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書を楽しむ 第4回「書は人なり?」

「書は人なり」という、出典のよくわからない格言があります。「書は人となりを反映する」と言われると、字が下手だと自認している人は「字の下手な自分は、性格も悪いのか?」と悩むことになり、あまりうれしくありません。

平安時代の中ごろに書かれた『新猿楽記(しんさるごうき)』というおもしろい著作があります。平安京の町中の猿楽見物に出かけた、いろいろな特技・才能の持ち主の一家の説明を、それぞれの分野の言葉尽くしに仕立てた書で、後世の教科書「往来物」の原型になったと言われます。登場人物は、「武者」「田堵(たと、農業経営者)」「巫女」「学者」「力士」「大工」など、当時考えられる「専門家」なのですが、その中に「能書」の「太郎主」という人物が登場します。太郎主は「古文・正文・真行草・真名・仮字・芦手等の上手」で王羲之(おうぎし)・小野道風・空海・藤原佐理などの筆法をすべて習得しているという設定で、「能書」が一種の職人技・名人芸の持ち主と考えられていたことが知られます。気分が優れなくても、体調が悪くても、一旦筆を取って紙に向かえば、さまざまな筆法を駆使して美しい文字を書き上げる、という人は、現代ではスポーツ選手や音楽の演奏家あたりにたとえられるでしょうか。能書をうたわれた王朝貴族たちも、文化を継承するという職分に応えて今に残る多くの作品を生み出したと言えます。そういう意味では、「書は人」と言っても、それはいわばプロとしての修練の賜物であって、もともと本人の人柄や行いとは別の話なわけです。

これは緊張感のただよう奈良時代の写経でも同じことです。無論、経典の書写を担当した写経生たちは仏や経典を敬う心を抱いて筆を取り、料紙に向かったにちがいありませんが、一方で文字の謹直さや正確さは、書きまちがうと自分の給料が減らされるという、きわめて俗っぽい条件に支えられていたこともまた事実です。人格が高潔であったから文字が美しくなったのではなく、求められた日々の仕事に対する誠実な姿勢が、現代の私たちにまでその成果の美しさを伝えているのです。


一点一画に緊張がこもる天平期の写経
文陀竭王経(部分)
文陀竭王経(部分) 奈良時代・天平12年(740)
総合文化展 本館1室 (~12月11日(日)展示)


書の個性に対する受け止め方が、技巧の優劣や様式の差異ではなく、書き手の人格の反映とされるようになるのは、大きく見てゆくと、鎌倉時代からのように思われます。特に現在、私たちがその強い個性を見ることができるのは、この時代に新しい教えを掲げて陸続と輩出した僧侶たちの書です。折りしも当館では12月4日(日)まで特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」を開催中で、この二人の祖師の数少ない筆跡を見ることができますが、本館2階3室「仏教の美術」(~12月11日(日)展示)では、同時代のライバルと言える明恵(高弁、1173~1232)の著述や書状を展示しています。

それぞれ一宗を開くような祖師たちは、悟り澄ましていたわけではありません。現世で救われがたい人々に安穏と救済をもたらすためにはどうしたらよいのか、学び、考え、ある時は悩み苦しみ、ある時は喜びを得て一生を送ったわけで、その著作や書状には、折々の思考や感情が込められています。また、それらを受け取った人々も書き手の思いを想像しながら、読んだにちがいありません。書の向こうに人の心を見る時代が来たといえるでしょう。

残りの会期も少なくなりましたが、特別展・総合文化展両方の会場に足をお運びいただいて、高名な僧侶たちの次のような筆跡を、くらべて鑑賞していただければ幸いです。

「法然と親鸞」展
・第1章 重文 源空(法然)書状 鎌倉時代・13世紀 奈良・興善寺
・第1章 国宝 教行信証(坂東本) 親鸞筆 鎌倉時代・13世紀 京都・東本願寺
ともに2011年12月4日(日)まで、平成館特別第1室で展示中。

総合文化展
・書状 明恵(高弁)筆 鎌倉時代・13世紀 個人蔵
2011年12月11日(日)まで、本館2階3室「仏教の美術」で展示中。


 思いに筆がついてゆかず、何度も書き直す明恵。
書状
(左)書状 明恵筆 鎌倉時代・13世紀、(右)(左)画像の赤い四角で囲んだ部分の拡大
※この作品は展示されていません

 

カテゴリ:研究員のイチオシ書跡

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posted by 田良島哲(調査研究課長) at 2011年11月23日 (水)