親と子のギャラリー サルのひろば
親と子のギャラリー サルのひろば / 平成館 企画展示室 2018年4月17日(火) ~ 2018年5月20日(日)

東京国立博物館(トーハク)では毎年この時期にひとつの動物に注目し、その動物が表わされたさまざまな作品をご覧いただく展示を行なっています。
今年のテーマは「サル」です。
人びとはサルをどのように表わしてきたのでしょうか。
今回は、四つのテーマで紹介します。
1.日本人はどうやってサルをリアルに描えがいてきたの?
2.日本人はサルにどのようなイメージをもっていたの?
3.サルは山の神さまの使いでもあり、ウマの守り神でもあった!
4.インド生まれのサルの神さま
トーハクの「サルのひろば」にはいろいろなサルがいます。ニホンザル、テナガザル、さらに神様になったサルもご覧らんいただけます。彼かれらは日本やアジアの人びとが作った作品の中で生き生きとしています。
動物園で見るサルとは少し違う美術の中のサルたちをご覧ください。
担当研究員の一言
トーハクのサルたちはかわいいサル、ゆかいなサル、そして元気なサルばかりです。みんな、こわくはありません。トーハクに集まったいろんなサルをぜひ見にきてください。/勝木言一郎見どころ
1.日本人はどうやってサルをリアルに描いてきたの?
日本美術にみられるサルは、おもにニホンザルとテナガザルの2種類です。ニホンザルの場合は、せまい額、鼻の下や顎の長さ、短い手足、短いしっぽや尻だこといった特徴がよく表現されています。特に手足の表現として、母指対向性(親指とほかの4本の指が離はなれ、指同士を向かい合わせてものがつかめる)という霊長類の特徴を、ていねいに表わしているものが数多く見られます。
テナガザルは、もともと日本には生息していません。鎌倉時代に、中国から禅宗という仏教とともに、中国の画家が描いたテナガザルの絵が伝来し、日本ではその絵がお手本となりました。
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猿図 森狙仙筆 九鬼隆一郎旧蔵 江戸時代・19世紀 亡九鬼隆一郎相続財産法人寄贈 ニホンザルの親子が檜の木に登る姿が描かれています。親ザルは、手で捕まえた蜂を見つめています。墨で描かれていますが、顔や耳はほんのりと朱が使われています。ふわりと描かれた毛や顔の表情は、ほんもののニホンザルにそっくりです。 |
2.日本人はサルにどのようなイメージをもっていたの?
ニホンザルには、人びとの暮らしと結びついたさまざまなイメージがあります。たとえば、「吉祥(良いことがおこる兆し)」の意味をもつサルの作品が、平安時代ごろから作られるようになりました。そののち、人間のよくない行ないをサルにたとえる表現も生まれました。
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狂言面 猿 元休作 江戸時代・18世紀 日本の伝統芸能のお芝居 ・狂言で使われたサルのお面です。きょろりと丸い目をしたこのお面は、狂言の「靱猿(うつぼざる)」のお話に登場する子どものサルにぴったりです。この役は初めて舞台に立つ子どもが演じることがあります。 |
3.サルは山の神さまの使いでもあり、ウマの守り神でもあった!
縄文時代の人びとは、自分たちと似たような姿や行動をするサルに親しみを感じるいっぽうで、サルが深い山や暗い森に住んでいることから、特別な思いをもっていました。そののち、サルに対する思いは、山の神さまの使いやウマの守り神になるなど、信仰と結びつきました。サルはかしこく芸達者なため、儀式やお祭りなどで舞ったり演技をしたりもしました。それは今でも「猿まわし」として楽しまれています。
![]() 石山寺縁起(模本)(部分) 狩野晏川模写、原本=高階隆兼他筆 明治時代・19世紀、原本=南北朝時代・14世紀 サルはウマの病気を治すことができると信じられ、馬小屋で飼われたり、ウマの守り神として大切にされました。700年ほど前の貴族の生活を描いたこの作品にも、馬小屋につながれるサルが登場します。 |
4.インド生まれのサルの神さま
インド神話に登場する「ハヌマーン」は、サルの神さまです。赤い顔で体が大きく、長いしっぽをしています。その雄叫びは雷の音のようであったといいます。姿も自由に変えることができ、空も飛べました。
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ハヌマーン立像 カンボジア アンコール時代・11世紀 東南アジアで栄えたアンコールという国では、インド生まれのサルの神さま・ハヌマーンが軍の力強さをあらわすために、軍の旗の飾りとしてつくられました。 |


百猿図 狩野探信筆 江戸時代・18世紀
猿形土製品 埼玉県さいたま市岩槻区 真福寺貝塚出土 縄文時代(晩期)・前1000~前400年
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