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「青山杉雨の眼と書」の楽しみ方2─青山杉雨の素顔~書斎にまつわるエトセトラ~

青山杉雨の眼と書』の展覧会では、準備の段階から関わることになり、青山家のみなさんと交流を持つ機会に恵まれました。インタビューなど、あらたまった席でお話をお聞きすると、お互い構えてしまうのですが、一緒にお食事をした時や、打ち合わせのために出張した時など、ご家族の方々がさらりと何気なくお話されるときに青山杉雨のエピソードが出ることが多く、その都度、ノートにメモをしていました。
今回の図録には、インタビューでのお話を掲載していますが、このブログでは、インタビュー以外の「青山杉雨の素顔~書斎にまつわるエトセトラ~」を書いてみたいと思います。

青山杉雨は読書量が非常に多く、亡くなるまで本当によく読んでいたそうです。特に、書斎にある薄くて黄色い本の『唐詩選』などは読みこんだ跡があり、鉛筆でたくさんの書き込みがあるといいます。もちろん、他の本にもあちこちに書き込みがあるそうで、あの書斎には、青山杉雨の鉛筆による肉筆がいたるところに残されているのです。

書斎の本棚
書斎の本棚

お弟子さんの指導には、とても厳しかったそうですが、指導が終わると、素の青山杉雨になるそうです。書道のことを抜きにして、書斎と隣接するお稽古場の広いところでみんな車座になって、自分も腰掛けて、社会学など雑談をしていました。お稽古中、怒られてシュンとしていた人たちも、それをやるとみんなニコニコしながらお茶飲んでお菓子食べて、青山杉雨も、お稽古の後のそれをとても楽しんでいたといいます。甘いものが大好きな青山杉雨、お菓子が出てこないと、「おーい、おかあちゃん。今日はお菓子が少ないな」と、お稽古場から大声で叫んでいたそうです。ご令室のトク様は、「”おかあちゃん”と言われると、近所に聞こえるから恥ずかしかった」とおっしゃっていました。ちなみに、青山杉雨は最初、トク様のことをお名前で呼んでいましたが、そのうち「おーい」となり、子供が生まれてからは「おかあちゃん」と呼ぶことが多かったそうです。
お弟子さんたちには、あの書斎で遅くまで『書道グラフ』のお手伝いをしてもらったりして、仕事やお稽古ではとても厳しかったけれど、お弟子さんたちをとてもかわいがり、よく面倒をみていたといいます。

お稽古場の青山杉雨
お稽古場の青山杉雨

お稽古の時間になると、お孫さんの郁子さんは、小さい頃によくお稽古場の机の下にもぐって、そこから、ぶら下げられたお弟子さんの作品を青山杉雨と一緒に眺めていました。みんな、あんなに上手に字を書いているのに、いつも怒っていて、一人も褒めない。「おじいちゃまって、どうしてあんなに怒りんぼなの?」と、祖母のトク様やご両親によく言っていたそうです。

ご家族が、書斎の思い出で一番印象に残っているのは、青山杉雨が亡くなる前の正月に、入院先から最後に家へ帰ってきた時のことだといいます。車椅子で部屋中を案内してほしいとご子息の慶示さんに頼むと、家の中をゆっくりまわり、最後に、一番奥の小さな書斎でずーっと一点を見つめたまま、しばらくいたのだそうです。「父は、これが見納めだと思って見てるのかな…と」。


青山杉雨がいつも座っていた場所からみた書斎

書くことが本当に好きだった青山杉雨。今回復元した書斎には、青山杉雨のいろんな素顔と思い出が、ぎっしりとつまっています。

ユリノキひろば ユリノキひろばではエッセイを募集しています。「青山杉雨の眼と書」の感想をお寄せください。

カテゴリ:2012年度の特別展

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posted by 鍋島稲子(台東区立書道博物館) at 2012年08月04日 (土)