本館 16室
2006年2月28日(火) ~ 2006年4月23日(日)
明和2年(1765)4月、江戸幕府奥医師多紀元孝(たきげんこう)は、医学校の創設を幕府に要請し、神田佐久間町の天文台跡地に講堂を建て躋寿館(せいじゅかん)と称しました。躋寿館は、寛政3年(1791)、元簡(げんかん)の代に幕府の所管となり、その名称も「医学館」と改称し、官立の医学校となりました。医学の教育に従事する一方、多くの人々の協力のもと、古今の貴重な医書を収集、考証した功績が高く評価されています。明治時代、博物局が引継いだ医学館の旧蔵書は、2000冊を数えましたが、現在は当館、内閣文庫及び宮内庁書陵部に分蔵されています。その旧蔵資料を中心に、和漢の古医書の収集、校勘、影写、出版事業などを行った医学館の歴史をご紹介いたします。