このページの本文へ移動

1089ブログ

明恵上人の弥勒信仰が体現された小宇宙

連日たくさんのお客様にご観覧いただいている、特別展「鳥獣戯画-京都 高山寺の至宝-」。
大幅な展示替えを経て、19日(火)からは、新たなラインナップが展開しています。
ここでは、後期展示の一作品をご紹介します。
重要文化財 阿字螺鈿蒔絵月輪形厨子(鏡弥勒像)(あじらでんまきえがちりんがたずし(かがみのみろくぞう))です。

  
重要文化財 阿字螺鈿蒔絵月輪形厨子(鏡弥勒像)鎌倉時代・貞応3年(1224) 京都・高山寺蔵 
※展示期間:~6月7日(日)
(左)図1 厨子の表面(扉を閉じたところ)、(右)図2 厨子の背面


総体を木でつくり、全体に黒漆を塗った、小型の厨子(仏像を安置するキャビネット)です。
表面には、金蒔絵や夜光貝(やこうがい)の螺鈿(らでん)で文様を表しています。
両開きの扉の表には、螺鈿で字の片身ずつをあしらい、扉を閉めたときに、梵字(ぼんじ)の「ア」となる仕組み。
厨子が円形(月輪形)で、その中に蓮華座上の「ア」字を納める意匠が、密教の重要な観想法である「阿字月輪観」(あじがちりんかん)に通じることから、この名称があります。
また厨子の背面側は、朱漆や螺鈿、水晶などを使って「五輪塔」(ごりんとう)を表しています。(図1・2)


図3 厨子の内面と扉絵

高さ12.5センチ、奥行3.9センチの小さな規格に、これだけ細かい装飾技法が駆使されていることに、すでに驚かされますが、扉を開けると、中央には輝くばかりの仏像が(図3)。
像は木造彩色で、五体の仏像を表した宝冠をかぶり、腹前で手のひらを上に向け重ねた「定印」(じょういん)を結んでおり、手の上には蓮華座が乗っています。
今は失われていますが、手のひらの蓮華座上には、小さな五輪塔(おそらく水晶製だったのでは?)が乗っていたのでしょう、その図像から、弥勒菩薩(みろくぼさつ)と判断されます。
扉の内側に描かれた不動明王(ふどうみょうおう・向かって右)、降三世明王(ごうざんぜみょうおう・向かって左)は、重要文化財 弥勒曼荼羅(みろくまんだら)(図4)にも描かれるもので、このことも本像が弥勒尊であることを裏付けます。
美しく整った像容、理知的な顔立ちは、会場でも展示されている白光神立像(びゃっこうしんりゅうぞう)(図5)などにも通じ、白光神像や善妙像など高山寺の諸像を手がけたといわれる、仏師湛慶(ぶっしたんけい)の作との見方もあります。


図4 重要文化財 弥勒曼荼羅 鎌倉時代・13世紀 東京・霊雲寺蔵 ※展示期間:~6月7日(日)


図5 重要文化財 白光神立像 鎌倉時代・13世紀 京都・高山寺蔵 ※全期間展示

その弥勒像は像高わずか6.5センチ(図6)。しかし細部の造作はあくまで徹底して間然しません。
眉間の「白毫(びゃくごう)」を水晶で表すのは、当時の通例としても、その極小ぶり!
そして手のひらの蓮華座は、なんと金属製(銅製鍍金)です。
衣服にはこれまた微細な、截金(きりかね)の文様装飾が(図7・8・9)。銅製鍍金の透かし彫りの光背も入念で、金色を放つ弥勒像と、銀板を貼った内部空間の白く冴えた輝きの対比も見事。
大きさ、形状、意匠、そして卓抜な細工の妙という点から、仏像を納める厨子としては、同時期に類を見ない、相当に特異な存在といわざるをえません。


図6 阿字螺鈿蒔絵月輪形厨子内の弥勒像。像高わずか6.5センチ!

 
(左)図7 白毫は極小の水晶粒!(右)図8 小さな蓮台は金銅製!もとは上に五輪塔があったは


図9 そして着衣には、細やかな截金の文様装飾が!

造形美に加え、この小品には明恵上人や、明恵をとりまく人々の信仰思想、営為動向が、濃密に絡んでいます。
そのためでしょう、これまでにもたびたび、論考の対象として取り上げられてきました。
注目すべきその一つが、現在は見ることのできない、厨子内部や像背面の梵字と銘文についての言及です。
銘文の記述から、高野山の玄朝(げんちょう)(1184?~?)が、貞応3年(1224)亡き母を弔うために制作せしめたものであることがわかり、また本作品の図像の背景には、密教の、さらには密教と華厳の融合「厳密融合」の教理にもとづく弥勒尊の捉えかた、いわば「弥勒観」があるということが指摘されています。
後にこの厨子は明恵上人のもとに渡り、念持仏となったようです。
臨終のさい明恵上人が弟子に与えた品々を記した目録の中にある「鏡弥勒像一躰」が、本作品に該当するとされ、その後いったん高山寺を離れ、江戸時代に再び高山寺に寄付されました。
像の背面に銀色の「鏡板」(かがみいた)を有することから、「鏡・・」と呼んだものと思われます。

銘文の記述内容からすれば、もともとこの「鏡弥勒像」は、明恵上人その人ではなく、高野山玄朝のもとで制作されたものということになります。
しかしその弥勒観や思想背景、人物相関は、明恵自身と深く通じるものでもあるのです。
本作品の制作に明恵が少なからず関与していた、もはやそう言ってよいのではないでしょうか。
高野山の玄朝は明恵とも親交があった人物でした。
また明恵自身が、同様の図像の弥勒像に強い関心をよせていたことが知られています。

本展覧会に関わる中で、高山寺には、一種独特ともいうべき明恵上人の思想動向と、それを反映した造形物や資料類が、それもきわめて高い質的価値を有するものが、豊かに伝えられているということを、強く感じています。
本作品は、そうした在り方を、最も端的に表しているように思います。
明恵上人の弥勒信仰が最も凝縮し体現された小宇宙(コスモス)は、今まばゆい光を放ち、宇宙の彼方へと私たちをいざなうようです。

カテゴリ:研究員のイチオシ2015年度の特別展

| 記事URL |

posted by 伊藤信二(広報室長) at 2015年05月23日 (土)