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特別展「細川家の至宝-珠玉の永青文庫コレクション-」

  • 『黒糸威二枚胴具足細川忠興(三斎)所用安土桃山時代・16世紀永青文庫蔵』の画像

    黒糸威二枚胴具足
    細川忠興(三斎)所用
    安土桃山時代・16世紀
    永青文庫蔵

    平成館 特別展示室
    2010年4月20日(火) ~ 2010年6月6日(日)

     旧熊本藩主・細川家に伝来した文化財を後世に伝えるために、16代当主細川護立が昭和25(1950)年に設立した永青文庫所蔵の名品ならびに細川家ゆかりの品々を紹介します。細川家の歴史と美術、日本の伝統文化に触れるとともに、近代日本を代表する美術コレクターである細川護立の眼と人物像に迫ります。

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2010年5月20日(木) 入場者が10万人に達しました。

ほぼ日刊イトイ新聞」(糸井 重里 氏が主宰するWebサイト)にて、 「細川家の平熱。」が連載されています。
細川 護熙 氏と糸井 重里 氏の対談の記事をご覧いただけます。

開催概要
会  期 2010年4月20日(火)~6月6日(日)
会  場 東京国立博物館 平成館 (上野公園)
開館時間 9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで)
(ただし、会期中の金曜日は20:00まで、土・日・祝日は18:00まで開館)
休館日 月曜日(ただし5月3日(月・祝)は開館)
観覧料金 一般1500円(1300円/1200円)、大学生1200円(1000円/900円)、高校生900円(700円/600円)
中学生以下無料
( )内は前売り/20名以上の団体料金
障害者とその介護者一名は無料です。入館の際に障害者手帳などをご提示ください。
前売券は、東京国立博物館 正門観覧券売場(開館日のみ、閉館の30分前まで)のほか、電子チケットぴあ(Pコード=688-979)、ローソンチケット(Lコード=33596)、ファミリーマート、イープラス、CNプレイガイドなど主要なプレイガイド、および展覧会公式ホームページ上のオンラインチケットにて、 2010年1月25日(月)から 4月19日(月)まで販売。 前売券の販売は終了しました。
「東京・ミュージアムぐるっとパス」で、当日券一般1500円を1400円(100円割引)でお求めいただけます。正門観覧券売場(窓口)にてお申し出ください。
東京国立博物館キャンパスメンバーズ会員の学生の方は、当日券を1000円(200円割引)でお求めいただけます。正門観覧券売場(窓口)にて、キャンパスメンバーズ会員の学生であることを申し出、学生証をご提示下さい。
特別展「細川家の至宝-珠玉の永青文庫コレクション-」会期終了後の2010年6月8日(火)~6月27日(日)まで、本特別展半券を当館正門観覧券売場にてご提示いただければ、当館平常展を半額の割引料金でご覧いただけます。
交  通 JR上野駅公園口・鶯谷駅より徒歩10分
東京メトロ銀座線・日比谷線上野駅、千代田線根津駅、京成電鉄京成上野駅より徒歩15分
主  催 東京国立博物館、永青文庫、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社
後  援 文化庁
協  賛 トヨタ自動車、日本写真印刷
カタログ・音声ガイド 展覧会カタログ(2500円)は、平成館2階会場内、および本館地下ミュージアムショップにて販売しています。音声ガイド(日本語のみ)は500円でご利用いただけます。
お問い合わせ 03-5777-8600 (ハローダイヤル)
展覧会ホームページ http://www.hosokawaten.com/
展覧会公式サイトは会期終了時をもって終了いたしました。
関連事業
  記念講演会
第1回
  平成館 大講堂 2010年4月24日(土) 13:30~15:00  受付終了
演題:「細川家 美と戦いの700年」
講師:永青文庫理事長 細川家18代当主 細川 護熙 氏
第2回
  平成館 大講堂 2010年5月29日(土) 13:30~15:00  受付終了
演題:「細川護立と日本の近代美術」
講師:東京文化財研究所企画情報部文化形成研究室長 塩谷 純 氏
追加開催決定 アンコール講演会
  平成館 大講堂 2010年5月28日(金) 17:00~18:30  受付終了
演題:「細川家 美と戦いの700年」
講師:永青文庫理事長 細川家18代当主 細川 護熙 氏
* 応募多数で大変好評でしたので、ご要望にお応えしてアンコール講演会を開催することになりました。講演の内容は第1回と同じです。
ワークショップ「キミも武将だ!甲冑(かっちゅう)をまなぼう」
  平成館1階 ラウンジ 2010年5月5日(水・祝、こどもの日)  受付終了
(1)午前の部  10:00~12:00の間の30分程度
(2)午後の部A 13:00~14:30の間の30分程度
(3)午後の部B 14:30~16:00の間の30分程度
「細川家の至宝-珠玉の永青文庫コレクション-」ジュニアガイド
  児童・生徒のみなさん向けの鑑賞の手引きとして、ジュニアガイドを制作しました。こちらのページからPDFをダウンロードし、プリントアウトしてご活用ください。
関連展示
特集陳列 シリーズ「歴史を伝える」 戦国大名と細川家
  本館16室 2010年4月27日(火) ~ 2010年6月6日(日)
この特集陳列では中世細川家の姿を伝える古文書や藤孝・忠興父子を中心にして、近世細川家が当時の武家において有数の文化人であったことを示す、数々の書跡作品・歴史資料を紹介します。特別展とあわせてご覧ください。
巡回予定
京都国立博物館 2011年10月8日(土)~11月23日(水・祝)
九州国立博物館 2012年1月1日(日・祝)~3月4日(日)
展覧会のみどころ
第1部 武家の伝統-細川家の歴史と美術-
 鎌倉幕府の御家人として始まる細川家(中世細川家)は室町幕府の要職を務めましたが、戦国末期には傍流の藤孝(幽斎)が頭角を現しました(近世細川家)。藤孝はその子忠興(三斎)と共に乱世を乗り越え、細川家は後に肥後熊本の大大名として明治維新を迎えます。このような武家の伝統は甲冑、鞍、刀剣や鐔の名品に見られます。また歴代当主や夫人の好みを映した和歌、茶の湯や能の道具・衣装類も多く伝わり、これら武と文を兼ね備えた細川家の歴史をひもときます。
時雨螺鈿鞍   国宝 時雨螺鈿鞍(しぐれらでんくら)
鎌倉時代・13世紀
東京・永青文庫
[展示期間:2010年5月11日(火)~6月6日(日)]

