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江戸時代が見た中国絵画(3) いくつもの「中国絵画史」へ―江戸の中国絵画研究―

ある論文で東博のOB研究員が『君台官』という書物を引用していたことがあります。最初は有名な「君台観左右帳記」の間違いかと思っていましたが、当該箇所が見あたらずにいました。「君台観左右帳記」とは、室町時代に成立した座敷飾りに関する秘伝書で、中国画人の目録が収められているものです。ところが東博には『君台官』という江戸時代に出版された中国画家の書画落款集が所蔵されており、戦前戦後にかけての研究者が、江戸の中国書画研究をしっかり身につけていたことを知りました。

君台官
君台官  江戸時代・承応元年(1652) 東京国立博物館蔵
細かな書き込みは、京城帝国大学美術史学教授であった田中豊蔵(1881-1948)のものです。

(言い訳するようですが)私がこの本を知らなかったのも理由があります。「客観的事実」を探求する美術史のなかでは、『君台官』は重視されておらず、というのもそれが、おそろしく“ばかばかしい”本だからで、あり得ない印章がたくさん含まれているからです。たとえば、南宋の夏珪の項には間違って足利義満「天山」印が入っていますし、「高然睴」、「西金居士」というのも、中国には存在しない日本人が作り出した架空の中国画家です。しかしここには、彼らがあたかも過去の日本で生きていたかのように、その生の証である「印章」が所収されているのです。

『君台官』より、夏珪・西金居士・高然睴・蘇東坡
『君台官』より、夏珪・西金居士・高然睴・蘇東坡
有名な北宋の文人・蘇軾や、郭煕・李成といった画家の印章もありますが、ほとんどは偽印です。


これらは言わば、“事実”としてはいなかったけれども、江戸時代には確実に“存在”していた不思議な画家と印章たちです。“客観的事実”を重視する立場から、これらを否定、もしくは無視することは簡単です。しかし、それは本当に意味のないものなのでしょうか。

 和刻本 図絵宝鑑 6冊 夏士良編 江戸時代・18世紀
和刻本 図絵宝鑑 夏士良編 江戸時代・18世紀、原本=元時代・至正25年(1365)序 東京国立博物館蔵
“純粋”なものほど"正統"に近いという考えは再考の余地があるでしょう。混雑した文化(クレオール)にも魅力があり、大切な価値を持っていると考えています。



江戸時代に出版された中国絵画に関する書籍には、非常に興味深い傾向が見られます。本来難しい漢文で書かれた書物を、日本での「中国絵画史」の需要にあわせて、内容や体裁を変化させていくことです。
たとえば元時代の『図絵宝鑑』。展示中の日本で出版された『図絵宝鑑』では、中国版にはなかった日本人が編集した「君台官」を附しています。いわば日本で勝手に出版された海賊版のようなものですが、これを「ばかばかしい」とは言えないでしょう。なぜなら、当時の日本人読者のなかには、「図絵宝鑑」に載る“正統”な中国画家たちよりも、もっと身近な、室町時代から日本に舶来されていた画家のことを知りたいという欲求があったはずで、いわば、自分たちに必要な「中国絵画史」を作り出しているからです。どちらもとても重要な、文化的営みだったと言えるでしょう。


清書画名人小伝と清書画人名譜
(左) 清書画名人小伝 相馬九方編 江戸時代・嘉永元年(1848) 東京国立博物館蔵
平易な読み下し風に書いてあります。いろはに順の索引も便利です。
(右) 清書画人名譜 浅野梅堂撰、鷲峰逸人編     江戸時代・嘉永7年(1854)写 東京国立博物館蔵
「西土」の辞書にならい、なんとイロハニ順に中国画家をならべちゃいました。中国からしたら「邪道」ですが、日本人にはすこぶる使いやすい辞書です。


これら一見、“正統の歴史”から取り残された作品や、それに関わったさまざまな人々の歴史に光を当てることが今回の展示の大きな目標です。そしてそこから、「中国絵画史」が、決して一つではないこと、すなわち「いくつもの中国絵画史」が存在していたことをも知りました。


