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上海博物館展特別企画~湊信幸氏に聞く、中国絵画への想い~

特別展「上海博物館 中国絵画の至宝」担当研究員・塚本麿充が、2009年まで東京国立博物館の副館長をつとめた湊信幸氏に、中国絵画への想いについてお話を伺いました。
今回はそのインタビューの模様をお伝えします。


会談の様子
左:湊信幸氏 右:塚本研究員


展示室に満ちる「清澄の気」


塚本(以下T):本日はお時間をいただき誠に有難うございます。どうぞ宜しくお願いいたします。

湊(以下M):こちらこそ、宜しくお願いします。

T:東京国立博物館では、毎年秋に特集陳列「中国書画精華」を行っています。

M:昔、台北の故宮博物院で毎年秋に「書画精華展」がおこなわれていたのですが、ちょうど、北京の故宮博物院でも秋は書画の名品展をしていましたので、これに合わせて東京でも「中国書画精華」をやろうということで始めたものです。
毎年秋に東京に来れば中国書画の名品がみられるということで、次第に知られるようになり、国内のみならず中国や欧米からも、たくさんの人がみえるようになりました。
特に日本に伝わった宋元画は、中国や欧米に伝わったものとはかなり異なる日本独特のものがありましたので、両故宮の書画精華をご覧になった多くの人は、その違いにお気づきになったかと思います。

T:そして今年の秋は「上海博物館展」を開催中です。まずは展示をご覧になった感想などをお聞かせください。

M:展示室に入ると、「文人の世界」というようなものを感じました。
特に倪瓚の「漁荘秋霽図」や多くの文人の跋をもつ銭選の「浮玉山居図巻」は、作品がその場を支配しているように感じますね。
作品は文人たちの生きた証であり、おのずと気を発しているようです。清澄の気、とでも言いましょうか。
おそらく、どなたでもその空気を感じることができるでしょう。そこには文人の追い求めた世界があるように思われます。


げいさん  せいべんいんきょず  展示風景
(左)一級文物 漁荘秋霽図軸(ぎょそうしゅうせいずじく)
倪瓚筆 元時代・1355年 上海博物館蔵
展示期間:10月27日(日)まで

(中央)一級文物 青卞隠居図軸(せいべんいんきょずじく)
王蒙筆 元時代・1366年 上海博物館蔵
展示期間:10月29日(火)~11月24日(日)

(右)展示風景


せんせん
一級文物 浮玉山居図巻(ふぎょくさんきょずかん)(部分)
銭選(せんせん)筆 元時代・13世紀 上海博物館蔵

展示期間:10月27日(日)まで


東博の毎年秋の中国書画精華もそうですが、日本で中国絵画の名品展を開催すると、東山御物をはじめとする、李迪、馬遠、夏珪などの南宋の院体画、牧谿、梁楷、因陀羅などの水墨画や寧波あたりの宋元仏画などが中心になってしまいますが、今回はそれとは全く違います。
日本にはほとんど存在しなかった、しかし、中国できちんと伝来してきた元の倪瓚、王蒙や明の呉派を代表する文人たちの、中国絵画の「本流」といわれるものが来日していることです。これは誠に意義深いですね。

T:湊さんは20年前にも上海博物館展を担当され、今回も本展覧会の開催にご協力いただきました。

M:20年前の上海展は、中国の宋元の書画が初めて海外で公開されたことで大変話題になりました。
当時、上海博物館は10件の宋元画を出品する用意がありましたが、来日がかなったのは6件でした。
何が最後に残るかは分かりませんでしたので、その6件のなかに、一番来日を望んでいた倪瓚の漁荘秋霽図軸と王蒙の青卞隠居図軸が残っていたのは、本当にほっとしましたね。この2件は中国においてその後の文人画の規範となった作品で外せないものでしたから。
今回は、宋元だけで20件も来ていますね。大変感慨深いです。倪瓚と王蒙の2件は、その後、上海では会っていますが、20年をへて東京で再び会うことができたことも大変嬉しく思います。


湊さん


上海と東京の、素敵な関係


T:湊さんの、中国絵画との出会いを教えてください。

M:私の通っていた大学には当時、山根有三、秋山光和、鈴木敬という大先生がおられ、それぞれの先生から実にいろいろなことを教わりましたが、中国絵画との出会いとなると、鈴木先生の元代絵画史研究という講義を聴いたことから始まります。
卒論のテーマを決める時期になった頃、ある日、鈴木先生が、「これをやってみないか」と、台北の故宮博物院にある元時代を代表する文人画家で元末四大家の一人である黄公望の「富春山居図巻」のコロタイプの複製巻を持ってこられました。
宋画というものは、見ればそれなりに何か分かるような気がするものですが、元の黄公望の「富春山居図巻」という水墨の山水長巻は、なかなかつかみどころがないように思えました。
卒論を書いた翌年の1973年に鈴木先生の調査グループの一人として台北の故宮博物院を訪問して、初めて本物を見たのですが、その淡い水墨の表現の見事さは、想像をはるかに超えるもので感動しました。
鈴木先生が「これをやってみないか」とおっしゃった意味をようやく悟ったような気がしたものです。

