-裏)
右:酒呑童子絵巻



大花瓶では、お話しはここまで。こののち頼光らは、背負っていた笈(おい)から甲冑を取り出して着けると、酩酊して鬼の正体を現した酒呑童子や配下の鬼たちを次々と斬り倒し、女性たちを救い出して都へと戻るという、ドラマチックな場面が展開するのですけれど。昨年10月放映の「ぶらぶら美術・博物館」で、この大花瓶をご紹介した時も、山田五郎さん、おぎやはぎさんから、「オチないじゃん!」と突っ込まれました。(そう仰られても・・)


酒呑童子絵巻


この大作が製作された明治初期は、老若男女だれもがよく知っていたであろう、源頼光や渡辺綱の酒呑童子退治の物語。当時の人々は、大花瓶の図柄を見て「ああ、あのお話しだ。」とすぐに理解できたはず。長く親しまれてきた日本の武勇伝だからこそ、横山親子は様々なモチーフとともに、日本的なものの象徴としてこの物語を択んだのでしょう。

そして、この作品とともにぜひご覧いただきたいのが、国宝の太刀 伯耆安綱(童子切安綱)です(本館13室にて3月13日(日)まで展示中)。源頼光が酒呑童子を切った太刀の伝説に仮託されての号「童子切」。当館の誇る名刀、もはや言葉は不要。ぜひその目で確かめてください!


国宝  太刀 伯耆安綱(名物 童子切安綱) 平安時代・10~12世紀 東京国立博物館蔵



 

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posted by 伊藤信二(広報室長) at 2016年02月02日 (火)