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能「国栖」の面・装束

  • 『舞衣 紅地丁字立涌牡丹模様 毛利家伝来 江戸時代・18世紀』の画像

    舞衣 紅地丁字立涌牡丹模様 毛利家伝来 江戸時代・18世紀

    本館 9室
    2009年3月31日(火) ~ 2009年5月24日(日)

     645年、大化の改新を断行し近江国大津に都を開いた天智(てんじ)天皇の死後、その長子である大友(おお とも)皇子が皇位を継ぎました。ところが、それを不服とした人々が、天智天皇の弟・大海人(おおあま)皇子(天武天皇)を立てて、672年に起こした反乱 が壬申(じんしん)の乱です。その壬申の乱で大友皇子の襲撃を逃れて、奈良の吉野山へと分け入った天武天皇の伝説をもとにした謡曲が能 「国栖」です。

      吉野山の山人である国栖。その老夫婦が吉野川に船を浮かべて漁をしていると、自分たちが住むあばら屋の上に紫雲がたなびき、事件の前兆である星が輝くの を見ます。夫婦が「人の世を治める貴人のしるしである紫雲が、なぜ私たちの家にたなびいているのか」と急ぎ帰ってみると、家には天武天皇がひそんでいたの でした。天武天皇が、逃亡生活のためここ2, 3日、何も食べていないことを知った老夫婦は摘んできた根芹や川でとれた国栖魚(鮎)を焼いてもてなします。天武天皇が焼いた魚の片身を老人に分け与える と、不思議なことに、その魚はもとの姿になったため、老人がその魚を吉野川に放ってみると、魚は生き返って川を泳いでいくのでした。

      そこへ、にわかに追っ手がかかります。あわてた夫婦は天武天皇を自分たちの船の船底に隠します。老人がたくみに言い逃れると、気の短い追っ手は引き返し ていくのでした。夜が更け、あたりが静まるころ、音楽が聞こえ始め、琴の音が響き、天女が五節(ごせち)の舞を舞います。その音楽に惹かれて、吉野蔵王堂 に祀られる蔵王権現も姿を現し、その威力を示し、天武天皇の御代を予祝するのでした。

      能「国栖」では天武天皇は成人男性でありながら子方によって演じられます。能では、高貴な人物を、子方(子役)が演じることによって超人化し、尊い身分 を象徴するのです。また、天女は天冠をかぶり、増女とよばれる冷涼な美人の面をつけ、舞衣を着けます。蔵王権現は金色に輝く顔面に大きな眼と口を開いた大 飛出と呼ばれる面に赤頭を付け、狩衣に半切をつけた姿で登場します。

      桜の名所として名高い吉野山の風景を思い浮かべながら、ぜひ、この季節に鑑賞したい演目です。
主な出品作品

*所蔵の表記の無いものは、当館蔵品です。
舞衣 紅地丁字立涌牡丹模様 毛利家伝来 江戸時代・18世紀
狩衣 紺地雲龍丸模様 江戸時代・18世紀