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1089ブログ

もう一度、善光寺本尊について考える

先日公開したブログの記事「本館3室と11室で善光寺本尊について考える」(2011年05月28日(土)公開)の続きです。

前回、2つの善光寺式阿弥陀三尊像と法隆寺献納宝物の朝鮮半島製とみられる三尊を比べてみました。

その時、脇侍の手の形がぜんぜん違いましたね。
これはどういうことかお話しませんでしたので補足です。

善光寺式三尊の脇侍の手をもう一度見てみましょう。
善光寺式三尊
重要文化財 阿弥陀如来および両脇侍立像(部分) 鎌倉時代・建長6年(1254) C-93

胸の前で左手の掌を上向きにして、その上に右手を重ねるという形です。
これが何を意味する印なのかわかりません。

ところが、法隆寺献納宝物の中にこれに近い手の形をした像が三躯あります。
白雉2年(651)に造られた観音菩薩立像(N‐165)、飛鳥時代の菩薩立像(N‐166)、観音菩薩立像(N‐167)です。

左から順に、観音菩薩立像(N‐165)、菩薩立像(N‐166)、観音菩薩立像(N‐167)

どの像も左手を下に、右手をそれに重ねるようにしていますが、その間に丸い物をはさんでいます。
これは宝珠です。

左から順に、観音菩薩立像(N‐165)、菩薩立像(N‐166)、観音菩薩立像(N‐167)

法隆寺夢殿の救世観音像(国宝)は蓮台上の宝珠から火焔が立ちのぼる様子を表わしたものを同じように持っています。
飛鳥時代にはこのような手の形が多かったのです。
朝鮮半島にも同様の像があります。
善光寺本尊の両脇侍はおそらくこの形なのでしょう。

ちらっと拝する機会を得た人(あくまで夢で見たという話になっています)にはその宝珠がよく見えなかったのでしょう。
鎌倉時代に造られた模像のうち、鎌倉の円覚寺にある像は何かを持っているように見えますがはっきりしません。
そして、ほとんどの模像はただ手を重ねるだけになったのだと考えられます。

カテゴリ:研究員のイチオシ仏像

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posted by 浅見龍介(東洋室長) at 2011年06月10日 (金)