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古代九州の経塚-北部九州を中心に-

  • 『重要文化財 銅製宝塔形経筒 福岡県宇美町 四王寺山経塚出土 平安時代・保安4年 (1123) 』の画像

    重要文化財 銅製宝塔形経筒 福岡県宇美町 四王寺山経塚出土 平安時代・保安4年 (1123)

    平成館 企画展示室
    2010年12月7日(火) ~ 2011年3月6日(日)

     平安時代の中ごろ、災害が頻発し、貴族社会が崩壊しはじめました。そしてこれらは、永承7年(1052)が 末法の初年に当たるためだと考えられました。末法とは、釈迦の死後2000年たつと訪れる、仏の教えが廃れ、世の中が乱れる時代のことです。その後、56 億7000万年後に弥勒如来が現れ、再び仏教が栄える時代がやってくると信じられていました。その時まで経典を保存するために、経典を容器に収め、地中に 埋納したのが経塚です。

       現在わかっている最古の経塚は、藤原道長が寛弘4年(1007)に、奈良県金峯山に築いたものです。その後、経塚造営の風習は九州から東北まで全国に広 まっていきました。なかでも北部九州は、古代において、畿内同様、多数の経塚が築かれた地域としてよく知られています。今回は、九州の経塚の様相を、当館 所蔵の北部九州の経塚出土品を中心にご覧いただきます。

       なお、この特集陳列は、考古資料相互活用促進事業の一環として行われるものです。

主な出品作品

*所蔵の表記の無いものは、当館蔵品です。
重要文化財 土製彩絵経筒 福岡県太宰府市太宰府天満宮境内出土 平安時代・久安3年(1147)
重要文化財 銅製宝塔形経筒 福岡県宇美町 四王寺山経塚出土 平安時代・保安4年(1123)
陶製経筒 伝福岡県宇美町 四王寺山経塚出土 平安時代・12世紀 福岡市博物館蔵
滑石製経筒 伝福岡市早良区 西油山経塚出土 平安時代・12世紀 福岡市博物館蔵
銅製経筒 伝佐賀県神埼市背振町 背振山経塚出土 平安時代・康治元年(1142)
銅製経筒 伝佐賀県神埼市背振町 背振山経塚出土 平安時代・康治元年(1142) 福岡市博物館蔵
滑石経 伝福岡県筑後市若菜八幡宮出土 平安時代・12世紀