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特集陳列「動物埴輪の世界」の見方2─鳥形埴輪・鶏編

夏休みを挟んで開催される今回の特集陳列「動物埴輪の世界」(平成館考古展示室、2012年7月3日(火)~10月28日(日))は、大人から子供まで多くの皆さんに是非、ご覧頂きたいと思っています。
前回のブログで説明しましたように、展示は主に鳥形埴輪 →猪・犬形埴輪 → 馬形埴輪の順に構成されていますが、今回はこのうち、最初に“群れ”をなすように展示されている鳥形埴輪についてご紹介します。

猪・犬や馬はいわゆる4つ足の哺乳動物ですが、爬虫類から進化したと考えられる鳥類は四肢のうち、前肢を大きく変化させて、地上から空に活動の場を拡げた動物の代表です。
その活動は空中はもちろん水中や地上にと、(マサに・・・)“飛躍的”に拡がったため、多様な環境に適応した実にさまざまな姿を獲得した動物でもあります。

埴輪の鳥は、このうちいくつかの種類が表現され、明確に造り分けられています。
その訳(理由)はおいおい触れるとして、まずは鳥形埴輪の種類を見ておきましょう。

「動物埴輪の世界」展示風景
鳥形埴輪展示部分(左から:鶏形・水鳥形埴輪)

埴輪の鳥には、主に地上で暮らす鶏と、水上を主な生活の舞台にする水鳥を象ったものがあります。
このうち、鶏形埴輪は古墳時代前期(3世紀後半~4世紀後半)には出現し、実はすべての形象埴輪のうち、家形埴輪と並んでもっとも早く出現します。水鳥形埴輪は古墳時代中期(4世紀末~5世紀末頃)からしか認められません。他に、6世紀以降には猛禽類の鷹形の埴輪も造られました。

一方、鶏形埴輪は埋葬施設が設けられた古墳の墳頂部から出土するのに対し、水鳥形埴輪はしばしば古墳の周濠に築かれた中島などから出土します。
一口に鳥形埴輪といっても、埴輪としての意味と役割は複雑で、その性格は大きく異なっていたことが窺えます。また、いずれも人物埴輪や他の動物埴輪よりいち早く出現することも注目されます。

それでは、最初は鶏形埴輪から見てゆきましょう。
展示ケースの一番はじめに、スッと伸びる円筒部上に美しい姿を見せているのは、栃木県鶏塚古墳の鶏形埴輪です。この埴輪が出土したことで、古墳の名前が付けられたほどの優品です。

頭部には目立つ鶏冠(とさか)と嘴(くちばし)下の肉髥(にくぜん)が付けられ、大ぶりの尾部などからも、一見して立派な雄鶏(おんどり)を象っていることが判ります。
この古墳には別の鶏形埴輪もたてられていたようで、頭部の特徴からさらに雄鶏と雌鶏が認められ、併せて4羽の鶏形埴輪が出土しています。

鶏形埴輪
埴輪 鶏(写真左・雄鶏)、(写真・左:雄鶏、右:雌鶏) 栃木県真岡市京泉塚原 鶏塚古墳出土 古墳時代・6世紀(橋本庄三郎氏他3名寄贈)

一方、鶏形埴輪のもう一つの大きな特徴は、多くが止まり木を掴んだ脚の表現を伴うことです。前3本、後ろに1本の脚指で止まり木をしっかりと掴み、なかに蹴爪(けづめ)まで表現されたリアルな例もあります。
昼間は地上で活動し、夜間は危険を避けるために高い木に止まる鶏の習性を見事に捕らえた造形と考えられます。
このように見れば、鶏形埴輪は餌を探しついばむ「昼間」の姿ではなく、「夜間」の生態を写した造形といえそうです。

鶏形埴輪実測図(奈良県纏向坂田遺跡出土・4世紀)
鶏形埴輪実測図(奈良県纏向坂田遺跡出土・4世紀)
[清水真一論文1996『奈良県立橿原考古学研究所論集』11より]


これらの特徴から、鶏形埴輪は奈良時代の『記紀』に登場する「常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)」の性格と大変よく似ているという説が有力です。

『日本書紀』神代上第七段本文
「[前略] (天照(アマテラス)大神が)発愠(イカリ)まして、乃(スナハ)ち天石洞(アマイハヤ)に入り
まして、磐戸(イハト)を閉(サ)して幽(コモ)り居(マ)しぬ。故、六合(クニ)の内常闇(トコヤミ)に
して、昼夜の相代(アヒカハルワキ)も知らず。[中略] 時に、八十万神(ヤオロズノカミタチ)、天
安河邊に会ひて、[中略] 遂に常世の長鳴鳥を聚(アツ)めて、互いに長鳴きせしむ。[後略] 」

天照大神が弟神の須佐之男(スサノヲ)命の暴虐ぶりに機嫌を損ね、天岩屋戸に隠れてしまってこの世が闇夜となった有名な一節で、困り切った八百万神が集まり知恵を絞って常世長鳴鳥を集めたり、さまざまな祭祀を行った結果、高天原(タカマガハラ=天)と葦原中国(アシハラナカツクニ=地上)に光と秩序が戻った、という日本神話のハイライトシーンの一つです。

ここに太陽を出現させる存在として、常世長鳴鳥(鶏)が登場しています。もちろん神話的な表現ですが、当時の人々にとって太陽の復活と信じられた朝日は、鶏が鳴いて初めて登ると考えられていたことが窺えます。

おそらく、人々は夜明け前に鳴く雄鶏の不思議な能力に畏敬の念を抱き、鶏は太陽神(日神)信仰を支えた時告(ときつげ)鳥として重要視されたことでしょう。
一方、「時の管理」はいつの世でも人々を支配する者の特権です。飛鳥時代の朝廷でも、660(斉明6)年に都城の建設に先駆けて漏刻(ろうこく=時計)が製作され、平安時代に至るまで朝廷が人々に時を知らせたと記録されています。
鶏形埴輪は首長の祭祀権と支配権の象徴として、いち早く形象埴輪群の中心として製作されたようです。

鶏形埴輪
埴輪 鶏(左・雄鶏) 群馬県伊勢崎市赤堀今井町毒島995 赤堀茶臼山古墳出土 古墳時代・5世紀
鶏形埴輪展示全景(右

キジ科の鶏は、紀元前5000頃にはすでに中近東やエジプトで飼われ、紀元前2000年以降にはインド、中国でも前漢代(BC.3~AD.1)には家禽として相当普及していたことが知られています。
日本列島では、鳥形土製品・木製品や骨格資料などによって弥生時代から確認できますが、食肉・採卵用の実用種は江戸時代以降の輸入種で、名古屋コーチンなどのいわゆる地鶏は、明治~大正年間に輸入された中国原産種と日本古来の在来種の品種改良によってつくられた品種です。

動物学の分類では、在来種はすべて鑑賞用などの非実用種に限られるといいますので、日本列島では永らく人間社会に深く関わる動物として位置づけられてきたようです。
今年も猛暑が続き夏も真っ盛りですが・・・、ビールのお供に焼き鳥(♪~)という「定番」はごく最近に成立した風景で、現代人の“常識”だけでは古代の鶏の姿はなかなか見えてこないようです。
是非“先入観”を振り払って、これらの鶏たちを虚心に見つめて頂ければ、我々の祖先の視線に一歩でも近づいて頂くことができるのではないかと思います。

次回は、水鳥形埴輪についてご紹介します。


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カテゴリ:研究員のイチオシ考古

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posted by 古谷毅(列品管理課主任研究員) at 2012年08月20日 (月)