鞍には高度な漆芸技術によって美しく装飾された例が多く、実用的な道具であるとともに、武士の誇りや威厳、美意識が表現される品物でもありました。とくに鎌倉時代の鞍には螺鈿で煌きらびやかに飾られた作品が多くありますが、精細に貝片を切り透かしたこの鞍はその最高傑作です。
黒糸威二枚胴具足   黒糸威二枚胴具足(くろいとおどしにまいどうぐそく)
細川忠興(三斎)所用
安土桃山時代・16世紀
東京・永青文庫

細川忠興が、関ヶ原の合戦で用いた甲冑です。50回に及ぶ戦陣を経験した忠興は、実戦に基づく実用本位の独特の形式の甲冑を使用しました。この形式は忠興の号などによって三斎流、越中流と称されて、甲冑の一つの模範とされました。細川家ではこの甲冑を「御吉例(ごきちれい)の具足」として尊重し、歴代の藩主もこの形式に基づいた甲冑を製作しています。
  太刀銘豊後国行平作部分 太刀銘豊後国行平作全体   国宝 太刀 銘 豊後国行平作(たち めい ぶんごのくにゆきひらさく)
豊後行平作
左 銘部分、右 全体
平安~鎌倉時代・12~13世紀
東京・永青文庫


 関ヶ原の合戦を控え、石田三成軍に攻められ、丹後田辺城に籠城した細川幽斎は、古今伝授を伝える数少ない人物でした。その死をおそれた後陽成天皇は烏丸光広らを勅使として田辺城に遣わし、勅命による講和を促しました。講和が成立しその労を謝して、幽斎が烏丸光広にこの太刀を贈ったと伝えられています。烏丸家から出たものを細川護立が見出して収蔵に加えました。
細川藤孝像   細川藤孝(幽斎)(ほそかわふじたか(ゆうさい))
絵:田代等甫(たしろとうほ)筆
和歌:細川幽斎筆
江戸時代・慶長17年(1612)
東京・永青文庫
[展示期間:2010年4月20日(火)~5月9日(日)]

