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日本の博物学シリーズ 江戸の見世物

  • 『風流生人形 歌川(一寿斎)国貞筆 江戸時代・安政3年(1856)』の画像

    風流生人形 歌川(一寿斎)国貞筆 江戸時代・安政3年(1856)

    本館 16室
    2005年12月23日(金・祝) ~ 2006年1月15日(日)

     江戸時代後期、見世物は大衆の娯楽の代表的な1つで、両国や浅草の周辺にはたくさんの見世物小屋が立ちました。その中心的な存在であった「細工見世物」は、物語や伝説上の人物、歴史場面などを、入念な細工や機械仕掛けで、スペクタクル化したものです。江戸、大坂で数十万人規模の観客を集め、興行前後には引札(ひきふだ)による宣伝や、錦絵(にしきえ)の出版が行われるなど、社会現象といえる大ブームになり、歌舞伎の演出にも取り入れられました。

       かつて日本の曲芸(きょくげい)は世界に通用する第一級のレベルを誇りました。軽業(かるわざ)のスター早竹虎吉は、幕府が禁止するほど流行した曲独楽 (きょくごま)にも巧みであったといわれています。また、海外からやってきたトラやヒョウ、ラクダなど珍しい動物の見世物は、開帳の神仏を拝むのとおなじように、厄払(やくばら)いになり、疱瘡(ほうそう)疫病などの悪病が避けられる御利益(ごりやく)があると考えられていたのです。

       幕末の安政年間(1854~59)から明治時代にかけては「生人形(いきにんぎょう)」が登場します。なかでも、安政大地震の際、金30両を出費して炊き出しを行ったという吉原の遊女黛(まゆずみ)の生人形(松本喜三郎作)が評判となりました。等身大で、あたかも生きているかのような人形の姿は、当時の人々にどのように受け止められていたのでしょうか。

       今回は、近代の博覧会につながるバラエティー豊かな江戸の見世物の様相の一端をご紹介します。

主な出品作品

*所蔵の表記の無いものは、当館蔵品です。
生人形 徳川時代花見上臈 三代安本亀八作 明治42年(1909)頃 日英博覧会事務局寄贈
流行大人形 江戸~明治時代・19世紀
風流生人形 歌川(一寿斎)国貞筆 江戸時代・安政3年(1856)
菊細工活人形 太功記 明治40年(1907)
風流生人形 歌川(一寿斎)国貞筆 江戸時代・安政3年(1856)