元画録 翠渓老人編 江戸時代・文政4年(1821) 東京国立博物館蔵(徳川宗敬氏寄贈)
元画録 翠渓老人編 江戸時代・文政4年(1821) 東京国立博物館蔵(徳川宗敬氏寄贈
日本で編集された元時代の画家の名鑑ですが、よく見ると名前の上に○●の印がついています。


このことに気付いていたらしい、江戸の画学書があります。当時流行していた元画についてまとめた『元画録』です。


元画録より
元画録 翠渓老人編  江戸時代・文政4年(1821)より
●は日本で評価されているもの。
○は中国で評価されているもの、もしくは真跡の未だ見ざるもの。


この本の作者は、中国も日本のこともよく勉強していたのでしょう、中国の画史書で評価されている画家が日本では評価されず、日本で評価されている画家が中国では評価されていないことを発見していました。
これを作者は「●」と「○」で表しており、現在、当館でも重文になっている孫君沢顔輝宋汝志が「●」、すなわち「日本だけで知られている中国画家」として分類されています。一方、趙孟頫、倪瓚、王蒙、黄公望は、それぞれ「○」。すなわち中国でのみ評価されている画家、もしくは、まだ作品をみたことのない画家です。
これらの画家の真作を日本人が実際に見ることができるようになったのは、大正時代以降でした。この時期、日本では関西の財閥を中心に、世界有数のコレクションが形成され、●の画家よりも○の画家、すなわち中国の“正統”こそが評価されていきます。この時期にこれほどの中国絵画コレクションが短期間に形成されたのも、江戸時代以来の中国絵画研究の濃厚な蓄積があったからとも言えますが、それはまた、日本の長い中国絵画鑑賞史の大きな転換点でもあったのです。


秋林隠居図 王紱筆 明時代・建文3年(1401)
秋林隠居図 王紱筆 明時代・建文3年(1401)
最後に展示されている、20世紀に日本に入ってきた新渡りの作品です。すっきりとした文人表具も、日本伝来の中国絵画とは全く違うのがわかります。


藍瑛十八皴法
(左)「藍瑛十八皴法」 素山高喜筆(江戸時代・安政4年(1857)写)、に図示された「折帯皴」(蕭散体、しょうさんたい)の描き方
(右)「秋林隠居図」の本場の「折帯皴」(蕭散体)
江戸時代にも中国画法の知識の蓄積がありましたが、20世紀になってはじめて本物の「折帯皴」をみた人は、どう思ったことでしょう?


10月1日(火)より開催する「上海博物館中国絵画名品展(仮称)」(~11月24日(日)、東洋館8室)では、この、王蒙、倪瓚など「○」の画家、すなわち「江戸時代が“見られなかった”中国絵画」の名品を一堂に展示します。

王蒙「青卞隠居図」 倪瓚「漁荘秋霽図」(上海博物館蔵)
(左) 王蒙「青卞隠居図」 (右) 倪瓚「漁荘秋霽図」(上海博物館蔵)
いずれも「江戸時代が見られなかった中国絵画」です。
「上海博物館中国絵画名品展(仮称)」(2013年10月1日(火)~11月24日(日)、東洋館8室)で展示予定


二つの展覧会をご覧になれば、「いくつもの中国絵画史」が存在している豊かさ、そしてその重要性に気がつかれるでしょう。
「中国絵画」の歴史は、地理上の「中国」より広く、それを受け入れた多様な人々の歴史でもあります。
現在開催中の特集陳列には南蘋も黄檗もありませんが、世界でも東博にしか出来ない、大切な展示となりました。あらためて先人の残した豊かな遺産に、多くのことを教えられた思いです。
作品たちも久しぶりに本館で昔の仲間たちに出会えて喜んでいるかもしれません。東洋館に帰る前に、ぜひお楽しみくだされば幸いです。


特集陳列「江戸時代が見た中国絵画」は、6月16日(日) まで、本館 特別1室・特別2室にて開催中です。  


シリーズブログ
江戸時代が見た中国絵画(1) “国家”を超える名画・馬遠「寒江独釣図」
江戸時代が見た中国絵画(2) 東博所蔵の木挽町狩野家模本について

 

カテゴリ:研究員のイチオシ

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posted by 塚本麿充(東洋室研究員) at 2013年05月31日 (金)