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1089ブログ

チベットの仏像と密教の世界

彫刻担当の西木です。

突然ですが、みなさん「チベット」と聞いたら何が思い浮かびますか?

ヒマラヤに代表される山々、青い空、金色に輝く仏像・・・

“え、仏像?” と思われた方!
チベットといえば、そう仏像です!
日本ではなかなかまとまって見る機会が少ないチベット仏教の仏像ですが、今なら特集「チベットの仏像と密教の世界」(2017年9月5日(火)~10月15日(日))でご覧いただけます。


東洋館12室の特集展示の様子

インドに生まれた仏教ですが、中世以降はヒンドゥー教やイスラム教に押され気味で、さまざまな地域に活路を見出そうとしていました。その一つが、チベットです。
もともとチベットにはボン教という民間宗教はありましたが、仏教のように教義や制度が充実した宗教はなく、またたく間に広まっていきました。

仏教が伝来した時のことを想像してみてください。
チベットの人々の目を惹いたのは、金色に輝く仏像です。


菩薩坐像 中国・チベットまたはネパール 15~16世紀

チベット仏教は、ヒンドゥー教の影響を受けたインド仏教を継承しているため、日本や東アジアでは見慣れない仏が数多く含まれます。
たとえば、このチャクラサンヴァラ父母仏立像をご覧ください。


チャクラサンヴァラ父母仏立像 中国・チベットまたはネパール 15~16世紀 服部七兵衛氏寄贈

姿が少し分かりにくいかもしれませんね。これではどうでしょう?

 
チャクラサンヴァラ父母仏立像、その頭部

なんと、男女が抱き合った姿です。
チャクラサンヴァラと呼ばれる仏が男性で、自身の前にその妃を抱いています。妃は右足を男性にからめていますね。
艶めかしい手足もあいまって、なんともエロティックな造形ですが、この姿はチャクラサンヴァラが主宰する曼荼羅の世界を構成する仏たちを生み出すための神聖な場面といえ、これを父母仏(ヤブユム)と呼びます。

ご注目いただきたいのは、この他にも女性の姿が多く見られる点です。
たとえば、悟りを開いた姿の如来といえば、日本では男性の印象が強いですが、チベット仏教では仏母と呼ばれる女性の仏が人気でした。


仏頂尊勝母坐像 中国 清時代・17~18世紀

楽しそうに踊っているように見えるこの二人、ダーキニーと呼ばれる強い呪力をもつ仏をご覧ください。

 
虎面母立像 中国 清時代・18~19世紀

 
マカラ面母立像 中国 清時代・18~19世紀

乳房が揺れ、女性であることは明らかですが、顔が虎や怪魚であることはもちろん、じつは人間の皮をまとっているという、恐ろしい姿をしています。
そういえば、さきほどご覧いただいたチャクラサンヴァラも髑髏(どくろ)や生首をネックレスやスカートにしていましたね。

女性尊が強い力をもつと考えられるようになった背景には、インドで広まった女神信仰があります。
もともと、ヒンドゥー教においては女神も男神の配偶者として登場しますが、中世(7~8世紀ごろ)になると女神の力が強まり、いつしか男神を圧倒するようになりました。
ヒンドゥー教や、そのもとになったバラモン教が広まるはるか昔から、インド各地で信仰されていた女神たちが再び注目されるようになった、そう考えられています。

加えて、煩悩を悟りに昇華させるという密教ならではの特色も、女性尊が強まった要因の一つといえます。
チベット密教の修行においては、最大の煩悩の一つである性欲を悟りにつなげるため壮絶なプロセスが想定され、これに女性尊が不可欠と見なされるようになったのです。
なかでも、最強の仏とされるのが、ヴァジュラバイラヴァ父母仏です。

 
ヴァジュラバイラヴァ父母仏立像 中国 清時代・17~18世紀 東ふさ子氏寄贈

ヴァジュラバイラヴァとはもともと、死神のヤマをも滅ぼすヤマーンタカという仏のうちの「恐るべき忿怒尊(ふんぬそん)」を意味します。ヤマを表わす水牛の顔、最上段には文殊菩薩の顔があり、倒した敵を浄土へ導くといわれます。
あまり深入りしないよう、このあたりで止めておきますが、これほど女性尊を魅力的に表わすものは、チベット仏教をおいて他にありません。

ただし、今回ご覧いただける仏像は、展示会場の冒頭に展示されている下の2体を除いて、じつはチベットで造られたものではありません。


菩薩坐像

チャクラサンヴァラ父母仏立像

チベット仏教は、その完成された思想や信仰形態によって周辺地域へ普及していき、モンゴルや中国にもその影響は及びました。
とりわけ、元や清といった王朝におけるチベット仏教への信仰は篤く、ネパールやチベットから僧や職人が当時の首都(現在の北京)に招かれ、チベット仏教寺院の建造が相次ぎ、仏像も数多く制作されました。

東京国立博物館に所蔵されるチベット仏教の仏像も大半は、清時代(17~19世紀)に北京周辺で造られたものであることが調査によって判明しました。


無量寿仏坐像 中国 清時代・17~18世紀

白色ターラー菩薩坐像 中国 清時代・17~18世紀

とはいえ、いずれも皇帝の周辺で制作された非常に質の高いものばかりで、下の写真のように「大清乾隆年敬造」と清朝第6代乾隆帝(在位1735~95)が造らせたと分かるものも含まれるなど、大変貴重な遺品といえます。

 
除蓋障菩薩坐像(八大菩薩のうち) 中国 清時代・18世紀

チベットの仏像は、中国の皇帝をも魅了してきたのです。

ちなみに、これまで東京国立博物館にチベット仏教の仏像が所蔵されることはあまり知られていませんでしたが、このたびの特集は、チベットの仏像をご専門とされる公益財団法人東方学院の田中公明先生と一緒に調査をした成果の一部をご報告するものです。
その正確な名称や特色について、初めて明らかになった仏像も少なくありません。

ぜひこの機会に、標高3,000メートルともなる中央チベットで育まれた、チベット仏教で信仰されてきた魅惑の仏像をご覧いただき、その世界に思いを馳せていただければ幸いです。

リーフレットを作成しました。
会期中、東洋館1階インフォメーションで配布しておりますので、ぜひお手に取ってご覧ください。

特集「チベットの仏像と密教の世界」の紹介ページでPDFをご覧になれます。

 

 

カテゴリ:研究員のイチオシ特集・特別公開博物館でアジアの旅

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posted by 西木政統(貸与特別観覧室) at 2017年09月15日 (金)

 

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