近世細川家の初代、細川藤孝(幽斎)の肖像画です。藤孝は将軍足利義輝(義藤)(あしかがよしてる(よしふじ))の側近で、その諱(いみな)の一字を与えられ藤孝と称しました。足利義昭(よしあき)を補佐した後、織田信長、豊臣秀吉に仕え、丹後の宮津城や田辺城を居城としました。本能寺の変に際し剃髪して幽斎玄旨と号し、家督を忠興(ただおき)に譲りました。藤孝は『古今和歌集』の解釈等についての秘事を三条西実枝(さんじょうにしさねき)から伝授され(古今伝授)、藤孝からは皇族や公家等に伝授されました。このほか藤孝は能・太鼓など様々な芸能や故実に造詣が深く、一流の文化人でした。 これは藤孝三回忌のおりに夫人の光寿院が描かせた画像にあたる可能性が高く、上部の色紙形(しきしがた)の和歌3首は、藤孝自詠自筆の和歌から忠興が選んだものとみられます。
唐織胴箔地撫子蝶模様   唐織 胴箔地撫子蝶文様(からおり どうはくじなでしこちょうもんよう)
江戸時代・18世紀
東京・永青文庫
[展示期間:2010年4月20日(火)~5月9日(日)]

細川家には著名な『細川十部伝書』といった能の伝書が遺され、歴代当主が能を愛好した歴史は細川幽斎の代まで遡ります。この唐織は細川家に伝存する『御次通御能御装束及御小道具帳(おつぎどおりおのうおんしょうぞくおよびおんこどうぐちょう)』に第一に掲載される白眉の一領です。主に鬘能(かづらのう)において女性が着用する小袖形の表着で、刺繍のように見える撫子に蝶の文様はすべて織で表わされます。金糸を全面に通して織り込んだ金地は「胴箔」と称され、豪華絢爛と形容される唐織の中でも、もっとも格調が高いとされます。
唐物尻膨茶入利休尻ふくら   唐物尻膨茶入 利休尻ふくら(からものしりふくらちゃいれ りきゅうしりふくら)
南宋時代・13世紀
東京・永青文庫

千利休が所持し、天正15年(1587)に豊臣秀吉が主催した北野大茶湯でも用いられました。細川三斎が関ヶ原の合戦の軍功により、将軍徳川秀忠より拝領しました。その後いったん三斎の孫の宇土支藩主細川行孝に渡りますが、5代綱利のときに返納され、以来細川家第一の茶道具として伝えられています。尻ふくらの名の通り、胴裾が張った安定感のある姿をみせます。三斎が内箱の蓋表に「利休 尻ふくら」と書き付けています。
能面般若   重要美術品 能面 般若(のうめん はんにゃ)
室町時代・16世紀
東京・永青文庫

頭の左右に金色の角、大きく見開いた眼と両端が深く裂けた口からあらわれる歯や牙も金色に妖しく輝き、恐ろしい顔です。しかし、眉根を寄せた目には深い哀しみもうかがえます。「道成寺」「葵の上」など女性の激しい嫉妬を描いた曲に用いる面です。般若とはこれを生み出した面打ち(能面作家)の名前です。細川家に伝来したこの面は、その般若の作の可能性があるきわめて優れた、貴重な面です。江戸時代にはこの面の写しが盛んに造られました。
永青文庫
 永青文庫は昭和25年(1950)、16代当主・細川護立によって、細川家に伝来する歴史資料や美術品等の文化財を後世に伝える目的で財団法人として設立されました。昭和47年から一般公開を始め、翌48年に博物館法による登録博物館となり現在に至っています。永青文庫は目白台の一角、江戸時代から戦後にかけて所在した広大な細川家の屋敷跡の一隅にあり、昭和初期に細川家の家政所(事務所)として建設されたものです。毎年4つの会期にわけて美術工芸品を中心に公開展示しています。
第2部 美へのまなざし-護立コレクションを中心に-
 近世細川家の16代当主・細川護立は、早くから白隠慧鶴(はくいんえかく)や仙厓義梵(せんがいぎぼん)といった禅僧の書画を収集し、これがコレクションの原点となりました。のちに刀剣や鐔、中国・西アジアの美術工芸へとその関心は向かいます。一方、同時代を生きた横山大観・菱田春草・小林古径といった日本画家の活動を支え、洋画にも目配りし、コレクションのジャンルは多岐かつ深くあります。収集された美の数々から護立の審美眼をたどります。
三彩宝相華文三足盤   重要文化財 三彩宝相華文三足盤(さんさいほうそうげもんさんそくばん)
唐時代・7~8世紀
東京・永青文庫

