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寛永の三筆とその書流

  • 『長恨歌 松花堂昭乗筆 江戸時代・17世紀』の画像

    長恨歌 松花堂昭乗筆 江戸時代・17世紀

    本館 特別2室
    2007年10月10日(水) ~ 2007年11月18日(日)

     近衛信尹(このえのぶただ)・本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)・松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)の書は、日本書道史における近世の幕あけと位置づけられ、後世「寛永の三筆」の名で呼ばれています。

      型の習得と故実を重視した中世の流儀書道から生まれた彼らの書は、その源流である平安時代の古筆や古典籍に学んで根本的にその書法を革新し、同時に、桃山時代特有の活気ある空気に触れて大胆に洗練され、新しい表現を切り拓きました。

      そのひとり近衛信尹は、はじめ持明院流(じみょういんりゅう)書法を学び、さらに家蔵の平安古筆や藤原定家の書に造詣を深め、屏風全体に大字で直接揮毫するという従来にない表現を開拓しました。ついで、本阿弥光悦は、平安時代に書写された古今集「本阿弥切(ほんあみぎれ)」の名がその所持にちなむように平安古筆を範とし、書法に活かすだけでなく、料紙技法の研究開発を手がけた。また、松花堂昭乗は、平安古筆に加え空海の書法(大師流(だいしりゅう))にも学び、さらに、平安後期の装飾経「竹生島経(ちくぶしまきょう)」(当館蔵、国宝)の鑑識や茶杓の共筒(ともづつ)(当館蔵、銘さかひ)に筆跡を遺し、 寛永文化人として多彩な足跡が知られています。また、門弟の育成に尽力し、その流派は永く隆盛しました。

      ところで、一つの見方ではありますが、「記録」と「表現」という点から日本の書を概観するとき、中世の書には記録的性格が色濃く、近世では表現性への志向が顕著に見られます。中世から近世へ脱皮した書の姿を、「寛永の三筆とその書流」にご覧いただければ幸いです。

主な出品作品

*所蔵の表記の無いものは、当館蔵品です。
和歌屏風 近衛信尹筆 江戸時代・17世紀
長恨歌  松花堂昭乗筆 江戸時代・17世紀
和歌巻 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