本館 特別1室
2017年8月29日(火) ~ 2017年10月9日(月・祝)
近衞信尹(このえのぶただ、1565~1614)は、公家の名門・近衞家の当主でありながら、能書(のうしょ、書の巧みな人)として、近世初期に活躍しました。同じ頃に活動した能書、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)、松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)とあわせて、「三筆(さんぴつ)」と称されています。
信尹の書は、太い線と細い線を組み合わせた勢いのある筆線が特徴的です。たとえば仮名の「の」や「や」を見ると、豪放にデフォルメされています。このような書風は、信尹が和様(わよう)の書の流派である青蓮院(しょうれんいん)流や定家(ていか)流を学んで確立させたものです。信尹は、文禄(ぶんろく)元年(1592)に左大臣を辞任して朝鮮へ渡ろうとし、後陽成天皇(ごようぜいてんのう)がとめるのも聞かずに肥前名護屋(ひぜんなごや)に向かったため薩摩坊津(さつまぼうのつ)に配流されました。このような信尹の行動力が、信尹の書の大胆さとして表れているといえるでしょう。
和様の書の新天地を切り拓いた信尹の書風は、信尹の号から「三藐院(さんみゃくいん)流」(「近衞流」とも)と呼ばれて流行しました。嗣子・近衞信尋(このえのぶひろ、1599~1649)ほかさまざまに受け継がれています。信尹の書の魅力とともに、「三藐院流」の書もあわせてご紹介します。