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北京故宮博物院200選 研究員おすすめのみどころ(三希堂の日々)

特別展「北京故宮博物院200選」(~2012年2月19日(日))をより深くお楽しみいただくための「研究員のおすすめ」シリーズのブログをお届けします。

本特別展では、中国の清(しん)という王朝の皇帝の書斎を、展示室の一角に再現しています。書斎の名は三希堂(さんきどう)。三希堂の再現は、故宮博物院が用意してくださった実物大の書斎の模型のなかに、実物の工芸品をならべています。いわば工芸品の展示を、展示ケースに入れるのでなく、実際に使われていたように置いてみたわけです。


紫禁城の養心殿です。向かって左の赤い壁のうしろに三希堂があります。


三希堂の室内です。「三希堂」の額の下に、皇帝の座椅子があります。
壁には小瓶が飾られ、その下に書跡をしまっておく木箱が積まれています。



三希堂と前室の設計です。
三希堂に入るには、前室とよばれる通路をぬけていきます。


三希堂というのは故宮、すなわち紫禁城(しきんじょう)のなかの養心殿(ようしんでん)という宮殿の片隅にある小部屋で、その広さは畳でいうと3畳ほどにすぎず、部屋の入口には前室(ぜんしつ)とよばれる4畳半くらいの通路がつながります。皇帝は、日常の政務に疲れると、この前室を通りぬけて三希堂に入ってくつろいだのでした。この書斎をつくった乾隆帝(けんりゅうてい)は、文武の才能にめぐまれた、中国史上でも抜群の権勢をほこった皇帝です。そのような大人物がこのような小部屋を好んだというのは、ちょっと意外でもあります。


一級文物 乾隆帝大閲像軸(部分) 清時代・18世紀 中国・故宮博物院蔵
乾隆帝の武装すがたです。
イタリア人画家のカスティリオーネが描いたとされる肖像画です。
乾隆帝は「十全武功」とよばれる10度の遠征を行ない、清の領土を最大限に広げました。



乾隆帝古装像屏(部分) 清時代・18世紀 中国・故宮博物院蔵
乾隆帝の文化人すがたです。
カスティリオーネと中国人画家の金廷標が合作した肖像画です。
乾隆帝は「四庫全書」という膨大な図書全集の編纂を企画し、みずからも多数の詩文をつくりました。



三希堂の室内は、段差をつけて上段と下段に分かれ、上段には固めのクッションを組み合わせた座椅子があり、その頭上には乾隆帝直筆の「三希堂」の額がかかります。その名は、この書斎に乾隆帝が愛玩した王羲之(おうぎし)の「快雪時晴帖」(かいせつじせいじょう)、王献之(おうけんし)の「中秋帖」(ちゅうしゅうじょう)、王珣(おうじゅん)の「伯遠帖」(はくえんじょう)という三つの希(まれ)な書跡の名宝を秘蔵したことにちなみます。ここの床は、床下に火気をおくる床暖房になっており、紫禁城の堀に分厚い氷が張るような寒い日には、座椅子にすわって足を組んだり伸ばしたりして温まったことでしょう。座椅子の前には紫檀でできた座卓があり、卓上には美しい色合いの玉(ぎょく)でできた文房具がそろえてあり、窓辺にも玉器や漆器がならんでいます。下段の片方の壁にはカラフルな磁器の小瓶がたくさん飾られ、反対側の壁には大きな鏡がはめこまれています。この鏡のおかげで、小さな部屋に奥行がでて、狭苦しさを感じさせません。前室の壁にトリックアートのポスターを貼っているのも、やはり奥行を出す工夫でしょう。床には三希堂の名の由来となった名筆をはじめとする書跡をおさめた木箱が積まれています。


紫禁城の堀の氷結のようすです。
北京の冬はとても寒く、冷えこむと、紫禁城の堀は氷結します。
紫禁城のとなりの湖ではスケートが行なわれていました。



前室のトリックアートです。
三希堂の前室の入口をのぞいたようすです。
床に敷いたタイルが、壁に貼られた遠近法の絵のなかへと続いてゆきます。


三希堂を再現する展示には4日間かかったのですが、その間ずっと、私はこのほとんど身動きできない空間で過ごしました。故宮博物院のスタッフからは「乾隆帝の気分でしょう?」という冗談も言われましたが、はたして自分が皇帝になったというよりも、皇帝のなかに自分と同じものを見出した気がしました。この生活空間は、卑近なたとえですが、私が関西で暮らしていた学生下宿を思い出させます。六甲おろしの吹く寒い日に、小さな部屋でコタツに入って趣味の読書をして、ささやかな幸福を楽しんでいたころを思い返しますと、なにも持たない者であれ、すべてを手に入れた者であれ、人間が独りきりで心安らぐには、せいぜいこのぐらいの広さで足りるのかもしれません。仕事の合間の息抜きに、自室にこもって、木箱からゴソゴソ取り出した古人の筆跡をぬくぬくと鑑賞するすがた……もしもこの木箱が音楽のCDや映画のDVDのケースなどであれば、きっと共感される方々がおられるでしょう。広大な紫禁城にあって、わざわざこのような狭いところを好んだ乾隆帝の心境に想像をめぐらすと、まったく別世界の存在であった皇帝に親しみがでてきました。


三希堂の再現の展示です。
故宮博物院のスタッフと話し合いながら展示をします。



三希堂の再現の完成です。
窓辺には朱漆製の冠掛けや玉製の置物がならび、卓上には玉製の文房具がそろえてあります。

 

カテゴリ:研究員のイチオシ2011年度の特別展

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posted by 猪熊兼樹(貸与特別観覧室) at 2012年01月27日 (金)