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歌舞伎衣裳

  • 『羽織 萌黄繻子地的矢模様 江戸時代・19世紀 高木キヨウ氏寄贈』の画像

    羽織 萌黄繻子地的矢模様 江戸時代・19世紀 高木キヨウ氏寄贈

    本館 9室
    2007年10月23日(火) ~ 2007年12月24日(月・祝)

     江戸時代、庶民の娯楽として親しまれていた歌舞伎。旧暦11月に始まる歌舞伎は顔見世狂言(かおみせきょうげん)」と呼ばれ、新年から江戸三座の舞台に登場する役者たちのお披露目興行(ひろめこうぎょう)でした。絵姿入りの顔見世番付(かおみせばんづけ)が発行され、人々がこぞって歌舞伎小屋へ向かいました。その時期にあわせて今季は歌舞伎衣裳を展覧いたします。

      さて、歌舞伎は江戸時代初期、京都の四条河原で出雲阿国(いずものおくに)が始めました。遊女や若衆(美少年)が演じる歌舞伎の流行を経て、成年男性が演じる現在の歌舞伎の様式が生まれます。歌舞伎の人気は江戸庶民だけではなく、武家階級の間でも高まり、大奥の女性たちもお忍びで出かけるようになります。しかし、大奥に仕えた女性と山村座の俳優との交際が発覚し、お咎(とが)め を受ける事件へと発展したため、武家の女性が表立って歌舞伎を鑑賞することが難しくなりました。それでも、大奥の女性たちの間では歌舞伎への熱い思いが あったのでしょう。寛政2年(1790)、歌舞伎役者・初代中村仲蔵の妻がお狂言師と呼ばれる女役者となって以来、大奥で舞台を設け、お芝居を催すように なりました。

      東京国立博物館に所蔵される歌舞伎衣裳は、お狂言師のひとり、坂東三津江(ばんどうみつえ)が使用していたものです。細川家十一代斉樹の正室・蓮性院 (れんしょういん)(1785~1861)や、徳川十一代将軍家斉の側室・お美代の方(~1872)などに贔屓(ひいき)にされ活躍しました。肉厚で豪壮な刺繍、人目を惹く大柄な模様、鮮やかな色彩にあふれる江戸時代後期の歌舞伎衣裳をお楽しみく ださい。

主な出品作品

*所蔵の表記の無いものは、当館蔵品です。
着付 萌黄繻子地 (茗荷紋付) 江戸時代・19世紀 高木キヨウ氏寄贈
羽織 萌黄繻子地的矢模様 江戸時代・19世紀 高木キヨウ氏寄贈