T:湊さんが日中国交回復後の中国に初めて行かれたのはいつでしょうか。

M:1984年の秋です。島田修二郎先生、鈴木敬先生を中心とする中国絵画調査団の一人として北京故宮、遼寧省博物館、吉林省博物館、天津芸術博物館など北の方をまわりました。
そして、翌年、上海博物館をはじめ、南京、揚州、鎮江、蘇州、杭州、寧波などの南の方をまわりました。

寧波では大変な発見(?)がありました。
南宋時代の寧波の仏画師で陸信忠というのがいますが、その作品には「慶元府車橋石板巷 陸信忠」という落款があります。
(参考図版:重要文化財 仏涅槃図(陸信忠筆  南宋時代・13世紀 宝寿院旧蔵 奈良国立博物館蔵)
「千年丹青展」でも出品された作品です。落款部分は画像右下あたりにありますので、画像を拡大してご覧ください。)
慶元府は寧波のことです。調査団には鈴木先生と宋元仏画の総合調査を長くされていた戸田禎佑先生、海老根聰郎先生がいらっしゃったのですが、皆で、陸信忠の落款にある車橋の石板巷という場所を探そうということになり、苦労した末に、とうとう石板巷という地名にたどりつき、皆で大騒ぎしました。
この顛末については海老根先生が「國華」誌に報告を書いています。
また、杭州では牧谿がいたという西湖畔の六通寺址を訪ねたのですが、牧谿の水墨画のように霧の深い日でした。
牧谿の弟子に蘿窓というのがいて、東博に竹鶏図という有名な作品がありますが、その霧深い中に鶏がいたので、みんなで「あ、蘿窓のニワトリだ!」と、冗談を言ったりして、なかなか楽しい旅でした。


竹鶏図
重要文化財 竹鶏図    
蘿窓筆 南宋時代・13世紀 東京国立博物館蔵



この二度の中国訪問では、中国の博物館に所蔵されている作品もたくさん見せてもらうことができました。
中国に伝わっている作品を見ていくと、鎌倉時代以降、日本に伝わった中国絵画、日本でいわゆる「唐絵」といわれている日本趣味の中国絵画は、中国に伝わっているものとはかなり異なるものであることを、改めて感じましたね。
ですから、20年前の上海展では、日本には伝わらなかった中国絵画、特に文人の作品に重点をおいて選択して東京に持ってきたのです。


93年図録表紙 
1993年開催の「上海博物館展」図録表紙


T:20年前は調査に関してもいろいろとご苦労があったと思います。

M:海外からの展覧会を開催する際、従来は先方の美術館側が選んだ作品をパッキングして持ってくる、ということが一般的でした。
しかし、当時の東洋課では、課長だった西岡康宏さんを中心に新しい展覧会の在り方というものを求めようという機運があり、先方が選んだ作品をそのまま持ってくるのではなく、自分の眼でちゃんと作品を見たうえで出品作品の選定をしようということになったのです。
ですから当時海外展ではまだ一般的ではなかった事前調査をしたのです。
今日は10月11日ですが、今からちょうど21年前の10月11日に事前調査の第一陣(絵画、書跡、彫刻)として上海入りし、それから1週間かけて、上海博の宋元の書画を富田さん(現・列品管理課長)と一緒に全部見せてもらいました。

T:全部ですか!?

M:そう、全部です。毎日たくさん調査するからフィルムが足りなくなって大変でした(笑)。
当時は中国で「中国書画古代図目」が出版されていましたので、その小さな白黒写真をもとにして作品をリクエストし、全部見た後で、何を東京にもってきて展示するかを決めたのです。


中国古代書画図目 中国古代書画図目
「中国古代書画図目」は資料館で閲覧できます。中面、右ページの上段左側に漁荘秋霽図軸が。


T:今では考えられない特別の待遇ですね。

M:そうですね。上海博がわれわれの気持ちをよく理解してくれた結果だと思います。
他の分野もすべて事前調査をさせていただきました。大変有難かったです。
上海博とは、この時以来、強い信頼関係が出来たように思います。
その後、2006年には「書の至宝―日本と中国」展を東京と上海で行いましたが、この時も、お互いがいろいろ困難な問題を乗り越えて誠意をつくしました。


