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特集陳列「江戸城」で城内探検!

本館16室で開催中の特集陳列「江戸城」(12月23日(月・祝)まで 本館16室)、もうご覧になりましたか?

260年の長きにわたって天下を治めた徳川将軍家の居城、江戸城。
外堀の総延長は14キロメートルに及び、天高くそびえる天守を備えた広大かつ壮麗な建築でした。
現在も牛込―赤坂間に残る外堀や、田安門、清水門、外桜田門(いずれも重要文化財)など、皇居周辺の門と櫓(やぐら)などに往時の姿をしのぶことができます。
この特集では、江戸城の建築指図や上棟式に関わる資料、明治初期に撮影された写真、さらに近年発掘された遺物を合わせてご覧いただき、江戸城の威容を振り返ります。
東京都教育委員会・千代田区教育委員会・東京都立中央図書館・東京都江戸東京博物館所蔵の資料もまじえ、たいへん充実した展示になりました。

まずは、江戸城本丸御殿松の廊下をのぞいてみましょう。

そう、あの忠臣蔵の刃傷事件で有名な「松の廊下」です。


江戸城障壁画 本丸松廊下 伺下絵 狩野探淵・住吉弘貫筆 江戸時代・弘化2年(1845)

といっても、もちろん本物は残っていません。
こちらは、襖絵の下書きです。幕府御用絵師の狩野晴川院養信らが描いたもの。
実際に襖に描く前に図案を示してこれでよいかどうか伺いをたてたものです。時代劇でよくみる大松ではなく、なんだか上品な小ぶりな松が描かれていたのですね。
気になるのは、なんといっても大奥です。
きっと、贅を尽した意匠が凝らされていたことでしょう。
こちらは、その一端を伝える貴重な資料。


御本丸大奥御畳方御用雛形帳  江戸時代・文化10年(1813)~文政5年(1822)

江戸幕府に代々仕えた御用畳師 伊阿弥家に伝わる資料です。
江戸城はじめ日光、久能山などの他、御三家の畳御用をつとめた際の記録で、実際に使用した畳縁(たたみべり)の小裂を貼付けた仕様記録です。

江戸城は、家康・秀忠・家光の徳川三代にわたる天下普請によって、空前絶後の規模をもつ城郭となりますが、その後、何度も火災によって焼失します。そして、そのたびに再建されました。
そんな再建の際の資料から、弘化元年(1844)の普請の際の上棟式の様子をご覧いただきましょう。


江戸城本丸上棟式図 江戸時代・19世紀

華やかな儀式の様子を今に伝えます。
そして、江戸城本丸の上棟式の際に使われた装飾的な大工道具。


江戸幕府の大工棟梁柏木家に伝わったものです。

 


上棟式道具 墨壺 江戸時代・19世紀 柏木貨一郎氏寄贈

江戸城は大火に見舞われることもありました。
こちらは、三葉葵文をあしらった鬼瓦。
 


三葉葵鬼瓦 江戸時代・17世紀 汐見多聞櫓台跡遺跡出土 千代田区教育委員会蔵

表面が焼けて赤くなっているところから、明暦の大火(1657年)で焼け、廃棄されたものと推定されています。

このほか、明暦の大火によって焼け、廃棄されたとみられる陶磁器も発掘されています。
それらは、江戸城本丸御殿で使用されていたものと考えられますが、なかには明代の青花磁器や肥前産の色絵など高級品が多く含まれています。今回の展示では、青磁の花瓶の破片を展示しています。

当館の資料のなかから注目していただきたいのは、「旧江戸城写真帖」(重要文化財)です。
明治4年(1871)に太政官少史・蜷川式胤が、写真師・横山松三郎に江戸城を撮影させたもので、すべての写真にあの「鮭(重要文化財、東京藝術大学蔵)」でおなじみの高橋由一が彩色を施しています。


重要文化財 旧江戸城写真帖 蜷川式胤編、横山松三郎撮影、高橋由一着色 明治4年(1871)

右の建物は、天守台の西の番所。中央が旧金蔵、左は乾の二重櫓。
江戸城開城からたった数年で、すでに荒れ果てている様がわかります。
見返しに付されていた文書には、「破壊ニ不相至内、写真ニテ其ノ形況ヲ留置」ことは「後世ニ至リ亦博覧ノ一種」になるとあります。朽ちてゆく文化遺産を写真で記録にとどめようという意図が明確にあったことがわかります。このあと江戸城は、明治6年に焼失しました。


今週末7日(土)には講演会「江戸城築城400年-発掘成果にみる江戸城の姿-」も開催されます。

13:30~15:00  平成館大講堂
講師:
後藤宏樹(千代田区図書・文化資源担当課文化財主査)
冨坂賢(九州国立博物館学芸部文化財課長)

東洋館ミュージアムシアターで関連プログラムVR作品「よみがえる江戸城─本丸御殿・松の廊下から天守閣へ─」を上演中

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 小林牧(広報室長) at 2013年12月05日 (木)