数ある唐三彩盤のなかでも、金属器を思わせる端整な器形と華麗な文様により、代表作の一つにあげられます。唐三彩は 唐時代前期に貴族の墳墓に副葬するために作られた明器であり、20世紀初頭に鉄道工事を契機に唐墓が発掘され、広く世に知られるようになりました。墳墓からの出土品であるため、当時のコレクターのなかには敬遠する向きもありましたが、護立は唐三彩の美をいち早く認め、蒐集したコレクターの一人でした。
乞食大燈像   乞食大燈像(こじきだいとうぞう)
白隠慧鶴筆
江戸時代・18世紀
東京・永青文庫

白隠慧鶴は、江戸時代中期に活躍した臨済宗妙心寺派の禅僧で、臨済宗中興の祖といわれます。永青文庫には、護立が白隠の著書『夜船閑話(やせんかんな)』を読んだことをきっかけに18歳頃から収集した白隠の書画が約300点あります。本図には、鎌倉時代末期の禅僧、大燈国師(宗峰妙超)(だいとうこくし(しゅうほうみょうちょう))が、京都の五条橋の物ごいの群れに入って厳しい修行に励む姿が描かれています。
  黒き猫   重要文化財 黒き猫(くろきねこ)
菱田春草
明治43年(1910)
東京・永青文庫
(熊本県立美術館寄託)
[展示期間:2010年4月20日(火)~5月16日(日)]

菱田春草のパトロンだった秋元洒汀(あきもとしゃてい)から護立が入手した一点です。明治43年(1910)の第4回文展に向け、春草は雨中の美人図を出品するつもりでしたが断念し、この「黒き猫」を描き上げました。中国の院体画を彷彿とさせる黒猫の透徹した描写と、柏の樹葉や幹の装飾的な構成を融合させた、春草芸術の集大成ともいうべき名作です。
如来坐像   重要文化財 如来坐像(にょらいざぞう)
伝中国陝西省西安青龍寺
中国 唐時代・7世紀末~8世紀初
東京・永青文庫

護立の収集したさまざまな仏像のうち、質量ともにその中核をなすのは中国・唐時代の石造仏で、本像もその内の1点です。写実性に富み、均整の取れた見事な造形の如来像で、西安の青龍寺から請来したと伝えられます。青龍寺は唐代の長安城内の新昌坊(しんしょうぼう)の中にあった寺で、わが国の空海や円仁などが密教を学んだ寺として有名です。記録から、昭和3年(1928)に建築史家の関野貞(せきのただす)の紹介によって、岡倉天心に師事して中国美術を収集していた早崎梗吉(はやさきこうきち)から購入したことがわかります。
桜に破扇図鐔   重要文化財 桜に破扇図鐔(さくらにはせんずつば)
伝林又七(はやしまたしち)作
江戸時代・17世紀
東京・永青文庫

黒く光沢のある鉄の板鐔に破れ扇と桜を金の布目象嵌(ぬのめぞうがん)によって表しています。又七の傑作で、ねっとりとした鉄味に破れた扇が金色に耀き深い雅味が感じられます。林又七は尾張出身の鉄砲鍛冶清兵衛勝光の次男で、父勝光は加藤清正に従って熊本に移住したと伝えられます。細川家が肥後に入ると、又七は忠興(三斎)に抱えられ、錆色の美しい鉄鐔に、優雅な文様を透彫とするほか、精巧な布目象嵌を施すなど、肥後金工の礎を築きました。
金銀錯狩猟文鏡   国宝 金銀錯狩猟文鏡(きんぎんさくしゅりょうもんきょう)
中国河南省洛陽金村出土
中国 戦国時代・前4~3世紀
東京・永青文庫

