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国宝 賢愚経残巻(大聖武)公開期間も残りわずか!

本館第1室で1月2日(月)より1月15日(日)まで正月特別公開を行っている国宝 賢愚経残巻(大聖武)をご紹介します。

国宝 賢愚経残巻(大聖武) 奈良時代・8世紀
(以下二枚)国宝 賢愚経残巻(大聖武)(部分) 奈良時代・8世紀

『賢愚経』は、仏教的な立場からみた賢人と愚人の寓話(ぐうわ)69編を収めた経典です。平安時代の『今昔物語』にも大きな影響を与えたと考えられています。この東博本は、もとは東大寺に伝来した奈良時代の写経のうちの一巻で、「波斯匿王女金剛品(はしのくおうにょこんごうぼん) 第八」にはじまる計262行からなっています。

国宝 賢愚経残巻(大聖武) 奈良時代・8世紀
(上図の拡大)

ご覧になって、まず気がつくのは、文字が大きめで、力強く堂々としていること、そして料紙の中につぶつぶが見えることだと思います。
私たちが目にする経典のほとんどは、漢字で書かれていますが、文字を読むよりも、だれがどんな気持ちでつくったのかなどを想像しながら見てみると、新しい発見があります。
それは文字のかたちや、字配り、使用している紙にもあらわれています。奈良時代には、文字を書きやすくするために、紙の表面を石で叩いたり、金泥で書いた文字を輝かせようと猪の牙で磨くことも行われました。

本文は、写経のなかでもとくに大きい文字で、通常の経典が一行十七字であるのに対し、一行十二、三字で肉太のしっかりとした筆致で書かれているのが特徴です。古くから聖武天皇(701~756年)筆と伝え、その断簡は「大聖武」あるいは大和国の東大寺戒壇院に伝来したことから「大和切」と称して、茶人などに愛好されました。とくに古い名筆を収録したアルバムともいえる古筆手鑑(こひつてかがみ)などの巻頭を飾り、手鑑の格式(かくしき)を示す指標となっていることで知られています。

古筆手鑑
古筆手鑑 毫戦 奈良時代-江戸時代(展示予定は未定)

料紙は「茶毘紙(だびし)」とよばれる厚手の紙を用いています。この名称は、骨粉を漉き込んだようにみえるところから付けられました。かつては麻紙(まし)に白土を混入し、防虫と荘厳(しょうごん)をかねて香木の粉末を漉き込んだものといわれていました。荼毘紙は、一行十七字で「中聖武」と称される奈良時代の経典のなかにもみられますが、近年、当館所蔵の中聖武である「称讃浄土仏摂受経」の修理にともなう調査で、巻末の第6紙から第8紙に使用されている白荼毘紙が、ニシキギ科の落葉灌木である真弓(まゆみ)の靭皮(じんぴ)繊維でつくられていることが明らかとなりました。

称讃浄土仏摂受経
称讃浄土仏摂受経(部分) 奈良時代・8世紀(展示予定未定)

真弓を原料とする紙は、天平感宝元年(749年)に正倉院文書に「更別真弓紙十三張」とみえますが、注目してもらいたいのはその繊維の長さです。平均の繊維の長さが8~9mmと長い楮の繊維と比べて、繊維の長さが0.5~0.6mmと非常に短い真弓は、水の中で分散しやすく、地合の良い紙を作ることができるというメリットがあります。繊維に混入しているつぶつぶは、真弓の靭皮繊維に含まれる樹脂成分や粗い繊維と思われます。

大聖武の真弓の繊維とつぶつぶ
大聖武の真弓の繊維とつぶつぶ (1目盛りは0.01㎜) 
国宝 賢愚経残巻(大聖武)(部分) 奈良時代・8世紀


いわゆる天平経と称する唐風写経の黄金時代には、紫紙金字の金光明最勝王経のように、字形はあくまで端正で、温雅な美しさがあります。この書風に一種の荘重な趣が加わって新しい写経体が登場するのが、奈良時代後期であり、その根幹となった書風が、この賢愚経(大聖武)であるといえます。

紫紙金字金光明最勝王経
紫紙金字金光明最勝王経(部分) 奈良時代・8世紀(展示予定未定)

国宝 賢愚経残巻(大聖武)の展示期間は残りわずか(2012年1月15日(日)まで)となっております。お見逃しなく!

カテゴリ:研究員のイチオシ博物館に初もうで

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posted by 高橋裕次(博物館情報課長) at 2012年01月12日 (木)