本館 特別1室
2008年9月17日(水) ~ 2008年10月26日(日)
祭りや芸能で仮面を着けることは世界各地で行なわれ、それぞれの土地の特色や、異なる文化との交流の様子、 祭りに加わる人々の息吹を感じることができます。日本では、仮面を着けた土偶や、土で作られた土面から、縄文時代にすでに仮面があったことがわかります。 実際に着用した遺品としては飛鳥時代に大陸から伝わった伎楽面(ぎがくめん)が最も古いものです。伎楽面はすっぽりと頭に被るような大きさで、その表情の豊かさは、伎楽が親しみやすい仮面劇だったことを今に伝えます。しかしやや俗に過ぎる内容だったためか、鎌倉時代には絶えてしまいました。平安時代に中国、朝鮮から伝わった舞楽(ぶがく)はより洗練されたもので、宮中、社寺等の儀礼、祭礼で広く行なわれました。舞楽の面は顔のみを覆う大きさで、表情は硬 く、形も定型化されています。寺院の法会で用いられた面を行道面(ぎょうどうめん)と呼び、迎え講(むかえこう)で菩薩の面を着けて練り歩く姿は、奈良・ 当麻寺(たいまでら)、東京世田谷の九品仏浄真寺(くほんぶつじょうしんじ)などで現在も見ることができます。また、高野山天野社(こうやさんあまの しゃ)伝来の二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)の面は、一切経を載せた輿(こし)をかつぐ人々が着けたものです。
室町時代に世阿弥(ぜあみ)が大成した日本独特の芸能、能楽(のうがく)の面は、翁面(おきなめん)を例外として、老人の面(尉(じょう))、男面、女面は感情をあらわにしないことが特徴です。それは幽玄を旨とし、冷え枯れた演技をよしとするためでした。一方狂言(きょうげん)は、滑稽味に富む劇で、親しみやすい表情の面が用いられました。村々で行なわれた田楽(でんがく)の系譜を引いているとみられ、中世、近世の農民の笑い声が聞こえるようです。