1928年、中国の河南省洛陽市金村(かなんらくようしきんそん)で墓地が発掘されました。出土品のほとんどは国外に散逸し、その中に1面の銅鏡が含まれていました。金銀を溝に嵌めこむ象嵌(ぞうがん)技法によって猛獣に向かう騎馬人物等の文様を表現したその鏡は、それまでまったく類例がありませんでした。しかし一見してその価値を見抜いた護立は、古鏡に関心がなかったにも係わらず購入を即断。初めて買ったその1面は、後に「細川ミラー」の名で世界に知られるようになり、国宝にも指定されました。
細川護立
 細川幽斎を祖とする近世細川家の16代当主・細川護立は、細川家伝来の美術品・歴史資料を護り伝えるために昭和25年(1950)財団法人永青文庫を設立しました。これによって、中世に遡る大名家の歴史や暮らしぶりを知ることができます。しかし護立の真価は、近代日本を代表する美術品コレクターであり美の保護者であったことにあります。護立は、生来病気がちであったせいか、早くから美術や文学へ傾倒していました。最初に出会ったのが白隠慧鶴や仙厓義梵といった禅僧の書画であり、これがコレクションの原点ともいえます。のちに 刀剣や鐔といった武器・武具や中国・西アジアの美術工芸へとその関心は向かいます。一方、同時代を生きた横山大観・菱田春草・小林古径といった日本画家の活動を支え、またセザンヌやマティス、ルノワールなどの洋画にも目配りし早くに日本にもたらしました。また、白洲正子に古美術鑑賞の手ほどきをし、白樺派同人達のよきパトロンでもありました。国の文化行政にも功績を残し、まさに美の保護者といえます。
細川家の歴史を彩る人々
 細川氏の始まりは、源義家の末、足利義季(よしすえ)が三河国額田郡細川郷に居を構えた鎌倉時代です。室町時代には足利一門として幕府管領の要職を占めましたが、戦国の世になると傍流の細川藤孝(幽斎)が頭角を現し(近世細川家の祖)、その子忠興(三斎)と共に、信長・秀吉・家康ら時の権力者と絶妙の関係を築き、細川家は後に肥後熊本54万石の藩主として明治維新を迎えます。この近世細川家は多彩な人物を輩出しました。藤孝(幽斎)は古今伝授の歌人・歌学者であり、忠興(三斎)は千利休の茶を忠実に受け継ぐ当代随一の茶人でした。忠興の妻・玉(ガラシャ)は明智光秀の娘という生を受け、関ヶ原の合戦では石田軍の人質となるのを拒んで自害しました。また、肥後の鳳凰として名君のよび声高い8代重賢(しげかた)は藩政改革の一方学問を重視し、博物学に多大な関心を寄せ多くの著作を遺しています。現当主護熙(もりひろ)は、近世細川家の18代にあたります。

細川ガラシャ
 細川ガラシャ(洗礼名。本名は玉)は明智光秀の次女として永禄6年(1563)に生まれました。天正6年(1578)織田信長の命により細川忠興と青龍寺城で結婚しました。ともに16歳でした。天正10年、本能寺の変が起こりますが細川家は明智に与せず、ガラシャは丹後国の山中に幽閉され信長への弔意を示しました。関ヶ原の合戦では忠興は東軍に属したため、大坂玉造邸で石田三成の軍勢に囲まれ自害しました。慶長5年(1600)7月17日のことで、その最期は侍女・霜の口述記録に詳しく記されています。気丈な戦国の女性でした。
宮本武蔵と細川家
 剣豪として名高い宮本武蔵ですが、確かなことはよくわかっていません。兵法書『五輪書(ごりんのしょ)』を執筆し自らの生涯も記していますが、それによれば寛永20年(1643)に60歳、生国は播磨国とされています。島原の乱に参戦し、寛永17年に細川忠利に招かれて熊本に移りました。正保2年(1645)に亡くなりますが、葬儀は細川家の菩提寺・泰勝院で執り行われました。晩年の数年間ではありますが、武功を重んじた細川家ならではの破格の待遇でした。
五輪書
五輪書(ごりんのしょ)
江戸時代・17~19世紀
東京・永青文庫