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1089ブログ

美術解剖学のことば 第2回「黒田清輝と美術解剖学」

まず初回は、黒田清輝(1866-1924)の言葉から紹介したいと思います。
黒田が留学先のパリから日本の義母に宛てた手紙には、
美術解剖学やヌードデッサンについての記述が残っています。

義父宛には「一筆啓上仕候・・・」の文語調の手紙で、
義母宛には平易な文章をひらがなで綴っていますが、
かえってその表現が美術解剖学の「本質」を突く、
率直な思いが表われていて味わい深ものがあります。

 明治22(1889)年1月17日附 パリ發信 母宛 封書

この頃は絵の大学校(=エコール・デ・ボザール)の講釈を聞きに、一週間に二度ずつ行きます。
人の骨組みや肉や筋などのお話しにてまことに面白いことでございます。
本当の人の死骸をそこに据えて置いて、
そうして肉などを引っ張り出して講釈をするのですから、中々良く解ります。

初めて人の死骸の半分皮の剥いであるのを見たときには、
なんだかいやな心持ちがいたしましたけれども、
二度も見ましたら、もう何とも無いようになりました。


死んでいる人間を、いやどんな動物でも解剖して、その仕組みを見るということは、
皮を剥ぎ、ナイフやメスを使って「切ら」なければなりません。
それは一見怖いような、気持ちが悪いような気もしますが、
黒田が母への手紙に書いているように、「二度も見ましたら、もう何とも無いようになりました。」

僕は黒田のその言葉に、アーティストとしての生まれ持った素養、光るものを感じます。
正しく対象を「見ること」、そして木炭や絵筆をとって「画面を切る=描くこと」、
その「痕跡」として残された画面が、
美術作品としていま私たちの目に訴えかけるものを残しています。

   解剖学実習
解剖学実習 1987年2月
東京藝術大学の美術解剖学で、4名のグループで3日間の実習を行いました。
ウサギを解剖して、足の骨・筋肉・腱の構造を観察しているところです。

明治22(1889)年5月3日附 パリ發信 母宛 封書

(前略)久米さんの知っておる人が、近々のうちに日本へ帰るそうですから、
その便から私が学校で描いた絵を送ってあげます。
昨年中から今年にかけて描いたのです。みんな男や女の裸んぼです。(中・後略)


出典:『黑田淸輝日記 第一巻』 昭和四十一年七発行 中央公論美術出版
※元文はひらがなだが、漢字かな混じり文に直した。
※文中の「久米さん」は久米桂一郎のこと。
※元文では「はだかぼ」だが、ここでは「裸んぼ」と表現した。


黒田清輝が、1877年のパリで残した「裸んぼ=裸婦・裸体」のデッサンは、
いまトーハクの特集陳列「美術解剖学 -人のかたちの学び」で展示されています。
盟友 久米桂一郎の同モデル・同ポーズの「裸んぼ」と合わせてご覧ください。

裸婦習作 黒田清輝筆と久米桂一郎筆
(左) 裸婦習作 黒田清輝筆 明治20年(1887)
(右)
裸婦習作  久米桂一郎筆 明治20年(1887) 東京・久米美術館蔵
(いずれも2012年7月3日(火)~2012年7月29日(日)展示)

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開

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posted by 木下史青(デザイン室長) at 2012年07月04日 (水)