対談 

その後2008年になって、上海博の陳克倫副館長から、上海万博の開催にあわせて日本所蔵の宋元絵画の展覧会を開催したいとのお話がありました。

T:それが「千年丹青-日本・中国珍蔵唐宋元絵画精品展-」ですね。ほとんどが国宝、重要文化財という破格の47件が初めて中国で公開された大展覧会でした。

M:日本にある宋元画は、中国の人は一部の研究者を除いて、ほとんど見たことがなかったのです。
日本に伝わった宋元画は中国にはほとんど伝わっておらず、中国に里帰りさせて、中国の人々に見ていただくのは大変意味のあることだと思いました。
「千年丹青展」は、日本にある宋元画と中国にある宋元画の名品を一堂に集めて展示するものとなり、初めて中国絵画史における宋元画の全体像がみえてくるという画期的な展覧会になったといえます。
日本と中国の多くの関係者の協力を得て、おかげさまで「千年丹青」展は実り多いものとなりました。

T:そのお返し展が今回の展覧会です。
図録ではそのために、展示作品のみならず、東博を中心として日本所蔵の中国絵画を挿図としてたくさん用い、中国絵画の全体像がわかるようにしました。
上海博物館と東京国立博物館は、本当に良い関係を築き上げてきましたね。

塚本さん 湊さん


アジアの未来を、東洋館で


T:学生時代以来、中国絵画の研究はどのように変化したとお感じですか?

M:現在、この展覧会で展示されているような中国絵画の一級の名品が見られるようになったのは、つい最近のことで、戦前までは、そもそも、どこにどのくらい、いいものがあるのか、充分に分かっていなかったと思います。
鈴木先生が創めた中国絵画総合図録の調査と資料公開により、中国絵画のコレクションに関しては世界的に情報公開が進んできたと思います。
また鈴木先生が、これからの中国絵画研究は中国人と中国語で議論できるようでなければいけないとおっしゃっていましたが、日中国交回復後、中国に留学して勉強して帰ってきた人材も増え、中国、欧米とともに日本においても、ようやくいろいろな意味でインターナショナルな研究の環境が整ってきたように思います。
塚本さんもその一人ですね。

T:リニューアルなった東洋館の魅力や、これからのご研究についてお聞かせください。

M:東洋館は、今回のリニューアルによって、従来、充分展示できなかったものも展示されるようになり、また、各分野の展示もとても見やすくなり、作品一つ一つが実によくみえるようになったと思います。
中国書画の展示室に関していえば、文人の部屋を作り、その鑑賞空間を再現したいと思ってきましたが、今回のリニューアルで、文人の机や文房具などを展示するコーナーが出来て、展示室の雰囲気が随分よくなったと思います。
東洋館は、アジア諸地域の文物をまとめて総合的に見ることのできる日本最大の施設であり、日本が絶えず外国とつながっていることを、作品そのものを通して知ることができる場所だと思います。
日本文化を知るためにも、アジアの他の地域の文化を知り、相互に比較する視点は大事だと思います。
例えば、近年、東アジアの絵画とよくいわれますが、これについても、従来は、中国、朝鮮、日本についての相互交流が専らであったと思いますが、これからは東アジアの絵画の中に琉球の存在も意識してみていくことが必要と思っています。
中国からの文物は寧波のみでなく、中国の福建-琉球-薩摩を通して日本に伝わったこともあるはずで、そのことに注意する必要があると思っています。
東洋館においても、そのようなアジア世界の多様性を、特集陳列などで展示してほしいですね。

T:これからも東洋館の面白さを、多くのお客様に伝えていきたいと思います。湊さん、本日は貴重なお話を有難うございました!


お二人の、中国絵画への熱き想いが感じられるインタビューでした。
ぜひ特別展「上海博物館 中国絵画の至宝」を見て、文人気分を盛り上げていただければ幸いです。


二人の写真

湊信幸:1977年東京国立博物館東洋課研究員。中国美術室長、東洋課長、学芸部長、文化財部長などをへて副館長。2009年退職。現在は名誉館員・客員研究員。「米国二大美術館蔵 中国の絵画」、「上海博物館展」、「吉祥-中国美術にこめられた意味」、「千年丹青」展などの特別展を担当。

塚本麿充:東京国立博物館 東洋室研究員。特別展「北京故宮博物院200選」や、特別展「中国山水画の20世紀 中国美術館名品選」の絵画担当。

カテゴリ:研究員のイチオシnews2013年度の特別展展示環境・たてもの

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posted by 塚本麿充(東洋室) at 2013年10月24日 (木)